人攫い
黒崎がリュカに手配したホテルは、一言でいえば最高だった。高級ホテルとだけあって、接客が丁寧で、内装も素晴らしかった。リュカがいた世界では、高級ホテルは皆彼の家の息がかかっていた。そのため、リュカは大のホテル嫌いだったのだ。しかし、リュカがこの世界でしがらみなしで体験したホテルはそれはもう素晴らしかったのだ。
満足気にリュカがロビーを探索していると、ふとトイレが目にはいった。トイレとは全く思えない黄金に輝くトイレの前に立って、リュカは目的のマークを探してみた。男女のマークだ。
特にトイレに用があるわけではない。
「トイレも豪華ねー。」
ーあ、ヒロインならお手洗いて言うべき?
一人で内心ツッコミながら、まじまじとリュカはマークを見つめていた。リュカは、気になってしかたなかったのだ。なぜなら、今や彼は生物学的には男、設定上は「かわいらしい」女の子。
ーどっち?どっちに入ればいいわけ?
しばらく、リュカがトイレの前に立ち尽くしていると、中から高級スーツに身をまとった男性が出てきた。
トイレの前で立ち止まったリュカにぎょっとしたのもつかのま、何事もなかったかのように横を通りすぎようとした男にリュカが声をかけた。
「そこのイケてるガイ、ちょっといいかしら?」
高身長ヤングイケメンに声をかけられたおじさまが、煩わしそうにリュカを振り返った。疑うような視線がリュカによこされる。
「私、ちょっとどっちに入るか迷ってて、どっちに入ったらいいかしら?」
リュカがそう言うと、男性は怪訝そうにしながら、ある方向を指さした。
示されたのは男性のマーク。すなわち男性用トイレだった。
「なるほどなるほど、私、レディには見えない?」
「……もしかして淑女でしたか。失礼をお許し下さい。」
社交辞令だろう、淡々とうわべの謝罪を述べる男性に、リュカはつい感嘆してしまった。普通なら気味悪がるだろうに、自分を女と言い張る男に美辞麗句を並べ立てられるとは、なんとも気品がある。それとは別に、男が生まれの身分の高い、役職の高いポジションにいる人間ーすなわち自分側の人間だとリュカは直感的に気づいていた。
「そうなの。世には、男女に別れない性別もありまして? それを考慮したならば、このホテルはよりいっそう素晴らしくなると思いましてね。」
「……それはごもっとも。しかし、なぜ、私に?」
男性が面白そうに、笑う。
「あら?女の直感よ。あなた、立派な方なのね。例えば、このホテルを動かす力もあるとか、ね。」
レディになりきってリュカが返事をすると、男はおかしそうに笑い出した。リュカにとって、それはどこかで見たような懐かしい笑顔だった。
「クックック。世間にはあなたのように面白い方もいらっしゃるのだ。息子も私のように広い世界をみて、いろんな人に触れあってほしいと思うのですが……。息子には手を焼いております……」
「あら? 子育てのご相談かしら? 相談料は高いわよ?」
「はっはっは。実は息子がいるんだが、それがまた非常に頑固なやつでして……なに、狭い世界だけを見てきたやつですから。おっと、これ以上は有料かな?」
「あなたみたいな素敵な方なら、特別にしたくなっちゃうわ。けど、残念。まだ、私の特別にはしてやらなくてよ?」
リュカがふざけて笑ってみせる。男性はまたもやおかしそうに笑うと、手を胸に当てると一礼して去っていった。
なかなか面白い男だった、とリュカは口角を上げた。権力と財力を有しているにも関わらず、礼儀のある男をリュカは久しぶりに見た気がした。
そして、リュカが手配された部屋へ帰ろうと踵を返したときだった。振り替えれば、ホテルのスタッフ4名が深々とリュカに頭を下げていたのだ。
「先ほどは大変申し訳ありませんでした、お客様。不快な体験をさせてしまったこと、お詫び申し上げます。」
スタッフの一名がそう言って、再び頭を下げると他も同じように頭を下げ出した。
ーえ?何かされたっけ?
