22話 佳奈の気遣い
舞の一件から一夜明けて、零は佳奈に電話を入れた。黒騎士が二年前に阻止された仮面狩りを再開させたのなら、佳奈が襲われる可能性もある。仮面能力者の事件とは関わりたくないだろうが、注意喚起ぐらいはしておくべきだろう。
電話を掛けるとすぐに彼女は出てくれた。零は昨日の出来事――その一部始終を佳奈に語って聞かせた。
昨日の光景はまだ鮮明に頭に焼き付いている。忘れてしまいたい辛い記憶。説明しているうちに、自然と言葉に感情が乗ってしまう。
急にこんな話をされて佳奈も困っただろうが、彼女は最後まで静かに零の話を聞いてくれた。突然の電話だったにもかかわらず、余計な口を挟むことはせず、途中何度か口を開いて出た言葉は、全て零を気遣うものだった。
電話だけで終わらせるつもりだったが、佳奈が零に直接会って話したいと言ってきたので、近くの喫茶店で待ち合わせをすることにした。
約束の時間より少し早めに着いたが、佳奈はそれより早く待っていてくれた。
「零くん……大丈夫ですか?」
零の顔を見るとすぐ佳奈は心配そうに声を掛けた。彼女が襲われるかもしれないと心配して連絡したはずが、いまは逆に零が心配されてしまっている。
「うん、僕はもう平気」
無理に笑って明るく振る舞ったつもりだが、佳奈の表情を見る限り、あまりうまく誤魔化せなかったようだ。実際のところまったく平気ではない。心配させないように言った言葉で彼女をより心配させてしまった。
昨日から心が晴れない。天気はいいはずなのに周りの景色も暗く見える。
「急に会いたいだなんて、ごめんなさい。迷惑じゃありませんでした?」
「ううん、先に電話したのは僕の方だし……」
席に着いた二人はアイスコーヒーを注文。店員が離れたあと二人は黙り込んでしまった。事情が事情だけに空気が重くなるのは仕方ない。女の子と二人きりとはいえデートのように明るく楽しくというわけにはいかない。
黙っていても仕方がないので零が先に口を開いた。
「昨日のことは電話でほとんど説明したつもりだけど、まだ何か聞きたいことある?」
「……いえ、特に聞きたいことがあるわけではないんです。ただ、電話での零くんの声がその……すごく辛そうだったので……」
心配で、と彼女は最後に小さく付け加えた。
佳奈が直接会おうと言ってきたのは、自分のためではなく零のためだった。電話越しでもわかるほど落ち込んでいた零を元気づけたかったようだ。
心がどん底に沈んでいる時に励ましてくれる存在がいることは幸せなことだ。押しつぶされそうな心も少しは軽くなる。
「零くん、心のコントロールは波動のコントロールより、もっとずっと難しいものです。私も二年前はなかなか元気になれませんでした」
「二年前……お兄さんってやっぱり仮面狩りで……?」
「……はい。兄は仮面狩りのときに命を奪われました」
やはり佳奈の兄を殺したのも黒騎士だったということだ。だとすれば黒騎士は佳奈にとって兄の仇。怒りや悲しみといった思いは、零よりも大きいはずである。それでも彼女はそんな感情は見せず、零のことを第一に考え心配してくれているのだ。
「人の死を受け入れるのは簡単ではありません。一人ではどうにもならないこともあります。だから無理しないでください」
「……ありがとう、早瀬さん」
佳奈のおかげで零の心は少しだけ上向きになった。暗い話が終わった後は、コーヒーを飲みながら、仮面の世界とは関係ない高校生らしい話に花を咲かせた。佳奈と過ごす穏やかな時間に零の淀んだ心は洗い流されるようだった。
「零くんは、このあと何か予定はありますか?」
会計を済ませて喫茶店を出ると佳奈はそんなことを言った。零はもう帰るつもりだったが彼女はそうではないらしい。
「いや、特にないけど……」
「せっかくですし、どこかで遊んで行きませんか?」
佳奈のお誘いに「行きたいっ!」とすぐに返事をすることはできなかった。鳴海たちは黒騎士を見つけるためにいまも奔走しているだろう。そんな時に自分は暢気に女の子と遊んでいていいのだろうか、という思いが零を迷わせた。
「ダメ、ですか?」
「ダメじゃない」
可愛い表情でお願いされては断れなかった。だが遊ぶのも悪くない選択だと思う。思いっきり遊んで暗い気持ちを完全に吹き飛ばすためにも楽しい時間は必要なことだ。辛いことばかりでは明日を生きる気力も湧いてこない。
「どこに行く? 買い物に映画、カラオケ、ボウリング……」
思いつく場所を端から並べていく。女友達とどこで遊べばいいのか零はよく知らない。男友達とは当然違うし、恋人と行くような場所もたぶんダメだろう。
「全部行きましょう。零くんの行きたいところ全部!」
「全部!?」
「はい、全部です」
「……じゃあ、映画館が近いから映画見てからあとは買い物とかいろいろ……って感じで」
(映画ならとりあえず二時間は潰せるな)
せっかく女の子と二人きりで遊ぶのに、時間を潰そうという考えがもうなんかダメな気がした。
ともあれ行先は決まったので二人は歩き出した。休みにこうやって女の子と二人並んで歩いているというのは、周りから見ればやはりカップルに見えたりするのだろうか。そんな風に考えていると、零はある重大なことに気が付いた。
(あれ? 今更だけどこれもしかしてデートなんじゃ……しかも人生初の!)
