廃国の行く末
闇魔法。別の名を「禁じられた魔法」。
闇落ちした魔法使いがよく使うようになるという。
だが、それは闇落ちしなければ危険はないという意味ではない。怒り、失望、妬み、あらゆる「負」の感情が引き金となり得るのだ。
「くそっ! まさか3県も先に飛ばされるとはっ!」
男が苛立ちげに舌打ちをしながら、猛スピードで走っていた。向かう先は、今いる地域から270km離れた所に位置する某研究所だ。
男が慌てるのには理由がある。この世界の外の人間が魔法の使い手であるのだ。一般的に、魔法は源となる粒子がないと発動できないのだが、彼の世界とこちらの世界で共有されたものが源に使われたらそうともいかないのだ。そして、この世界に魔法の存在を許してしまえば、たちまちこの世界は豹変するー。
「闇落ちすんなよ! 俺が着くまで! ……いや、俺が着いても!」
男はさらに苛立ちげに愚痴を吐くと、またそのスピードをあげた。
◇
サリュートは、光のない覚めた目でナナを人質にする男を見つめていた。
ー下道野郎。
内心毒づきながら、サリュートは冷静に状況を分析していた。この世界に来てからサリュートは魔法を使えなかったが、その理由にうすうす気づいていた。
魔法に必要な源がないのだ。炎の魔法なら火粒子が、水の魔法なら水粒子がこの空間には存在していないのだ。
ーここで魔法の源になりそうなのは、ウイルスくらいか。相手を病にかける魔法に応用すれば、もう闇落ちだな、僕も。
サリュートは今から自分がしようとしていることに震えが止まらなかった。だが、それでもナナを助け出したいという想いが勝ったのだろう。サリュートは手を男の方にかざした。
ーこれで、男は苦しみ、そして、果てる。
「おまえ! 妙な真似はすんなよ! ナナがどうなってもいいのか!」
「きみ! こんなときまで、また変なことをっ! 頼むから、ナナを危険にさらさないでくれっ!」
「大丈夫です。いま、ナナを助けます。【サフ……】」
~愛愛愛愛しゅうて~君はしらんぷりだから~哀哀哀哀愁て~ならばそれならそうですね~愛言葉かわりに~
サリュートの詠唱を遮るように、その場に機械音の音楽が流れた。ポカーンとするサリュートとは別に、ナナを人質に取っていた男の顔が怒りで真っ赤に染まっていった。
「なんの真似だっ! ちっ! ナナ! サヨナラだ!」
「キャァァ「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
とたんに少女を人質にしていた男がぶっ飛ぶ。
男は、ガンと音を立てて壁に背中からぶち当たると、そのまま動かなくなった。
驚くサリュートの目には、少女を横抱きしながらナイフを足で踏みつけた男と、サリュートと同じく間抜けずらをした少女の父親が映っていた。そして、さっきまで涙でぐちゃぐちゃだった顔を赤く染めた少女の姿もー。
「ま、間に合った……きっつ! はーっ!」
「お、王子様やぁ……」
ケンが死んだ魚の目をしてため息を吐けば、ナナは真っ赤な顔でケンを見つめていた。はっと我に返ったようにサリュートがナナの元へ向かえば、ナナの父親も娘の元へ駆けよっていった。
「ナナ! 大丈夫かっ! ケンさん、助かった!」
「ほんまに良かったっ! ナナ! ナナ! ……ナナまで失うとこやった…うぅっ…」
「父ちゃん……変な兄ちゃん……王子様……うちは大丈夫やで……柳沢さんも本気でうちを殺すつもりないやん……せやろ?」
震えながらそう言い聞かせるナナを、父親が優しく抱き締めた。おじさんと間接的に抱き締め合う形になるのを防ぐため、ケンが父親つきのナナをサリュートに引き渡す。そして、抱き合う三人を見て、ケンがほっと息を撫で下ろした。
「……ナナ……柳沢にはしっかり罪を償わせる。あいつをああまで追い詰めた連中もな。危険な目に合わせてすまない…」
「ナナ! ナナっ! 無事で良かった! きみは、この世界で唯一の僕の家族だ。本当によかったよ。僕は何もできなかったね。すまないっ。」
