極限の第十七軍
井本熊男中佐は、海軍の大前敏一中佐とともにガ島撤退作戦の要綱をつくり上げ、第八方面軍司令官今村均中将の承認を得ました。次いで井本中佐と大前中佐はガ島撤退作戦の細部を練り始めます。一月七日から九日までふたりは作戦立案作業に没頭しました。井本中佐は第八方面軍司令部内にあってガ島撤退作戦の立案作業を主導しました。司令部内には先任の参謀もいましたが、これまでの経緯から井本中佐は強引に主導権を握ったのです。
(この撤退作戦はオレがつくる。そして、オレがその実施を見届ける。そうでなければラバウルに来た意味がない)
井本中佐は堅い決意で任務に邁進しました。
第八方面軍司令部は、第十七軍のガ島撤退作戦に関する方面軍命令、作戦計画、陸海軍協定などの書類を十日までに完成させました。これらは今村方面軍司令官の決裁を得て、正式に発令されました。方面軍司令部では、これらを暗号に組み直し、逐次、ガ島の第十七軍司令部に発信しました。海軍の暗号はアメリカ軍によってすでに解読されていましたが、陸軍の暗号は幸いにも解読されていませんでした。作戦命令は次のように命じています。
「第十七軍司令官は海軍と協同し、ガ島に在る部隊を北部ソロモン群島の要地に撤退し、云々」
撤退作戦の大要は次のとおりです。撤退を成功させるため、陸海軍航空隊は全力で航空撃滅戦を実施する。海軍は駆逐艦十二隻を動員する。このうち八隻はエスペランス岬、四隻はカミンボ岬で将兵を収容する。一艦あたりの収容人員はおよそ六百名とする。使用する舟艇は駆逐艦一艦あたり大発動艇二、小発動艇二、折畳舟十である。発動艇は二往復、折畳舟は一往復する。駆逐艦十二隻で三回の輸送を実施し、第十七軍の全員を撤退させる。
撤退作戦の成否の鍵は殿軍です。殿軍が敵の進攻をくい止めねばなりません。この殿軍部隊を新たにガ島に上陸させることになりました。殿軍部隊は戦線を維持して味方の撤退を助け、戦況によっては味方の撤退を成功させるための人柱になるかも知れません。その殿軍部隊の選任にあたって井本中佐は心を鬼にしなければなりませんでした。
井本中佐はまず殿軍部隊の適正規模を検討しました。殿軍部隊は戦線を維持して友軍を撤退させ、そののち迅速に撤退して駆逐艦に飛び乗らなければなりません。だから小規模すぎても大規模すぎてもいけません。井本中佐は種々考案のすえ、一個大隊およそ七百五十名としました。
井本中佐は、ラバウルに所在している各部隊から人員をかき集めて殿軍部隊を臨時編成しました。急編成ですから訓練も団結も完整していません。大隊としての基礎訓練もできていません。雑多な補充兵の集団です。召集兵だから年令は三十歳前後が多く、軍にあっては老兵集団でした。そして、これら老兵を指揮する小隊長は若い士官候補生でした。彼らは「やります」と張り切っていましたが、経験不足は否めません。この未熟練部隊を殿軍としてガ島の死地に投じねばならないのです。
(責任はオレがとる)
井本中佐は唇を噛んで意を決しました。そして、殿軍部隊の大隊長には矢野桂二少佐を任命しました。矢野少佐は、支那事変で武功を立てた戦歴をもち、指揮官としての能力には申し分がありません。井本中佐が実際に面談してみると、矢野少佐の人物の確かさが際立っていました。井本中佐は迷います。
(矢野少佐は信頼できる。彼にだけは本当の目的を知らせておくべきか)
井本中佐は迷ったあげく、撤退の事実を隠しました。
「矢野少佐、無事にガ島に上陸したら海岸線に沿って東に向かい、第十七軍司令部と連絡せよ。任務は軍から示される」
急編成された矢野大隊は、一月十日、勢揃いして軍装検査を受けました。矢野大隊の隊員は軍装について種々の注意を受けています。不要な物は一切持っていかないこと、防毒マスクは不要、携行小銃弾二百四十発、携行口糧十日分、手榴弾二発、破甲爆雷一発。矢野大隊は、小銃三中隊、機関銃一中隊(六門)、山砲一中隊(三門)からなります。
通常、大隊の軍装検査は大隊長が実施します。しかし、この日、第八方面軍参謀長加藤鑰平中将が臨場し、今村軍司令官の訓示を代読しました。
