324話 空気入れ
324話 空気入れ
海に来て何をするのか。その選択肢は多い。砂浜で砂遊びもするもよし、目の前に広がる広大な海で泳ぎまくるもよし。さっき由那が言っていたビーチボールでの遊びや浮き輪で水面に浮きながらのんびり過ごすというのもいい。
だがまあ、ひとまずは────
「こんの腐れリア充どもが!! テメェら、死ぬ気で空気入れろォォ!!!」
「ぐぬおぉ……」
「はぁ……はぁ……っ」
その選択肢を増やすべく荷物から取り出された浮き輪三つにビーチボール。これらの空気入れという激務が待っていた。
幸いポンプ式の空気入れを持ってきていたから口で膨らませる自体だけは避けられたものの、男手が二人しかいないとなると案外キツい。
特に在原さん。アンタが持ってきた浮き輪なんだこれ。軽く人ニ、三人は乗れるデカさだぞ。というかもはや輪っかの形ですらないし。ビート板をそのまま巨大化させたみたいだ。
「がんばれ〜! ふれっ、ふれっ、ゆーし〜っ!!」
「寛司? し、しんどかったら交代するからね? あ、お水いる?」
彼女さんズは優しいんだけどなぁ。かと言って男のプライド的に代わってもらうのはちょっと気が引けるし。できれば俺たちだけで頑張りたいところなんだが。
(キッツ……! 腕攣る!!)
運動神経抜群の寛司はともかく俺がキツすぎる。
由那が筋トレをすると言い始めてから定期的にそれに付き合っているため多少筋肉がついたものの、そんなのオマケ程度だ。これまで運動をしてこなかったツケが回ってきたな。
「オイオォイ、神沢君ペース落ちてんじゃねえのお? バテてきてんじゃねぇのぉ?」
「ゆ、ゆーしはそんなに弱くないもん! ね、そうだよね!? ゆーしならまだまだできるよね!」
「お、おぅ……」
期待の眼差しが突き刺さる。正直もう腕がピカピカしてきてるから今すぐ誰かに交代したいんだが。由那さん? その目やめてくださいよ。言い出しづらすぎるじゃないですか。
「薫うるさい。どうせアンタが一番体力無いくせに」
「んなにをぉ!? テメ、ちょっと運動できるからって調子乗ってんじゃねえぞこの野郎!」
「私が運動できるかできないかは置いておいて、少なくとも薫は運動できないよね? 偉そうにするなら変わってあげたらどう?」
「はぁ〜ん!? プッツン来たぞ! いいだろう……こうなったらうちのひなちゃんを召喚する! 行ってこぉい! 私たちの底力見せてやろうぜ!!」
「えっ!? わ、私ですか!?」
「「「「うわぁ……」」」」
なんというクズムーブ。さながら自分にできない仕事を部下に押し付ける迷惑上司のようだ。
「なんかうん……ね。やっぱり俺たちでやるしかないよ、勇士」
「だな。まああと少しだし。頑張るか……」
在原さんに交代する分には罪悪感など欠片も無いしなんなら押しつけてやりたいところだが、流石に蘭原さんにというのは可哀想が過ぎる。まあどの道逃げ道は無かったってことだな。
「ふっふっふ。ゆーし! 頑張ったらいっぱいご褒美あげるからね! ラストスパートがんばれぇ〜!!」
「ごほっ!? な、なら私も! 寛司! ちゃんと膨らませたら私もたくさんご褒美あげるから! ご、ご褒美がなんなのかは考えてないけど……とにかく頑張って!!」
「「っし……!」」
彼女さんに気合を入れられ、空気入れをシュコシュコするペースが上がっていく。
あと少し。あと少しだ。




