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あかねさす 〜僕が本の精霊を幸せにするために〜  作者: 迎 カズ紀
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
11/17

チョコレートと失恋と冬の夜の海①

 あけましておめでとう、という自然にメールを送れる絶好の時期も過ぎた。


 一度も笠折さんから連絡がないまま、三学期を迎えた。冬休みの課題を提出し終えると、ハルちゃん先生から二月のはじめにある持久走大会の説明があった。どうやら学年団の先生たちで「まあうちのクラスが一番だけどな」論争が起こったらしい。国語の先生なのにこうした行事ごとには血気盛んなハルちゃん先生を見て、クラスの空気は苦笑い半分、頑張ってあげようじゃないかという気持ちが半分というところだ。ちなみに持久走大会は一、二年合同で行うため二年生の先生方も血気盛んという訳である。ちょっと恐ろしい。

 そんな新学期初日の熱気に中てられながら、僕は笠折さんのことと原稿の締め切りを考えていた。


「崎村」

 教室を出ると穂波先輩が立っていた。また手にはご当地ストラップが握られている。前回もそうだったし、先輩はお土産用の袋に入れない主義なのだろう。

「去年はまあいろいろとあったが、原稿の調子はどうだ?」

「ええ、まあ……ほんとにいろいろと……」

 そういえばお礼を言えていなかった。頭を下げると「それより進捗はどうなんだ」と返された。

 締め切りは来週だ。あれからスランプと上手く向き合えたが、まだ完成していない。


 ひねくれた、寂しい話は迷走を続けている。

 浮かない顔をした僕を見て、穂波先輩は苦笑を浮かべる。

「崎村の『書きたい』の源泉がどこにあるのか知らないが、それだけは見失うなよ」

 あの時と同じアドバイスをして、穂波先輩は行ってしまった。ご当地ストラップはまたリンゴだった。



「……あ」

 次の日の体育で笠折さんをようやく拝めた。昨日の始業式では見つけることができなかったから、今年初めての笠折さんだ。

「笠折さん!」

 気持ちが高揚して寒さとは無縁の心地になる。

 でも笠折さんは僕の声に気づくと、浅く頭を下げるだけですぐにクラスの列に向かってしまった、確かに、授業開始直前に声をかけたのは悪かったけれど。いつもよりもよそよそしく思えてしまった。

 体調でも悪いのだろうか。大丈夫かな。

 そんなことを考えながらひいひい走り終え学校に戻ると、いつものように創哉と話している笠折さんを見つけた。


「笠折、さん、創哉」

 息も絶え絶えに声をかける――と、笠折さんはそそくさと向うへ行ってしまった。どうして。

「何? 避けられてんの?」

「考えたくないがそうみたいだ……」

 がっくりと肩を落とす。お友達として距離は近づいていたはずなのに、また随分遠くなってしまった。

「創哉はさっき何を話していたんだ?」

「普通聞く?」

 呆れたように創哉が笑う。プライバシーなんて知るものか。少しでも笠折さんを感じたい。

「……何でもない世間話だよ。で、その世間話からアドバイスするけど――脱稿するまで会いに行くのはやめろ」

「は?」

 何を言ってるんだ。僕の辞書に「押してダメなら引いてみろ」は載ってない。

 睨むように創哉を見ると、いつの間にか真面目な顔になっていた。

「たぶんどっちも時間が必要なんだよ。時間だけで解決するとは思えないけど」



「……原稿に向き合うって言ってもなあ」

 笠折さんに会いに行けない今、国語科準備室で手伝うことも、バッタリ会う恐れのある場所を訪れることもできないので家に帰り小説を書くことしかできない。宿題は当然だけど。

 家族共用のデスクトップパソコンを立ち上げ、USBを差し込む。いつもは作業BGMとして波の音を流しているけれど、何となくそんな気分になれない。書きかけの小説を開く。卒業シーズンを意識しているとはいえ、明るいとは言い難い話だ。


 寂しい話を書くんだね。


 寂しいのかな。


「……いいや、指に任せよう」

 緻密にプロットを立てる穂波先輩やある程度の構成を考えて調整していく創哉と異なり、僕は指に――登場人物に任せてタイピングを続けていくタイプの作家だ。僕の無意識が「寂しい」のなら、それを信じよう。それで、次の話は――。