と、リュカの頭にはてなが浮かぶ。
ー………あ!俺ったら、見た目は男、中身は女だったわね~。
「あら……ご丁寧にありがとう。」
淑女らしい気品を見せながらリュカがそう言うと、スタッフ一同再び頭を下げる。その後、リュカは女性に人気のマッサージやフルーツ盛り合わせやらのサービス祭りを堪能するのだった。
翌日ー。
素晴らしいホテルで素晴らしい対応を受け、ぐっすり眠り、美味しい朝食をいただいたリュカは……再び眠くなり……
ばっちり遅刻した。
昼休みごろに教室に向かって、階段をゆっくり上がっていたリュカを、後ろから上院が呼び止めた。
「おはよう、リュカ。遅いな。寝坊か? それより、聞いてくれよ。白桃の悩みはな、自分がつまらない人間だと思ってることだ。自分との会話を「楽しい」て笑いながら聞いてくれる子に弱いぜ!」
上院がニコニコと笑いながら、リュカにそう言ってくる。まさか、学校にきてすぐに清々しい笑顔で友達の秘密を暴露されるとはリュカは微塵も思ってはいなかった。
「あいつに、一緒にいて楽しいて言ってやれよ。」
リュカがどうやって返そうか悩んでいると、白桃が階段の上からリュカを呼ぶ。
ーえ?今このタイミングで?
ニヤニヤと笑う上院を視界の隅に捕らえながら、リュカは絶対に望み通りに動いてやるかと口をつぐんだ。
「おまえの制服が用意できたらしい。着替えたら?」
白桃にそう言われて、そう言えばと、リュカが自らの服をちらっと見る。ここの制服ではなく、リュカがいた世界の制服だった。このゲームのヒロインは転入してくる設定だから、いつかは制服イベントがあるのだと、リュカを連れてきた少女の言っていた言葉をリュカが思い出す。
「あー、ありがとー! じゃあ、またな、ダーリン。」
そう言ってリュカが上院に手を振ると、嫌そうな顔をした上院が取り残されていた。
「おー?似合ってる?」
「………」
白桃に連れられて、リュカがとある更衣室で新しい制服に着替えていた。リュカの問いは無視されたが、リュカはいたって前向きなようだ。
「我ながらなかなか似合ってるんじゃない?白をベースとした生地に金の刺繍が入った制服は俺の儚さをうまく演出しているって感じ。いやぁ、さすが俺!」
もともと白桃はしゃべらないタイプなため、特にリュカも気にせずに自身の衣替えを楽しんでいると、白桃がリュカに声をかけた。
「ねぇ。」
「はーい?」
「上院のことだけどさ。」
「ん? はるちゃんがどーしたの?」
「あいつ、不良だとか噂あるけど違うから。」
「え?そんな噂あるの?おそらくまだそのルート未公かー「だから、認めてあげなよ。」
「ん?」
「不良じゃないのは一緒にいてわかんだろ。」
「ん? ん? ん?」
ここでリュカは先ほどの上院との会話を思い出す。
似たような助言をいただいたことを。
おそらくあれだ。イケメンたちがそろってヒロインに墜ちる「理由」。彼らが心の底にしまっていて、いつか誰か運命の相手に触れられるのを待っている部分。
ーそれを他者から伺う俺ー。
ーこいつら………。
リュカの顔が少しだけひきつった。
ーつまりは、俺との「友人エンド」はとっくに諦めたけど、だからといって、自分ルートはごめんだぞ、というかわいそうな坊やたちは、他人ルートに俺を追いやろうと悪巧みしているってことでok?
ーなるほどなるほど。…………え、俺、嫌われてる??