「何言ってるん、父ちゃんも兄ちゃんも。父ちゃんは兄ちゃんがおらんくなってもうちを気にかけてくれたし、変な兄ちゃんも魔法で……その……王子様を呼び出してくれたやん! 登場の音楽はナンセンスやったがな!」
ナナがそう言ってケンの方を真っ赤な顔で見つめれば、2つの殺気がケンに寄越された。
「仕事全うしたのに理不尽すぎるわ!」
すかさず抗議するケンから隠すように、ナナの前にサリュートが立ちふさがれば、ナナがカンカンに怒ってサリュートを退かしていた。そんな微笑ましい光景を見ながら、思い出したようにナナの父親が口を開いた。
「あんちゃんら、ほんまにありがとうな。ところで警察が来るんやけど、あんちゃんらにも事情聴取される思うんや。すまんな。」
頷くサリュートの横でケンが真っ青になる。それもそうだ。ケンもサリュートも、この世界に戸籍はないのだから。
「依頼人! 逃げるぞ!」
「ええっ!?」
半ば無理やりサリュートの手を取って、ケンが走り出した。
◇
ケンとサリュートが研究所から出ると、黒塗りの車があった。中からイチが顔を出す。
「さあさあ、どうぞ。」
「あざーす!」
ケンがすかさずサリュートを後部座席に投げやり、イチの横に腰を下ろした。
車は研究所の裏道に出ると、そのまま崖沿いの道を走っていった。
「ふぅ、ここまでくると安心だな。」
「いや、そういうわけにも行かないみたいですよ。」
イチがフロントミラーを指差す。ケンがミラーを覗き込めば、胴体が不気味な形をした二足歩行の生物が、車の後を追いかけてきていた。それも車に匹敵するスピードでだ。
「なんだ、あの化け物は。」
「あの研究所、裏で生物と人間の融合実験を行っていたんですよ。あれらはまさに人間の成れの果て。」
「それがなぜ俺らを追いかけるんすか? イチさん?」
「研究所の人たちは、実験体を確実に操るために、目印を刻んでいました。」
「目印?」
「ええ。自分たちが飼い主だぞという目印です。」
「それはなんだよ。」
ガッタン!!
ものすごい勢いで、化け物の一体が車に体当たりをしてくる。その衝撃で車が大きく揺れる。サリュートが小さく悲鳴をあげた。
「あぶね。こっちで人襲われたら俺たち首飛ぶぞ。」
「大丈夫ですよ。ここ周辺は通行止めにしてもらいましたから。」
「なるほど。ということは社会的な首は繋がったかもだが、物理的な首は保証されないということですかね?『ぐアアアア!』なぜなら、わざとスピード落としてますよねぇ?」
ケンがひきつりながら敬語でイチに問う。それもそのはず。車はスピードを上げるどころか、ゆっくりと速度を落とし、化け物たちは四体とも車の窓ガラスに張り付いているのだから。
「物騒なジョークはやめてくださいよ。」
「じゃあ、言わせないでくんないかなあ?」
「で、研究所に残っている実験体はあれで全部です。なので、サリュートさん……」
「はい?」
「後ろに引っ付いた化け物さんらをホールドしてくれませんか? 車から道路に異物が振り落とされないように。」
「はいぃぃぃ??」
信じられない、というようにサリュートが運転するイチの後ろを凝視した。
「大丈夫です。彼らはあなたに夢中ですから。」
「ど、どういうことですか!?」
「さきほどの目印とは、ハーブティーを指すんですよ。パブロフの犬よろしく、彼には実験の報酬としてハーブティが提供されていました。研究所でしか作られない素材で。彼らは嗅覚、視覚が人間離れしてますからねぇ。ハーブティの匂いがすれば、それを研究所の人間だと勘違いして追ってくるんです。」
「僕はハーブティーなんて飲んでませんよ!?」
サリュートが不思議そうに首を傾げる。その肩を前から優しくケンが叩いた。
「ハーブティーはな。ティーはどうっすか?」
ケンの言葉にサリュートが、懐かしい優しい味を思い出す。アールグレイと言われて少女から入れて貰ったおいしいティー。改めて振り替えれば、うっすらハーブの香りがした。
「な? 異世界の食べ物は危険だと言った俺、正しかったな?」
ケンが同情の目でサリュートを見つめたときだった。
ガッチャーン!!!!!!!
