本の精霊と告白と友達③
本の精霊もとい笠折枝真と「名前を知っている人」という関係になって一か月半が経った。
一か月半――これだけの日数が経てば、将来結ばれることが約束されている二人というものは大抵「何だかんだあって」意気投合し親しくなるものだが。
「崎村さん、人がいないとこで話しかけないでください」
笠折さんは塩対応で可愛いなあ。
「おまえらの仲って結局どうなん?」
創哉に問われ僕は微笑んだ。ちなみに今は体育の授業中で、バレーの得点係を二人でしている。
「見てわかるだろう? 仲良しだよ」
「仮に仲良しに見えても営業感すごいけどな」
「営業とは失礼だな。確かに笠折さんは他に人がいない場所で話しかけるなと言ってくるが、あれは照れ隠しだ。そうに決まっている」
「ふうん。『そろそろ先生方から交友関係についての指導が入りそうなので、カモフラージュ的な感じで人前でだけ話してます』って笠折言ってたんだけど、その件については?」
「待て創哉。何故笠折さんと話している?」
ギュインと首を九十度回転させたと同時に飛び込んできた「危ない!」の声。
僕はボールが飛んできたことに気付くのが遅れて、横っ面を物理的に張られた。
「……どうしたんですかその頬」
いつものように廊下で笠折さんに声をかけると、ほんの少し心配したような、でも呆れが九割九分占めている声で返事が返ってきた。よし、話せただけ感謝だトスを大誤爆したセッターくんよ。
「創哉と話すのに気を取られてボールを受けてしまったんだ。ああ、創哉っていうのは――」
よく知らない人について話されても分からないだろう。せめて苗字だけでも――そう思って「竹蔵のことなんだけど」と言おうとしたのに。
「ああ、竹蔵くんですね」
世界が暗転しかけた。まだ大丈夫だ。暗転したわけではない。きっと笠折さんはフルネームできちんと覚える人なのだろう。そうに決まっている。
「笠折さん、僕の下の名前分かる? ファーストネーム」
「……すみません覚えてません」
「どういうことだ創哉!」
思わず叫んでしまった僕を見て笠折さんはため息を吐いた。
「竹蔵くんとはお友達になっただけです」
お友達。おともだち。OTOMODACHI……。
「笠折さん、ちなみにだけど、聞くまでもないけど、僕と笠折さんの関係は?」
「……」
笠折さんは何とも言えない表情を浮かべるだけだった。
竹蔵創哉は僕のような人間と付き合ってくれているが、本来は人脈が広く友人も多い。特別人と関わろうとしている訳ではなく、単に人と接するのが上手い人間なのだ。話しかけやすい雰囲気も僕に比べたら断然ある。
「でもやっぱり、最初の『お友達』を奪った罪はでかいぞ創哉……」
「はいはい悪かったよ」
大量に刷られた紙を重ねながら、二人部室で話す。他の人たちは表紙の印刷作業や学祭委員会でいない。
今は月末の文化祭で頒布する部誌の製本作業中である。他校を見ていると業者に頼むところが多いが、あいにく実績のない我が校は学校の印刷機をフル活動して部誌を刷るのである。コピー用紙や製本テープなどは部費で賄っているが、学校の印刷機代は学校もちなのだから業者に頼んだほうが結果的に良いのでは? よく分からない。
しかし本当によく分からないのは創哉である。
「いつの間に友達になったんだ?」
「おまえのフォローをしているときだよ」
「僕のフォロー?」
「猪突猛進すぎて流石にフォローしないと笠折が困るだろうなって思って。別に必要以上の接触はしてない。それに、向こうから『お友達になってください』って言ってきたのに断れって言うのか?」
「なん……だと……」
そんな気はしていたが怒りづらい。僕のフォローがきっかけと言うのは複雑だが、笠折さんに友達ができたことは喜ばしいことだ。それも自分から言ったのならハルちゃん先生も花丸をあげるだろう。
――ということは?
