本の精霊と告白と友達②
「それでその後どうなったんだよ」
「『馬鹿じゃないですか』とひきつった顔で言われたんだけど、脈あると思う?」
「ねえと思う」
翌日登校したばかりの創哉を捉まえて相談するも、返ってくるのは呆れた声音。そりゃあまあ、自分でも突然だったと思うがもう少し擁護してくれてもいいだろう。
「ハルちゃん先生に聞けばいいじゃないか。いつも手伝いしてるって話だろ?」
「そう思って朝一番に職員室へ向かったが、缶コーラを渡されるとすぐに追い出された。いったい僕が何をしたって言うんだ……」
「教え子に不埒な事言って怖がらせたんだ。警戒するだろう」
「僕も等しくハルちゃん先生の教え子なのに、差別だろう……」
むくれた振りをするも、創哉は「はいはい」と流して自分の席に戻ってしまった。薄情な奴だな全く――なんて軽口をたたこうと思ったけど、昨日のことを想うと調子が出ない。
――突然変なことを言わないでください。作業の邪魔になるので出て行ってください。
そう冷たく言い放たれたのは結構クる。本の精霊にそう言われたら出て行くしかない。ああ、でももっと同じ空気を吸いたかったな……。
「おーし、ホームルーム始めるぞ」
ハルちゃん先生が教室に入ってきた。じっと見つめると目が合ったが、意味ありげに数秒見つめ返された。それから目を逸らし、時間割変更等の連絡を口にする。
「――じゃあ連絡は以上だ。移動教室遅れるなよ。それと……崎村は昼休み、国語科準備室まで来るように」
そう言い残してハルちゃん先生は教室を出て行った。それからの時間はあっという間で、一時間目の日本史も、二時間目の化学基礎も、三時間目の数学も、四時間目の英語も、全て一瞬で終わってしまった。急いで弁当をかき込んで二号棟へ走る。
「ハルちゃん先生!」
勢いよく戸を引いた。が、先生はいなかった。思わず舌打ちしてしまったが、冷静に考えたらまだ昼休みが始まって三分しか経っていない。あと十分はかかると思ったほうがいいだろう。
窓を開け静かな風を聞く。ここから海が見えると言っても、流石に潮の匂いまではしない。海を感じたいのなら、実際に足を運ぶ必要があるのだ。たとえここから見えていても、とてもとても遠い。
まるで本の精霊じゃないかと一人ため息を吐き、机の上を見た。昨日作業をしたのであろう痕跡が残っている。
開け放たれていた段ボール箱の中を覗くと、確かに古本が入っていた。どれもボロボロだ。対して机の上に置かれている本は、やはり古本だがどれも修繕されている。本の精霊が治したのだろうか。ますます本の精霊のようだ。
修繕された本の表紙を指で一撫でする。とても丁寧でプロがやったかのような出来だ。心の中で褒めると同時に、何故ハルちゃん先生は本の精霊に頼んだのだろうと疑問になる。一般の生徒がこんな技術を持っているだなんて、なかなか知ることは出来ないだろう。そうなると、先生が直々に技を伝授したのだろうか? その光景を思い浮かべて思わず眉をひそめ口をとがらせてしまう。
――どうやら僕はおかしくなってしまったようだ。
一昨日はどうこうなりたい訳じゃないと創哉に言って。
昨日は勢いあまってだけど、真剣に告白をして。
「僕は本当に、どうしたいんだろう――」
昼休みが始まって十三分経った頃。ハルちゃん先生が少し息を切らしてやって来た。手には弁当の袋が提げられている。
「悪いな、四時間目終わってすぐに生徒につかまってて飯食えてないんだ。食べながらで悪いが面談するぞ」
「面談って……」
面談と聞くと自然と嫌な予感しかしない。問題児を個室に呼んで話を聞くとか、進路についてぐちぐち言われるとか、そんなイメージだ。
「昨日の件についてだが、例の生徒から相談という名の苦情を受けている」
「本の精霊が何か言ってたんですか?」
思わず前のめりになってしまいハルちゃん先生に顔をしかめられる。まずい、落ち着かないと。
「本の精霊って……。まあいい、お互い名前すら知らない関係ってのは合ってるようだな」
「先生、あの子の名前教えてくださいよ」