ガラスをぶっ壊して化け物たちが車内に侵入してきた。サリュートは真っ青になり、座席から転がり落ちる。そんなサリュートに向かって、化け物たちの目が集中したときだ。
車が急激にスピードをあげた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
サリュートの悲鳴が車内に響き渡る。車は限界までスピードを上げてガードレールをつっ切っていった。
空高くを車が舞う。
「出よ!」
ケンが叫ぶと同時に、空中にブラックホールが現れ、それに吸い込まれるかのように、車は穴の中へと滑っていった。
◇
「かの勇者は残虐非道の行為を繰り返し、種族を絶やし、追い詰めた。ゆえに死刑に処す!」
ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!
罪状を読む声に続いて歓声が上がる。辺りは興奮に包まれていた。その中心には、処刑台に拘束された勇者の姿があった。
「やめろ! 俺は悪くない! 死にたくない! やめろぉ!」
勇者は涙でぐちゃぐちゃになった顔をさらに歪め、必死に抵抗する。だが、それが処刑人、ないしは観衆に届くことはない。
「同じことをやったのはお前だ!」
「責任をとれ!」
次第に周りの罵声もヒートアップを極めていった。それに答えるかのように、処刑台の勇者に向かってゆっくりと刃が下ろされていった。
「謝るから! いやだぁぁぁぁぁぁあ!」
刃が勇者の首に当たろうとしたときだった。
ガッシャァァァァァァァァァン!
空中の黒い隙間からものすごい勢いで滑り込んできた何かが、勇者の首の真上にある刃に突撃した。
衝撃で刃が粉々に砕け散る。
「へ?」
涙目の勇者同様、周りが唖然としている中、黒い物体はキキーッと音を立てながら、くるくると回転していった。
次第にスピードは緩み、ついには物体は制止する。見慣れない物体に、人々の注意は完全にそれに集中していた。
ガチャリ。
物体の一部が横に開かれる。人々は警戒を強めてそれを凝視した。
数秒後、中から真っ黒髪の男が現れる。男は視線を集めながら、礼儀ただしく一礼をしてみせた。つられて、群衆のうちの数名もお辞儀を仕返したときだった。
男はものすごいスピードで勇者の元へ向かうと、勇者を処刑台から引き離した。鈍い音がして勇者を拘束していたものがぶっ壊れる。男の怪力で勇者はあっという間に解放されてしまった。それを見て、群衆が再び騒ぎだす。
「おい、勇者をどうするつもりだ!!」
「逃がすな! 取り押さえろ!!」
群衆が勇者に向かって一斉に走り出したときだ。
「キャァァァァァァ!」
少女の叫びがどこからか聞こえてくる。翻弄される人々が再びそちらに目をやれば、黒髪の少女と金髪の少年が化け物たちに襲われているところだった。よく見れば、金髪の少年は第三王子ではないか。
「おい! あれ王子だぞ?」
「あの役立つの?」
「王族はこりごりだ! やられちまえ!」
「でも、少女が! 誰か、少女を助けろ!」
ざわざわと騒ぎだす周囲に、少女が負けずと声を張り上げた。
「キャァァ、急に襲ってきたわ! 誰か助けて! 勇者とか! 勇者とか!」
「へ?」
ぽかんとしている勇者の耳元で、男がすかさず囁く。
「コールドスリープの魔法で化け物たちを氷にしな。」
「へ、あ、ああ。」
半ば言われるがま勇者が魔法を放つ。あっという間に化け物たちが氷漬けにされると、群衆はまたもや勇者へと視線を戻しては、再び罵倒し出した。
「いまさらなによ!」
