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冒険者は破産するもの

作者: 小宮地千々

 八割。

 これが何を意味する数字かお分かりになるだろうか。

 銅から銀への昇級試験の合格率? それともはじめての遠征依頼の達成率? あるいは男が二人女が一人のパーティの解散率?

 正解は、引退から二年以内に破産か困窮状態に陥る冒険者の割合である。

 我が身と腕一つだけを頼りに、その多くが成人前後から世の大多数の人々とは全く異なる世界に身を置いてきた冒険者。

 今世の英雄、新しい騎士たち、そう世に称えられる彼らもやがて武器を置き、鎧を脱いで引退する時がやってくる。

 あるものはそれまでの稼ぎを元手に商売をはじめ、あるものは故郷へ帰り畑を買い、また少数の幸運なものは組合に席を得て今度は冒険者を管理する側へと回る。

 けれどそんな穏やかで堅実な暮らしに適応するのは容易なことではない。

 それくらいに心を蝕む『毒』が、彼らが青春をかけた冒険の日々にはある。

 惚れ込んだ一品のために財布の中身を全てつぎ込んだ日、翌日からの宿代を稼ぐために潜る迷宮は引退後の生活にはない。

 市場にひと月を遊んで暮らせる希少品が転がっていることもない。

 畑の作物を金に換えるには収穫を待たなければならないし、羨望と賞賛を浴びるような成功の機会もそうそうない。

 それらはすべて娑婆では当たり前のことだが、元冒険者の多くはそう言ったことを理解できない、仮に聞かされたとしても自分には関係ないと思ってしまう――冒険者(トクベツ)の中の成功を勝ち取った少数(トクベツ)であるがゆえに。

 より悲劇的なのは、そうして困窮に陥るものでさえも当人たちの認識通り、貯蓄を作り冒険者を引退できたまだしも()()な部類であるということだ。

 そうでない者たちは引退などできない。

 文字通りの意味で、死ぬまで。

 とにかく生き死に関わらず、どんな美しい音楽にもやがて沈黙があるように、壮大な英雄叙事詩にも結びの言葉があるように、冒険者という夢のような時間にもまた終わりは必ず訪れる。

 野望と挫折、興奮と危険が隣りあわせの冒険から若者だったものたちはいつか放り出されるのだ。

 けれど「その時」に自ら備えられるものは、残念なことにほとんどいない。

 現役中には成り上がりだ英雄だと成功をもてはやす者たちも「その後」については言及することもなく、引退後にそれまで同様の敬意をはらうことは少ない。

 こうして引退後の冒険者の多くは「こんなはずではなかった」と失意を抱きながら路頭に迷い、さびついた体で「無謀な」と頭につく冒険に再出発するか、さもなくば悪事に手を染めて牢に繋がれることになる――

 輝かしい成功を掴んだはずの、夢から覚めたあとに。


「――というわけで、そう言ったことにならないよう初心者講習を終えたばかりの皆様にも冒険者を辞めた後の人生がいかに長く困難であるか、ということをご理解いただき、備えるために今日は私どもが話をさせていただくわけであります」

「やー、会場冷えっ冷えで笑いも出ないっスわ」

 講壇に立っている若い男は、つい先ほどまで夢と希望に瞳を輝かせていた若人たちが苦々しい表情になっているのを見てつぶやいた。

 一方その空気を作り出した中年男はそれに気づいた風もなく、あるいは意図的に無視をして言葉を続ける。

「もし今の話を聞いて失望した方がいらっしゃいましたら、そんな方にこそ今からの講習に真剣に耳を傾けていただきたい。そうやって自分の未来を考えられる冒険者こそが成功し、同時に冒険生活での毒によって破綻するという案件が非常に多いからです……はい、そちらの方、なにか?」

 あらくれ揃いの冒険者にも、駆け出しのころはまだ娑婆っ気が残る者もいる。

 行儀よく挙手で発言の許可を求めた青年に中年男は掌を向けて起立を促した。

「お話は分かりましたが、しかし、騎士団長になったシンプサンのような例もあるでしょう? 全員が全員破滅するわけではないのでは?」

「ええ勿論、初めに申し上げました通り引退から二年以内で暮らしが破綻するのは『八割』です、引退者の全てではありません。名前のあがった『大カケスの』シンプサンは引退後ある騎士団に剣術指南役として招聘され、当時の団長に気に入られて、その後を継ぐことになりました」

 引退後の暮らしでさらに成り上がる、これぞ冒険者という逸話にひよっこたちの目に光が戻る。

 けれどそれが上げて落とす中年男のいつもの手口だと知る若い男は、聴衆に気づかれぬよう静かにため息をついた。

「ですが残念なことに二年を乗り切った二割の全員がその後も順調なわけではありません――醜聞なのであまり知られていませんが、現在シンプサンは獄中にいます。罪状は殺人、浪費癖がある愛人との別れ話がもつれた結果の刺殺事件でした」