「今やガ島第一線は支え切れなくなっている。矢野大隊は速やかにガ島へ至り第一線を確保せよ。その間に待機中の有力部隊を敵の後方に上陸させ、ガ島の敵を殲滅する。矢野大隊の一挙手一投足を全軍が刮目して見守っている」
矢野大隊には、これが撤退作戦であることは伏せられました。井本中佐も軍装検査に随行しました。
(自分の立案した作戦によって、この七百五十名は全滅するかも知れない)
そう考えると井本中佐は恐ろしいような感情にとらわれ、何も知らされていない隊員たちの真っ直ぐな目に感極まりました。
問題はほかにもありました。撤退命令伝達のため第八方面軍司令部の参謀がガ島へ行き、第十七軍司令官に命令伝達しなければなりません。いったい誰が適任かです。井本熊男中佐は自分が行くものとひとり決めしていましたが、有末次大佐と杉田一次中佐もガ島行きを希望していました。井本中佐は加藤参謀長を訪ね、ガ島行きを熱望しました。
「参謀長、井本をガ島へやって下さい。そもそも現在のガ島の窮状を生ぜしめた責任は中央作戦系統にあります。この私も作戦課にいたのであります。その責任の本源から来ている井本こそ、この任に当たるべきです。井本は、東京を出発するときからこのことだけを考えていたのであります。第十七軍は、連続する苦戦で気力も体力も弱っているし、司令部参謀もわずかな糧食では回る頭も回らなくなっているでありましょう。撤退作戦は難しい。井本は第十七軍の力になりたいのです。御覧のとおり井本は元気です。是が非でも派遣していただきたい」
加藤参謀長は今村軍司令官と相談のうえ井本熊男中佐を派遣参謀に選任しました。重要な任務であるとともに、戦況しだいでは死が確実となります。この決定を伝え聞いた南東方面艦隊の大前敏一中佐は井本中佐を激励しました。
「大任、ご苦労です。もし、ご希望があれば、オレも一緒に行く」
ふたりは苦楽を共にして撤退作戦を練り上げた同志です。
「ご厚意は有り難い。しかし、オレひとりで任務の達成はできる。貴兄はラバウルにいて海軍作戦をみてほしい。特に駆逐艦で撤退を実施する件、くれぐれもよろしく頼む」
一月十一日、井本中佐はガ島に持参する書類一式を完成させました。その後、ガ島撤退作戦の兵棋演習を何度も繰り返しました。結果は芳しくありません。どうやっても大損害が出るのです。
(きびしいが、もう、思い切るしかない)
井本中佐は腹を決め、死を覚悟しました。撤退の最中にアメリカ軍の攻撃を受けるかも知れません。あるいは第十七軍司令官が撤退命令を拒絶して、玉砕を選ぶかも知れません。その場合には、井本中佐も玉砕するつもりです。
出発前夜、井本中佐は同期の杉田一次中佐と小山公利中佐にそれとなく自身の決心を語り、日本の運命に思いを馳せました。
「日本はこの戦争の結果、残念ながら二百年歴史を逆戻りすることになるが、これは運命でどうすることもできない」
第八方面軍司令部から撤退命令伝達のためガ島へ派遣されるのは、井本熊男中佐のほか副任の佐藤忠彦少佐、当番兵二名、暗号班員二名です。六名は完全軍装のほかに二十日分の食糧を持ち、さらに持てるだけの煙草と甘味とウイスキーを携行しました。第一線で戦っている将兵への心ばかりの土産です。各人の装備は総重量五十キロほどになりました。井本中佐と佐藤少佐は第十七軍に伝達すべき携行書類一式をそれぞれ所持しました。
命令伝達隊の六名、矢野大隊七百五十名、通信隊百五十名は、一月十二日午後、ラバウル港で第三水雷戦隊の五隻の駆逐艦に分乗しました。井本中佐は駆逐艦「谷風」に乗り、副任の佐藤忠彦少佐は駆逐艦「浦風」に乗りました。一方が沈んでも他方が無事にガ島に着けば命令を伝達できます。第八方面軍司令部の参謀らに見送られ、第三水雷戦隊の駆逐艦五隻はラバウルを出港し、ショートランド島へ向かいました。ショートランド島は、ブーゲンビル島南端にある小島で、ラバウルとガ島を結ぶ中継地です。
十三日朝、駆逐艦五隻はショートランド島に到着しました。井本中佐は上陸し、ショートランド警備隊長岩佐俊少将に申告し、次いで第十七軍参謀家村英之助少佐に会いました。井本中佐は家村少佐にだけ撤退の秘事を語りました。
「ガ島から撤退してくる第十七軍部隊の受け入れ準備をくれぐれも頼む」
