百武中将の決断
第十七軍参謀長宮崎周一少将、同高級参謀小沼治夫大佐、第八方面軍参謀井本熊男中佐、同佐藤忠彦少佐の四名は粗末な参謀長幕舎内に対座しました。井本中佐が説明をはじめます。その内容はガ島に対する軍中央の判断、第十七軍に対する命令、撤退計画要領、勅語、作戦実施上の課題などです。説明を聞く第十七軍の宮崎少将と小沼大佐は、途中で何度も身を乗りだし、唇をかみしめ、キッとにらみつけ、拳を握ってはふるわせ、モノ言いたげな表情を頻繁に見せました。よほど鬱憤がたまっている様子です。ですが、最後まで我慢して聞いてくれました。井本中佐が話し終えると、果たして激しい反論が飛んできました。
「大命による方面軍命令に背くわけではないが、これは実行不可能である。この戦況下でどうして撤退ができるのか」
宮崎少将が声を荒げると、小沼大佐もこれに和しました。
「おそい。おそすぎる。第十七軍はすでに最期の段階に立ち至っておるのだ。第一線将兵も軍司令官も、もはや斬り込み玉砕の覚悟を決めている。それ以外に取り得る方策はない。撤退などは思いもよらぬことである。戦況の実相、軍の実情からして不可能である。みな飢えておるのだ。陣地に立て籠もって銃を撃つことはできても機動はできぬ。機動できぬのにどうやって撤退するのか。仮にできるとしよう。その場合、身動きできぬまでに衰弱した将兵をどうする。置き捨てるのか。キサマが引導を渡してくれるわけでもあるまい。置き去りにされる方も、する方も心を殺さねばならぬ。地獄の苦しみだ。もう充分に苦しんでおるのだ。これ以上、苦しめるのか。撤退ができたとしよう。それでどうなる。撤退できたとしても、わが軍将兵は満身創痍の生きた骸だ。お国の役には立たぬ。撤退したところで意味はない。ならば軍司令官以下、全将兵敵陣に斬り込んで討ち死にし、皇軍はかくあるべしという無言の師表を示す方が国家のためにどれほど良いかわからぬ」
かわって宮崎少将が言います。
「それが武士の情けというものだ。身動きできぬ者を置き去りにできるか。わかるだろう。方面軍、海軍、大本営、国民には心から感謝している。だが、これはわがままではない。いや、わがままかも知れぬが、許してほしい」
井本中佐は反論しませんでした。むしろ同情しました。自分がもし第十七軍司令部の幕僚であったなら、もっと激しい言葉で命令伝達者を面罵したにちがいありません。しかし、いまここで議論を戦わせることには意味がありません。井本中佐は、滝に打たれるように、宮崎少将と小沼大佐の言葉を聞き続けました。ただ、命令伝達者としての立場だけは堅持し、同じ言葉を繰り返しました。
「お言葉はごもっともです。充分に了解できます。しかし、大命に基づくこの方面軍命令に従って、新たな企図の実行に全力を尽くさねばなりません。それがどうしても不可能な場合において、玉砕のご決断をくだされても遅くはないと思います」
冷静な井本中佐に対し、宮崎少将と小沼大佐はますます激昂して言い放ちます。
「黙れ、井本、わかったようなことを言うな。そもそも我が軍は後続部隊の来援があると信じていたのだ。だからこそ今日まで食うものも食わずに粘ってきたのだ。最前線部隊からは何度も玉砕したいという意見具申がとどいている。そのたびにこれを止め、後続部隊のために拠点を確保せよと命じてきたのだ。それをいまさら撤退だというのか」
「それが大命であります」
「黙れ。たとえ大命であっても、お説ごもっともでございます、などと言える状況ではない。井本、忘れたとは言わせんぞ。わが司令部はこれまでに何十回、何百回と補給要請電をラバウルに発してきたが、いったいどれだけの物資がとどいたか。雀の涙ほども届いておらん。キサマも第八方面軍司令部にいたのだから知っておるはずだ」
井本中佐は明け方まで延々と宮崎少将と小沼大佐の憤懣を聞き続けました。
