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我が君は花  作者: 秋月真鳥
我が君は花
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12.シャムスの決意

 アズハルが皇太子の宮に忍び込んできた事件は、アッザームにとってはとても大きな懸念を抱かせたようだ。

 政務を切り上げてわざわざ千里のところにやって来たアッザームは、千里の側仕えたちに命じていた。


「今後は千里の食事には毒見役を付ける。千里の護衛の数も倍に増やす」

「アッザーム、そこまでしなくても」

「皇太子の宮に十一の子どもが一人で入って来られたのだぞ? 刺客ならばもっとやすやすと入れよう」


 千里が心配なのだ。


 縋るようにして言われれば千里も受け入れるしかない。

 アッザームはもうすぐ十六歳と半年になる。千里との本当の床入りも一年半後にまで迫っていた。


「アッザームこそ、倒れないでくださいね。大事なお体ですからね」


 この国のたった一人の皇太子で、千里の愛しいアッザーム。毎日よく食べて健やかに寝ているのは知っているが、千里は心配でならなかった。

 アッザームの夜這いに失敗して、これ以上の手段が取れないとなれば、アッザームの廃嫡を狙って来る者がいるのではないだろうか。

 千里一人を夫と決めているアッザームの心は千里が輿入れしてから一年半、全く変わっていない。影では千里は「子種がない」とか、「子どもを作れない能無し」だとか言われているのだが、その点に関しては、全て千里が受け止めるつもりだった。

 どんなことを言われても千里が悪いことにして、アッザームの体を守りたい。千里の気持ちはアッザームと出会った頃から変わっていなかった。


 千里の元にアズハルが来るのをアッザームはいい顔をしないのだが、千里はアズハルが頼って来てくれるのを楽しみにしていた。


 アズハルは千里が諭した夜に救われて、数日後に千里を訪ねて来てから、何度も千里の元に来ていた。アズハルに千里に危害を加える気がないのは分かっているので、千里も安心してアズハルを迎えていた。


「母上は私を今アッザーム様の正室にすることは諦めたようですが、母上の妹の叔母上が自分の娘こそ皇太子に相応しいのではないかと水面下で噂を流しています」


 アッザームは閨事を教える男性を殺した悪逆卑劣な皇太子で、皇太子の座に相応しくない。今いる夫も男性器を切り取られて、皇太子に夫がいるという形のみを世間に広めるためにいるのだ。

 皇太子が皇帝になって後宮を持てば、後宮の男性は次々と殺されるに違いない。


 そんな酷い噂を流しているというアズハルの叔母が千里には気になった。


 日の国から千里が嫁いで来たときに、日の国や他の属国ではアッザームが閨事を教える男性を厭うて殺したのだという噂がまことしやかに流れていた。それを信じて、死を覚悟して千里はアッザームに嫁いできたのだが、それは全くの嘘だったと分かった。


 アッザームは閨事を教える男性を拒絶したが、切りつけただけで大事には至らず、その男性は密やかに異国に嫁がされたというのだ。


「アズハル様は、皇太子殿下の噂の真相をご存じですか?」

「アッザーム様に思う方がいらっしゃったという件ですか?」

「それは私は知りませんでした。詳しくお聞かせ願えませんか?」


 皇帝陛下の側室から聞いていたが信じていなかったそのことを千里が追及すると、アズハルは教えてくれる。


「恥となるので隠されていますが、アッザーム様には千里様とのご結婚前に思う方がいました。その方が異国に嫁がれてから、アッザーム様は男性嫌いになったのだと母から聞いています」


 アッザームが閨事を教える男性を拒絶する前の話がアズハルから聞けた。こういう話はアッザームの唯一の夫である千里には、他のものは憚りがあるとして話してはくれないから、アズハルが話してくれたのは非常に助かった。