一方、矢野大隊は駆逐艦からの上陸訓練を実施しました。
「陸兵上陸用意」、「泊地突入」、「舟艇降下」、「陸兵移乗」、「背嚢降下」、「本艦後退」という一連の動作が夜まで繰り返されました。
その夜、海軍側から陸軍将兵全員にビールの饗応がありました。
十四日、井本中佐らの命令伝達隊六名、矢野大隊、通信隊は五隻の駆逐艦に分乗しました。これに警戒隊として四隻の駆逐艦が加わり、計九隻の艦列が、正午、ショートランドを出港しました。駆逐艦九隻は中央航路を三十ノットの高速で突進しました。左右にソロモンの島々が見えます。幸い敵機の空襲はありません。午後九時、ラッセル島の島影が見え、さらにサボ島の山容が目前に迫りました。ガ島に近づくとスコールに襲われました。激しく雷鳴が轟き、土砂降りの雨で前が見えません。エスペランス岬から六百メートルの沖に駆逐艦が停まると直ちに舟艇移乗が行われ、上陸が始まりました。井本中佐は「谷風」艦長の勝見基中佐に御礼を述べて舟艇に乗り込みました。
エスペランス岬に上陸した井本熊男中佐以下の命令伝達隊六名は、海岸線の椰子林で二時間ほど休憩しました。井本中佐は漕ぎ疲れ、歩けませんでした。すでに矢野大隊は東に向けて行軍を開始しています。
「さあ、行こう」
午前三時、井本中佐を先頭に命令伝達隊六名は歩き始めました。各人が五十キロの荷物を背負っているため、行軍はきついものでした。最年長の井本中佐が最初に音をあげ、五百メートルおきに小休止しました。
(いっそ捨ててしまうか)
第十七軍司令部に早く到着したい。そのためには煙草と甘味とウイスキーを捨てるなり、途中で出会う兵隊に分け与えてやれば良い。
(いや、第一線の将兵にせめて一口の甘味と一服の煙草を届けてやらねば)
思い直して休み休み歩き続けました。やがて夜が明けると上空にアメリカ軍の戦闘機が絶え間なく飛来するようになりました。
(これでは行軍もままならぬ)
報告文で読むのと実際の現場に身を置くのとではまったく違います。後方からも前方からも銃爆撃音が聞こえてきます。
(矢野大隊は大丈夫か?)
心配になりましたが、それどころではなくなりました。敵の戦闘機に見つかったのです。
「散開しろ」
六名はバラバラに別れて椰子の木陰に隠れました。アメリカ軍の戦闘機は機銃を撃ちつつ上空を通過します。すると今度は反対方向から狙ってきます。こちらは椰子の木の逆側に身を潜ませます。こうして二十分ほど逃げ回りました。
「敵のおかげで目が覚めた。行くぞ」
井本中佐は冗談を言って歩き出します。すっかり朝になると、友軍の兵士と行き会うようになりました。だれもが、ギョッとするほどに痩せ衰えていました。蓬髪垢面、弊衣破帽、幽鬼のようになった友軍兵士の姿に六名は驚嘆しました。それでもなお軍隊秩序は生きています。きちんと敬礼します。井本中佐は答礼し、声をかけます。
「どこへ行く」
「エスペランス岬の補給所であります」
エスペランス岬には補給所があり、海軍の潜水艦輸送によって運ばれてくる食糧が蓄積されています。蓄積といっても微々たるものです。ひとり一日あたり乾パン五個もあれば良い方でした。そのわずかな食糧配給を受けとり、自分の属する中隊へ戻るのです。その行程は長い場合には四十キロにもなります。
「そんな身体で歩けるのか」
「私などはまだ良い方であります。寝たきりの者もいるのであります」
「ところでキサマ、銃はどうした」
「あんな重いものは持てません。どうせタマもありませんし」
「そうか。われわれは第十七軍司令部へ向かっている。場所を知らないか」
「申し訳ありません。わかりません」
「そうか、構わぬ。しっかりな」
タバコを一本わたして別れました。椰子林では椰子の実に銃剣を突き立ててコプラをとる兵士が幾人もいました。コプラは無煙燃料として使えます。これならば最前線であっても火を焚くことができます。また、椰子の実は貴重な食糧でもあります。
命令伝達隊六名が小休止していると、ふたりの兵士が近づいてきました。井本中佐は煙草を各々に一本わたしてやりました。火を付けてやると、いかにも美味そうに吸います。ところが、ふた口ほど吸うと火を消してポケットにしまいます。