井本熊男中佐が第十七軍司令官百武晴吉中将に命令伝達できたのは朝です。百武中将は、大樹の根元にできた大きな洞窟内にいました。井本中佐が方面軍の撤退命令を伝達し、諸般の事情を説明し、勅語を伝達し、第八方面軍司令官今村中将の伝言を口頭説明して親書を手渡すまでのあいだ、百武中将はじっと瞑目していました。すべての伝達が終わると、百武中将は目を開いて言いました。
「ご連絡の事項はすべて承った。事は重大であるので、しばらく考慮いたしたい。後刻、回答するのでそのあいだ待機しておれ」
井本中佐は退出して宮崎少将のいる小屋に戻りました。雑談になりました。
「井本中佐、先ほどは激してすまなかった。君を責めても仕方がないのはわかっているが、あれが偽りのない第十七軍将兵の心情だ」
「お気になさらないでください。私とて立場が入れ替われば同じことを言うと思います」
「しかし、この撤退作戦は本当に成功するのか。オレにはそうは思えぬ。うまくいっても半数は死ぬのではないか」
「正直に申します。第八方面軍司令部で何度も兵棋を繰り返しました。何度やっても損害は出ます。半数あるいは三分の二が死ぬかも知れません。海軍の方も、うまくいって三割が撤退できれば良い方だとみています。海軍は駆逐艦六隻を沈める覚悟です。一隻あたり二百名の乗員がいるとして、千二百名が海に投げ出され、その何割かは死ぬでしょう」
「それほどの大損害を出してまで撤退する意味があるのか。軍中央は何を考えている」
「参謀本部は、良い意味でも悪い意味でも現場のことがわかっていません。この私も、実際にこのガ島に来て驚くことばかりです。電文報告などではとうてい実情を描写できません。だから、軍中央は楽観していたのです。先月まではガ島を奪回できると考えていたのです。ならば撤退もできるだろうと」
「井本中佐、君はその目でガ島を見た。それでも撤退できると思うか」
「完璧を期すことはできません。それでも半数を撤退させることはできる。この作戦は迅速さが命です。駆逐艦の高速を利し、将兵の乗艦を迅速に行えば、ある程度の成功は見込めます」
「迅速にと言うが、第十七軍には誰ひとりとして迅速に動ける者などおらん。みなガリガリに痩せ衰え、歩くのがやっとだ。乗艦する体力などあるまい」
「海軍は訓練を繰り返しています。駆逐艦一艦あたり十隻以上の舟艇を行き来させます。海岸まで歩き、舟艇に乗り、縄梯子を登ってくれさえすれば、撤退はできます」
「それができない者は置き去りにするのだな」
「やむを得ません。のんびりしていれば全滅です。迅速にやっても成功率は五割です」
「成功の見込みは薄いのだな。それでもやれというのか。軍中央は少しもわかっておらん」
「閣下、海軍にはガ島の敵軍を圧倒する力がありません。だからこそ輸送が続かないのです。ですが、撤退作戦を実施する能力はまだ残っています。そうであれば、死地で喘いでいる友軍を見捨てることはできません。もともとガ島作戦は海軍の要請から始まった戦さです。連合艦隊司令長官は、たとえ駆逐艦十隻を失ってでも撤退作戦をやるとおっしゃっておられます」
「海軍にも面子があるのだろうな」
そのとき当番兵の声が響きました。
「参謀長殿、軍司令官がお呼びです」
「わかった」
宮崎周一少将は百武中将の元へ向かいました。井本中佐は待ちました。宮崎参謀長はなかなか戻ってきませんでした。遠くで銃砲の音がします。
(矢野大隊はいまごろどうしちょるか)
一時間ほどしてようやく宮崎参謀長は戻ってきました。そして、井本中佐に言いました。
「軍司令官は考えておられる」
「どんなご様子ですか」
「軍司令官は、きわめて簡単に判決をおっしゃった」
「撤退作戦を受け容れたのですね」