記憶が欠けているため初めてかどうかは確定ではないが、それはこの際どうでもいい。問題はこれがデートかどうかだ。女の子と二人で遊べばデートと言っていいのか、それともお互いに好意がなければデートとは言えないのか。恋愛初級者の零にはわからない。
「なんだかデートみたいですね」
「そ、そうだねー。ははっ」
佳奈の言う『デートみたい』とはどう意味だろうか。
あくまでも『みたい』であって、これはデートではないから勘違いするなと佳奈は言っているのか。それともこれはデートとほぼ変わらないから、そういうことだと思ってもらって構わないと彼女は言っているのだろうか。恋愛レベル1の零にはわからない。
(いや、落ち着け。そんなに深い意味はないはずだ)
佳奈の目的は落ち込んだ零を励ますこと。零の行きたい場所に行くと言ったのも気分転換してもらいたいだけでそれ以上の理由はないだろう。
(ならこれはデートじゃない。ただの友人としての気遣いだ。なので決して浮気ではありません、美咲さん)
なぜか脳内の美咲に言い訳をしてしまった。そもそも美咲は零の恋人というわけではないので浮気も何もない。
(それに僕はただ美咲さんに恩返しがしたいだけで、好きというわけじゃ……)
「男の子と映画館に行くのって初めてです。零くんは何か見たいものがあるんですか?」
「あーどうしよう。確かいま流行っているヤツがあったからそれにしようかなって」
「あ、それ知ってます。カップルに人気の恋愛映画ですよね?」
(なん……だと……)
これじゃまるで『キミとカップルになりたい』と言っているようなものである。しかも『その映画よく知らないけどぉ』みたいなスタンスで言ったのが、めちゃくちゃ意識しているのにそれを隠そうとしてして隠せていないみたいですごく恥ずかしい。
実際、零は本当にどんな映画か知らず流行っているという情報しか持っていなかった。
今から別の映画にしようと言うのも、それはそれで意識していると思われそうで言い出せない。
「周りがカップルばかりだとなかなか行きにくいですよね」
「そ、そうなんだよね。ずっと気になってたけど男だけだと見に行けなくて……今日は早瀬さんが一緒だからいい機会だと思ってさ」
変な誤解を生まないためにも興味があるのは映画だと強調しておいた。
「ところでさ、早瀬さんはどこか行きたい場所はないの?」
「え、行きたい場所……ですか?」
「うん、僕の行きたい場所だけだと悪いし……」
「そう、ですね……行きたい場所ですか――」
それほど難しい質問をしたわけではなかったが、思ったより長い沈黙が続いた。
「ごめんなさい、すぐに思いつかなくて……おかしいですよね、私から誘ったのに……」
「ううん、おかしくなんてないよ。いま思いつかなくても全然大丈夫。映画館の周りってお店いっぱいあるから歩いてれば、そのうち行きたいところとかやりたいこととか出てくるよ」
「私の、やりたいこと……」
小声でそう言った佳奈の顔に暗い影が差したように見えた。
「早瀬さん?」
「いえ、なんでもありません。映画楽しみですね」
「うん、そうだね」
少しだけ様子がおかしい気がしたが、すぐにいつもの佳奈に戻ったので安心した。
それから映画館に向かってしばらく歩いていると、思わぬ二人組に出会った。
「ここで何してる、チビ」
「そっちこそ」
偶然出くわしたのは俊と沙也加だった。会ってそうそう零と俊は互いに火花を散らした。舞の一件で二人の溝はより深くなっている。
「零くんのお知合いですか?」
佳奈にそう聞かれてなんと答えればいいか迷ってしまった。仮面のこと抜きにして説明するのは難しい。俊たちの立場からすれば、一般人に仮面のことを話すわけにはいかない。佳奈にしても自分が仮面使役者だとバレたくはないはずである。
「えーと、ただの友……いやイカレ野郎だよ」
友人と言って誤魔化そうとしたが『コイツと友人だなんて口が裂けても言えない』と思った零は、ついつい本音を出してしまった。
「殺すぞ、クソチビ」
「はい、こんな感じですぐ殺すとか言っちゃうヤバいヤツだから相手にしなくていいよ」
「隣の子は妹さんですか?」
「うん、そうだよ。兄と違ってすごく良い子で――」
「浅葉沙也加です。あなたは零さんとどういう関係ですか?」
(あれ、なんか沙也加ちゃん機嫌悪い?)
佳奈に対してなぜか敵意を剥き出しにしている気がする。
「私は早瀬佳奈って言います。零くんとの関係は、たぶん沙也加ちゃんが思っているよりも深い関係だと思いますよ」
なぜか女の子二人の間でも火花が散っていることに、零は困惑した。普段の優しいイメージからかけ離れているのでなおのことだ。
「この前は――」
「この前? 何のことでしょう?」
「なんでもないです。忘れてください」
沙也加が言おうとしたのは、猫になってしまったときの話だ。沙也加は佳奈と初対面ではなく猫の状態で一度会っている。抱きかかえる力が強すぎて痛い思いをしたことを沙也加は未だに少し根に持っていた。
おまけに零と二人きりでいるところを目撃したら心中穏やかではいられなかった。
「おいチビ、これはどういうことだ? お前の女は沙也加に何かしたのか?」
「僕だって知らないよ。あと僕の女ってわけじゃないから」
フォローに入ろうかと考えた時、零の耳に金属のこすれる音が響いた。昨日聞いたばかりの忘れるはずのない音だ。
前回と同じく生命の波動はまったく感知ができなかった。
「黒騎士!?」
四人はほぼ同時に声を上げた。