「どうした。遠慮するな」
「いえ、中隊に持ち帰って皆で一服ずつ吸いたいのであります」
なんとも可愛い兵隊です。その兵隊をこの死地に追いやったのは参謀本部であり、自分であると井本中佐は思いました。さらに進むと海岸に擱座した輸送船の残骸が見えました。輸送船「山月丸」です。その凄惨な姿は、輸送作戦の失敗を井本中佐に嫌というほど思い知らせました。さらに行くと、沿道にポツリポツリと行き倒れになった戦死体が見られるようになりました。餓えと疾病に倒れたのか、あるいは敵機に撃たれたのか。敵艦の艦砲射撃に倒れたのかもしれません。熱帯の酷暑のなかで腐爛しています。その屍体を埋葬してやる力を第十七軍将兵は失っています。点々と続く屍体は、しかし、道しるべとなりました。六名は黙礼瞑目しつつ先へ進みました。
セギロの手前の海岸には擱座した「山浦丸」の無残な姿が見えました。そこから密林の中に入ります。しばらくいくと野戦病院兼患者収容所にぶつかりました。うっそうと生い茂る密林です。上空から見えないので敵機に攻撃される心配はありません。しかし、陽が当たらないからジメジメしています。地面に樹皮や陽葉が敷かれ、そのうえに患者が寝かされています。一応の雨よけはあるものの、猛烈なスコールを防ぐことはできません。蚊帳も毛布もありません。患者たちはマラリア、アメーバ赤痢、飢餓によって衰弱しており、動けない者は横たわったまま大小便を垂れ流しています。世話をする者もなく、必要な医療品もない。着替えさえない。それでも動ける者は水筒を肩にかけて流水を汲み、炊事をし、生きている者に食べさせています。もはや階級など意味がありません。極限状態のなかで必死に生きているだけです。すぐそばが墓地になっていました。畑の畝のように土盛りが並んでいます。遺体に土をかけてやるのがやっとなのです。墓穴を掘る体力は誰にも残っていません。このため周囲はもの凄い死臭におおわれ、蝿の大群がうなりをあげています。
(この地獄絵図は最高統帥の責任じゃ。申し訳ない)
先を急ぐ井本中佐は黙礼しつつ通り過ぎようとしました。
「参謀殿、日本の飛行機はいつ来ますか」
傷病兵が話しかけてきました。参謀飾緒を見たのでしょう。日本軍の兵隊たちは参謀を神のように信じています。
(参謀殿の考えた作戦に間違いはない。命令どおりに戦えば、きっと勝つ)
そう信じて戦ってきた結果がこれです。それでもなお兵隊は参謀に格別の敬意を払ってくれます。
「十月以来、今に来ると何回だまされたかわかりません。一度でいいから友軍機が敵機を撃墜するところを見たい」
杖にすがってやっと立っている傷病兵の最後の願望は日本軍機を見ることらしいかったのです。井本中佐は反射的に型どおりの返事をしました。
「いまに来る。友軍機は必ず来る。だから元気を出せ」
これが日本陸軍の定型の応答です。常に積極的です。悲観的なことを言いません。しかし、井本中佐の言葉は虚しく響きました。井本中佐自身、こんな慰めがなんの役に立つかと思い直し、自分の不正直を恥じました。ですが、ひとりの傷病兵がけなげにも井本中佐に和してくれました。
「参謀殿、ヤンキーの兵隊は弱いですよ。われわれが突撃したとき、奴らは悲鳴をあげて泣きながら逃げた。身体さえ元気なら、負けません」
最前線では日本軍将兵が敵の食糧を奪うためにしばしば敵の前線基地に侵入しました。するとアメリカ兵は悲鳴をあげて逃げました。確かに日本軍は精強でした。この極限状態にあって、なお秩序を保って戦っているのです。これがアメリカ軍なら、とうの昔に将兵は離散しているでしょう。指揮官が殺されるかも知れません。いや、指揮官が真っ先に逃げ出すでしょう。確かに日本軍将兵は精兵でしたが、その精強さを飢餓下の秩序維持というかたちで発揮するのは壮大な皮肉でした。
命令伝達隊の六名は先へ進みます。重い荷物に喘ぎつつノロノロ歩いていると、後からひとりの将校らしき人物がしっかりした足取りで行進してきました。軍服がボロボロになっているので階級はわかりません。動きはキビキビしていましたが、外見は野戦病院の傷病兵と同じでした。驚いたことに、その将校の右頬は裂けており、外から奥歯が見えました。追い越していこうとするその将校らしき人物に井本中佐が声をかけました。
