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ゼロの仮面  作者: 赤羽景
第三章
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19話 ためらい

 舞は右手を零に向け、茨のツルを伸ばした。

 零は正面から来る攻撃に対し、守護防壁を展開。防壁は1枚、3枚でも易々突破した黒騎士が異常なだけで、1枚でもしっかりツルの攻撃を防げている。


「攻撃をやめてください。舞さん!」


 無駄だとわかっていて舞に呼びかける。言葉が届いて彼女は心を取り戻す、そんな都合のいい奇跡に期待してしまう。

 その甘い考えを打ち砕くように、舞の攻撃はより激しさを増した。ただツルを伸ばすのではでなく、腕を振るい鞭のように何度も防壁を叩きつけてくる。


「舞さん、あのとき僕に何を言おうとしたんですか?」


 攻撃は止まない。奇跡が起きる気配は微塵もない。自分の言葉ではダメだと零も本当はわかっている。もしも言葉が届くとしたら、奇跡を起こすなら零ではなく、鳴海の言葉が必要なのだ。

 防壁を突破できない舞は、複数のツルを束ねて強大な一本を作り上げた。殴りつけるような強い一撃に防壁は耐えきれず、破壊された。

 それを機に、零は地面に張り付いていた足をやっと動かした。ツルを避け舞に向かって走る。


(近付いてどうする……殺すのか? 舞さんを……?)


 舞を殺して終わらせる。そのためにここに来たはずだ。当初の目的すら零はわからなくなっていた。


(僕がここにいる理由はなんだ? 何のために僕はここにッ――)


 自分がどうしたいのかもうわからない。答えがわからない。何が正解で何が間違いなのか。そもそも正解は用意されているのだろうか。どんな選択肢を選んでも不幸な結果しか見えてこない。

 孝仁はこれも試練だと言っていた。超えるべき壁なのだと。自分の心を殺して舞の命を断つことが壁を超えることになるのだろうか。舞の命を諦める、そんなものが正解なのだろうか。

 横に薙ぎ払うようなツルの攻撃に、零はその場で立ち止まり態勢を低くして回避する。

 避けるために零は足を止めてしまった。一度止まってしまったらもうどっちに動けばいいかわからない。進むべきか、それとも戻るべきか。すぐに次の攻撃が迫っているというのに。


「クソッ!」


 吐き捨てるような苛立ちと共に、零は二重の防壁を展開し攻撃を防いだ。

 束ねたツルの一撃でも、防壁を重ねればガード可能だとわかって、零はわずかに安堵の息をつく。

 その隙を舞は見逃さなかった。足に違和感を覚えたあと、零の視界が本人の意思に反して大きく動いた。視界は逆さまになり、零の身体はいま地面を離れている。

 足首に突き刺さる痛みで零はうめいた。

 見ると零の足はツルに巻き付かれて持ち上げられていた。ツルが締まることで茨の棘が零の肌に突き刺さり、足からは血がしたたり落ちる。

 正面から襲ってくるツルにのみ意識を向けていた零は、床から突き破って出てきたツルに気付かず足をとられたのだ。さらに左右の壁から伸びるツルが両腕に巻き付き、完全に身動きが取れなくなった。

 宙に拘束された零は、ツルから逃れるために抵抗するが、もがけばもがくほどにきつく締め付けられ、茨の棘はより深く突き刺さった。

 動けない零にも容赦なく舞は畳み掛ける。零を殺すことに一切のためらいはなかった。

 壁を貫通するほどの威力を秘めたツルが零の心臓に向かって伸びる。

 直後、零は手足が軽くなるのを感じた後、真下に落下した。手足の拘束が解けたからだ。受け身を取って地面に着地する。


「何でお前がここにいる。クソチビ」


 零を救ったのは、狼の力を持つ俊だった。狼男になった彼は、その鋭い爪でツルを簡単に切り裂いていた。


「僕は……舞さんを救いに……」


「どっちの意味でだ」


「それは――」


 答えられなかった。始めは仮面を破壊するためにここに来た。みんなが言うように殺すことが救いだと信じて。でもここに来て割り切れなくなった。彼女を本当の意味で救いたいと願ってしまった。

 命を救う方法が何かあるのではないかという欲、その感情が一度芽生えてしまったら、もう舞に攻撃することができなくなってしまったのだ。きっと知らない人間ならこんな感情は生まれなかった。知らなければ零は迷わず行動できたはずだ。

 

