20話 涙の理由
「鳴海さん、オレたちはこの辺りに黒騎士の手がかりがないか探してきます」
「……ああ、頼む」
鳴海が到着しても結局黒騎士は姿を現さなかった。鳴海の心を揺さぶっても三体一では不利と判断したか。あるいは別の理由か。
「おい、行くぞチビ」
「チカラさん……話があるんです」
「おい、少しは鳴海さんの気持ちを――」
俊は恋人を失った鳴海に気を遣って一人にさせるべきだと思っているが、零には舞から託された伝えなければならない言葉がある。
「いや、いいんだ。零は残して行ってくれ、俊」
「……わかりました」
俊は渋々従い、駅の外に出て行った。
「浅葉さんに舞と最後に会ったのはお前だって聞いた。あいつはなにか言ってたか?」
「あなたとの出会いは嘘だけど、あなたと過ごした日々の全部が嘘だったわけじゃない……」
「…………」
鳴海にはその言葉の意味、舞の真意を理解できたのだろうか。彼の変わらない表情からは読み取れなかった。
「それからごめんねとありがとうも伝えてくれって言われました」
「そうか……」
「チカラさん……」
「お前の言いたいことはわかる。他に方法はなかったのか、だろ?」
「…………」
「俺や俊だって、なにも最初から納得できたわけじゃねぇんだ……凶蝕者が人間だってわかった時、お前と同じようにみんな必死で抗ったさ。凶蝕者から元に戻す方法は必ずあるはずだってな……でも何をしても結果は変わらなかった。完全に心をなくしたらもう助けられない。俺たちはその現実を受け入れるしかなかった」
「…………」
「救えなかったのはお前のせいじゃねぇ。だからもう泣くな」
いつからか零の瞳からは涙が流れていた。
「泣いて、ませんよ」
「いや、思いっきり泣いてんじゃねぇか。嘘つくな」
零は右手で何度も涙を拭うが、溢れる涙が止まってくれない。
「まぁ泣いたことを認めたくない気持ちはわかるぜ。小さい頃は人目も気にせずわんわん泣いたのに、でかくなると泣くことが恥ずかしく感じるよな。大人になると特に泣くのが難しくなる。簡単に泣くのはみっともなくて弱い人間、泣かないヤツは強い人間だって思ってるヤツもいる。でもな零、俺は絶対に泣かないっていうヤツより素直に泣けるヤツのほうが好きだよ」
「でも……チカラさんが泣いて……ないのにっ……僕、だけっ!」
鳴海は泣いてもいいのだと言ってくれているが、何もできなかった上に全てが中途半端だった自分には泣く資格はないと零は思っている。
何より鳴海が泣いていないのだから、我慢しなければならないと思ったのだ。
「俺は……アレだ。大人だからな。涙を流さず、心の中だけで泣く術を身に付けてるんだよ」
「そんなのっ……ずるいです」
「大人はずるいもんなんだよ。……まぁこうなる可能性も考えてなかったわけじゃねぇし、失うのはこれが初めてってわけでもねぇからな」
零の知らない救えなかった命がきっとたくさんあったのだろう。心を砕くような衝撃に鳴海は幾度も耐えてきたのだ。
「でもありがとな。あいつのために泣いてくれて」
「違い、ますよ」
「違う……?」
鳴海はわかっていないようだった。零が誰を思い、涙を流したのかを。
「僕は……舞さんのために泣けるほどッ……あの人のこと知らないからッ――」
零の涙は舞ではなく鳴海のために流した涙だ。舞のことはほとんど知らないが、鳴海のことなら少しはわかる。
思い入れも何もない人のために涙を流すことなんてできない。舞と零の間にはまだ繋がりと呼べるほどのものはなかった。だが鳴海は違う。特訓を通して彼との間に師匠と弟子としての繋がりができた。
零の中で鳴海は大切な人たちの中の一人になっていた。だから今の鳴海の気持ちを考えると辛くて仕方なかった。涙を流さずにはいられなかったのだ。
「……師匠のために泣いてくれる弟子がいて、俺は幸せだよ」
鳴海は、その涙が自分に向けられたものだと気付くと、優しくポンっと零の頭に手を乗せて笑った。
「僕は……わからなくなったんです。自分がどうするべきなのか、正解がわからなくて……」
「正解……か。ひとつ言えるのは正解ってのは、たいていが辛い道や困難な道だってことだ。世の中ってのはいじわるにできてるからよ、楽な道が正しいってことはあんまりねぇんだ」
鳴海は辛い道を選択した。舞のために自分にとって一番辛い道を選んだのだ。
(自分だったらできただろうか?)
愛する人の命を自分の手で終わらせる。それができる強さが自分にあるかどうか、零は自身の胸に問いかけた。零の頭に浮かぶ一人の女性。もしもその人が凶蝕者になったら自分はどうするだろうか。考えても今は答えを出すことはできなかった。
「まぁ、でもどうだろうな。辛い道を選んだところで正解とは限らねぇからな。結局のところ、結果が出るまで何が正解かなんて誰にもわからねぇ。最善だと思って選んだ道も最悪の結果につながることもあるし、周りからどれだけ間違ってるって言われても、それが正解だったりすることもあるからな」
「じゃあ、どうやって正解を選んだら? 答えはどうやって見つけるんですか?」
「自分の中にある正しさに従うしかない。その正しさってのは、常識とかルールとか、他人が決めた正しさじゃねぇぞ。自分で決めた自分だけの正しさだ。どうせ結果が出るまで何が正解かなんて誰にも決められねぇんだ。だったら自分が一番納得できる道を進むしかねぇだろ?」
「でも間違いだったらどうするんですか? 自分の正しいと思った道がもし間違っていてそれに気付くこともできなかったら、僕は一体どうしたら……」
「もしお前が間違った道を進んだら俺や美咲や俊、周りにいる人間が正しい道に連れ戻す。だからお前は安心して自分が信じる道を進めばいい。逆でも同じだぞ。もし俺が間違えたらお前たちが俺を止めてくれよ」
人は間違う。正解の道だけを歩むことなんて誰にもできない。自分で間違いに気付ければいいが、そうできないときもある。独りで生きようとすれば、ずっと間違いに気付かず進んでしまうことだってあるだろう。だから人には他者との繋がりが必要なのだ。自分の間違いに気付かせてくれる存在、正解に導いてくれる存在が。
仮面能力者の仲間、友達、家族、零にも繋がりができた。今はその繋がりを信じて進むしかない。
(でも……もしもその繋がりが導いてくれるのが、正しい道なんかじゃなくて間違った道だったとしたら……?)
その考えを零は頭から振り払った。今は忘れることにする。
記憶を失ってから出会った優しい人たち。その中に間違った繋がりなどあるはずがないのだから。