ある死面蒐集者の耽美的日記の抜粋
生まれながらの醜い容貌のために人一倍の苦労をしてきた。肥えて太った劣等意識が僕を圧し殺さんばかりに迫ってくる。いつしか僕は鏡という物が嫌いになった。顔を洗う時ですら、真っ向から覗き込もうとは思わない。だから、いまだに髭を剃ることが苦手だ。
身だしなみが疎かになれば恰好は悪くなる。もとより醜い容姿がさらに不細工になる。次第に人前で醜態を晒すのが嫌になる。自然と殻にこもるようになる。殻の中では繕う必要がなくなる。当然のごとく身だしなみは疎かになる。こうした悪循環に嵌ると抜け出すのは容易ではない。僕はもう諦めつつある。
裕福な家庭に生まれ育ったことだけが幸いだった。両親に小遣いをもらう度に、目に触れる美しい物を買いあさっては身の回りに置くようになった。皮肉なことに自身の醜い容姿から目を背ける毎に審美眼ばかりがいたずらに磨かれていく。美しい物で身辺を飾れば飾るほど、中心に居座る自身の醜さや卑しさが露わになっていく一方である。無論、胸のつかえが取れるはずもなく、ずいぶんと悶々(もんもん)とした日々を送る羽目になった。
幼い頃に身に付いた妙な癖は大人になってからも治ることはなかった。両親が遺してくれた財産の多くが舶来の美品や骨董品の蒐集に費やされた。美しい物に囲まれていたい、という欲求は空を一直線に飛ぶ鳥のように、留まることを知らない。遊びの味を覚えてからは無鉄砲なマネをするようになった。
初めて殺人を犯したのは十九歳の夏の頃の事だった。懐に余裕のあった時分で多少なりとも天狗になっていた。僕は自身の醜さをすっかり忘れていたのだ。間抜けなことに、僕は繁華街で車を走らせては、女性を舌なめずりして眺めていた。
雑多な街模様の中で一輪の花が咲いていた。本当に美しい女だった。僕は毛むくじゃらな手で、風に吹かれて揺れる花茎を手折ろうと試みた。酒に酔って赤らんだ頬を魅力的に綻ばせながら女は軽やかに車に飛び乗った。少なからず僕も有頂天になっていたことは言うまでもない。
車が屋敷の方に向かっていることを覚ると女は僕を罵り始めた。僕は夢中になって女を宥めながらも車を走らせた。ガレージに着いた時には女は怯え切った瞳を涙で潤ませていた。自身が化け物だということを思い知らされた気分だった。僕は妄執を振りほどこうとして必死だった。罵詈雑言の嵐。
ああ、その時から僕は化け物として生きる道を選んだのだ。いまだに、女のか細い首に指が食い込む感覚を覚えている。陸に上がった魚のように跳ねるしなやかな肢体。苦しみの最中に訪れる刹那の静寂。死を覚悟した者の見せる不可思議な空白。彼岸に魂がさまよい出る瞬間の呆けたような恍惚の表情。僕はそこに純粋な生の美しさを発見した。
女が死に際に垣間見せた法悦の表情が忘れられなくなった。僕は屋敷の書庫に納められている膨大な蔵書の中から、画集を引っ張り出して、ついにその謎めいた表情の典型を見つけ出した。「聖テレジアが天使の槍に貫かれた直後に迎えたエクスタシー」。脳天を貫かれたような心地だった。これこそが、僕の求めていた至上の芸術品であると思った。
殺めた女性の死面を取ることを思いつくまでにさほどの時間はかからなかった。僕はかつてないほどまでに充実した日々を送っている。こうして死面に囲まれて日記を綴っている間だけは、自身のどうしようもない醜さを忘れることができる。神聖なる恍惚を迎えた女性たちの面相が怪物を天使に変えてくれるのだから。ここには一握の不安も存在しない。
だが、甘美なる生の享受の時間もそろそろ終わりが近づいてきているようだ。新聞や雑誌は連日連夜のごとく、僕のことを連続猟奇殺人犯として取り沙汰している。先日は、とうとう警察官までもが屋敷を訪ねてきた。地下に設けられた隠し部屋を気取られないようにするのが精いっぱいだった。
今はただ、世間が怖くてしょうがない。僕の犯した殺人が法の下に裁かれることが恐ろしいのではない。僕は怪物として市中を引き回されて、好奇の目に晒されることに恐怖しているのだ。僕が築き上げてきた聖なる物の牙城が、大地に失墜することが残念でならないのだ。切り取った法悦の数々が無惨に踏みにじられることが我慢ならないのだ。
美しい死面たちが焼き払われるぐらいなら、この地下室の中で僕は死を選ぶつもりだ。もう一度だけ、屋敷の扉を叩く者が現れたら縄に首を掛けることにしよう。首に縄が食い込む刹那に彼女たちが迎えた歓喜が訪れるとも限らない。魂が醜い肉体を離れる瞬間に去来するに違いないだろう、確かな生の感覚を思いながら筆を置くことにする。
(了)