「迷いは仮面の力を弱くする。中途半端は誰も救えない。自分を殺すだけだ」


「そんなこと言われなくてもわかってる!」


「わかってないから言ってんだよ! オレたちにできることはもう仮面を破壊することだけだ。助ける方法はねぇんだ」


 俊の言うことが正しいということは零もわかっていた。しかしそれが正論だとわかっていても非情になることは簡単ではない。人には感情があって機械ではないのだから。


「お前と話していても時間の無駄だ。邪魔だからさっさと帰れ」


「お前が帰れよ、クソ犬」


「オレは狼だって言ってんだろ、クソが!」


 言い争っている二人にツルが伸びた。俊は爪で切り裂き、零は防壁で防いで、それぞれで攻撃に対処する。


「オレが仮面を破壊する。お前は壁でも作って後ろで震えてろ」


「お前に任せるくらいなら僕がやる。これは僕の責任だ」


 先に動いたのは俊だった。狼の脚力で駆ける俊の進路を、舞は壁、天井、床から伸びるツルを総動員して阻んだ。

 零の時とはツルの数が段違いに多い。零よりも俊を危険な存在だと認識したためだろう。俊が舞に近付くことは容易ではなさそうだ。

 零は俊を囮にして舞に近付く。俊がツルを切り裂いてできた隙間からツルの包囲網を突破する。


(舞さん、ごめんなさい)


 零は剣山防壁を前方に展開して舞に突進する。プールで2級にトドメをさしたやり方だ。

 しかし、あとわずかというところで零に衝撃が走った。ツルを並べて作った壁にぶつかったからだ。剣山防壁はツルの壁に突き刺さって止まり、舞の仮面まで届かなかった。


「引っ込んでろって言っただろ!」


 ツルの包囲網を抜けてきた俊が怒りながら、後ろからやってきた。あっという間に舞との間合いを詰め、右手を振り上げて仮面を狙う俊。鋭い爪が舞の仮面をしっかりと捉えている。

 だがそこで俊の動きが一瞬止まった。その隙に舞は後ろに避け、振り下ろした俊の爪は虚空を切り裂いた。

 動きを止めなければ、今のタイミングなら確実に仮面は破壊できていた。何かに邪魔をされたわけではない。俊は攻撃の直前にためらったのだ。舞の仮面を破壊することを。


「お前だって人のこと言えないじゃん」


「黙ってろ! 次で決める。お前は下がってろ」


「いや、下がるのはお前もだ。俊」


 聞き慣れた声がして二人は振り返る。そこに立っていたのは金髪の大男。


「鳴海さん……」


「あとは俺がやる」


 鳴海は俊の方に手を置いて下がらせた。


「チカラさん僕は……舞さんを……」


「零……下がれ」


 鳴海の言葉には逆らえない凄みがあった。見た目は怖そうだが鳴海は優しく親しみやすい人間だ。だが今の鳴海からは近寄り難い雰囲気がある。言われた通りにするしかなかった。


「舞……」


 小さく呟いた鳴海の一言には、さまざまな感情が込められていた。彼の胸中を思い零の胸が痛んだ。こうなる前に終わらせなければならなかったのに。


 鳴海が来ても舞の様子に変化はなかった。恋人の姿すら彼女はもう覚えていない。

 零や俊と同じように鳴海のことも一括りに敵として認識してしまっている。

 舞は残ったツルの全てを束ねた一撃で鳴海を狙った。

 それを前にしてもまだ鳴海は仮面を出さない。彼から戦意は感じられずさらに目を閉じた。


「死ぬ気ですか!!」


「チカラさん!!」


 俊と零は立て続けに叫んだ。

 巨大なツルの束が迫りくる中、鳴海は目を開く。それと同時に彼は仮面を発現させていた。さらに頭からは二本の禍々しい角が生え、筋骨隆々の彼の右腕がさらに膨れ上がり、肌は火が燃え広がるように赤くなり、指先からは鋭利な爪が生える。

 凄まじい生命の波動が彼から溢れ駅構内を満たした。

 鳴海は異形の右手で手刀を作る。


「……鬼薙(おになぎ)


 異形の腕を振り下ろしたその一撃は、さながら名刀の一振り。ツルはおろか本体の舞をも一刀両断した。

 黒騎士の飛ぶ斬撃を思い起こすほどの一撃、鳴海はそれを腕一本振るっただけで放ったのだ。

 鳴海が仮面能力者として手に入れた力は、自身を鬼へと変える力。『赤鬼』となった彼は生物として遥か高みにいる存在だった。

 仮面ごと斬られた舞の身体は崩壊していく。


「すまねぇ。今までありがとな、舞――」


 塵となって消える恋人に鳴海は別れの言葉を告げた。

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