放課後デートと運命と揺れ動く心③
「紹介しよう、私の友人で少々アレな二年の須賀原だ」
「須賀原彩理でーす。でも『少々アレ』って酷くない知世ちゃん?」
須賀原彩理と名乗った女生徒は確かに穂波先輩と真逆のタイプだ。人間嫌いな先輩が友達になろうとするタイプには思えないから幼馴染だろうか。
「……それで、須賀原さんは僕に何の用なんですか?」
堂々と言えたらよかったが創哉の陰に隠れている状態では格好悪い。自覚はしているが、どうしてだろう、よく分からないがこの人を前にすると背中が粟立つ。
「私ね、ずっと考えてたの」
「はあ……」
答えになってない第一声。ちらと穂波先輩を見ると諦めろと言うように首を振った。
須賀原さんは電波系……不思議系な人なのだろうか。一風変わった人という点では穂波先輩と似通う部分があるけれど。
「一か月、ちゃんと考えたの。崎村くんが運命の人かどうかって」
「うんめい……?」
「そう! 私の運命の人なのかどうかを! そして、答えは出たわ。あなたは私の運命の人よ!」
興奮を隠さずまくしたてる彼女に思わず圧倒される。
「あなたから部誌を受け取った時、つい見とれてしまったと伝えたけれど間違っていなかったわ。そして言葉を間違えたわ。だから今、伝えるわね」
須賀原さんはそう言って、満開の笑みを浮かべた。
「私と付き合いましょ」
数秒の硬直の後口を開こうとした僕を創哉が押さえつけた。何をするんだ、と言う代わりに睨みつけると創哉も穂波先輩のように首を振った。そして唇だけが動く。「a」「a」「a」「e」と。これは「あやまれ」か? 「ことわれ」ではなく?
「……呼び出しを忘れていたことは謝ります。寒い中待たせてごめんなさい」
十二月の夕方に外で女性を待ちぼうけさせるだなんて酷い話だ。これは本当に謝らなくてはいけないことだ。
それでも。
「ごめんなさい、僕はあなたに運命を感じていないので人違いだと思います。だって僕にはか――」
言い終える前に、創哉と穂波先輩に頭をはたかれた。
「すいません、こいつ運命とか信じてないやつなんで」
「そうだ須賀原。悪いことは言わんからこいつだけはやめておけ」
必死にフォローなのか貶してるのか分からない言葉を二人は続ける。まあコミュ強の創哉と須賀原さんの友人である穂波先輩のほうが僕より接し方が向いていることは間違いない。
「……もしかして、好きな人がいるの?」
ドキリとする。一瞬、須賀原さんの雰囲気が変わった気がした。そして理解する。創哉たちが僕に言わせたくない言葉が何かを。
「……はい、僕は現在好きな人へのアピールで忙しいんです。他の人に目移りしている余裕なんてありません」
創哉の陰から出て、きっぱりと告げる。とにかく諦めてもらうしかない。
パタパタと遠くから歩いてくる音が聞こえるようになるほど、昇降口は静かになった。何部かは分からないけれど、どこかの文化部が活動を終えて帰ろうとしているのだろう。
四人だけの時間が終わることを察知したからか、須賀原さんはにっこりと笑った。
「じゃあ、付き合ってるわけじゃないんだね」
――そうだ、僕は恋人とは言ってない。嘘でもいいから笠折さんの恋人を名乗っておけば……とは思わないが、須賀原さんを諦めさせる決定的なカードを切れなかったのだと、今更気付いた。
「私がアタックしても何の問題もないよね」
そう笑った彼女は小悪魔的で、不思議系の側面も持っていて、見た目はとても可愛らしい女生徒だけれど――。
「覚悟しててよねっ」
とても厄介なことになってしまったのだと、僕は今更気が付いたのだ。
「……最近私を昼食に誘いませんね。構うのやめたんですか?」
一週間後の体育の時間、不意に笠折さんに声を掛けられた。ちなみに今は三クラス合同で行う長距離走の時間だ。体育は奇数クラス・偶数クラスで分けられているので二組の僕と六組の笠折さんは同じ時間に体育をしているが、普段の球技は選択式なので一緒にすることはなかった。選択もなく男女合同で行う長距離走がなんだかんだで三クラス全員で行う最初の体育だったりする。体育会の学年種目は別として。
「まさか。ちょっと最近は忙しいというか追われている身というか……。だから笠折さんのことは諦めていないし今もハーフパンツから伸びている足がスラっとして綺麗だなって思っている」
「気持ち悪いし私より細い人たくさんいるんだから褒められている感じまったくしないんだけど……」
嫌そうな目で僕を見る目つきがなんだか懐かしくて思わず微笑んでしまった。笠折さんの眉間のしわがより深くなった。
「笠折さんは走るの速いけど、長距離走も得意なの?」
「うん、小学校の時は駅伝メンバーだったし。上位入賞ができたかどうかは別ですが」
「僕とは段違いだなあってことが分かったよ」
僕は中の中ぐらいの速さだ。これじゃあ「一緒に走ろう」ができない。並走して走るのは苦手だし他人がやってるのを見ても抜くのが大変だから鬱陶しいなあと思う人生だったが、笠折さんとは話しながら並走したい人生だった。まあ、息が切れて話すどころではないだろうが。
ほんの少し出したしょぼけた空気を感じ取ったのか、笠折さんが小さく息を吐いた。
「早く戻ってきた人からストレッチして待機できるんだし、お互い自分のペースで走るのが良いと思うけど――」
――これが押してダメなら引いてみろってやつか?