内心かなりショックを受けたリュカだったが、当の本人は気づいてなさそうである。
「あ、そうだ、上院呼んでやるよ、ここに。その制服姿見せたら?」
「えー! いいよ!! 俺泣きそうになるから。」
そのときだった。
「ふざけんなよ!」
「ひでー!!」
リュカの耳に、モブ生徒の怒鳴り声が聞こえてきた。
ー先生!嫌な予感がします。
おそるおそるリュカと白桃が声のした更衣室の扉を開けると、男子生徒4名が上院を囲んで文句を言っていた。
「琉唯に謝れよ!」
「はあ?俺が何をしたってんだ!」
上院も言い返しているみたいだ。
「琉唯が泣いてたんだぞ?」
「告白を断っただけだ。」
「はあ?もてあそばれたて言ってるんだよ!琉唯は!」
ーなるほどなるほど。告白をふった逆恨みらしい。
ひきつった顔でリュカが白桃を振り返った。
「あらぁ~。上院ルート公開しちゃったみたい。」
それに嬉しさを隠せないように、口元を手で覆う白桃にリュカはさらに顔をひきつらせた。リュカとして、人を疫病神扱いして他人に押し付けあうやつらを助ける義理はない。
ーが、……胸くそわりぃ。
「きみたちさーモテないっしょー?」
気づいたら、騒ぎの中心に向かってリュカは歩いていた。
驚き見開かれる上院の目。ニヤニヤ後ろで笑ってるだろう白桃くんはマイナス10です、なんて内心ふざけこける余裕はリュカにはまだあった。
「4対1て、まあ。そこからチェリーボーイ丸出しじゃないの!」
「なんだ、てめえは! 女は引っ込んでろ!」
「え。きみたち、このイケメンが女に見えるの?」
「あ?女だ……だろ?」
一瞬、男らが固まる。「あれ? バグ?」と言いながら目をこすって凝視した後、すかさず「女じゃねぇか!」ときれていた。乙ゲー補正やばすぎである。
「女はとにかく口出すな。こんな不良かばう必要はない!」
「へー? 不良て? まさか1人で戦っているはるくんを不良て言って、4人で1人を囲んでいるきみたちは不良じゃありませーんとか言わないよね?」
「なっ!」
男たちがあわあわと震え出す。
ー男を女と間違えるようなポンコツはー
「帰れ。」
真顔のリュカが数オクターブ声を低めてそう言えば、男らは慌てて走り去っていった。
「……はーるくん!」
「……な、なんだ?」
「わたし、はるくんが不良じゃないって、わかってるからねん。」
「……!あ、ありがとな。」
そう言うやいなや、リュカはチラッと先ほどから感じている視線を辿ると、そこには、廊下の離れたところからニヤリとリュカたちを伺う白桃がいらっしゃた。
「もーもーちゃん!!」
ー巻き添えにしよ。
「っ!」
「な、なんだ、白桃いるのか?」
リュカが名前を呼べば、嫌そうに白桃が姿を表す。
「なに。」
「いーや?」
リュカが意地悪く笑う。
「ももちゃんといると楽しいから、会えてよかったわ!」
リュカがお望み通りのセリフをはいてやると、上院と白桃は顔を見合せ、なんともいえない顔をしていた。
◇
「そろそろじゃね?」
「そうですねぇ。」
白桃と上院といい感じの仲を築いたらしいリュカを見つめながら、ケンとイチが頷きあっていた。
「おや、どうやら向こうから来てくださるようですよ?」
歩き出そうとしていたイチがその場に立ち止まり、ニヤリと笑う。静かに地面を歩いてくる音が近づいてきた。
「お久しぶりだねー。誘拐犯さん。」
リュカが口元を緩めながら、イチとケンを見る。
「誘拐犯とは人聞きの悪い。暇そうだったあなたを非日常に招待してあげたホストですよ? もし、力づくで連れてきたのを根に持っているのなら、そこの男に言ってください。」
そう言ってイチがケンを指差した。
「おい! 言い出しっぺはおまえだろ。まぁ、寝てるあんたをいきなり違う世界にぽいしたのは悪かった。俺はとりあえず言われた通りにしただけだ。そこの女を恨め。」
「別に怒ってはないよ?ただ……おまえらの狙いは何だ?」
リュカの冷たい目線がイチとケンを捕らえた。
「目的ですか? この世界を壊すことです。そして、そのキーパーソンにあなたを選びました。正直、誰でも良かったわけではありません。リュカさんだから託したのです。」
リュカの目が細められた。
「へー? 誉め上手だね。きみ。」
「実際、他の人だったら、こっちに順応しすぎていたかもしれません。言葉を選ばずに言えば、この世界に染まっていたはずです。だから、あなたみたいに上手をいく人が必要でした。」
リュカが苦笑いを溢す。だが、すぐに真面目な顔になった。
「……なぜ。世界を壊したかった?」
その質問に、イチが答えようとしたときだった。ざわざわと校内が騒がしくなる。ケンがそろそろだな、とつぶやいた。それにリュカが怪訝な顔をする。
「ええ、そろそろ、また連れ去られるでしょう。」
「は?」
リュカが聞き返そうとしたときー。
キキーッ!ガン!
「やめろ!」
「離せ!」
「なんっ!」
バタン!!
不穏なざわめきが遠くから聞こえてきた。
「……なんなの?今の。」
「上院、黒崎、白桃が連中に連れ去られた音でしょう。」
「は? ……なんて?」
「キャラたちが、連れ去られた音だな。」
「……どういうこと?」
まさかの誘拐発言に、リュカの顔は真っ青になっていった。