「人助けしたところで、あんたの罪は消えないよ!」
「この犯罪者!」
「そこまでだ!」
混沌とした辺りに鋭い声を上げたのはサリュートだった。一斉に注目がサリュートに注がれる。
「第三王子、サリュートがもの申す。皆の者、」
「なんだよ! だいたい王族が勇者なんて呼ばなければ!!」
「そうだ! 王族も罰を受けるべきだ!」
怒りの声は次第にヒートアップしていく。そんな中、サリュートはゆっくりと膝をついて、そのまま土下座した。王族のまさかの行動に急激にあたりは静まりかえる。
「皆の者、すまなかった。」
「私が、私たちが、国をこうしてしまった。王族を代表して謝罪する。」
「罰なら勇者共に受けよう。ただ、いまはこの国に蔓延る病を断ち切るのが先決だ。力を貸してほしい。」
ふるふると震えながら、サリュートが述べる。だが、群衆は納得がいかなそうに再び罵倒を始めた。そんな中、先ほど襲われていた少女が声を張り上げる。
「先ほど勇者に助けてもらいましたっ! 勇者は、人を助けるのが勤めです。せめて、断罪の前に、勇者らしく蔓延病を納めて貰いましょう?」
「だがね、いままでできなかったのだから、無理じゃないかね?」
群衆の中の一人がそう不満を口にしたとき、サリュートが地面から顔を上げた。
「できます! もう一度、チャンスをください!!」
再びサリュートが頭を下げる。王族の土下座に、群衆はぐっと息を飲んでいた。
「ラストチャンスだぞ。」
誰かが呟く。
こうして、サリュートと勇者は最後のチャンスを獲得した。
◇
「で、俺らの命がなんでこんなのに託されるんだよ!」
勇者が不満を漏らす。そんな勇者は今、鍋ベラで液体をかき混ぜていた。
「敵を呼び寄せる罠だ。サリュートの体にあるのはだいぶ薄れてきたからな。」
あくびをしながらケンが答える。その間もひたすら勇者は鍋ベラをかき混ぜていた。
「温度調整は紅茶の要なんです! 雑に混ぜないでください!」
勇者が手を抜けばすぐさまイチの指摘が入る。それにイライラしながら、勇者がサリュートに噛みついた。
「てか、王族のくせ、みっともなく土下座なんかしやがって恥ずかしくないのか?」
「ええ。糞やろうを呼び込んでしまったのは恥ずかしいですよ。全く。」
「なんだ? 俺のことか?」
「以外に誰がいると?」
「てめっ!」
「雑になってますよ!」
「ちっ……。こんなんで本当にくんのかよやぎゃぁ!」
勇者が文句を垂れたときだった。その体に何かがものすごい勢いでぶつかっていった。不意打ちに耐え兼ねた勇者が顔面から地面にダイブする。そんな勇者を見ながら、サリュートが口を開いた。
「『やぎゃあ』? 勇者同様変わった文句ですねぇ。」
「にゃわけあるか! 見えてるだろ! 俺の背中になんか乗ってるの! なんだ? 何が乗ってんだ!?」
「まぁまあ、背中のそれに氷付けの魔法をかけてください。」
「は? なんでだよ、命令するn『ビギィィィィィィィィィィィィ』ギャァァァア!【コールドホールドォォォ!】」
背中のそれが奇妙な声を発したと同時に、勇者が魔法を詠唱する。とたんに、背中のそれが氷付けとなるが、ここで重要なのは勇者は背中にそれをくっつけたまま魔法を行使したということだ。それはすなわち、勇者が背中にそれを背負った、ということになる。
「おもっ! くそっ……なんで俺がこんな目に……」
立ち上がるも背中の重みにバランスを崩した勇者が再び地面にダイブしたのを見届けてから、イチが口を開いた。
