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我が君は花  作者: 秋月真鳥
我が君は花
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8.皇太子殿下の乳姉妹

 皇太子のアッザームは毎日とても健康で、よく食べるし、よく運動している。


「千里、そなたは馬には乗れるのか?」

「乗ったことは御座いません」

「今度、皇太子の宮の庭に馬を連れて来よう。馬に乗る千里も格好いいと思うのだ」


 昼食を共にしたときに目を輝かせて言うアッザームの姿が可愛くて、千里はつい微笑んでしまう。


「乗馬を教えてくださいね」

「千里に危険のないようにする。一番大人しい馬を連れて来る」


 約束を交わした後で、千里とアッザームは昼食を食べる。以前はアッザームは素手で食事を摂っていたが、千里が箸や匙を使っているのを見て、箸や匙を使うようになった。


「食事の前には手をよく洗うのです」

「千里は口うるさいな」

「食事の後には歯を磨くのですよ」

「分かっておる。手を洗わなければどうなるのだ?」

「体に害のあるものも一緒に口に入れてしまいます」

「歯を磨かなければ?」

「虫歯になりますし、歯茎が弱って歯が抜ける原因にもなります。皇帝陛下ともなられるお方が虫歯だらけの歯抜けではおかしいでしょう?」


 口うるさい年上の夫にアッザームは大人しく従ってくれていた。


「千里の言うことは口うるさいが、していると私の身を守ることばかりだ。千里は私を大事にしてくれている」


 笑顔で信頼を向けるアッザームが最近特に明るくなったのに千里は気付いていた。昼食を取りながらアッザームが報告してくれる。


「母上が兄上や姉上が亡くなったときの悲しみを話してくれるのだ。そして、『そなたが生きていることが私の一番の喜びだ』と言ってくれる。母上は私のことが嫌いではなかったのだな」

「誤解が解けたのでしたらようございました」

「母上のためにも私は立派な皇帝にならねばならぬ。千里、そばにいてくれるか?」

「もちろんです。アッザームのおそばにずっとおります」


 皇太子の宮を出られないとしても、千里はアッザームに愛されているという感覚があった。アッザームはもうすっかりと千里に心を許している。添い寝するだけの床入りでも、寝返りを打って千里に体が触れても気にしないようになっていた。


「千里、帝都は貿易で賑わって豊かではあるが、唯一手に入らないものがある。それが分かるか?」

「水ですね、アッザーム」

「そうなのだ。月の帝国は慢性的な水不足に襲われて、農作物も育っておらん」


 民が飢えていると嘆いているアッザームは皇帝の器なのだろう。

 どうすれば水が行き渡るのか、真剣に考えているようだ。


「水路を作るのはどうですか?」

「水路は作ったのだ。だが途中の砂漠で水が蒸発してしまう。山の方から水を引いたのだが帝都まで流れて来るのはほんの少しだった」


 水路ではいけないとなると、千里が思い付くのは一つだけだった。


「地下水路ではどうでしょう?」

「地下水路?」

「地下に水の通り道を作るのです。そこをなだらかに傾斜させて帝都までの道を作る」

「地下水路か。それをどうするのだ?」

「水を汲み上げる装置を設置して、地下水路から水を汲み上げて周辺の農民も使えるようにすれば、慢性的な水不足が解消されるのではないでしょうか」


 地下水路を提案すれば、アッザームは身を乗り出して興味を示している。肉と一緒に炊いた米を匙で掬って口に入れて、もぐもぐと咀嚼してからアッザームは飲み込んだ。


「地下水路の建設の技術がこの国にあるだろうか?」

「蜜の国は水路建設の技術が高いと聞いております。蜜の国から技術者を呼び寄せるのはいかがでしょう?」

「それならばできそうだな。次の審議で母上に申し出てみる」


 食べ終わると千里は湯を沸かして、お茶を淹れる。運ぶ途中で若干発酵しているお茶は、若い烏龍茶に近いものになっていたが、お湯で入れるとすっきりとして美味しく、アッザームも気に入っていた。

 月の帝国は水が不足しているので、小さな子どもには水を飲ませるがある程度の年になると水の代わりに葡萄酒を飲む風習があった。葡萄酒のアルコールも民衆の体を蝕んでいるのではないかと千里は考えていた。


