6.あれから半年
アッザームは毎日千里と床を共にするわけではない。
本来ならば何人もの夫を持って、順番に夫の元を訪れなければいけないのだが、アッザームは千里を夫にしたのはよかったが、次は千里以外の夫を拒んでいた。
初めの頃は毎日アッザームが皇太子の宮の寝室に千里を呼んでいたが、ひと月も経つとアッザームも通常の政務に戻って、新婚の雰囲気はなくなった。アッザームが昼食に千里の部屋を訪ねられるのも月に一度くらいになって、床入りは週に二日ほどになってしまった。
それだけ皇帝陛下が皇太子のアッザームに政務を任せているのだと千里も理解している。
床入りで呼ばれる日には、千里はハンマームに行って体を綺麗にして、剃毛もして、アッザームと床を共にした。
アッザームが閨事を教える男性を殺したという噂の出どころや、真実はまだ分かっていなかったが、床入りのたびに目を輝かせて千里の元にやってくるアッザームを千里は愛しく思い始めていた。
「月の帝国では、新月を月の始まりとして、一年を過ごすのだが、年ごとに少しずつ季節と月が離れて行く気がしておるのだ」
「日の国でも月を暦に使っておりますが、年の終わりに数日、閏月と言って、数合わせの月を入れます」
「閏月か。それはいいかもしれぬ。このままでは季節が月と合わなくなってしまう。それではいけないと母上に進言してみる」
褥で千里とアッザームが語るのは物語だけではなくなっていた。アッザームは政務のことも千里に相談するようになっていた。
「属国の太陽の国では後継に女の子が生まれぬと言っておる。男を後継と認めていいものだろうか?」
「太陽の国であれば、男性と女性の体格差はなく、訓練をすれば男性も戦えると思います。男性が当主となるのは一代限りと決めて、お許しになってもいいのではないですか?」
「何故、一代限りなのだ?」
「男性は自分で産む性ではありません。男性が当主になれば大量の女性に子どもを生ませることができます。子どもが多ければ後継者の問題はなくなると思われますが、生まれた子どもを養子に出したり、嫁がせたりするので太陽の国が弱ってしまっては、辺境の異民族と戦うことができません」
太陽の国も蜜の国も月の帝国の属国ではない辺境の異民族からの攻撃に耐えていた。それが崩れれば月の帝国にも影響してくる。月の帝国は属国である太陽の国を守らねばならなかった。
そのためにも太陽の国には勢力を持っていてもらわなければ困る。
男性の当主が一代限りというのはそういう考えの元だった。
千里が話すとアッザームはよく聞いてそれを政治に反映させる。千里が政治の話をできると知ったときには、アッザームは驚いていたものだった。
「男に学問は必要ないと思っていた」
「そんなことは御座いません。賢い子どもを育てるためには、父が賢くなければいけません。それにアッザームの力にもなれている。私は国でどれだけ笑われようと学問をしてきてよかったと思っております」
千里の言葉にアッザームも頷く。
「もしも……もしも、そなたと私の間に息子が生まれたら、しっかりと学問をさせよう」
「そうですね。それがよろしいかと」
「千里、今日は何を読んでくれるのだ?」
照れ隠しのように話題を変えたアッザームのために、千里は今日のために用意していた物語の本を広げる。
物語は太陽の国から伝わったものだった。
おごり高ぶった王女が、呪いで醜い野獣の姿に変えられてしまう。野獣の姿から元に戻るには、真実の愛を知らなければいけない。
野獣は城を閉ざし、心も閉ざすが、野獣の庭に迷い込んだ女性が庭から薔薇の花を一輪摘んで持ち帰ってしまう。
薔薇の花を盗まれたことに憤った野獣は、女性に息子を差し出すように言う。
見目麗しい息子は、周囲から求婚される立場だったが、本にしか興味がない。
野獣の城に行った後、見目麗しい息子は城を掃除し、料理を作り、野獣の心を溶かして行く。野獣は見目麗しい息子に書庫を自由に使っていいと許しを出す。
お互いに心許した野獣と見目麗しい息子だったが、求婚者の一人の女性が野獣を狩りにやってくる。
