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我が君は花  作者: 秋月真鳥
我が君は花
21/59

21.初夜

「眠い! 疲れた! もう無理だ!」


 次の日の昼間にやっと式典から解放されたアッザームは千里に膝枕をしてもらって、千里の部屋でうとうとと眠っていた。夜通しのお祝いはアッザームには退屈で疲れるだけのものだったようだ。


「属国から来た贈り物にいちいち礼を言って、受け取って、使者の挨拶を聞いて……もう途中から眠くて眠くて仕方がなかった」


 夕方まで千里の部屋で休んでいたアッザームが起きて動き出したのは夕食の時間だった。忙しくて食事も碌にとれなかったというアッザームは運ばれて来た豪華な食事を一心不乱に食べていた。


「ダーリヤの夫は、皇太子の宮に紛れ込み、皇太子からの振る舞い酒だと言って護衛に毒入りの酒を飲ませたそうだ。お陰で護衛が血を吐いて寝込んでおる」

「毒入りの酒を飲んだ護衛は無事だったのですか?」

「命は助かったと聞いておる。護衛としてまた働けるまでには時間がかかるがな」


 皇太子の宮は今のところ夫の千里がいるので、千里の護衛や千里の側仕えは男性が揃えられていた。そこにダーリヤの夫はつけ込んだのだ。男性ならば紛れ込んでも疑われない。

 皇太子の誕生日の宴も行われていたし、振る舞い酒と言われれば護衛も飲んでしまうだろう。


「危機感のない護衛は別の場所に飛ばす。千里を守るのだから、もっと学問を修めたしっかりとした護衛を探す」


 皇太子の宮で学問を修めた男性を護衛として雇うとなると、男性には学問は必要ないという風潮もなくなるのではないだろうか。


「それは楽しみです」

「それまでは女の護衛で、堅苦しくなるが、我慢してくれるか?」

「はい、アッザーム」


 優しいアッザームの言葉に快く了承すると、アッザームが千里の頬を撫でて涙目になる。千里の頬骨の辺りは腫れて、唇の端は切れていた。

 ダーリヤの夫に蹴られた傷は簡単には治ってくれない。アッザームが心配するので早く治したかったのだが、薬を塗っても時間でしか解決しないものはどうしようもない。


「体にも傷があるのか? つらくはないか?」

「平気です、アッザーム」

「千里……千里が死んでしまったら、私は他の男を受け入れることなどできない」


 抱き付くアッザームの背中を撫でて千里は微笑んだ。


「どんなことをしてでも生きて帰ります」

「千里が女から乱暴されていようとも、私は千里を穢れているなどとは思わぬ。何があっても絶対に生きて帰ってくるのだぞ」

「心得ております」


 深く頷き答えると、アッザームが千里と唇を重ねる。

 舌を絡める深い口付けに、千里は息ができなくてアッザームの唇が離れて行ったら息を荒くしてしまった。


「本当に慣れておらぬのだな」

「アッザームはそんなこと、誰に教えてもらったのですか?」

「閨でどうすれば男を気持ちよくさせられるか、シャムスと文献をあさったのだ」

「シャムス様とそんなことをされたのですか!?」


 皇太子ともあろうものが閨事の書いてある本をあさったというのだから、千里は驚いてしまう。


「千里しか相手にしたくないのだから仕方なかろう?」


 唇を尖らせて拗ねたように言うアッザームに、千里は愛しさを感じていた。


「アッザーム、先にハンマームで体を清めさせてください」

「そうだな。私も体を清めて来る」


 その後に。


 互いに約束をして千里とアッザームは部屋を出た。

 ハンマームでは体を清め、髭を剃毛して、髪を結び直して千里は皇太子の宮の寝室に戻った。アッザームも戻って来て絨毯に座って千里を待っていた。


「千里は寝るときも髪を解かぬのだと不思議に思っていた。今日は解いてもいいか?」

「アッザームが望むならば、解きましょう」


 髪を解くと真っすぐな茶色い髪が肩に落ちて来る。その髪に手を触れてアッザームはため息をついた。


「千里は美しいな」


