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我が君は花  作者: 秋月真鳥
そなたこそ花
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1.十三歳の初恋破れて

――いづれの女帝陛下の御代で御座いましょうか、後の賢帝と呼ばれる文武両道、見目麗しく、賢き皇太子がお生まれになりました。


 東の島国の日の国、北に蜜の国、南に太陽の国と、それ以外にも属国を従えた月の帝国の皇帝がいた。

 皇帝は年若い頃から妊娠して第一子の皇子を産んだが、三歳になる頃に皇子は死んでしまって、次に授かった皇女は流産で死んで生まれて来て、三人目に生まれた女子は皇太子となって健康に育った。


 子どもを三人産む間に皇帝の体は蝕まれて、子どもを産めなくなっていた。


 たった一人だけ残った皇太子は、乳母から大事に大事に育てられた。


 皇太子の名はアッザームといった。


 皇太子の宮で乳母と乳姉妹となる乳母の子どもと三人で、他は護衛たちばかりで育ったアッザームは母を知らなかった。

 母は皇帝としての仕事に忙しく、アッザームの元には来てくれない。

 アッザームは母を慕っているのに、母は死んだ皇子や皇女のことばかり考えていてアッザームには興味がないのだ。


 年齢が上がるごとにアッザームは気付いてきた。


 アッザームの名前は、一番上の皇子と同じだった。

 母は兄の代わりとしてしか自分を見ていない。アッザームの心は暗く沈むばかりだった。


 十三歳になったアッザームの元に、一人の男性が訪ねて来た。

 黒い布で髪を隠したその男性は、顔を隠しておらず、アッザームはその顔に見惚れてしまった。


 褐色の肌に黒い髪に黒い目。髪は隠されているが、僅かに見える前髪が色っぽい。

 アッザームよりも年上のその男性はアッザームに言った。


「私はあなたの下の叔母の息子、従兄にあたります。ずっとあなたのことが好きでした。どうか、わたしと結婚してくださいませんか?」

「結婚!?」


 十三歳のアッザームにはまだ結婚の話は出ていなかった。しかし、近いうちに結婚をして子どもを持たなければいけない。この美しい従兄ならば皇族であるし、身分も問題ないだろう。


 強引に話を持って行こうとするのも、アッザームにとっては年上の頼りある様子に見られて、アッザームはすっかりと彼に心奪われてしまった。


「母上に話をしてみる。そなた、本当に私を愛しているのだな?」

「愛しております。愛しているからこそ、耐えられずに皇太子の宮まで来たのです」


 顎に手を添えて従兄がアッザームの唇に触れるだけの口付けをする。初めての口付けにアッザームは目を見開いていたが、飛び上がるほど嬉しく、それを受け入れた。


 結婚の約束をして従兄が帰った後で、アッザームは皇帝の宮殿に足を運んだ。普段ならば呼ばれなければ会えない皇帝の母だが、アッザームがお願いすれば会ってくれるような気がしていたのだ。