「本人に聞け……と言いたいところだが、生憎俺から情報を漏らすな、と口止めされていてな。こちらとしても、急にセクハラチックな言動をされた生徒の意思を尊重したい」
「告白をセクハラチックな言動って……」
「世の中そんなもんだ。ロマンチックな状況を作り出すには、お互いにそれなりの好意がないといけない」
ハルちゃん先生は最後のからあげを口に放り込むと弁当箱を閉じた。それから立ち上がって、戸棚からケトルとインスタントコーヒーを取り出して湯を沸かし始めた。ちなみにカップは一つしかないので自分用に作っているのだろう。
「それでここからが本題なんだが……あいつと、正しい、適切な、ごく一般的な、清く正しい、常識的な、倫理的な――」
「春河先生、僕をどんな奴だと思ってるんですか」
ケトルの音でよく聞こえないが、とにかく僕が非常識みたいに言われているのはよく分かる。
「ええい、何でもいい! とにかく、ふ・つ・うに――あいつと友達になってやってほしい」
先生はひどく真剣な目で、僕を見ていた。
「……そりゃあ、あわよくば恋人になりたいとまで思ってますけど、本の精霊とは友達になりたいです」
でもどうして、おそらく――認めたくないが客観的に見て――本の精霊は僕を嫌っていると分かっているのに、先生は僕たちを友達にしたいのだろう。
「実はあいつ、俺の友人のいとこなんだ。友人とは大学の時からの付き合いで、あいつと関わるようになったのは五年くらい前だ。小五の時になるのか。子供の成長は早いなあ」
少し懐かしそうに先生は話すが、どこか影があるように見えた。
「まあ、関わったと言っても、長期休暇に友人が面倒を見なきゃいけない日と俺たちが課題をする日が重なって、家で一緒に菓子食ってゲームするとかそんな感じだったんだけどさ。実際によく話すようになったのは中三の途中から――いや、高校に入学してからだな。あいつにとっては二人目のいとこのような感じだろう」
「ふうん……」
本の精霊のことを知れるのはいいが、やっぱり嫉妬に近い感情を抱いてしまう。小学生の時も中学生の時も、きっと可愛かったのだろう。
「でもあいつ、友達作るのが苦手みたいでさ。高校に入って一年目の秋だが、誰かと行動しているところを見たことがない。そもそも他人に関心を持とうとしないみたいだから」
本当に精霊のようだ――と思ったけど口には出さないでおいた。褒め言葉ではないだろうから。
ハルちゃん先生は出来立てのコーヒーをふうふうと冷ましながら、優しい表情を浮かべていた。
「だからあいつが昨日、『変な人に絡まれました! 不愉快です!』って言ってきた時は内心安心したよ。本当に不愉快なことをしたら許さないけど、俺の勝手としてはおまえらに仲良くなってほしい」
放課後になった。今日は部活もないし放課後呼び出される用事もない。
階段を駆け下り昇降口へ急ぐ。ハルちゃん先生も毎日手伝わせているわけではないだろう。きっと、いるはずだ。
「――っ!」
間違いない、あの横顔は――。
「あのっ!」
本の精霊は声に反応してこちらを見た。でもそれはほんの数コンマで、声の主が僕だと分かった途端顔を背けた。
「待って、話を――」
だめだ、振り返ってくれない。ローファーに履き替えてしまった。追いつけない――追いつけなくて、良い訳がない。
「――僕は、一年二組八番、崎村佑飛!」
体育の時よりも、大きな声で自分の名前を叫ぶ。そうだ。まずは僕のことを知ってもらわなきゃ。
幸運なことに、本の精霊は足を止めてくれた。
「僕は、君と――」
伝えなければ。今度こそ。
「交際を前提にお友達になりたいです!」
「やっぱり君は馬鹿なんですね!」
声を荒げた本の精霊に驚いたが、ようやくこっちを見てくれたことに安堵して表情筋がふにゃっと緩んだ。それを見て本の精霊は眉間のしわを深くして――諦めたように大きくため息を吐いた。
「……笠折枝真」
「え……?」
「君が名乗ったのに、私も名乗らなければフェアじゃないでしょう」
本の精霊――いや、笠折さんは僕を見て静かに言った。目には呆れと疲れと、ほんの少しの柔らかさがこもっていた。
「でもお友達にはなりませんので」