「もしかして僕、お役御免……?」
「佑飛、手を動かせ」
渋々作業を続け、残り三割ほどになったところで穂波先輩が帰ってきた。表紙を印刷しに行っていたから手には紙の束があるだろう――と思っていたが何も持っていなかった。
「部長、表紙は?」
創哉も疑問に思ったのだろう。穂波先輩は忘れ物をするような人ではない。
「お客さんがいたから連れてきたんだよ。表紙は廊下。持たせてる」
「お客さんに持たせるって普通どうなんですか……」
呆れた顔をした創哉に同意する。人間嫌いなくせに人使いが荒い困った人だ。
「あの、先輩……?」
戸惑った弱々しい声が廊下から聞こえてきて――一瞬で脳が覚醒する。
「笠折さん!」
「うげっ」
戸をスパンと開けると一瞬驚いて、それから嫌そうな顔を浮かべた笠折さんが立っていた。
「どうしてここにっていうかお客さんってどういうことなのってああ表紙持つね結構重たいのにごめんねうちの部長が人使い荒くてそれでどうして」
「一息でしゃべらないでください」
笠折さんはため息を吐いたが表紙を俺に渡してくれた。よし、大きな一歩だ。
「なんだ笠折か」
「竹蔵くん」
――やっぱり創哉は許せない。
静かに歯ぎしりしている俺を見て穂波先輩が呆れたように笑った。
「知り合いだったのなら都合がいい。一年生諸君。その子、過去の『木犀』が欲しいみたいだから出してやってくれ。私が製本作業を引き継ごう」
「……先輩、単に人と関わるのめんどくさいからでしょう」
「ありがとうございます先輩! 女神様!」
創哉と俺の返事が異なることは、実はあんまりなかったりすると後から思った。
ずるずると捜索を引き延ばして幸せな時間を長くするか、短くてもすぐに見つけてかっこいいところを見せるか。迷ったが、泣く泣く後者を選んだ。だって嫌われたくないし。創哉が先に出したら嫌だし。
部の歴史は浅いほうなので、あっという間に出し終えた。
「これで『木犀』は全部だけど、どうして欲しいんだ?」
「新入生歓迎号を読んだんだけど……以前のも読みたくなって」
えっ可愛い。
「竹蔵くん……たちのは、まだ載ってないんだよね」
ギリギリ「たち」にしてくれただけですごく嬉しいから僕は単純である。
「今度の文化祭で出すから、また貰ってくれ。なんならちょっとだけ読むか?」
「いいの?」
うん、笠折さんの嬉しそうな声が聞けて幸せだ。だが創哉の言葉でそうなってる事実が受け入れがたい!
先輩に確認を取ると宣伝してくれるなら良いと許可が下りた。宣伝できるかどうか不安がっていたが、僕が手伝うと言ったら微妙な顔をされた。
届いた表紙で出来たばかりの部誌を手に取り、笠折さんは目をわずかに輝かせる。滑るようにページをめくる指や所作が美しい。ずっと見ていたい。それからページが進む度コロコロ……とまではいかないが、ほんの少し移り変わる表情が可愛い。ずっと眺めていたい。
「……?」
ページをめくる手が止まった。いや、止まったというよりはゆるやかに――と思ったら本当に止まった。
「あんまり見ないでください。あと仕事したらどうですか」
「まあまあ」
「……まったく」
こちらを見てくれた視線は再び部誌に戻る。僕も叱られたので、ちゃんと仕事をしようとホッチキス止めを再開した。黙々とした時間は、とても控えめな笠折さんの声で打ち止められた。
「……あの、執筆者が誰かって聞くのはマナー違反ですか?」
「気にする人間としない人間がいるが、一年生諸君はどうだ?」
「僕は気にしないです」
「俺も」
「じゃあ、ここに居ない人間は答えられないが、ここに居る人間は答えてあげよう。誰の名前が気になるんだ?」
「『海風』さんです」
思わず肩が跳ねる。だって、それは。
「どうしてその人が気になるんだい?」
「なんとなく、です」
笠折さんはページを指でなぞりながらそう言った。顔の角度的に、表情は読み取れない。
「まあひねくれた話を書いたのは『海風』だけだからね、なあ崎村」
「えっ……?」
笠折さんが勢いよく顔を上げる。とても真ん丸な目が僕を映した。
「本当に君が?」
「ま、まあ」
やばい、想像以上に恥ずかしい。海の匂いが好きだから「海風」なんて名前にしたけど、もっとひねった名前にしたほうがよかっただろうか。
珍しく顔が赤い僕を見て、創哉と先輩がよく分からない笑みを浮かべているのが視界の端に入ったが、僕の目には再び部誌に視線を戻した笠折さんしか映っていない。
もう一度ゆっくりとページをなぞって、ぽつりと笠折さんは呟いた。
「崎村は……寂しい話を書くんだね」
その声には、ほんのわずかだけれど親しみが含まれていたように僕は感じた。