 貴重な水を使えるのは千里が皇太子の夫であるからである。入れたお茶を大事に飲みつつ、アッザームにも差し出して、食後は物語を一つ読むのが千里とアッザームの月に一度の楽しみになっていた。


 日の国の後宮で生まれた見目麗しい皇女が、様々な男と恋に落ちる物語。

 男の元に夜這いに行っては、口説き、そのうちに足の遠のいた男が正室を憎んで生霊となって、正室を呪い殺す。

 また、幼い頃に皇帝の寵愛を受けたがために嫉妬されて亡くなった父親にそっくりの義父にそっくりの皇帝の側室と関係を持ってしまったり、夜這いをして翌朝顔を見てみれば醜くて逃げ帰ったりする皇女の恋多き物語。


 話しているうちにアッザームの表情が曇ってくるのが分かる。

 千里は読むのを辞めてアッザームと向き合った。


「どうなさいましたか」

「この者は正室を大事にせずに、他の男に浮気してばかりではないか! こんな物語は好きではない!」


 日の国では人気のある物語なのだが、アッザームが好きではないのならば仕方がない。本を閉じると、アッザームが言ってくる。


「この皇女は正室と幸せにならぬのか?」

「そのように書き換えますか?」

「正室を愛するが、正室は病で儚くなってしまう。そこに正室を呪い殺そうとした男が反省して、正室だけを愛する皇女が正室との子どもを生んで静かに暮らしたいというのを匿って助けるというのはどうだ?」

「それはいいですね。ではそのように致しましょう」


 以前に読んだ野獣と美男の物語も書き換えるように言われていたが、千里はまだ写本をする相手も製本をする技術者も見付けられていなかった。

 皇太子の宮から気軽に出ることができない千里には、人材を見付けることが一番難しいのだ。


「早く写本をするものと製本をするものを見付けたいのですが、私がここから動けませんので……」

「それならば、シャムスを使うがいい」

「シャムス様?」


 名前を言われて千里は首を傾げた。アッザームは部屋の外に出てシャムスという人物を呼んでこようとする。千里は髪を布で隠して待っていた。

 連れて来られたのは、褐色の肌に豪奢な金髪に緑の目の女性だった。アッザームや千里と同じくらいの上背があって、しっかりとした体付きをしている。


「皇太子殿下の乳姉妹、シャムスと申します。騎士団に入ったばかりです」

「シャムスは私の乳母の娘なのだ。私にとっては一番信頼のおける相手だ」

「光栄なことです、皇太子殿下」


 膝をついて挨拶をするシャムスに、千里も頭を下げる。


「日の国から参りました、橘家の千里と申します」

「皇太子殿下が唯一の夫と信頼を置いている方と聞いております。お目にかかれて幸いです」


 お互いに挨拶をしたところで、アッザームがシャムスに命じた。


「シャムス、そなた、千里の手足となって千里の求めるものを呼び寄せて来るのだ」

「心得ました」

「くれぐれも千里に害のないようにするのだぞ」

「それだけ皇太子殿下の大事な方なのですね」

「茶化すでない!」


 照れているアッザームの様子に千里は頬が緩むのが止められない。千里にとってはアッザームはもう愛しくて可愛い存在になっていた。

 アッザームにとっても千里は信頼のおける人物になったようだ。自分の一番信頼のおける乳姉妹を預けて、手足のように使っていいと言ってくれている。


「シャムス様、写本のできる技術者と、製本のできる技術者を探して欲しいのです」

「皇太子殿下のための本を作るのですね。皇太子殿下はその本を大層楽しみにしているのですよ」

「シャムス、言うな!」

「いいではないですか。私もやっと皇太子殿下の御夫君に会わせていただけました。素晴らしい方のようで安心しております」


 周囲からしてみれば、結婚して半年以上経っているというのに、アッザームに妊娠の兆しがないというのは心配な要素であったのだろう。それにも関わらず、アッザームと千里が仲がよいところを見せられて、シャムスは安心したようだった。


「千里は私の体を慮ってくれて、私の体が成熟するまで子は作らないと言ってくれているのだ。必ず子を作ると誓う夫はどれだけでもいるが、子は作らずに待つと言ってくれる夫は千里しかおらんだろう。私は千里を、あ、あい、あ……し、信頼しておる」


 上手く言えなかった言葉がなんなのか千里には分かった気がしたが、それをあえて追及することはなかった。

 アッザームが不在のときにも千里の元にはシャムスが来るようになった。

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