チョコレートと失恋と冬の夜の海②
結果として、次の日もその次の日も、僕は笠折さんから話を聞くことはできなかった。昼休みや放課後に二人でいる時間をとれたけど、笠折さんは何度か口を開こうとしてやっぱり閉じてしまうことを繰り返していた。まだ決心がついていないみたいだ。僕はその度に何も言わず、ただ微笑んでいたけれど逆効果になっていないだろうか。コミュニケーション初心者なのは僕も同じだから、何が正解か分からない。ただただ、静かな時間が流れたまま平日が終わってしまった。
日曜日が終わり月曜日になっても笠折さんに変化はなかった。何か言いたげに僕を見るが、言えないまま視線を落としてしまう。創哉と三人でいる時は会話が成り立つが、僕といる時は変な緊張感が漂ってしまう。お互い時間が必要だろうと創哉は言っていたけれど、このまま待っているだけでいいのだろうか。休日に読み進めた小説ではテンポよく関係が進んでいったのに。さすがにあっという間すぎる気がしたけれど、僕には書けない軽快な心地よさがあった。そんな風に、僕たちの関係は進まない。分からないまま、また金曜日の放課後になっていた。
「おーい崎村」
また今日も国語科準備室に行こう、といそいそ鞄に教科書を詰めているとハルちゃん先生に声をかけられた。
「今から笠折のとこに行くのか?」
「はい、そのつもりです」
「だったら、今日は二人でくれない書房まで行ってくれないか。本当なら俺が持って行く予定だった急ぎの本があるんだが、職員会議が入ってしまってな――申し訳ないがお願いしたい。笠折にもよろしく言っておいてくれ。本は準備室にあるから」
ハルちゃん先生はそれだけ言うと急いで教室を出てしまった。ハルちゃん先生が持って行く予定だったということは、車じゃないと厳しい量なのかもしれない。それか、高級な本か――どちらにせよ、今日もゆっくり話せなさそうだ。
「笠折さん」
国語化準備室に行くと笠折さんはもう来ていた。机の上には大きな紙袋が三つ。なるほど、確かにこれは一人じゃ無理だ。
「……なるほど。では、十分ほど待ってください。この修復だけ終わらせたら行きましょう」
笠折さんはそう言うと本に視線を戻した。僕も持って行く本を分散させよう。国語科準備室にいくつか紙袋があったはず。
「……あの」
笠折さんが控えめに声を出した。どうしたの、と振り返ると笠折さんはすでに修復作業を終えていた。こちらは見ず、視線は本に向けられたままだ。
「……須賀原さんの件は、もう大丈夫ですか」
須賀原さん? 思わず目を瞬かせてしまう。
「あれから何もないよ。廊下ですれ違うことはあったけど、笑顔で手を振られるくらい……」
正直に言うと、笠折さんはうつむいた。
「なら、よかったです」
「……もしかして、笠折さんに何か絡んできたりとか?」
「いいえ、そういうのはまったく。ただ、二学期の様子が異常だったので、あの件で本当に片付いたのか不安だったので……」
「あはは、虫に厄介な虫がーって言ってたもんね」
「忘れてください……」
心底嫌そうに笠折さんは言った。よかった、少しだけどいつも通りになってきている。
本を移し終え、なんとか僕でも両手で持てる重さに分けることができた。一人二袋ずつ持ち、学校を出て駅へ向かう。元町駅までの電車は今日もガラガラだった。流れゆく景色を見ながら、僕たちはたわいもない話をした。
持久走大会まであと少しだね。
それが終わったらあとは期末試験ですね。
次のテストで二年時のクラス分けがあるもんね。頑張らないと。
そう考えると二月って、とても忙しいですね。
そうだね。もう一月も終わるし――。
「あ、ついたね」
停車前のアナウンスが流れる。気づくともう元町駅についていた。楽しい時間ほどあっという間に過ぎていく。名残惜しいけど諦めて降りよう――としたけれど、笠折さんが立ち上がろうとする気配がなかった。
「笠折さん?」
やっぱり体調が悪いのだろうか。そう思って声をかけるとハッとしたように顔を上げて僕を見た。
「すみません」
慌てて立ち上がる。ぼうっとするなんて珍しい。忘れ物はないか座席をよく確認して僕たちは電車から降りた。元町駅は年末年始よりは人が少なかったが、それでも賑わっているように見えた。クリスマスの時とは違う赤系統の広告がよく目に入る。何かあったっけ――。
くれない書房も何だか忙しそうだった。裏口から入り、頼まれていた本を渡すとすぐに加瀬さんは戻っていった――と思ったらひょっと顔を出した。
