350話 私のヒーロー3
350話 私のヒーロー3
「うわっ!? て、テメ……何すんだ!」
「由那をいじめるな! 俺の大切な幼なじみを、いじめるなァァッ!!」
私に向けて傾けようとしていた墨汁を瞬時に掴むと、ゆーしは中身をその子めがけてぶち撒ける。
人気アニメのキャラクターが印刷された、いつもお気に入りだと自慢していたパーカー。緑基調のそれが真っ黒に染まると、床に落ちた墨汁で足を滑らせたのか。どてんっ、と大きな音を立てて尻餅をつき、目尻に涙を浮かべ始める。
横の二人は一瞬の出来事にぽかんとした様子だった。私だってそうだ。あと一秒もあれば頭からあの墨汁を被って全身真っ黒になっていただろうに。ゆーしの声を聞いて目を開けたら、実際に全身を黒く染めて汚らしく泣いていたのはあの子の方だったのだから。
「ゆーし……?」
「大丈夫か? ごめんな、助けるの遅くなっちゃって」
ぽんっ、と私の頭の上に手が乗せられ、同時にかけられた優しい言葉に涙腺が崩壊する。
自分でも無意識に流れた涙が頬を伝うとそれを見てゆーしは励ますように何度も髪を撫でてくれた。
「泣くなよぉ。もう大丈夫だから。俺があんなやつら、こてんぱんにしてやるからな!」
「っ……ひぐっ。う゛ん……ッ」
喧嘩なんてしたことないくせに。あの三人相手に勝つなんて無理だって、自分が一番よく分かってるくせに。
ゆーしは少しだって不安や恐れを顔に出さない。私を不安にさせないように心の奥に押し殺して。ゆっくりと立ち上がって言う。
「お前ら、あれだぞ。俺にけちょんけちょんにされてもじごーじとくってやつだからな!」
「はぁ? 勝てると思ってんのかよぉ! ナメやがって……」
「っぐ、ぐそぉ! このシャツ、お母さんにおねだりして買ってもらったのに!! ボコボコにして同じ目に遭わせてやるぅ!!」
「へへっ。こっちは三人いるんだ。調子乗るのも大概にしとけよ!」
ゆーしは折れない。三人にじりじりとにじり寄られても一歩も後ろへは引かない。
私にはその小さな背中がとても大きく見えた。頼もしく、たくましいものに見えた。
今思えば、きっとゆーしのことを初めて”男の子”だと認識したのはこの時だったのかもしれない。数年後には好きになってまともに話すらできないほどの相手になるなんてこの時は知りもしなかったけれど。
確かにその時────種が芽吹いたのだ。
「由那は俺が守るっ。勝負だァァっ!!」
そしてその後。結論から言うと、ゆーしは一人の子に唇が切れるケガを負わせ、逆に墨汁をかけた子ともう一人の子に顔が腫れるケガと脚に二箇所のアザを付けられるという報復を受けた。
きっと誰もが見てもゆーしの負けだろう。あのまま続けていたらどうなっていたか。その喧嘩を見て先生を呼びに行ってくれた子がいなかったらどうなっていたかは想像したくもない。
けど……ゆーしは最後まで負けなかった。私から見ればどんな逆境にも立ち向かい、痛みのあまり目尻に涙を浮かべても絶対にそれを流すことはしない。勇敢で、誰よりもかっこいいヒーローだった。