「あなた、もう一度、ヒーローになりたくはありませんか?」
「は? 当たり前だ! 俺はそうなるべき人間だ!」
「では、あなたが再び勇者になれる未来と、勇者にはなれなくても大半が幸せになれる未来。どちらを選びますか?」
「………………前者に決まってるだろ!」
「では今から重要なことを言います。あなたの上で今眠っていらっしゃるのは『プラナリア』と呼ばれる生物と人間の融合物の失敗作です。融合に失敗したそれは遺伝子変異やゲノム組換えによる新しい変異株の出現となり……つまり、ウイルスの発生源となるのです。」
「キメラウイルスだな? てことは、この世界の衰退はキメラから放たれたキメラウイルスが原因てわけか。」
「治療薬とワクチンは第三王子に任せました。勇者のあなたの役割は、ここのウイルスを絶つこと。その一体に続き、ぞくぞくとキメラが集まってくるでしょう。やりますね?」
「そうだな! ふん! なら、こっちに紛れ込んだキメラどもは、俺がぶっ殺してやる! 任かせろ! 俺は馬鹿な妹と違って優秀だからな。楽勝だ。」
「……。私は掟上、直接世界の人物に手をくだせません。やり方はあなたにお任せます。ちなみに、このキメラの元となった世界では、一人の少女が事件に巻き込まれたそうです。どうも、正義感が強い方のようで……。どの世界も世知辛いですね。」
「何が言いたいんだよ!」
「世間話ですよ。」
イチがニヤリと笑った。
◇
キメラは勇者に任せ、研究所設立の相談に王宮に向かったサリュートは、活力を失った王族たちから全面的に任せると言われてしまった。半ばあきれながら、勇者のところへ戻ってきたサリュートは、そこで信じられないものを見た。
「なんですか、これ! 勇者ぁぁぁぁ!」
化け物たちの屍があると予想されたそこには、27体もの氷漬けにされた生物が並んでいたのだ。まるで何かの芸術作品かのように。
「見て分からないのか? 馬鹿だ。」
「本当にあんた、嫌いです! 傲慢ですし! 残虐ですし! ウイルスを除去するどころか、氷漬けて悪趣味ですよ! 証拠隠滅ですか!? 自らの愚行を国民に詫びて、国民の目の前で本当の元凶を焼却なり八つ裂きなりするのが道義ってもんでしょうが!」
「違う!!」
勇者の勢いに、サリュートがびっくりしたように目を広げた。
「違う……処分の仕方を誤れば、細分化されたウイルスが風に乗り、水に溶け、広がるかもしれないだろう。その分、ウイルスの元凶ごと氷に閉じ込めておけば、安全だ! それに、こいつらも、元の世界の偉いやつらの研究のせいで、ひどい姿にされたあげく、証拠隠滅のためにこっちに流されたんだ! あんまりだろ! お前が! 第三者王子が、あっちの世界で得た知識でこいつらの治療薬を完成させた後に氷を解けば、こいつらだってやり直せるんだ!! 俺の謝罪はその後でもいいだろ!」
「っ!!」
サリュートが信じられないものを見るかのように、勇者を見つめた。
「勇者殿……いつの間に勇者のようになられて……」
「うるさい! 俺はもともと勇者だ!」
「しかも、頭がよく見える!」
「俺を誰だと思ってるんだ!」
「勇者殿でしょう?」
「俺はあの、さ………俺は勇者だぞ!」
「あ、やはり馬鹿でしたか「なんだと?」それにしても……まるで人が変わられたようだ。」
「俺は何も変わっていない。ただ、ちょっとだけ昔の夢を思い出しただけだ。ま、俺はやはり勇者向きだがな。」
「どこがだよ。」