 おおう、と失望と困惑のため息で会場がどよめく。

 特に発言者の青年はよほどシンプサンに思い入れがあったのか、自失の表情で口をパクパクとさせていた。

「じゃあ二十歳で引退した『若き』ヴァンサンは? 王都に大邸宅を買ったって」

「――うげ」

 また別の者が上げた名前に、若い男は顔をひきつらせる。

「一年弱で破産して屋敷はとっくに手放していますね。その後に寸借詐欺をやらかして捕まりました、ちなみに本日の講師として来ていただいてるそこの彼です」

「……どうも、ご紹介にあずかりましたヴァンサンです。詳しくはあとでお話しさせていただきますが、やー、辛いっス」

 軽く肩を竦めて言ったものの若い男――ヴァンサンは一斉に集まる視線に内心血を吐きそうな思いだった。

 金等級への最短昇格記録を作った『若き』ヴァンサン、『驚異の』ヴァンサン、『疾風』ヴァンサン――それらの異名は全て過去になった。

 どころかこうして晒し者になるための「フリ」に使われる始末だ、血を流しながら成功を求めて戦った日々はいったい何だったのか。

 そう思う一方で、それでも自分はまだ幸運なのだということも理解できていた。

 同時代の著名な引退組で、真っ当に暮らしている者がどれだけいるものか。

 こうして職があり、三食食えてそれなりの服を着て屋根のある暮らしが出来て、同じような過ちを犯さないよう後進の役にも立てるとくれば、自分の境遇はマシどころかむしろ上等な部類だろう。

「せっかくですから他にも聞いておきたい名前があればどうぞ。お答えできる範囲での回答になりますが、皆さんもご存じの高名な冒険者のその後を聞けば、これからする講習にも身が入るでしょう」

 それがこのオッサンの飯のタネにもなっているのは少々業腹だが、とヴァンサンは中年男に胡乱な視線を向ける。

 しかし聴衆のひよっこたちは、男の狙い通りに前のめりになりつつあった。

「『ノミの』レイ」

「現役時代に懇意にしていた商家に婿入りしましたが、妻への暴力で半年で離縁されました。現在は冒険者に復帰していますが、以前ほどの活躍はありません」

 次々と上がる手に、男は手元の資料に目をやるでもなくよどみなく答えていく。

「『ハゲワシ』ジャンは?」

「パーティの仲間と結婚して引退、定食屋を三年続けましたが去年妻を殺害したのちに自殺。商売がうまくいかず借金に苦しんでのことだったそうです」

「『恩寵の』ケイル」

「法衣貴族に嫁ぎましたが、放蕩がたたって二年を待たずに離縁。店名までは上げられませんが今は王都の高級娼館に籍を置いています」

「まじで!?」

 異名とは裏腹に人格者で知られた男の末路には誰もが言葉を失い、憧れる者が多かっただろう美貌の女性冒険者の現状では一人の男が女性陣の白眼視を呼んだ。

「じ、じゃあ『孤独の』フェルナンドとか……」

「十年も前から裏の組織とつながって殺人を犯していたのが発覚して逮捕。余罪の取り調べが続いていましたが、先日獄中で自殺しました。他にありますか? というかなぜか極端な例ばっかり上がりましたが、大多数はもっと穏やかな破産で路頭に迷ったり、ちゃちな盗みで捕まるくらいですから、安心してください」

