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あかねさす 〜僕が本の精霊を幸せにするために〜  作者: 迎 カズ紀
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
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チョコレートと失恋と冬の夜の海⑤

「……嘘だろ」


 突然の大雨で延期になってしまった。普通なら翌日、または翌々日にするのだろうが、持久走大会は一、二年合同で行うためしばらく空くことになった。理由は簡単、二年の修学旅行が終わってからじゃないとだめなのだ。融通が利かないのは、一、二年の担任達がバトっているからだろう。まったく、先生の都合というものは。


「先生方も残念だが、持久走大会は十四日になった。二年が修学旅行や模試をしている間に、みんな体調を崩すなよ。それから、期末も。テストが先になってしまったから筋肉痛を言い訳にするなよ」

 昼の職員会議で決まったのだろう。通常通りの授業になってしまい憂鬱だった僕たちにハルちゃん先生はそう言った。もう帰りのホームルームも終わりだった。


「十四日か……」

 バレンタインデー。笠折さんが友チョコを渡そうとしている日。結局なかったことになっていないだろうか。僕たちのせいで創哉や穂波先輩に感謝の気持ちを伝えられないのは良くない。仕方なく、しかし少し嬉しいと思う卑怯な気持ちで笠折さんのクラスまで行った。もうホームルームは終わっていたようで、何人かの生徒がおしゃべりしているだけだった。


「あの、笠折さんってもう帰りましたか」

 入り口近くの席だった女子に声をかける。女子はいぶかし気に僕を見た。こんな奴同級生にいたっけ、という目にはもう慣れた。

「笠折なら先生に呼ばれてたよ。係の連絡みたいだったし、そんなに遅くならないと思うけど」

「そうなんだ」

 安心したような、残念なような。

「あの、笠折さんの席って――」

「あそこ。鞄置きっぱの」

「ありがとう」

 直接話す勇気は正直なかった。持ってきていたメモを机の上に置き、教えてくれた女子に一礼してそそくさと教室を出た。知らない女子と話すのは慣れない。須賀原さんは異例だったことがよく分かる。

「……読んでくれますように」


 メモには「友チョコどうしますか」とだけ書いていた。携帯に連絡は来なかったけれど、翌朝僕の机の上に「ちゃんと取りに行くので、後日集金を」とだけ書かれたメモが置かれていた。闇取引のようだと笑い安心したのと同時に、一緒に取りに行けないことが悲しくなった。それと、一緒に渡せないかもしれないことにも。

 もう一度「わかった。ありがとう」というメモを置きに行こうと思ったけれど、教室にいたので諦めた。


「――話したいな」


 言ってもしょうがないことを零してしまう。喧嘩は慣れない。笠折さんにむかつく気持ちを保ち続けることは難しい。

 自分のクラスに戻る前、一瞬視線を感じた気がした。振り向いたらいけない気がして振り向かなかった。あれは笠折さんだったのだろうか。それとも、あの女子だったのだろうか。分からないけれど、振り向かないよう足に力を入れて前へ進んだ。消えてしまわないよう辛うじて守っている、怒りの火を原動力に。





 あっという間に持久走大会の二日前になった。いや、前日だろうか。うたた寝しているうちに日付が変わってしまっていたらしい。土曜から日曜になった曖昧な深夜。月曜が持久走大会ってどうなんだろう。そう思ったが、期末試験が終わったあとで嬉しい気持ちのほうが強い。


 もう少しだけ読み進めようか。昨日買ったばかりの小説はまだ三割しか進んでいない。以前の僕と比べたらかなりハイペースな気もするけれど。


 その前に何か温かいものでもいれてこようか。冷蔵庫には砂糖の入ってない純ココアがある。作ったことはないけれど、多分美味しく飲めるだろう。栞を挟み、伸びをして椅子から立ち上がる。部屋を出る前に欠伸をしたら、突然携帯が震えた。


 ゆっくりと目を向けると、知らない番号が表示されていた。電話だ。いったい誰だろう。

「――」

 普通は出ないだろう。誰だって怖い。深夜に知らない番号からなんて。


 それでも僕は出た。

「もしもし」


「……さき、むら?」


 しばらく聞いていなかった声。今なのか、という言葉を呑み込んだ。


「そうだよ、笠折さん。こんばんは」


 どうして今、笠折さんは電話してくれたのだろう。

 沈黙が続いた。「こんばんは」の返事すら返してくれず、要件すら言わず。ただただ、長い沈黙が流れた。僕も何も言わなかった。




「……たの」


 何分経っただろう。ようやく何か言ったようだが、聞き取れない。笠折さんも分かっていたのだろう。少し声量が上がった。


「……私、あの人にかけようと思ってたの。家庭教師の時の番号、いつまで経っても消せなくて残してたの」

「……?」


「崎村の前後じゃないよ。間に櫂悟くんが登録されてる。それに、番号も全然違う」

「笠折さん? 落ち着いて、ゆっくり話して」


 堰を切ったように話してくれるけど、つまりどういうことか分からない。


「今日チョコを取りに行ったとき、一緒に買ったの。渡せるかもわからないものを。だから、渡すためにって。口実にして。電話しようと思ったの。かけてやろうと思って、夜の九時くらいには携帯と向き合っていた。でも、気がついたら日付が変わってしまってて、すっかり大迷惑な時間。どうしてかわかる?」


 それでも、笠折さんの声は変わらなかった。戸惑っていて、悲し気で、怒りを隠しきれていない珍しい声。


「……わからない」

 そう返すと、笠折さんは疲れたように笑った。

「崎村の顔が浮かんで、あなたにかけたくなったの」


 世界が止まった。

 そう感じるほど、薄い板と電波越しに届いた声が信じられなかった。だからつい、最低なことを言ってしまった。


「――それって、後押ししてほしいってこと?」

「違う!」

 笠折さんはすぐに鋭く、でも脆そうな響きで否定する。


「私、崎村が言ったことできてない。結局自己完結して終わった気に酔いしれてるだけだ。何も変わってない。でも!」

 まるで泣くのを堪えているような声だ。


「崎村と話せなくなったことが、ひどいこと言われたまま何も言い返せていないことが、あの時間を失うことが、嫌なんだ」

 そして、とても真剣で強い意志が込められた声音だった。


「崎村にも私にもいっぱいむかついたし、あの人にもようやくむかついた。でも好きだった過去は変えられない。まだちょっと残ってる。正直、忘れられる気なんてしないよ」



「――それでも」


「幸せに、なりたい」


「崎村と、みんなと、幸せになりたい」

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