 また一つ千里は真実に近付いていた。


 アズハルが帰った後に千里はシャムスを呼んだ。

 技術者との間を仲介してくれているシャムスは、噂の出どころも探っていたはずだ。


 シャムスがやってくると、髪を布で隠した千里は絨毯の上に正座をしてお茶を淹れた。若い烏龍茶くらいに発酵しているお茶は故郷の緑茶とは違っていたが、すっきりとした味わいで美味しかった。

 シャムスにもお茶を進めて、千里はアズハルから得た情報をシャムスに伝えた。


「アズハル様の母君の妹、つまりは、皇太子殿下の叔母上が皇太子殿下が閨事を教えようとした男性を殺したとか、唯一の夫の男性器を切り取って侍らせているとか、皇太子殿下に不利になるような噂を流しているようです」

「やはり、あの方でしたか」

「心当たりがあったのですか?」

「娘のダーリヤ様を皇太子にするように強く求めているのです」


 今の皇太子は一年以上夫と過ごしても子どもができる気配はない。それなのに新しい夫を受け入れることもしない。このままでは高潔な皇族の血が絶えてしまう。

 皇太子を我が娘ダーリヤに譲られよ。


 皇太子の叔母上の要求はそのようなものだった。

 皇帝陛下が法令を変えたので、皇太子殿下が子どもを生んでいないことは咎められるに値しないようになってしまって、皇太子の叔母上も焦っていると見られる。


 尻尾を出して来れば、皇太子を廃嫡にしようとするために、事実無根のうわさを流した罪を問えるのだろうが、今はまだアズハルの証言だけしか証拠がなかった。

 十一歳の子どもの証言がどれだけ重視されるかは分からない。恐らくは無視されてしまうだろう。


「シャムス様、聞きたいことがあるのです」

「なんでしょうか?」


 背筋を伸ばしシャムスに向き直った千里に、シャムスも背筋を伸ばして居住まいを正す。騎士団の白い上着に若干汚れが見えるが、シャムスは凛々しい若い騎士だった。


「皇太子殿下は想う方がおられたのですか?」


 千里の問いかけに、シャムスが言葉を探しているのが分かる。一口お茶を飲んで、シャムスは難しい表情で顎を掻いた。


「その話をどこでお聞きになられましたか?」

「アズハル様より聞きました」

「私はその話について、千里様にお話しする資格がございません」


 お許しくださいと絨毯の上に手をついて謝られて、千里は戸惑ってしまう。

 過去にアッザームに思うひとがいたとしても、今は千里一人だけなのだし、千里がそのことを気にするはずはなかった。

 それでもアッザームはそのことを千里の耳に入らないようにしているのだろうか。


 アッザームが男性嫌いになった理由を千里はどうしても知りたかった。


「どうしてもお話しいただけませんか?」

「私はその件に関して話していいことは一つもありません」


 頑として口を割らないシャムスに千里は心を決めていた。


「皇太子殿下に直に聞いてみます」

「それがよろしいかと思います」


 アッザームに直に聞くと言えば、シャムスもそれを推奨してくる。


「皇太子殿下に聞かれても問題はないことなのですね」

「皇太子殿下は千里様に心を開いております。千里様がお尋ねになったら、素直に話されると思います」


 それが一番いいかと思います。


 シャムスの言葉に、千里はアッザームに直に聞くことを決めた。


「千里様が来られてから、皇太子殿下と皇帝陛下の関係はよくなり、皇太子殿下は千里様という頼れる夫を手に入れました。皇太子殿下の乳姉妹としてずっとおそばにおりましたが、私はあの方の寂しさを埋めて差し上げることができなかった」


 悔やむようなシャムスの言葉に、千里は緩々と首を振る。


「シャムス様がいたから、皇太子殿下は歪むことなく真っすぐにお育ちになられたのだと思いますよ」

「千里様……ありがとうございます」


 礼を言って立ち去るシャムスを見送って、千里はアッザームと過ごせる夜を待った。

 事件の真相も、アッザームの男性嫌いの理由も、全てアッザーム自身の口から聞きたい。

 その上で、広まった残酷な噂をどうするか、千里はアッザームと話し合いたいと思っていた。

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