7.皇帝陛下との謁見
皇太子アッザームの男性嫌いを直したとして皇帝陛下の印象もよかった千里だが、日が経つにつれてそれも変化していった。
いつまで経ってもアッザームが妊娠しないことに皇帝陛下が焦れているのは分かり切っていた。
どれだけ千里が罵られようとも、陰口を叩かれようとも、千里はアッザームの体を守ることを考えていた。
日の国の医術で低年齢での妊娠、出産が危険なことは証明されていた。日の国では若くても十六歳、推奨される年齢としては十八歳から二十歳を初めての妊娠、出産の年齢と定めていた。
それまで若くして妊娠、出産し、体を壊した女性が非常に多かったからだ。
月の帝国の女性は日の国の女性よりも体格ががっしりとしているが、それでも千里はアッザームが十八歳になるまで子どもを作るような行為はしたいと思っていなかった。
千里が皇帝陛下に呼ばれたのは、アッザームの夫となって半年以上過ぎた頃のことである。皇帝陛下に会うために千里は一番いい着物と羽織を着て、髪を整え、薄い髭を剃毛して、髪を布で隠して謁見に臨んだ。
皇帝陛下は千里が来ると人払いをして、二人きりになった。
二人きりとはいえ、部屋の外には護衛が控えているし、皇帝陛下が大きな声をあげればすぐに千里は捕らえられる。
「我が娘のことだが、結婚から月日が経つのにまだ妊娠しておらぬ。正直に申せ。あの娘に不具合があるのか、それともそなたに何か不具合があるのか」
自分のお産が重く、生まれた息子は亡くなり、娘も流産しているだけに、皇帝陛下は事の責任を千里だけに負わせるつもりはないようだった。
顔を上げて千里ははっきりと皇帝陛下の目を見詰めた。
皇帝陛下の目はアッザームと同じ金色をしている。髪は赤く豊かに背中に広がっているが、そこに白髪が混じり始めているのに千里は気付いた。
「どちらに何かあるのかというのはこの時点では何も言えません」
「それでは、アッザームを説得するのだ。新しい側室をもらうように」
痛みを堪えるような表情で皇帝陛下が言うのに、千里は緩々と首を振った。
「それはできません」
「何故だ? 私の命に逆らうのか?」
「理由は皇帝陛下が一番よくお分かりでしょう?」
声を上げられて護衛を呼ばれれば、千里はすぐに捕らえられてアッザームから引き離される。そうなったとしても、千里は皇帝陛下に申し上げなければならないことがあった。
「恐れながら申し上げます。皇帝陛下の体を蝕んでいるのは病でも毒でもなく、成熟しない体で妊娠、出産を行ったことだと思われます。皇太子殿下はまだ十五歳。子どもを生むには早すぎます」
「私の命もいつ尽きるか分からぬ。あの子には後継者が必要なのだ」
「本当に、ですか?」
「本当に、とは、どういうことだ?」
困惑して問い返す皇帝陛下に千里は鋭く切り返した。
「後継者を欲しがっているのは皇帝陛下ではないのですか? 皇太子殿下はとても健康で、病の兆候もありません。あの年まで生き延びたのならば、急逝するということも考えられないでしょう。宮殿の血生臭い争いに巻き込まれない限りは」
「誰かがあの子を狙っているというのか?」
「皇帝陛下はそうお考えなのではないですか?」
世継ぎを急ぐのも、アッザームの意思を無視してまで次の側室を望むのも、皇帝陛下自身がアッザームの死を恐れすぎているせいだと千里は感じていた。
上の息子と娘を亡くしていれば、唯一健康に育ったアッザームを心配するのは当然だが、行き過ぎた心配のせいでアッザームが体が成熟していないうちに妊娠、出産をさせられて、体を壊したのでは元も子もない。
「皇太子殿下は健やかにお育ちです。皇太子殿下を心身ともに守れるのは皇帝陛下だけ。どうか、皇太子殿下に無理強いをなさらないようにお願いいたします」
深く頭を下げた千里に、皇帝陛下はしばらく黙っていたが、笑い出した。
「私を前にしてそれだけはっきり物が言えるのはそなたくらいだろうな。私にはあの子しかいない。あの子を失ったら私は本当に狂ってしまう」
笑いながら手で額を押さえた皇帝陛下は、息を吐き、笑いを治めて千里に向き直った。