ボソリと呟いたサリュートは氷漬けになったそれらに目線を移した。サリュートが人間以外の生物が病にかかる率が多いと考えていたそれらは、実際は人間だったのだ。しかも違う世界のだ。そこから発生したウイルスは全種族を苦しめたものの、重症とされた患者はキメラそのものであり、その正体は人間の成れの果てだった。
「……この人たちをいつまで待たせることになるでしょうか……」
異世界で学んだとはいえ、サリュートは自分に自信がなかった。今まで国のことは兄王たちがやってきたのだ。
「僕にできるでしょうか。」
「できるかじゃなくてやれよ! ほんと、怠慢王子だな!」
「傲慢勇者に言われたくはないですっ!」
「傲慢てなんだよ! それに、俺には名前がある! 俺の名前はサイガ・リュウトだ!」
再び言い争う二人を見ながら、ケンとイチはゆっくりと踵を返すと歩き出した。異世界で学びを得た者は、再び自らの世界に帰っていく。そして、一度混じりあった2つの世界は、またそれぞれに分かれて秩序を構成していく。それが世界の理だ。何より、サリュートや勇者の瞳からは輝きは失われていなかった。彼はもう他なる世界からの助けは取らないだろう。どんな困難も、「彼ら」自身が、乗り越えていくことだろう。つまりー
「もう、俺らは必要ねぇよな。」
ケンの呟きに、イチはただ笑って答えていた。
◇
真っ白い空間に、2つの黒い影が降り立つ。2つの影は、そのまま黒い扉へと進んでいった。
黒い扉を潜った先には、たちまち木の家が現れる。シンプルな間取りの空間には、簡易的なキッチンと机とイスだけが備え付けられている。イチとケンは再びオフィスに戻ってきたのだ。
「相変わらず殺風景な。」
「予算がないのでしかたないでしょう。」
「で、男にキメラの処分先として異世界の入り口を開けたのは誰だかねぇ。」
ケン言葉にイチがため息をついた。それにはかまわず、ケンが続ける。
「それに、依頼人は交差点の真ん中にいたらしいぜ。俺らがつないだのは国家感染症研究所の前のはずなのに。歩行者信号は青だったから良かったけどもし赤信号だったらどうするよ。」
「ぞっとしますね。」
「誰かが意図的に立地を変えたんか?」
「依頼人を事故にあわせようとした誰かがですかね?」
イチの頭の中に、恐ろしい考えが次々と浮かんでくる。
「依頼人ではなく、私たちの敵なのでしょうか?」
ケンとイチが互いに顔をひきつらせたときー。
黒い扉が開かれる。サングラスをかけた狼犬が現れた。
「よぅ! ケンとイチ!」
「Myモフモフー!」
「わっ! ちょ! ケン! 助けろ!」
イチがサングラス犬に抱きつくと、それは慌ててケンに助けを求めていた。
「だから、俺は好みの美少女と爬虫類しかひかれんのよ。犬はなあ……。」
「うわっ! やめろ! 俺は犬ではない! 知ってるだろ!」
それでも、イチは犬に抱きつくのをやめないようだ。諦めたように犬がため息をこぼす。
「はぁ。全く、上司に向かって……はぁ、まあ、いい。ケン、イチ。任務順位は任せるが、近いうちに消えた少女たちの行方を探ってほしい。」
「消えた少女たち?」
モフモフの言葉に、ケンが顔をしかめた。
「ああ。世界各地で少女たちが姿を消す事件が多発しているようだ。」
「そんな……」
ケンがふるふると頭を震わせた。
「ケン、腹立たしい気持ちはわかるが、あまり任務に私情を持ち込むな。」
「そんな! 消えるくらいなら行き先俺のところにしてほしい!」
「馬鹿か!」
モフモフがすかさずケンを叱る。それを見ながら、いくら枯渇してようとも「ケン」だけはパートナーに選ぶまい、と思うイチだった。