 頭の中で海を作り、静かに指を躍らせる。軽快なブラインドタッチの音だけが部屋で響いた。



「……ああ、確かに原稿を受け取った」

 部室のパソコンにデータを移し、穂波先輩からオーケーを貰った。提出をすると、あとは製本作業を待つだけだから、僕が今日することはもうない。

「印刷質の使用許可は来週だ。掲載順等を決めるのは編集係がするから、今回はいい。四月号の時にはよろしく頼むがな」

「了解しました。とういうことは、今日はもう……」

「ああ、お疲れさん。次の締め切りが三月ってこと、忘れるなよ」

 ひらひらと雑に手を振られる。許可を貰ったし、他の先輩方に挨拶をして部室を飛び出した。


 二号棟四階は日当たりが悪く、しんと冷えた空気に包まれていた。ゆっくりと国語化準備室を目指す。勢い余って攻撃的にならないよう慎重に三回ノックをすると、聴きたかった懐かしい声が返ってきた。

「どうぞ」

 入室を許されて中に入ると、いつもの場所に笠折さんは座っていて、修復作業の手を止めてこちらを見ていた。換気のために窓は開けられていて、冬の潮風でカーテンがはためいている。

「原稿、お疲れ様です」

「ありがとう。笠折さんに読んでもらうのが楽しみで頑張ったよ」

「そこは卒業する先輩方って言いましょうよ」

「接点のない三年生よりは笠折さんだよ」

「まったく……」


 いつもと同じようなやりとり。笠折さんは呆れた声で、僕は喜色をにじませて。それでも冷えた寒い部屋だからか、ほんの少し重たい何かがあった。

「そういや持久走大会、何位を目指してるの?」

「運動部にはかないませんからね……それでも、三十位以内は目指してます」

「お、すごいね……僕は八十、かなあ」

「百って言わなかっただけいいと思いますよ。実際に入れるかは別ですが」

「辛らつだなあ」

 苦笑を浮かべると笠折さんはふっと暗い顔をした。すぐに取り繕うように咳払いをしたが、僕は見逃さなかった。

「笠折さん、もしかして風邪気味だったりする? 窓閉めようか?」

「…‥いえ、大丈夫です」

 目をパチパチさせたあと、不思議そうに呟いた。

「どうしてそんなに気遣ってくれるの?」

「……?」


 心配することって当たり前の事じゃないかな。ましてや相手が、大切な人なら。

 声には出さなかったけど視線から感じ取ったのか、笠折さんはすみませんと小さく呟いた。

「親とか、直くんとか、櫂悟くんとか――私より大人の人たちから心配されることが私にとっての普通で、同年代の人から心配されたり気遣ってくれたりってことは何だか変な感じがするんです」

「……笠折さん」

「小学生のころまではあったのかもしれない。けれども、してもらったことよりもしたことのほうが覚えてるって言いますし、あまり覚えてないです。中学からは――」

 笠折さんは目を伏せた。

「直くんたちより若い人で私を気にかけてくれたのは、初恋の人だけでした。その人も、私より大人だったんですが――ごめん、喋りすぎたね。嫌な気分にさせてごめんなさい」

「笠折さん」


 二回目のごめんを遮るように名前を呼ぶ。笠折さんは肩を震わせた。

「僕は笠折さんを大切に思っている。だから些細な変化に気づきたいと思うし、知りたいと思っている。それに――」

「……それに?」

「きっと創哉も気づくし言うと思うよ。友達だからね」

「……そうですね。私が気づいてこなかっただけかもしれません」

 情けなく笑った僕を見て、笠折さんは困ったように目を細めた。


「……崎村」

 笠折さんが僕の名前を呼んだ。その眼は不安げで、今にもくずれてしまいそうで、それでも強い意志を宿しているように見えた。

「今日こそは、と思っていたけれどまだ駄目だったみたい。また明日、話したいことがあるんだ」

「……うん、わかった」

 本当はいつでも大丈夫だからと言いたかった。いつまでも待つと言ってみせたかった。でもそれは、笠折さんの決意を否定してしまう。

「また明日ね」

 そう声をかけるとまた笠折さんは目を細めた。でも今度は、眩しそうに。

「また、明日」


 早く明日が来てほしいと思った。同時に来ないでほしいとも、思ってしまった。

 まだ、踏み込ませてはくれない。中学生の時のことを、いつか話してくれるだろうか。笠折さんの初恋の人のことを知るのは怖いけれど、お友達としていつか話してほしいと思っていた。


 恋をしているとき。好きな人がいたとき。その時が、その日々が、おそらく人生で、一番幸せで一番眩しい時だった。だからもう、幸せを感じるときなんて来ないよ。


 そう言った笠折さんを幸せにしたいと思った。心の底から思った。二度目だとしても、最後まで続く幸せの日々を一緒に過ごしたい。


 そのために僕がしていることは間違っているのだろうか。笠折さんにとって本当にいいことなのだろうか。


 久しぶりに一対一で話したからか、僕から去年のような愚直さは消えていた。それとも、笠折さんのほうが――?

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