見目麗しい息子を庇って命を落としかけた野獣は、真実の愛を知ったとして呪いが解けて、美しい王女の姿となって、見目麗しい息子と結ばれたのだった。
物語が終わるとアッザームが妙な顔をしているのに千里は気付いた。
いつもならば満足した顔で眠りにつくはずなのに、今日の物語は気に入らなかったようだ。
「何か気に入らない点でも?」
「真実の愛があるのならば、野獣のままでも女王は愛されていたのではないか?」
「そうですね」
「元に戻らなくとも、幸せに二人は暮らせたのではないか? 美しい王女に戻らねば幸せに暮らせぬということが納得できぬ」
真実の愛があれば野獣であっても見目麗しい息子は受け入れていたと主張するアッザームに、千里もそちらの方がいいような気がしてくる。
「それならば、この物語、書き換えますか?」
「そのようなことができるのか?」
「文を書き写して、最後の部分だけを書き換えるのです。そうすれば、アッザームのためだけの本になります」
書き換えることを提案してみると、眉間に寄っていたアッザームの皺が取れた。
「そうするがいい。千里一人でできるか?」
「製本ができるものを探さねばなりませんね。それに写本ができるものも」
「千里が書くのではいけないのか?」
「アッザームの本ですから、月の帝国の言葉で書いてあった方がいいでしょう?」
月の帝国の言葉でアッザームのためだけに結末を変えた本を作り直す。
それは簡単なことではないが、アッザームのためならば千里は苦労を惜しまなかった。
「千里が来てもうすぐ半年になる。まだ子はできぬのかと母上が急かしてくる」
「アッザームはまだ十五歳。子どもを生むには早すぎます」
「千里はそう言ってくれるのだな。私が子どもを生めば、千里の地位は確立するのに」
「私の地位などどうでもいいのです。低年齢での妊娠、出産は危険だと言われています。皇帝陛下にもお伝えください。皇帝陛下がお体を壊したのは、低年齢からの妊娠、出産が原因かもしれぬと」
皇帝陛下がどれだけ急かして来ていても、千里は無理やりにアッザームを抱くつもりはなかった。なによりアッザームはまだ十五歳で妊娠、出産するには年が若すぎる。
せめて十八歳くらいになるまではアッザームの体を守りたい。そうでなければ妊娠と出産で体も心も壊してしまった皇帝陛下の二の舞になってしまう。
皇帝陛下が息子を亡くしたのも、娘を流産したのも、早すぎる妊娠、出産が原因ではないかと千里は考えていたのだ。
アッザームにはそんな悲しみを与えたくなかった。
皇帝陛下がどれだけアッザームの後継者を望んでいても、千里はまだアッザームと正式な夫婦になるつもりはなかったのだ。
「そろそろ側室を持たぬかと言われておる。側室には月の帝国の皇族から相応しいものを選ぶからと」
「アッザーム、それだけは断ってください」
「千里の地位が揺らぐからか?」
「私のことはどうでもいいのです。アッザームには体が成熟していない段階での妊娠、出産で体を壊して欲しくないのです」
絨毯の上に手をついて頭を下げる千里に、アッザームはその手を取ってしっかりと握り締めた。アッザームの手は暖かかった。
「千里は私のことを一番に考えてくれる。私は千里以外の夫は持ちたくない。母上にもそのこと、しっかりと伝えて来る」
アッザームの表情が明るくなったことに気付いて、千里は顔を上げて微笑んでいた。
その月にはアッザームは皇帝陛下と鷹狩に出かけた。
兎と狐を狩って来たアッザームは、毛皮を千里に届けてくれた。
「北の寒い地域に行くときには狐の毛皮で帽子を作るのだ。兎の毛皮は服の襟にする。いつか共に北に査察に行こう」
「その日のために、帽子と服を仕立てておきますね」
「異民族が襲って来るやもしれぬが、私が千里のことは守るからな」
「頼りにしております」
未だ、正式な行為のないままごとのような床入りを繰り返しているが、千里はアッザームに信頼されて、アッザームの獲って来た狐と兎の毛皮も手に入れて、幸福を感じていた。
千里の膝の上では、一回り大きくなった猫のカグヤが毛皮にじゃれついていた。