「そうだ。だから再考をお願いした。君は不満かもしれんが、オレは再考をお願いした。その材料として次のことを申し上げた。まず、軍の実情からして撤退作戦の実行はきわめて困難である。敵機の攻撃を受ければ半数が海に沈められる。たとえ成功したとしても、身動きできぬ者を置き去りにせねばならないし、衰弱しきった将兵は撤退したとて体力をとりもどすのに長い時間を要し、お国の役には立たない。つまりこの撤退作戦は危険ばかりが多く、効果が薄い。また、第十七軍は今日まで大命を奉じ、ガ島攻略のために奮戦してきた。その結果が現状である。この際、一貫した統帥を実行するため、あくまでガ島に踏みとどまり、戦い続けるべきである。参謀本部にせよ、第八方面軍にせよ、海軍にせよ、玉砕命令を出してはこない。内心では玉砕しかないと考えていても、命令としては撤退を命ずるほかない。だから、ここは第十七軍としての独自の判断が必要になる。第十七軍は、軍として自らを処する方針を自己決定すべき局面であります。こう申し上げたところ百武軍司令官は、さらに考える、とおっしゃった」
井本中佐は感心しました。困難な決断を迫られている軍司令官に対する助言としては理想的なものだと思えたからです。ありとあらゆる場合を想定し、上級司令部の腹の底までも考案のうえ、第十七軍司令官としてとりうる選択肢を示しています。第十七軍の極限状況を考えれば、大命に違背し、独断専行したとて誰が責められるでしょうか。
宮崎少将と井本中佐は無言になって百武軍司令官の決断を待ちました。
「参謀長殿、軍司令官がお呼びです」
「おう、ご苦労」
再び呼び出された宮崎少将は小屋を出て行きました。ひとりになった井本中佐は考えました。
(もし百武軍司令官が玉砕を選ぶのなら、オレも死のう。しかし、佐藤少佐以下は帰してやらにゃならん。死なせるのは不憫じゃ。無事に帰ることができればええが。矢野大隊はどうする。いや、矢野大隊はすでに第十七軍の指揮下に入っとるのだ。百武中将が玉砕を命じるなら、その命に殉ずるじゃろう。このオレは、どこでどう始末をつけようか)
作戦参謀として敵に一泡吹かせる戦術を考案し、それを矢野大隊に実施させ、最後は敵に突入して死のうか、などと考えました。そこへ宮崎少将が戻ってきました。
「井本中佐、軍司令官は決心されたぞ。大命に基づく方面軍命令を、万難を排して遂行するのに全力を尽くす。そう御決心なされた」
「そうでしたか」
ここにおいて井本中佐の命令伝達任務は達成されました。さらに宮崎少将は続けました。
「軍司令官から意見を求められたので、次のように申し上げておいた。撤退作戦を決行するとして、撤退の日までにとり得る第十七軍の行動は三とおりある。現態勢を保持して攻撃を続行するか、大命に基づく作戦計画どおりに行動するか、状況に即応しつつ臨機応変に行動して撤退を果たすか、以上である。これをどのように決定するかは軍司令官のご決意次第であります。そんなふうに申し上げた。また、百武軍司令官は、師団長が軍命令に従ってくれるかどうかを心配しておられた。しかし、それは大丈夫であると申し上げておいた。オレが師団長を説得する。わが軍の団結はなお生きている。きっと説得はうまくいく。最後に、軍司令官は改めて撤退の実現性を心配なさった。オレは、何を選択しても容易ではありません、と申し上げた。井本中佐、キサマの任務は無事に達成されたな。おめでとう」
「ありがとうございます。しかし、井本は撤退作戦をこの目で見届けます。お手伝いをさせてください」
そこへ当番兵がきて呼ばわりました。
「井本中佐殿、軍司令官がお呼びです」
「わかった」
井本中佐は洞窟の中へ入って行きました。洞窟の中の薄暗いなかに百武晴吉中将はまっすぐ座っていました。
「井本熊男中佐、参りました」
百武中将は、細身の身体に丸メガネをかけ、いかにも知将といった風貌の持ち主です。実際、知将です。若くしてポーランドに派遣されて暗号を学び、以後、通信畑の権威であり続けています。「陸軍暗号の父」とも呼ばれます。昭和六年、ハルピン特務機関長となった百武大佐(当時)はソビエト共産党の暗号通信を手もなく解読して見せ、政府要人を驚かせました。また、外務省と海軍の暗号は開戦前からアメリカ軍に解読されていましたが、陸軍の暗号だけは終戦まで解読されませんでした。これも百武中将の功績と言えるでしょう。
その知将の目は、丸メガネの奥で湿っているように見えました。