 完璧に舞い上がっていたアッザームだったが、政務が終わるまで待たされて、一人広い廊下で護衛を従えていると、急に不安に駆られて来る。

 母は自分のことを愛していない。

 自分が何を言ったとしても聞いてくれないのではないだろうか。


 政務が終わった皇帝に招かれて謁見すると、アッザームは勇気を奮い立たせて言った。


「私は下の叔母上の息子の従兄と結婚の約束をしました! どうか、結婚させてください!」


 凛と響いたアッザームの声に皇帝の眉間に皺が刻まれる。


「あの者はだめだ」

「何故ですか? 母上、彼は私を愛していると言ってくれたのですよ」

「あの者とは結婚はさせられない。アッザーム、そなたはまだ閨事も教えられていないのだ。結婚など早い!」


 断じられてアッザームは負けなかった。


「彼との結婚を許してくれないのでしたら、彼と共に異国に行きます」

「許さぬ! そなたは皇太子なのだぞ!」

「結婚を許してください!」

「駄目だ。そのように言うのならば、彼のものは異国へ嫁がせることにしよう」


 完全にアッザームの話を聞かないどころか、従兄を異国へ嫁がせると言っている。冗談ではないとアッザームは部屋を飛び出した。

 一度皇太子の宮に戻って身の回りのものを袋に詰めて、馬を駆けさせて従兄の住む下の叔母の屋敷に辿り着いたアッザームは、従兄を呼んだ。


 その時点で従兄が嫌そうな顔をしていることにアッザームは気付いていなかった。


「ひとに見られてはいけません。王太子殿下、中へ」

「分かった」


 屋敷の中に招かれて、従兄と二人きりになってアッザームは母のことを話した。


「母上はそなたとの結婚を許さぬというのだ。私とそなた、身分もつり合っておると思うのに」

「なんと……」

「私は愛のためならば皇太子位など捨てられる。共に異国に逃げよう」


 手を取って従兄共に逃げることを決めたアッザームに、従兄はその手を払った。

 歪んだ邪悪な顔で高笑いを始めた従兄に、アッザームは戸惑う。従兄の美しさに心奪われていたが、アッザームはその性格など全く知らなかった。

 アッザームは美しいものに憧れただけの子どもだったのだ。


「冗談に決まっているではないか。皇太子の夫になれば家の待遇もよくなるから、告白しておけば皇帝になった暁に正室として後宮に入れてもらえると思ったのだ。皇太子を辞めて共に逃げようなどとんでもない。皇太子ではないアッザーム様になど興味はないわ」


 冷たく告げた従兄は目を細めてアッザームを見下ろす。


「皇太子に戻ると仰るなら、夫の一人として侍ってもいいですよ?」


 従兄の本性を知ってしまった今となっては、アッザームは従兄を夫にしようという気は全くなくなっていた。


 魂が抜けたような心地で皇太子の宮に戻って来たアッザームを待っていたのは母である皇帝だった。


「あの者がどのような心を持っているか分かったであろう? 皇太子とはあのようなものと対峙せねばならぬ立場なのだ」

「母上……」

「あの者は二度とそなたの目に入らぬように異国に嫁がせる。アッザーム、このことは忘れよ」


 忘れよと言われても、アッザームにとっては初恋だった。

 初めての恋がこんなにも簡単に破れてしまって、アッザームは心を痛めていたのだ。

 それにも関わらず、十四歳になったアッザームに皇帝は初めての床入りを命じた。


 初めてアッザームと床入りするものは、アッザームに閨事を教える男性で、アッザームと床入りした後には大量の褒美をもらってアッザームの側室となる。正室とならないのは、閨事を教える男性の身分が高くないことと、年齢が高いことが理由だった。十四歳のアッザームよりもずっと年上の男性と床入りを果たさねばならなくて、アッザームはそれを拒んだ。


「母上、私は男など嫌いです! 男など信用しておりません!」

「私もそうだった。上手く男を手の平の上に乗せて転がせばいい。それだけのことだ」

「男と床入りなどしたくないのです!」


 どれだけアッザームが母である皇帝に訴えても、皇帝は取り合ってくれなかった。自分も同じようにされているし、皇帝になるものは代々そうやって血を繋いできたのだから、そうするのが正しいと思っているのだろう。


「床入りなど嫌だ……」


 嘆いたところで助けてくれるものなどいない。アッザームは床入りの褥の枕の下に自分が普段使っている曲刀を忍ばせた。

 初めての床入りのときにやって来た男性は背が高く筋骨隆々としていた。


「怖がることはありません、皇太子殿下。私の言う通りにすればいいだけです」


 腕を取って褥にアッザームを引きずり込もうとした男性に、アッザームは枕の下から取り出した曲刀を抜いた。


「近寄るな! 私に触れると切るぞ!」

「そんなに怯えて。閨事は何も怖いことは御座いません。私に身を任せて」

「近寄るなと言っておる!」


 褥に引きずり込んで覆い被さろうとする男性を、アッザームは切りつけた。血が飛び散って、腕を浅く切られた男性は、腕を切り落とされたかのように大袈裟に悲鳴を上げていた。


「ぎゃああああ! 皇太子殿下御乱心だー!」

「だから、触れるなと申したであろう!」


 悲鳴を上げる男性は皇太子の宮の褥から引きずり出されて、アッザームは一人になった。

 惨めで悔しくて、堪えていた涙が滲んできて、アッザームはシャムスを呼ぶ。


「シャムス! 来てくれ、シャムス!」

「アッザーム様、ご無事でしたか!」

「曲刀を忍ばせておいた」

「アッザーム様、そんなことを!?」


 隣りの部屋に控えていたシャムスはすぐに来てくれた。アッザームが曲刀を褥に持ち込んだことに対してシャムスが青ざめているのに、アッザームは気付いていなかった。

 シャムスと抱き合って、アッザームは涙を堪えた。乳姉妹のシャムスが前にいればアッザームは強くあれる。

 シャムスは二人きりのときだけにアッザームを「皇太子殿下」ではなく「アッザーム様」と呼ぶ仲だった。


「誰も受け入れぬ。私は子など産まぬ」


 血で汚れた曲刀と褥をシャムスに片付けさせてアッザームは強く誓う。


 アッザーム、十四歳のときのことだった。

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