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落第生万歳  作者: 胤田 一成
12/20

賽の河原

 (うらら)らかな春の陽射(ひざ)しが緑の絨毯(じゅうたん)を染めている。

 都市生活の中で久しく忘れていた鮮やかな芝生(しばふ)が一面に広がる国立公園の広場。子どもたちが(まり)のように()ねては()(まわ)っている。

 大人たちは彼らを静かに見守(みまも)っているが、その眼差(まなざ)しは決して(あたた)かいものではない。大人たちの瞳は冷たく光っていた。この(しょく)()いた者だからこそ分かる監視者の視線だ。保護者や子どもには決して(さと)られないように(ひそ)かに輝く(たか)()。それは教育に(たずさ)わる者ならいつしか自然と身についてしまう(しょく)業病(ぎょうびょう)(たぐい)なのかもしれない。

「豊かな自然と楽しく触れ合うことで園児たちの活動と視野の幅を広げる」という大義(たいぎ)名分(めいぶん)(かか)げてはいるものの、純粋に園児たちの成長(せいちょう)に関心がある者が一体(いったい)どれだけいるのだろうか。私たちの関心の的はもっぱら、子どもたちを安全に保護者のもとへ返すことであり、見る者が見れば、その裏には保身(ほしん)(いろ)明滅(めいめつ)しているのは瞭然(りょうぜん)であった。もちろん、保護者や子どもたちに、そういった「先生の笑顔の裏」を(さと)らせるようなミスは犯さない。たとえ、ハリボテでも幼稚園の先生はフレッシュな存在でなければならないからだ。私が幼稚園教諭の(しょく)()いてから一番初(いちばんはじ)めに(おぼ)えたのは、この「作り笑顔」であったような気がしてならない。

「先生は涼子(りょうこ)ちゃんを見ててちょうだい。今日は大人しくしているようだけれど、いつ何を起こすか分からないから」

 子どもたちの嬌声(きょうせい)が遠くで響いている。私は送迎(そうげい)バスの中で先輩の先生に指示された通りに園児たちの()から(はな)れて、一人(ひとり)(あそ)びに(ふけ)涼子(りょうこ)ちゃんを芝生(しばふ)に座りながら見守(みまも)っていた。

 涼子(りょうこ)ちゃんは少しばかりユニークな性格をしている。突拍子(とっぴょうし)のないことを言い出したり、周囲の子と揉めることもある。彼女の世話(せわ)()()く先生も少なくなかった。先生が何より恐れているものは「予測不可能な行動」である。そういう意味で、涼子ちゃんは危なっかしい子どもだった。

 園児たちが(おに)ごっこや(かく)れんぼに夢中になる中で、涼子(りょうこ)ちゃんだけが広場の(すみ)で一人、静かに石を積み上げて遊んでいる。それは決して望ましい光景ではなかったが、思わず安堵(あんど)してしまう状態でもあった。

 園児たちがあちらこちらで()(まわ)る広場の(すみ)で、孤独に遊ぶ彼女がたっぷりの時間を掛けて(きず)()げたものは(いし)(とう)であった。自身の胸の高さまでひたすらに小石を()()げてできた一本の石の塔は、(はる)陽気(ようき)()らされながらも、カンとした不思議な(するど)さを保ち、広場の(すみ)に存在していた。

 涼子(りょうこ)ちゃんはまるで儀式(ぎしき)(のぞ)むような真剣さで、最後の石を慎重に塔の(いただき)に乗せると、後ろでその姿を見守ってた私を振り返って、ニコリと笑ってみせた。屈託(くったく)のない笑顔が燦然(さんぜん)と輝いていた。それは今まで閉ざされた世界の扉が開かれた合図(あいず)でもあった。涼子(りょうこ)ちゃんは私に小さく手を振ると、元気よく広場の中心へと駆けて行ってしまった。

 取り残された私は築き上げられた(いし)(とう)を眺めながら、(みずか)(いのち)()った兄のことを思い出さずにはいられなかった。うずたかく()()げられた本の山に()もれるようにして亡くなった私の兄。彼は家族に反対さながらも作家になることを夢見ていた。しかし、日の目を見ることはついになく、七年前に先に()ってしまった。

「いいかい。何事にも家族に対して感謝の気持ちを忘れてはいけないよ。一重(ひとえ)()んでは父の(ため)二重(ふたえ)()んでは母の(ため)……。」

 まだ学生であった私に兄はそんなことをよく語り、積まれた本の山を愛おしそうに()でては微笑(ほほえ)んでいた。家族に(うと)まれながらも、誰よりも家族を愛していた。兄はそんな人であった。

一重(ひとえ)()んでは父の(ため)二重積(ふたえつ)んでは母の(ため)三重積(みえつ)んでは西を向き、しきみほどなる手を合わせ、郷里(きょうり)兄弟(きょうだい)わがためと、あらいたわしや幼子(おさなご)は、泣く泣く石を運ぶなり……」

 原稿用紙に書かれた兄の遺書の末文(まつぶん)には、私によく語り聞かせていた言葉が残されていた。兄は最期(さいご)まで自身(じしん)(ゆめ)への執着(しゅうちゃく)家族(かぞく)への愛情(あいじょう)狭間(はざま)で揺れて苦しんでいた気がしてならない。兄の部屋に積まれた本の山と目前にたたずむ石の塔はどこかで(つな)がっていて、通じ合っているようであった。

 子どもたちの集合を告げる笛の音が春の蒼天(そうてん)に響いた。涼子(りょうこ)ちゃんも(かえ)支度(じたく)のために引率(いんそつ)先生(せんせい)のもとへ走っていったことだろう。私は(あらが)いがたい石の塔の引力の前にして、(あい)()わらず呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。子どもが(たわむ)れに築いた石の塔がひどく(なつ)かしく、(とうと)いもののように感じられた。本の山に囲まれて、机に向かい、原稿用紙に筆を走らせている兄の姿がそこにはあった。(いし)(とう)(くず)すという(さい)河原(かわら)の鬼もしばらくは来そうになかった。


 (了)


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