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我が君は花  作者: 秋月真鳥
我が君は花
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3.二日目の夜

 男性は基本的に決められた部屋から出ることができない。

 特別に千里は皇太子の宮の庭にまでは出ることができたが、それも見張り付きであった。千里の連れて来た側仕えたちは、皇太子のアッザームに何をするか分からないということで引き離されていた。


 自分で動くこともできなければ、側仕えに情報を集めさせることもできない。

 不穏な動きをしていたとなれば皇太子のアッザームの信頼をなくすことになりかねないので、千里は聞き込みをしたい気持ちを必死に抑えていた。


 昨夜はアッザームは千里の隣りで眠ってくれた。

 あれは確かに千里がアッザームに何もしないと誓ったことを信頼してくれたに違いないのだ。今はまだその信頼が強固なものではないので、千里はでき得る限りアッザームに疑われないようにしなければいけなかった。


 夜まで庭を歩いたり、皇太子の宮を見て回ったりしていた千里だが、アッザームに本を読み聞かせる約束があるので昼の間に少し睡眠を取っておかねばならなかった。

 部屋で休んでいると、護衛たちが騒がしくしている。


「何かあったのですか?」


 護衛の一人に聞けば、頭を下げて恐縮した様子で告げられる。


「庭に入り込んだ猫が子猫を産んでおりまして、子猫を捨ててどこかへ行ってしまったようで、子猫が腹を空かせて鳴いております」

「子猫が親に捨てられているのですか」


 怯えて床下に入り込んだ子猫を護衛たちがどうにか連れ出そうとしているようだ。

 皿に牛乳を入れて千里は護衛たちにその場から離れるように命じた。

 千里も少し離れた場所から見ていると、子猫が自分で出て来て皿の牛乳を舐めている。素早く近寄って子猫を抱き上げると、長毛で顔と手足が黒く、他は白い猫だった。


「捕まえた。私が飼ってやろう。皇太子殿下にも相談しなくては」


 もう歯も生えていたので解した茹でた鶏の身を与えると子猫は一生懸命食べていた。

 食べ終わってもう自分の家のように寛いで千里のクッションの上で眠っている子猫の名前はアッザームと相談するとして、千里は子猫のために首輪や手洗いを用意させるように護衛たちに命じた。


 アッザームが来たのは昨日より早く夕方だった。


「気が向いたのでこちらで夕食を取ろうと思ってきた。何か文句があるか?」

「ありません。来てくださって嬉しいです」

「そういう世辞はいらぬ」


 絨毯の上に並べられる豪華な食事に千里は食べ方が分からなくて戸惑ってしまう。一人のときには箸を使わせてもらっていたのだが、アッザームが手で食べているので、千里もそれに従わねばならない。


 薄焼きのパンで肉や野菜を巻いたものを手に取ると崩れそうで千里は口いっぱいに頬張ってしまう。食べるのに必死で喋れない千里を、アッザームは気にしていないようだった。


「皇太子殿下は猫はお好きですか?」

「猫か? 嫌いではないぞ」

「今日の午後に母親に捨てられた子猫を保護しました。皇太子殿下にお名前を相談したくて待っておりました」


 食べるのを辞めて話しかけると、茶を飲んでいたアッザームが眉間に皺を寄せる。


「その子猫は母に捨てられたのか?」

「そのようです。皇太子殿下の宮の敷地内に子猫を置いて母親はどこかに行ってしまったと聞きました」

「小さいのか?」

「歯が生えて固形物が食べられるようになっていますが、まだ小さいです」

「哀れな」


 その一言が心の底から出ているようにしか思えず、千里はアッザームが閨事を教えに来た男性を殺したというのに改めて疑惑を持った。子猫を憐れむ心を持つアッザームが人間の男性を殺せるのだろうか。


「そなたが育てるのであれば、親はそなたであろう。名前はそなたが付けよ」

「私が付けますか。それでは男の子のようなので、カグヤと付けましょうか」

「カグヤ! 昨日読んだ物語の男子と同じ名前だな」


 食事は終わってお茶を飲みながらアッザームと千里は向かい合っていた。


「求婚者たちをカグヤはどう退けるのだ?」

「それは読んでのお楽しみですよ」

「続きが聞きたい。読むがいい」


 まだ寝る用意もしていなかったが、アッザームに請われたのならば仕方がない。千里は本を広げて続きを読み始めた。

 竹から生まれた類まれに見る美しい男子が、求婚者たちに無理難題を吹っかけて、すべて退けてしまう物語。最後には男子は国の最高権力者である帝の求婚まで断って月へと帰ってしまう。