 心の底から出たような呟きに、千里もアッザームの豊かな赤い髪を撫でて言う。


「アッザームも美しいです。我が君は花のように美しい」

「千里にならば、花と言われるのも嫌ではない。千里、愛しておる」

「私も愛しております」


 唇を重ねて、千里はアッザームと寝台の上に移動した。


 抱き合って眠った翌朝、夢中になりすぎて二人して寝坊をしてしまったが、皇帝陛下はアッザームのことも千里のことも責めなかった。

 アッザームと共に千里も呼ばれて皇帝陛下の御前に出た。

 正式な夫となった証として、千里は着物の上から黒い衣装に目だけしか見えない黒い布を纏って皇帝陛下の前に出た。


「我が息子の乳母の息子が千里に手を出したようだな。千里は無事だったか?」

「顔に傷を付けられていますが、それも時間が経てば治ると医者は言っておりました」


 皇帝陛下の問いかけにアッザームが答える。皇帝陛下は昔を思い出すように遠くを見つめる仕草をした。


「私の息子が三歳で死んでしまったのに、乳母の息子が元気で育っているのを見ると、私はつらかったのだ。乳母を遠ざけてしまった。その結果がこれだ」

「皇帝陛下のせいではありません。逆恨みをした乳母を利用したダーリヤと、そんなダーリヤと結婚した乳母の息子が悪いのです」


 孤独で繊細で不器用な皇帝陛下は、やはり乳母を遠ざけたことを気にしていた。決して皇帝陛下のせいではないと千里は伝える。


「兄上の乳兄弟だったと言えども、ダーリヤの夫のしたことは許されません。ダーリヤとその母のしたことも。彼らには相応の地獄に落ちてもらいます」

「そうだな。私にはできぬことだ。アッザーム、そなたのよいようにしてくれ」


 アッザームの父親も分からないような皇帝陛下にとっては、ダーリヤやその母に沙汰を下すのも難しいことなのだろう。

 決して愚鈍な皇帝ではないのだが、皇帝陛下には思い切りというものが足りていない。それは上に立つものとして致命的な欠点だった。


「ダーリヤとその母と夫は、自分たちが流した噂のせいで、今後食事がとれなくなり、衰弱して死んでいくのです。それが皇太子を弑逆しようとした罰なのです」


 アッザームは千里が話した物語を、ダーリヤやその母にも伝えさせていた。運ばれて来る食事に自分の子どもや孫の血肉が混じっているかもしれないと恐れおののき、ダーリヤもその母も夫も何も口にできていない状態だという。

 彼らが牢の中で自滅していくのも時間の問題だった。


「血生臭い話はここまでにしよう。アッザーム、千里、二人は正式な夫婦となったのか?」


 皇帝陛下が一番関心があったのはそのことだろう。

 問いかけられて千里はアッザームの方を見て頷く。絨毯に膝をついたままアッザームが晴れやかな顔で椅子に座っている皇帝陛下を見上げた。


「千里と正式な夫婦になりました。千里の可愛かったこと……!」

「皇太子殿下! それは言わなくていいことです!」

「世界中に言いたい! 私はこんなにも幸せだと!」


 喜びに満ち溢れているアッザームを見て皇帝陛下も笑みを零す。


「そうか。それならばよかった。これからも仲睦まじく暮らすように」

「はい、母上!」

「ありがとうございます、皇帝陛下」


 深く頭を下げてアッザームと千里は皇帝陛下の御前を辞した。

 皇太子の宮に戻ると、アッザームは着物をガウンのように羽織って千里に抱き付いてくる。


「千里、今宵もよいであろう?」

「ハンマームに行かせてください」

「私のために体を清めて来てくれるのだな。私もハンマームに行こう」


 その日から千里とアッザームは毎日のように皇太子の宮の寝室で体を重ねた。

 政務が忙しくないときにはアッザームは昼にも皇太子の宮に戻って来て、千里の部屋で昼寝をする。


 皇帝陛下は皇太子のアッザームに今やほとんどの政務を任せていた。

 まだ帝位は譲られていないが、アッザームは実質的に皇帝としての権力を振るい始めていた。

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