第11話 燃える黒歴史
「この地図を描いた……って、他の地図を模したってこと?」
「違うわ。最初からぜんぶ自分ひとりで描いたのよ」
「いくらなんでも、それは……」
「なによ、あたしには無理って言いたいの?」
まったく信じていない様子のキョウに、アシャは憮然として腕を組んだ。
地図なんて、アシャの感覚では描けて当たり前のものだ。他に描く者がいないのは、描くことを禁じられているからだと思っていた。当然、『ふつうは描こうと思っても描けない』なんて可能性はまるっきり頭にない。
「確かに、いきなり最初からは無理よ。でも小さいころから何枚も何枚も、少しずつ練習してきたの」
「まさかそんな昔からなんて……この国では、地図を描くことも持つことも禁止されているのは知っているね?」
「いいじゃない。商売にしているわけじゃないもん。個人の趣味の範囲で描くならあたしの自由でしょ」
『個人の趣味で、国を危うくするような禁制品を量産するなよ……』
テイは頭痛をこらえるように額を抑えていた。キョウもため息をつきながら、
「念のため聞くけど、きみ、どんな罪になるか知っててやってるの?」
もちろん知らない。アシャはぎくっとして少しひるんだ。
「え。ど、どんな罪になるの?」
「将軍さまは、持ってるだけで死罪だと」
「ええっ!? 死罪!?」
「知らなかったの?」
呆れた声のキョウに、アシャは呆然としてうなずいた。同世代の口から告げられてもいまいち実感はないが、禁を破った刑罰は飲み込めた。
アシャだって世間の様子から、重い罰が課せられる予想はできていた。ただ、そこまで重いとは想定外だった。持ってるだけで死罪なら、地図を作ったら一体どんな罪になるんだろう?しかもその地図が持ちだされて、巷に出回ったら?
やばい。これは相当やばいかも知れない。
(よし、恩赦を乞おう!)
アシャは即座に判断していた。軍の関係者にぶちまかしてしまった以上、今さら知りませんでしたでは通らない。どうにかして権力を持っている人間に直談判して、お慈悲を願うしかない。
「あなたたちがお世話になってる方って、あのお身体の不自由そうな貴人、あのひとが『将軍さま』なのね」
「そう。将軍さまが、ご禁制の地図を作った地図師と、それにかかわる地図の行方を調べていらっしゃるんだ。あの方のお役目に協力してほしい」
(つまり、親爺が持ちだした地図全部、この人たちが握ってるわけじゃないってことね)
今までに作った地図の情報と回収の手立て。アシャの方から交渉できるとしたらその線しかなさそうだ。なんとかねばって刑を軽くしてもらわなくては。立ち位置を間違えたらまっすぐ絞首台行きかも知れない。アシャは真剣だった。
「協力したら地図を返してくれるの?」
「それは悪いけど約束できない。僕らは預かっているだけだから」
『なぜ返せと言う?』
訝しげに訊ねるテイに、キョウも同調した。
「そうだね。どうして返してほしいんだい?自分で描いたという話が本当なら、また描けばいいじゃないか」
とんでもない。アシャは勢いよく首を振った。
「そりゃあ時間さえあれば何枚でも描けるけど、それとは別問題なの。過去に消え去ったと思ってたモノが、いきなりまた出てきたのよ。耐えがたい悪夢だわ。放っておけるわけないじゃないの」
『放っておけよ。過去に触れるとろくなことにならない』
テイは淡々と切り捨てるような口調だ。やっぱり、アシャの気持ちはちっとも伝わってない。喉から手がでるほど欲しい地図のおあずけをくらって、いいかげん我慢の限界にきていたアシャは、思わず声を限りに叫んでいた。
「じゃあ、あんたたちにはないの、黒歴史!?……二度と取り返しのきかない消し去りたい過去とか、くり返し悪夢にうなされるような愚行とか、思い出すだけで叫びだしたくなるような過ちとか!」
テイは応えなかった。キョウがそつのない答えを返した。
「さあ、どうだろうね。でも、誰しもみんなひとつやふたつは、そういう過去があるんじゃない?」
「そうね。あって当然よね。そして私には、大昔に描いたその地図がまさに『そう』なの。この世から完全に抹消してしまいたい。そんな恥ずかしいものがいつまでも誰かの手に残っているなんて耐えられないわ。見るのも嫌!」
「そこまで言う?」
アシャの剣幕に二人は困り顔だ。
「理解できないな。取り返したいと言いながら何故そんなに嫌うんだい?」
「下 手 だ か ら よ !!!!!」
稲妻のようにアシャは叫んだ。テイとキョウは雷に打たれたようにびくっとしながら、思わず互いの顔を見合わせた。
『下手なのか、あれ?』
『いや、テイも聞いただろう。将軍さまはお褒めになっていた』
なにしろセレンの民には、地図という陽の民の文化がよく分からない。たしか将軍の説明では、王宮づきの職人たちが絶賛するほどの名作という話ではなかったろうか。キョウはアシャをなぐさめ、落ち着かせようとした。
「そこまでけなさなくても。自分で描いたものだろう」
「なに言ってるのよ。だから、なおさら我慢できないんじゃないの!」
これだけ言っても通じないのかと、アシャは床を踏み鳴らして断言した。
「一枚のこらず回収して、今度こそあたしのいまわしい過去ごと消し炭に変えてやるわ!」
ここまで強い思い込みに荒れ狂う女性を、二人は今まで見たことがなかった。黙って聞いていると自分たちまで洗脳されそうだ。ただ、仮にも『任務』で動いている以上、ああびっくりした、おしまい。では済まされないのだった。
『テイ。これ、僕たちが将軍さまに報告するの?』
『俺は説明できる自信ない』
『僕もだよ。ああ……いっそあってほしかったな。凶悪な闇の犯罪組織。そうしたら僕ら二人で見つけて潰して終いだったのに』
キョウは悲し気に呟いたあと、自分を励ますようにぐっと巫子の錫杖を握りなおした。
「すまないけど、今の段階で、きみの主張をぜんぶ信じることはできない。明朝、もう一度その話をしてくれないか」
「もちろん、望むところよ!」
キョウの提案に、アシャはきっと顔を上げて応じた。その目がらんらんと闘志に燃えていた。
「今度は将軍さまの前で」