 読み終わるとアッザームは頬を紅潮させて目を輝かせていた。


「女たちを全て袖にして、自分の故郷に帰るのは胸がすく思いであった」

「この物語は、わが国で最古の物語と言われております」

「最高権力者である帝の求婚まで退けて月に帰るとは、男子の行動の潔さよ。私もそうありたいものだな」


 本当に楽しそうに物語の感想を話すアッザームに、千里は不思議に思っていたことを口にした。


「皇太子殿下はこれまで物語を読んだことはなかったのですか?」

「物語とは子どもが読むもので、つまらないと言われていた。私は国を治める皇帝になるもの。そんな夢物語に浸っている暇はないと思っておった」


 故郷で千里もよく言われたものだった。千里が物語の本を集めていると聞いたら、周囲は子どもの読むものだとか、もっと役に立つことをするべきだとか、的外れな忠告をしてきた。

 刺繍や家事、妻に喜んでもらえることをして、良夫賢父になるのが一番なのだと言われ続けてきたが、千里は本を読むことを止めなかった。物語の本を読んでいると言えば、難しい政治の本を読んでいてもカモフラージュになったというのもあった。


「それでは、物語はこれでお終いにしますか?」

「いや、他にも持ってきているのであろう? もっと聞きたい。物語がこんなに面白いものだなど、私は知らなかった」


 千里、そなたが私に教えてくれた。


 初めて名前を呼ばれて千里は姿勢を正す。


「名前を呼んでくださいましたね」

「私のこともアッザームと呼ぶがいい」

「アッザーム様」

「いや、ただのアッザームだ。私たちは夫婦なのだろう?」


 簡単にアッザームの心を溶かせるとは思っていなかったが、アッザームは自分の名を呼び捨てにさせるくらいには千里のことを気に入っている。


「皇太子殿下と言われると、自分の地位を思い出して寛げぬ。二人きりのときは、アッザームと呼ぶがいい」


 皇太子殿下ではなく、アッザームと呼ばれることを望むアッザームに、千里は深く頭を下げて「心得ました」と答えた。


 褥に入る前に千里もアッザームもハンマームと呼ばれる大浴場に行く。大浴場で蒸し風呂に入って垢を落とし、千里は薄い髭を剃毛して、検分役に危険なものを持っていないか検分されて着物を纏い、皇太子の宮の寝室に行く。

 今のところ皇太子の夫は千里だけなので、皇太子の宮の寝室に入ることが許されているのは千里とアッザームの二人だけだった。


 入口には護衛がいるし、部屋の周囲にも護衛がいるのだが、部屋の中では二人きり。

 今日読む本を千里は選んでいた。


「月の帝国の物語をお持ちしました。船乗りの女性が冒険に出て様々な国に上陸する物語です」

「その女性はどうなるのだ?」

「それは読んでのお楽しみということで」


 船乗りの女性が船で島を見付けて降り立ったら、それは巨大な鯨だった。鯨の背中に取り残された船乗りの女性は、島を見付けて上陸する。

 その島では雌馬を繋いでおいて、その近くに穴を掘っておけば、海から海馬が上がって来て雌馬と番って、いい馬が生まれるという言い伝えがあるというのだ。船乗りの女性はその国で歓待を受け、王に謁見して冒険を話し、湾岸隊長へと任命される。湾岸隊長に任命された船乗りの女性だが、故郷への想いが募っていく。

 ちょうどそのときに故人の遺品を返しに行く船に出会い、それが自分のものだと分かって、その船に乗って故郷へ帰るのだった。


 話し終えると、アッザームは欠伸を堪えながら聞いていた。


「その続きはあるのか?」

「ありますよ。船乗りの女性はまた冒険の旅に出かけるのです」

「続きを読むがいい」

「今夜はこれで終わりにしましょうか。明日に続きを読みましょう」

「そうか……。分かった。私には指一本触れるでないぞ?」

「分かっております」


 アッザームに誓って千里はアッザームと一緒に寝台に入った。

 アッザームは寝台の上で物語を思い出しているようだった。


「あの船乗りは次はどこに行くのであろう」

「明日もきちんと続きを読みますから、今日は眠りましょう」

「気になるのだ」


 呟きながらもアッザームは千里の隣りで眠ってしまった。

 身長も体格も千里と変わらないくらいのアッザームだが寝顔は十五歳の少女のもので、千里はその寝顔を見ながら、噂の真相を暴けないのをもどかしく思っていた。

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