「……どこに安心できる要素が?」

 誰かのつぶやきに、ヴァンサンを含めた全員がそれなと小さく頷いた。



 輝かしい船出の日になるはずだった初心者講習最終日に、高い確率で訪れる未来の破滅を知らされた駆け出し冒険者たちは皆一様に昏い瞳で帰途についた。

 がらんとなった会場――冒険者組合の一室で、二人はどちらからともなく深々と息を吐く

「――お疲れさん、名調子だったじゃないかヴァンサン」

「そりゃもういい加減イヤってくらい繰り返した話っスからね、どういえば連中に響くかなんてのもなんとなく分かってきましたよ」

 駆け出し冒険者が抱く夢なんて大体は叶わないことのほうが多いのだとはヴァンサンも理解している。

 一人前とされる銀等級にさえ全員がなれるわけではないし、成功後なんて語るまでもなく商売道具の武器鎧を借金のカタにとられて廃業に追い込まれることもある。

 だからと言って、好き好んで人の――それもまだ子供と言っていい連中の夢にケチをつけて愉快であるはずもない。

 しかし。

「ヴァンサン、お前まぁだ素面で夢を語れるのが幸せだ、なんて思ってるんじゃないだろうな?」

「――別に、そんなんじゃねっスよ」

「冒険者の夢なんてもんはな、寝てる時に見るか、年食って忘れたころに酒の席でぽろっと漏らす、それくらいでいいんだよ」

「はぁ……」

 物静かな、思慮深そうなそれまでの姿勢が嘘のように乱暴な口調で吐き捨てて、後ろに撫でつけていた髪を崩すと中年男は懐から紙巻きタバコを取り出した。

「デカイことなんざ考えねえで、目の前の冒険をこなして生きていく、それが冒険者の現実ってもんだ」

「そういうもんっスかね……ダンナ、ここ禁煙っスよ」

 ぱちりと鳴らした指先に小さな火種を浮かべてタバコをくゆらせた中年男は、首を竦めたあとに手ぶりで黙っていろとヴァンサンに促した。

「一応俺ぁ止めやしたからね、一人で怒られて下さいよ」

「は、『疾風』ヴァンサンが細かいことを気にするようになったもんだ」

「マリーちゃんクッソ怖いんスよ……なんスかあの圧、カタギの受付嬢じゃないっしょ、もとはどこのパーティっスか」

 指を折って「轟天」か「先行くもの」かと考え込むヴァンサンに、中年男はニヤリと壮絶に人の悪い笑みを浮かべた。

「知りたいか? ――『第三の暁』だ」

「はぁ? あっこ(第三の暁)に女なんて……まさか仮面の勇――ごほげほっ!」

「おっとそこまでだ、詮索好きのおしゃべり男はモテねえぞ」

「ッ、この野郎手前から教えといて……! ごほっ」

「最初に聞いたのはお前さんだろうよ」

 顔に吹きかけられた煙に涙目のヴァンサンの抗議もどこ吹く風で、中年男は呵々と笑う。

 悪態をつきながらせき込み、目を瞬かせてなんとか調子を整えたヴァンサンはわざとらしく手を振って煙を払いながら再度問うた。

「……チッ、それで今日の連中はちったぁお利口さんになったんスかね」

「さぁな」

「さぁな、ってンな無責任な……」

「お前よ、連中がいっちょ前に稼ぐようになって引退するなんて何年先のことだと思ってんだ。ほとんどの連中の耳にゃさっきの間に右から左、今日はしおらしく聞いてた奴だっていざダンジョンに潜りはじめりゃ忘れっちまうだろうよ」

 冒険者の生態からすればもっともな話だが、それではいったい何のために話をしたのか。

 苦々しい顔のヴァンサンの背を乱暴に叩きながら中年男は楽しそうに続ける。

「こういうのはな、地道が一番なんだよ。連中が一山当てるころにまた声をかける、そうやってりゃその内に『これでいいのか』って不安になったときに組合へ相談する奴も出てくる、そいつが引退後にうまくいきゃ今度は成功談として紹介できる――だから手前もシャキっとしろよ、『若き』ヴァンサン」

 まぁだ老け込む年じゃねえだろう、と笑う中年男のよく考えてるんだか、適当なんだか分からない調子にヴァンサンはため息をつく。

「……ところでダンナ、質問にゃあがらなかったっスけど『輝く』ディオンは今どうしてんスかね」

「あぁ? 今は組合から下請けの仕事をもらって地味に後進の育成中よ、綺麗な嫁さん貰って可愛い娘もいてまさに人生の絶頂ってやつだな」

「はぁ、そりゃあおめでたい話で」

 伝説にも等しい白金等級、ヴァンサンの世代なら知っていて当然な冒険者の象徴(イコン)ともいうべき存在だった(ディオン)は、竜殺しの名誉も十年以上を経てなお破られぬ自身の迷宮最多踏破記録も忘れたように、愛娘の記録幻影を取り出して胸を張る。

「ほれみろ、このアリアナ()の笑顔を。可愛い上に歌も上手くってなあ、末は王都の劇場で歌姫になっちまうかもな」

「へぇへぇ、そりゃあ楽しみっスね」

「手ェ出すなよ」

「いや、アリアナちゃんまだ四つでしょうよ……」

 この親馬鹿どころか馬鹿親っぷりを見て、かつての英雄と結びつけられるものがどれだけいようか。

「おっと俺はそろそろあがりだ、家で愛しい嫁と娘が帰りを待ってるからな」

「ハイハイおつかれっしたー」

 内心うぜえと思いつつ口には出さないのが互いの為だ、自分で家庭というものがいかに素晴らしいかと長話しておいて、帰りが遅くなったとキレられる理不尽は二度も味わいたいものではない。

「お前も早く借金返して真人間になれよ、ヴァンサン」

「……っス」

 大きなお世話だと顔に書きながら、にやけ面の中年を見送ったヴァンサンはそれでもその帰路へ向かう軽やかな足取りが全く羨ましくないとは思えなかった。

 ヒリつくような危険の中へ舞い戻る覚悟は一度成功の味を覚え、なまってしまった自分には、ない。

 ならば上等な部類だ、などと現状に甘んじるのはやめて、新たな道でまた己の人生を輝かせるすべを探すべきではないのか。

 ――とりあえず、マリーちゃんでも飯に誘ってみるかね。

 先の話が本当ならディオンと同じ引退後も身を崩さなかった元ご同業だ、参考にさせてもらいたいという口実はつけられる。

 そうと決まればと髪を撫でつけシャツの皴をただしてヴァンサンは席を立つ。

 今だ二十の半ばを過ぎた彼はまだ若く、これからの人生は果てしなく長い。

「これもまた冒険、ってね」

 うそぶくヴァンサンの目には、講習を受ける前のひよっこたちのような野望を抱いた光が宿っていた。

なお誘いは断られる模様。

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