「現状を各方面から考察してみると軍を撤退させることは難事中の難事である。しかし、方面軍命令は、あくまでもこれを実行しなければならない。軍は命令を遵奉して、その達成に全力を尽くす。ただし、これが完全にできるか否かは予測できない」
撤退は難事ではあるけれども、命令に従い、これを実行するというのが第十七軍司令官百武晴吉中将の決心です。さらに、百武中将は語を継ぎました。
「自分が部下を率いてガ島に上陸して以来の戦況は、日本軍が未だかつて経験したことのない困難なものとなった。しかしながら将兵は何らの不満も言わず、よく軍の方針にしたがって全身全霊を捧げて戦い抜いてくれている。皇国民の殉国精神は旺盛であって、御稜威の力の大なることをあらためて痛感した。支那の戦場では余裕があったので戦死者の遺骨を丁重に処理することができた。しかし、この戦場は敵機の絶対的制圧下にあり、遺骨を故郷の遺族に送還することもできない。この一事は軍司令官として言い表せぬ苦痛である。しかしながら、草むす屍の古歌によって表された皇軍のあるべき姿が、このガ島においてはじめて生起したと考えてもらわねばならぬ。わが軍の一兵にいたるまで、敵兵そのものは弱いことを知り、かつ信じている。ただ、物的威力のために圧せられているのはいかにも残念である。しかし、物的戦力の向上は、国防上おおいに考えなければならぬ。かつて陸軍が戦車を採用しようとしたとき、大和魂が弱るといって反対した人があった。大和魂をもって優秀な兵器を運用すれば、さらに効果の大きいことを考えなければならない。精神力とともに物的戦力を具備することが肝要だ。陸海軍の仲違いについてとかく噂が絶えぬが、海軍に対しては、よくやってくれたと感謝している。わが軍の通信設備にしばしば不備を生じたことはなんとも残念である。通信隊は補欠部隊だという従来の通念を改めて、第一線の戦闘兵種として強化を図らねばならない。日本人が血を流した土地は、いずれの時か必ず皇土となる。ガ島は、一度これを失っても、いつかは皇土となると確信する」
連戦連敗を続け、補給途絶のために部下将兵を飢餓と疫病の苦しみに陥れ、為す術を失っている敗軍の将の血を吐くような心情を聞かされて、井本中佐は知らぬうちにうなだれていました。
「以上、今村方面軍司令官に連絡せよ」
「はい」
「ただ、わが通信隊は壊滅状態だ。うまく通じてくれれば良いが」
退出した井本中佐はさっそく電文を書き上げ、それを同行の暗号班員に渡して暗号を組ませます。暗号文を二通書かせると、そのうちの一通を当番兵に持たせ、ガ島に上陸したばかりの通信隊に向かわせました。発信を依頼するためです。残りの一通は、第十七軍の通信隊に渡し、やはり発信を依頼しました。病み衰え、ガリガリに痩せた通信士は、暗号電文を受け取ると懸命に電鍵を叩いてくれました。見ているだけでも気の毒になります。第十七軍通信隊の発信がラバウルに届くかどうかは疑わしかったのですが、やはり第十七軍の顔を立てるために依頼せざるを得ませんでした。たとえ第十七軍からの発信が不調であっても、新来の通信隊が同じ電文を発信しています。報告は確実にラバウルへ届くでしょう。こうして第八方面軍司令部に向けて第十七軍司令官百武中将の決心が発信されました。井本中佐の任務は終了しましたが、ガ島にとどまるつもりです。
(オレの任務はまだ終わっちょらん。問題はこれからだ。第十七軍の撤退を見届ける)
第十七軍の全将兵はすでに玉砕を覚悟しています。そのことは、昨夜、宮崎少将と小沼大佐から散々に聞かされました。その玉砕の覚悟を、撤退の覚悟に転換してもらわねばなりません。井本中佐は、部外者の自分が憎まれ役になろうと思いました。
(このオレが皆の非難の集中砲火を引き受けよう)
軍司令官の決心をうけて、第十七軍の全参謀が集められました。だれもがやせており、軍服もボロボロです。その会議において井本熊男中佐は撤退に至るまでの経緯と百武軍司令官の決心を説明しました。しかし、第十七軍参謀たちの顔には憤懣の表情が満ちました。幾十もの反発の眼光が容赦なく井本中佐の目を貫きます。
