プロローグ
第二次世界大戦下の一九四二年(昭和一七)一月、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相はワシントンにおいて会談し、ヒトラー打倒第一主義で合意しました。太平洋戦線よりも欧州戦線を優先するという大戦略です。
米英首脳が合意したこの方針を、半年後、アメリカは変更します。なぜなら日本軍の快進撃がとどまるところを知らず、同年六月までに東南アジアの英米蘭植民地をことごとく制圧してしまったからです。日本軍はニューギニア、ソロモン諸島にまで進出し、オーストラリアの目前に迫りました。
チャーチル英首相は、それでもなおヒトラー打倒第一主義にこだわりましたが、ルーズベルト米大統領は太平洋戦線を重視せざるを得ませんでした。アメリカ国内の世論を気にしていたからです。日本軍の急速な進撃を知ったアメリカ世論がルーズベルト大統領の戦争指導を批判しはじめたのです。大統領四選をもくろんでいたルーズベルト大統領は世論を無視できませんでした。そこでルーズベルト大統領は、アメリカ軍統合幕僚会議に対して太平洋方面の戦局を重視するよう要求しました。
これをうけてアメリカ軍統合幕僚会議は対日反攻作戦を検討しました。日本海軍との艦隊決戦は選択肢から真っ先に除外されました。かつてロシアのバルチック艦隊を全滅させた日本海軍との艦隊決戦は、リスクの大きい戦略だったからです。代案としてアメリカ軍統合参謀本部は島嶼進攻作戦を立案しました。米濠間の兵站線を守りつつ、ニューギニアおよびソロモン諸島に進出した日本軍を打倒し、島伝いに進攻するのです。この作戦はウオッチ・タワーと命名されました。
アメリカ軍は早くから島嶼進攻作戦を研究し始めており、日本が南洋諸島を国際連盟から委任統治された一九一九年(大正八)にはすでに研究に着手していました。以来、二十年間、アメリカ軍はサンゴ礁島嶼への上陸作戦を営々と研究しつづけていました。アメリカ軍は対日戦争を想定し、サンゴ礁島嶼への上陸方法、海空からする上陸部隊の掩護方法、陣地構築方法、飛行場建設方法、熱帯ジャングルでの防御方法など、各種の戦術と運用を練り上げていたのです。陸海空軍に海兵隊を加えた四軍の統合作戦をいよいよ実戦において試す時がきたのです。その第一着手こそガダルカナル島でした。