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我が君は花  作者: 秋月真鳥
我が君は花
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5.物語は夜明けまで

 千里の目の前で一応髪を隠した男性はへらへらと笑っている。侮られているのだというのは分かっていた。

 細身で色白で男性嫌いの王太子殿下に気に入られるために日の国から月の帝国に連れて来られた千里。月の国の人間よりも体格で劣っているし、顔立ちも童顔だった。

 アッザームは千里を同じ年くらいと思っていたと言っていた。それだけ千里はたおやかな姿をしていると言える。

 それで舐められるような千里ではない。


「ひと時は皇帝陛下の寵愛を受けたかもしれぬが、私は現在皇太子殿下の唯一の夫。どちらが身分が高いかを弁えないほど、そなたも愚かではなかろう!」


 一喝すると側室の男性からあざ笑うような表情が消えて、床に膝をつく。


「何をお聞きしたいのですか?」


 この側室は自分の立場というものを分かっているようだ。


「皇太子殿下が誠に閨事を教えた男性を殺したのかどうか、真実を知りたい」

「その話は、皇帝陛下より口止めがされております」

「独り言をいう癖はないか?」

「は?」


 ほとんど髭の生えていない滑らかな顎を撫でながら呟く千里に、側室の男性が目を丸くしている。千里は視線を外して側室の男性を見ないようにした。


「私はここを通りがかっただけ。そこでそなたが独り言を言っていただけ」

「そ、それは……」

「皇帝陛下は皇太子殿下に帝位を譲りたがっている。そなたが大きな顔をしていられるのも残りどれくらいかな?」

「う……」


 実際に千里に告げたのではなく、独り言を言っていた側室の男性の言葉を千里が聞いてしまっただけならば、今後何かがあったとしても側室の男性にお咎めはない。そう思っての提案に側室の男性は渋々乗るしかなかった。


「殺されはしなかったが、異国に嫁がされたと聞いています。皇太子殿下にも想う方がいて、その方と結ばれなかったから男性を拒んでいるのだとも……」


 皇太子、アッザームには想う相手がいた。それが真実かどうかは分からないが、その相手を忘れかねて男性を拒んでいるのならば、時間がそれを解決してくれそうな気がする。

 とりあえずは、アッザームがひとを殺していなかったという事実を突き止めて千里は安堵した。


 しかし、何故アッザームほど素直で利発な皇太子が、閨事を教える男性を殺したという噂が広がってしまったのだろう。日の国ではそれが真実のように流れて来て、千里の母も妹も千里が殺されることを前提として月の帝国に送り込んだようなものだった。

 それだけの何かがアッザームと閨事を教える男性との間で起きたのだろうか。

 千里はまだ完全な真実に辿り着いてはいなかった。


 夜になるとアッザームが寝る支度を整えて皇太子の宮の寝室にやってくる。

 ランプの灯りの下、アッザームと千里は絨毯の上に座って物語の続きを読む。


 船乗りの女性は次の航海で、猿の島に流される。猿たちに船を壊された船乗りの女性と仲間たちはその島に上陸をしなければいけなくなる。その島には大猿が君臨しており、捕まえた船荷路の女性の仲間たちを毎晩一人ずつ丸焼きにして貪り食う。

 脱出を試みた船乗りの女性たちは大猿の目を潰して逃げ出すが、大猿は更に大きな猿を連れて来て追い駆ける。

 筏で逃げ出した島では大蛇が出て来て、残った仲間も次々と飲み込まれる。板切れで体を守った船乗りの女性は、通りがかった船に助けを求めて救助された。

 その船は前の航海で船乗りの女性が乗っていた船で、船乗りの女性は財産を取り戻すのだった。


 一章を読み終わってもアッザームに眠気が来た気配はなかった。

 目を爛々と輝かせているアッザームに次の章を読み聞かせてから、千里は夜も更けていることに気付く。


「そろそろお休みになりませんか?」

「もう一章だけ! もう一章だけ聞かせてくれぬか?」

「明日がつらいですよ?」

「続きが気になる方がつらい」


 昼間にはアッザームは皇帝陛下の政治の席に同席したり、勉強をしたりしているのだが、最近は千里が読む物語の続きが朝も昼も気になって、夜になるのを楽しみにしているというのだ。