(味方との戦いに勝てぬ者は敵と戦う資格がない)
井本中佐は自分に言い聞かせ、勇を鼓舞して無言の圧力に圧倒されまいとしました。井本中佐は参謀たちを説き伏せようとはしませんでした。議論になれば際限のない応酬になってしまいます。つとめて冷静に話しました。
「第十七軍の置かれた戦況と諸氏の気持ちはわかる。しかし、大命に従うのは軍人の本領である。新任務達成のため、あらゆる努力をなすべきである。それをやって、やって、やり尽くして、それでも達成できないときにこそ最後の手段に出ればよい。それでも決して遅くはないと思う」
井本中佐は玉砕を否定しませんでした。ただ、その前にやれることがあるはずだと訴えたのです。果たして激しい反論が湧き上がりました。絶え間ない怒号と敵意の視線に井本中佐は耐え続けます。
「本日の午後にでもさっそく第一線に行って師団とともに斬り込むべきだ」
激昂して涙を流す参謀がいます。ある参謀は会議に見切りを付けたらしく、黙って席を立ち、百武軍司令官のいる洞窟へ向かいました。直訴のために行ったのでしょう。やがて会議の場に戻ってきたその参謀は、厳しい目で井本中佐をにらみつけました。
(キサマが軍司令官殿をたぶらかしたのだ)
そう詰問する目でした。議論に飽いた者は通信紙に氏名と住所を列記しています。おそらく遺書を送る相手なのでしょう。
「今日は髭を剃ろう。醜を後世に残さぬために」
そういって玉砕をほのめかしたのは杉之尾三夫中佐です。
「この撤退作戦の実施に当たり、第八方面軍の参謀長はなぜガ島に来ないのか。来て当然ではないか」
ある参謀は方面軍を責めました。
「いや方面軍司令官がガ島へ来て陣頭指揮をとるべきだ」
第十七軍参謀たちの鬱積した憤懣の発露は、まるでガ島上空を飛び回るアメリカ軍機のように井本中佐を苦しめます。それでもなお井本中佐は冷静を保ちました。
「第八方面軍はソロモン方面だけでなくニューギニア方面の作戦指揮もとっています。ガ島と同様にニューギニアも厳しい戦況である。よって方面軍司令官も参謀長もラバウルを離れるわけにはいきません。また、ガ島撤退作戦には海軍との協調が欠かせません。その意味でも参謀長がラバウルを離れることはできない。この井本ごときではご不満ではありましょうが、どうかこらえていただきたい」
一月十六日はこうして暮れてしまいました。味方からの攻撃は井本中佐を疲労困憊させました。
(いっそ敵に撃たれた方が楽じゃ。じゃが、この惨状をつくりだしたのは参謀本部だ。そして、このオレだ。このオレが非難の的にならにゃあなるまい)
飢餓と疫病と弾薬不足に悩む第十七軍に対してガ島奪回を命令し続けて来たのは参謀本部であり、第八方面軍です。第十七軍将兵は命令どおりに戦い続け、「もはやこれまで」と玉砕を覚悟するまでになっています。そうさせたのは上級司令部なのです。それを唐突に「奪回はやめて撤退せよ」といわれて納得できる者はいません。
(第十七軍将兵の苦役に比べれば、オレなどは安気なものじゃ)
第十七軍司令部は、第二師団および第三十八師団の司令部と有線電話で結ばれています。軍参謀は毎日定刻に戦況を聴取するため各師団司令部に電話をします。その戦況聴取がおわるのをまって、井本中佐は受話器を借り受けました。第三十八師団司令部には親泊朝省中佐がいます。井本中佐の同期であり、親友です。
「親泊か、オレだ、井本だ」
「おう、井本か。わざわざラバウルからご苦労だな。覚悟はできている。うちの師団は全部その場で死んでいる。この健闘は認めてくれよ。ほかに言うことはない。中央の同期生にもよろしく伝えてくれ」
親泊中佐は撤退についてまだ何も知りません。死ぬ覚悟でいるのです。次いで、第十七軍から第二師団に転出した松本博中佐と話しました。原隊で一期先輩だった松本中佐もまだ撤退のことを知りません。
「井本か。こちらは、しっかりやる。留守中はお世話になったそうだな。では、さようなら」