「そなたを信用していいのだな? そなたはあの子を守ってくれるのだな?」
「もちろんでございます。私などどれだけ種なしと罵られても構いません。どうか皇太子殿下が然るべきときまで妊娠、出産することがないように、皇帝陛下もお守りくださるようにお願いいたします」
「分かった。それならばそなたたち夫婦のことにはもう口出しはせぬ。聡いそなたならば、然るべきときにアッザームが孕まねば身を引くことも考えているのであろう」
その通りだった。
千里はアッザームが十八歳になったのちに体を繋げて、アッザームが妊娠しないことが分かれば、次の側室を宛がうつもりであった。それがアッザームの望まぬことと分かっていても。
男性嫌いのアッザームにとっては、心許した千里から側室を宛がわれたら裏切られた気分になるだろう。
それもアッザームを皇帝にするために仕方のないことだった。
「できれば私の子を産んで欲しい。そう願っております。しかし、それが叶わぬと分かったときには、それなりの身の処し方を考えております」
「そこまでの覚悟があるのならば、アッザームはそなたに任せよう」
「皇太子殿下が十八歳になった暁には」
「そなたを信じよう」
それで話は終わったと言わんばかりの皇帝陛下に、千里はこの場でなければ話せないと会話を途切れさせなかった。
「皇帝陛下は皇太子殿下を厭うておいでですか?」
「まさか、そんなことはない。私はあの子が可愛くて仕方がない」
「では、そのことを皇太子殿下に伝えておりますか?」
皇太子のアッザームは母に捨てられたと思っていた。皇帝陛下は亡くなった息子と流産した娘のことばかり考えていて、アッザームは世継ぎとして一応は可愛がっているという形を取っているが、そうではないのだと思い込んでいる。
そのことを千里は皇帝陛下に伝えなければいけなかった。
「皇太子殿下は皇帝陛下が自分を愛していないのだと思い込んでおられます」
「何故に!? 私はあの子が一番可愛いというのに」
「亡くなられた皇子と皇女を忘れることができず、自分には世継ぎとして皇帝にさせるだけの情しか持っていないと思い込んでおられるのです」
千里の言葉を聞いて皇帝陛下は心より驚いたようだった。
金色の目を見開き、胸を押さえて息を整えている。皇帝陛下がどれだけ体を壊しているのかを千里は目の当たりにしていた。
「私はこんなにもあの子を愛しているのに……」
「それでは、そのことを言葉にしてお伝えください」
「言葉にせずともこういうことは分かるものではないのか?」
「いいえ! どんなことも言葉にせねば分からぬものです。どうか、言葉で皇太子殿下にお伝えください」
ずっと皇帝陛下に伝えたかったことを千里は今伝えられている。伝えられた皇帝陛下は驚き、戸惑っているが、千里の言っていることは理解しているようだ。
「私があの子に可愛いと、愛していると伝えるのか……あの子はもう幼子ではないのに、おかしくはないだろうか?」
「私の母は私が何歳になっても私のことを大事だと言ってくれていました。それはとても嬉しいことです。子どもにとっては親の愛情こそが自己肯定感を高め、自分を大事にすることを覚えさせるのです」
アッザームがもしも閨事を教える男性を拒絶し、傷付けてしまったというのならば、アッザームに愛情というものが理解できていなかったからかもしれない。殺したわけではないというのは話に聞いていたが、千里はまだはっきりとした真相を掴んだわけではなかった。
アッザームに愛情を注げるのは親である皇帝陛下と、夫である千里。できれば父親もいて欲しかったのだが、皇帝陛下が子作りに必死になった結果として、父親は誰か分からないという状態では仕方がない。
「そなたの言うことは分かった。難しいかもしれぬが、アッザームに私の気持ちを伝えてみたいと思う」
「亡くなった皇子殿下と皇女殿下のお話も共にすればよいと思います。家族とは喜びだけでなく悲しみも分かち合える存在なのだと思います」
「ありがとう。千里、そなたがアッザームの夫でよかった」
皇帝陛下に感謝されて、千里は深く頭を下げてそれを受け取った。