「明日も私は千里の部屋で昼食をとるぞ」

「お待ちしておりますよ」

「千里は私を嫌がらないのだな」


 微笑んで答えればアッザームの金の目が千里を映す。千里はアッザームにできるだけ優しく話しかけた。


「アッザームは私の妻ではないですか。嫌うことなどありません」

「私の周囲のものは、私を好きなふりをしているだけだ。影ではどんな悪口を言っているか分からぬ。私が急に訪ねて来るといそいそと席を外すのだ。千里は私が昼食に訪ねて来ても、全然嫌がらずに物語を読み聞かせてくれた」


 褐色の肌なので分かりにくいがアッザームの頬が紅潮しているような気がして、千里はそれを目を細めて見つめる。アッザームは順調に千里に心を開いてくれているようだ。


「それはアッザームを嫌いなわけではなくて、高貴な方にどう接すればいいのか分からなくなっているだけではないですか?」

「千里は優しい。私には分かるのだ。他人が私をどう思っているかなど」


 聡いアッザームは周囲の感情にも敏感だった。周囲の感情を感じ取ってしまうのは皇太子として生きづらいところがあるだろう。

 アッザームの想い人とやらも、もしかするとアッザームの前ではいい顔をして、裏ではアッザームを厭うようなことをしていたのかもしれない。


「私はアッザームとよい家庭を築きたいと思ってやってきました。アッザームとの間に子が生まれれば、たくさんの物語を読み聞かせるのだと、集めた物語を全部持ってきたのですよ」

「千里はいい父になりそうだ。私はいい母になれるか自信がない」

「アッザームはまだ若いのです。時が来るまでは妊娠、出産は待った方がいいでしょう」

「千里はそう言ってくれるのか? 母上は私に早く子を産めという。私はまだ母になる覚悟ができていない」


 母親には愛されていないと思い込んでいて、父親はどこの誰か分からない。そんな状態でアッザームが結婚や出産に夢を持てるはずがないと千里は感じていた。

 皇帝陛下がどれだけ立派な人格であろうとも、アッザームにとっては母親であり、よき母親ではないというのはアッザームの感想のようだ。


「鷹狩はどうなりましたか?」

「母上は『久しぶりに鷹狩もいいかもしれぬ。外の空気を吸って運動すれば、少しはなまった体も動き出すだろう』と、少しだけなら一緒に行くと言ってくれた」

「それはよろしかったですね」

「五日後に出かけて来る。千里に兎の毛皮を取って来てやる」

「楽しみです」

「では、次の章を聞かせろ」


 眠らなくてはいけない時間だったが、アッザームの強い願いによって千里は次の章を読まなければいけなくなった。

 結局その夜、千里はその物語の全部の章を読まされていた。

 夜明けが近くなって空が白み始めても、アッザームは必死に目を開けて千里の話を聞いていたのだ。


「ものすごく面白かった。この船乗りは二十七年もかけて冒険をしたのだな」

「そのようですね」

「子どもも生まなくていい、自分の好きなところに行っていい。なんと自由な生活なのだ。私は羨ましいぞ」

「アッザームもそんな生活がしたいのですか?」


 千里の問いかけにアッザームは目を伏せる。その表情が悲しげなのは気のせいではないはずだ。


「私には望んでもできない暮らしだ」


 寝る、と言って布団を被ったアッザームに、千里も布団を被って休んだ。

 翌朝、千里もアッザームも起きられなくて思い切り寝坊してしまった。


 そのことについて、アッザームが皇帝陛下にお叱りを受けるかと思っていたら、昼食に来たアッザームは上機嫌だった。


「母上は千里と私が仲がいいことを喜んでおった」


 皇帝陛下は千里とアッザームが物語を読んで寝坊したなどと言うことは知らない。二人で抱き合って、それが過ぎたために寝坊したと思ったのだろう。

 孫が生まれてアッザームに後継者ができれば帝位を譲ることを考えている皇帝陛下にとっては、千里とアッザームが子作りに励むことは嬉しいのだろう。


 よく意味が分かっていないままに母親に喜ばれて上機嫌になっているアッザームが哀れなような、可愛いような気がして、千里は欠伸を噛み殺してアッザームに読む本を選び始めた。

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