「おい、その傷はどうした。大丈夫か」
「なあに、ガ島ではこんなものは傷の部類じゃありません」
そう言って歩速を緩めず追い越していきました。そこへ敵機が飛来して爆撃を開始しました。命令伝達隊の六名はとっさに木の根に伏せました。が、その将校は何事もないように爆煙の中を歩いて行きます。
(死兵とは、ああいうものか)
井本中佐は感嘆しました。死を超越しているらしい。
さらに歩くうち日没が近づきました。重い携行品を抱えているため思うように進めません。
(やはり土産を捨てて先を急ぐべきか)
迷いながら歩いていると、運良く貨物自動車を見つけました。
(ありがたい)
運転手に聞くと、第三十八師団の貨物自動車でエスペランス岬と第一線を往復しているといいます。
「われわれは重要な任務で第十七軍司令部に向かうところだ。コカンボナまで運んでくれ」
命令伝達隊の六名は荷台に乗りました。貨物自動車は椰子林の中を走りました。
(第十七軍司令部はコカンボナからさらに三キロ奥地の九百三高地付近にある。今夜のうちに着けるかどうか)
気は焦りましたが、井本中佐はタサファロングで貨物自動車を止めさせました。ここには第一船舶団本部があるはずでした。撤退作戦時の乗艦作業についてぜひとも協議しておきたいと思ったのです。折よく人影を見つけたので道を尋ねました。
「第一船舶団の司令部を知らないか」
「ああ、それなら川を上流の方へ一キロほど行くとあるようです。第十七軍司令部もそこへ移ってきました」
「本当か」
一行六名は荷物を背負い、ボネギ川に沿って歩きました。やがて密林に入りました。夜の密林はまさに漆黒の闇です。自分の手さえ見えません。懐中電灯で照らしつつ進むと、樹下に点々と天幕がありました。その天幕こそ第十七軍司令部でした。
(しめた。予定より早く司令部に着いた。ありがたい)
この日は一月十五日です。偶然ながら、この前日、第十七軍司令部は九百三高地から十キロほど撤退して、ここタサファロングに移動したばかりでした。ちなみに矢野大隊はコカンボナ付近に推進し、最前線への展開を終えていました。
命令伝達に必要な書類一式を脇にはさみ、井本中佐は第十七軍司令部の粗末な小屋に入りました。
「申告します。第八方面軍参謀井本熊男中佐以下六名、重要命令伝達のため、ただいま到着いたしました」
小屋の中で椅子に座っていたのは第十七軍参謀長宮崎周一少将です。宮崎少将は、もの凄い形相をして立ちあがり、怒鳴りつけました。
「攻撃開始の命令は、もっと早く下すべきじゃないか」
この時期、最前線ではアメリカ軍が攻勢を仕掛けてきており、陣地を守っている日本軍の中隊や小隊が次々に全滅していました。第十七軍司令部としても最後の手段として玉砕を検討せざるを得ず、その方法について参謀長の宮崎少将は真剣に考えていたところです。
「いえ、違います。撤退であります。先日、通信してご連絡したとおりであります」
井本中佐は命令が撤退であると告げました。すると、さらなる怒号にさらされてしまいました。
「そんなものは届いておらん。無線通信は途絶しておるのだ」
第十七軍の無線通信隊は、司令部に帯同して通信任務を実施してきました。通信隊は戦闘に参加したわけではありませんが、それでも通信手が飢餓と疫病に次々と倒れ、今では勤務可能な者は二名しかいません。その二名も朦朧とした意識の中で電鍵を打っています。しかも、ガ島の猛暑と湿度とスコールが通信機器を痛めつけ、補修しようにも必要機材が後方から届きませんでした。
「わかったか、井本。これが第一線だ」
事情を了解した井本中佐は、すべてを丁寧に話すしかないと覚悟を決めました。井本中佐の特徴は冷静さです。売り言葉に買い言葉で喧嘩になっても不思議ではない雰囲気でしたが、井本中佐は冷静さを保ちました。ガ島上陸以来の凄絶な苦闘を想起すれば、宮崎少将に殴られても文句は言えないと自分に言い聞かせました。
「昨年来からの長期にわたるご苦労、申し上げる言葉もございません。しかし、伝達すべき命令は攻撃命令ではありません。新たな大命がくだりました。まずは、お聞きください」