363話 ざるそば
363話 ざるそば
「……はっ」
ビクンッ。身体が小さく震え、重たい瞼が反射的に上がる。
自らが置かれている状況を理解するまで、そう時間はかからなかった。
今いるのは部屋のベッドの上。だがしかし布団は被っておらず、なんなら下に敷いてしまっていて。その上部屋の床にはキャリーケースが捨てられたかのように倒れている。
「帰ってきて速攻寝落ちしてるよな、これ」
たしか帰りの電車は全員寝過ごしそうになりながらもなんとか最寄りで降りることができて、そこからはなんとなくだけれどゾンビのようになりながらここまで歩いてきた気がする。
そして俺と由那はなんとか階段を上がり、部屋に入ったところで気絶。今に至るといったところか。
「すぴぃ。にゃむ……」
「気持ちよさそうな寝顔だこと。まあしばらく寝かしといてやるか」
分かりやすく筋肉痛な身体を起こし、電源が落ちるスレスレなスマホを充電ケーブルに繋げて時間を確認すると、今は昼の十一時過ぎ。残念ながら朝と呼べる時間帯では無くなっている。
それにしても……何から手をつけたものか。とりあえず水着やらタオルやらは洗濯機にぶち込まなきゃいけないし、ぼちぼち由那も目覚める頃だろうからご飯の支度なんかもある。流石に全部任せるわけにはいかないしどれかできることから手をつけたいものだが。
と、そんな事を考えながらも身体のダルさから二度寝を選びそうになっていると。背後の扉が開き、母さんがひょっこり顔を出す。
「お、息子が起きてる。どうだい調子は」
「筋肉痛で全身痛い……」
「由那ちゃんとだらだらイチャイチャばっかりしてるからだぞ」
返す言葉も無い。軽い筋トレくらいは由那と一緒にする習慣をつけたが、それでもまだまだ付け焼き刃。走ったり泳いだりの有酸素運動をしてるわけじゃないから体力もさして上がってないしな。
「お腹は空いてるかい? 流石に作る元気無いかと思ってご飯買ってきてあるんだけど」
「マジ? 正直めっちゃお腹減ってるから助かる。何買ってきてくれたんだ?」
「暑いからざるそば。由那ちゃん嫌いだったりする?」
「どうだろ。基本好き嫌いするイメージ無いし多分大丈夫だと思うけど」
「そ。ならとりあえず渡しとく。母はこれから用事で外出するんで」
「あいあい。ありが────」
すっ。手を伸ばしざるそばの入った袋を受け取ろうとすると、母さんが手を引いて遠ざかる。なんの真似だこれは。
「千円」
「……高くね?」
「冗談だよ。シャレの通じん息子だな〜」
「いや、母さんなら普通にやりそうなんだって」
「おぉん? 母をなんだと思っちょるんだチミは」
親子独特の謎のやり取りを終えてそばを受け取ると、後ろでまだ気持ちよさそうに寝息を立てている由那をじっと見つめながら。母さんはニヤニヤとした笑顔を浮かべ、問いかけてくる。
「で、どうだったの。やる事やった?」
「うるせ。教えるか」
「えぇ〜? い〜ぃじゃんかぁ〜。息子の事情が気になる年頃なんだよぉ〜!」
「はいはい。昼ごはんありがと。閉めるぞ」
「ケチ息子。せっかくの賄賂だったのに」
「このそば賄賂扱いだったんかい」
バタンッ。若干拗ねる動作を見せる母さんに一切の同情はせず、扉を閉める。
『大人の階段登ったら教えてね〜〜!!!』
言えるかよ。由那と旅行中何度も何度も、大人のキスを繰り返していただなんて。