「あ、二人とも。あと二時間くらいしたら送ってやれるがどうする? 自分たちで帰るか?」
笠折さんと顔を見あわせる。時間をつぶせるところはたくさんあるし、二時間くらいなら何とかなる。それに送ってもらえると電車賃的には助かる――時間つぶしで消える金額のほうが多いかもしれないが。
「私はいいですよ」
「僕も大丈夫です。よろしくお願いします」
「おっけ。じゃあまた後でな」
今度こそ加瀬さんは店に戻った。
「……本当に良かった?」
「そんなに確認取らなくても大丈夫ですよ」
笠折さんは何でもないように答えた。でもいつもと少し違うっぽい。
まさかの放課後デート二回目だが、驚くほどノープランだ。帰る頃には夕飯時だろうから、あまりカフェやファミレスで駄弁るわけにもいかない。
どうしようかと悩んでいると控えめな笠折さんの声が耳に届いた。
「とりあえず駅周辺を冷やかしませんか」
もちろん僕はオーケーした。
元町駅ではなく大きな駅のほうへ向かう。繁華街のアーケードを雑踏に流されながら歩いていれば想像しているよりもすぐそこだった。電車で百三十円の距離も歩いていればあっというま。お互い浮いた百三十円で温かい自販機ドリンクだって買えてしまう。二人でなら本当にあっというまだ。
笠折さんの提案した冷やかしスポットは駅に入っている百貨店だった。さっき元町駅でも見た赤色の広告がここにもある。遠くて見えなかった白の横文字が今なら読める。これは――。
「バレン、タイン……」
現在進行形で恋愛に浮かれている僕なのにすっかり忘れていた。
広告はストレートに、二月にはビッグラブイベントがあるんだよと、この前の九月一日まで恋を知らなかった僕に告げてきた。
「チョコレートを見たくて。私、料理が苦手なので買うことしか」
思考が停止していた僕を呼び戻したのはいつも通りな笠折さんの声だった。
「かかか笠折さん冷かすってバレンタインのチョコだったのというか笠折さん料理苦手だったんだね大丈夫料理が苦手なことは欠点じゃないよ僕も得意じゃないけど一緒に上達すればいいんだしじゃなくていったい誰にチョコを」
「一息で言わない」
呆れたように笠折さんは僕を見る。
「言っておきますけど、崎村の思っていることじゃないですよ。やりたいことがありまして」
「やりたいこと……?」
なんだろう。わからない。
少し楽しそうに、笠折さんは拳をギュッと握って僕を見た。
「友チョコですよ」
海外のバレンタインデーは男性から女性に渡すらしい。だから世間がもっとグローバルになれば、笠折さんから離れて一人チョコを見ている男子高校生を二度見しなくてよくなるだろう。けれど、冷かすと言っておきながら真剣にチョコを選び始めている笠折さんからそっと離れたのは正解だった。どうにも表しにくい感情が生まれ続けるから。
「友チョコ、ね……」
渡す相手として創哉が挙がっていた。あとお世話になったからと穂波先輩。穂波先輩と笠折さんは友好的な関係を結んでいるらしい。初耳だった。
一応僕への友チョコがあるのかもしれない。さっきは挙がらなかったけれど。義理チョコ枠ではないと信じたい。義理のチョコに悪いイメージを持ちたくないが、友よりは遠く感じてしまう。はっ、まさか本命――。
「崎村」
「はい!」
急に名前を呼ばれて思わず大きい声を出してしまう。さっきから感じていた視線が三倍ほど強くなった。
「これ、どうですか」
笠折さんに鞄を引っ張られて連れていかれたのは少し高いけれど確実に美味しい有名チョコレートブランドの店。その中のポップな六個入りチョコセットを指差していた。
「……いいんじゃない?」
「真剣に考えてください。二人で買うんですよ」
「え?」
「ん?」
思わず声が漏れてしまった。二人で、買う?
「私たち二人で渡すんですよ。そのほうがサプライズ感出ますし、二人にはたくさんお世話になりましたし、お友達って感じがしますし」
いつもより明るいトーンでどんどん紡がれる響きに、思わず瞬きしてしまった。それから、表情に出にくい笠折さんの分まで、僕の顔は綻ぶ。断る理由なんてどこにあるんだろうか。立ち会えた僕はとてもとてもとても、幸せ者だ。
「……よし、二人を驚かせるチョコを探そう」
「はい、探しましょう」
僕たちの声は弾んだ。
真剣に選ぶ恋する乙女。付き合いでそれなりのを選ぶOL。僕たちはそんな彼女たちからは浮いていたけれど、売り場で一番輝いていた。少なくとも笠折さんは。