ほんの少しだけデレた笠折さんの破壊力はとてつもなかった。
とはいえ、僕が笠折さんと昼食を共にすることを一時的にやめたのは理由がある。決して気まぐれではない。
あの女生徒、須賀原さんのせいである。
「創哉、しばらく笠折さんと一緒に昼食をとってくれないか? 笠折さんを守ってほしい」
僕が笠折さんを好きだと彼女にバレたらいけない。そんな嫌な予感がするのだ。
「全然いいけど、その間おまえはどうすんだよ。ぼっち飯先、そうそうないだろ?」
「うん、だから穂波先輩から部室の鍵を借りた」
実は穂波先輩は部室のスペアキーを勝手に作っている。部活動中は職員室で顧問から鍵を借りなければいけないので規則に従っているが、好きな時に入れるようこっそり作ったらしい。どうなんだと思ったかこうして僕も使っているのだから共犯だ。
「二年の教室がある階なのに、よくそこに逃げれているな……」
「灯台下暗しだし、内鍵もあるから安全だよ。入退室の時にさえ気を付ければ」
そう強がったけれど――入退室が本当にしんどいのだ。
部室の真横が二年七組で、須賀原さんのクラスは二年四組。なのでチャイムが鳴ってすぐ行けば遭遇することは少ないが、二年の階まで急いで駆け降りるのは堪えるし一年二組と部室は対極の位置になっているので本当に急がなければならない。
「昼休みにつかまるのだけは避けたいからな……」
登下校は他の生徒が隠れ蓑になってくれるし、休み時間に他学年の階を訪れることは基本的に推奨されていない。でも昼休みは別だ。捕まったが最後、どんな展開になるか分からない。
「向こうが諦めるまでの我慢だよ」
強がりだとしてもそう笑って言うしかない。
そう、我慢だ。それが僕にとっても笠折さんにとっても良いことのはず――。
そう回想しながら長距離走のコースを走る。険しい上り坂でペースが落ちるが、もう折り返して元気よく坂を下る笠折さんが目に入った。僕の勢いも少しだけ持ち直す。
ああ、早く笠折さんと話したい。
息を乱しながらも下り坂を駆け学校に戻ると、すぐに笠折さんを目で探した。体育教官に記録を報告するのを忘れかけて慌てて意識をそっちに戻したけれど、笠折さんは見当たらない。創哉は弓道部の人と一緒にいるから、てっきり一人でいると思ったんだけど――。
「えーもったいないよ。本当にダメ?」
「申し訳ないけど、ごめんなさい」
「まあ無理強いさせたいわけじゃないから気にすんな。でも気が向いたら、いつでも見学に来いよ。途中入部とか気にしなくていいから」
「うん……ありがとうございます」
快活そうな男女の二人組に囲まれていた。聞こえる限り、部の勧誘を断ったというところか?
「笠折さん」
僕の声に笠折さんが振り返る。二人組に頭を下げ、僕のほうに歩いてきた。え、天使か?
「おつかれさま」
「お、おつかれ、さま」
僕も笠折さんのほうに駆け寄る。
「息整えなよ。ストレッチしないと怒られますし」
呆れたように言われたがにっこり微笑しかできない。柔軟のため地面に腰を下ろすと笠折さんも隣に座った。もう自分はしたはずなのに付き合って一緒に柔軟してくれる。まあ、押してくれるとか押してあげるとかではなく各々で身体を伸ばしているだけなのだが。
「さっきの人たち、陸上部?」
「はい、走ってるところを見られて勧誘されました。でも運動部に所属するのは厳しいところがあるので断ったんですけど……」
放課後にしている修復作業のことだろうか。気のせいかもしれないけれど、それだけではないような響きがあった。
「それにしても二人組で来たからびっくりしました」
「ああ、確か最近カップルになったんだっけ、あの二人」
話しながら思い出したが、創哉がモデルにしてたバカップルの一人だ。マネージャーの女子のほうがうちのクラスなので、休み時間に男子のほうが度々来る。
「……崎村、今回は嫌そうな顔しないんだね。竹蔵くんのときはうるさかったのに」
「え、まあ部の勧誘に嫉妬する理由はないし、あの二人はカップルだから笠折さんの魅力に惹かれて破局! みたいなことにならない限りは」
「ありえないし嫌な想像しないでください……」
「まあそれは冗談だけど」
一度言葉を区切って微笑む。
「以前と比べて親しくなれたのに、笠折さんが他の人と話すのを妨げることはしないよ」
笠折さんは少し目を瞬かせて、じとっとした目でこちらを見てきた。
「……それは崎村より親しくなろうと思う人がいたら全力で邪魔するって意ですか?」
「おっと気づかれたか」
冗談みたく笑ったが図星だったことはバレバレだろう。
「笠折さんは嫉妬と無縁なの?」
だからつい、聞かなくてもいい聞きたかったことをきいてしまったのだろう。
笠折さんは少し間をおいてから小さな声で答えた。
「嫉妬するほど人に執着したことがないのと、好きだった人は嫉妬という感情を抱く前に終わったので」
「……そっか」
「あ、でも直くんが櫂悟くんにとられた! って出会ってすぐのころは思ってました。これが嫉妬……?」
「……小学五年生が抱く感情としては当然じゃないかな」
体育教官の「集合」と呼ぶ声が聞こえたので、会話はここで終わった。