17話 沙也加の話
話し合いが終わると、孝仁は鳴海と美咲へ現状報告、俊は舞の捜索のために部屋から出て行った。いま部屋に残っているのは零と沙也加だけだ。
沙也加と会うのは猫の事件以来なので、二人きりになると少々居心地が悪い。沙也加もそわそわしているので、零と同じようにあの日の出来事が頭に浮かんでいるのかもしれない。
あの日あったことには、触れないほうがいいのかもしれないが、この気まずい時間が今後も続くのには耐えられそうにない。
「この前はごめんね」
零は沙也加に謝ることでこの気まずい沈黙を破り、同時に猫の事件のことで悩む日々も終わらせることにした。
「え! あ、あれはわたしが全部悪くて、零さんはなにも悪くないです」
美咲が言っていたように、沙也加は別に怒っているわけではなさそうなので零は安心した。
揉め事なんかは当人たちが深刻に考えすぎてしまうから複雑になってしまうだけで、思い切って謝ってしまえば、たいていのことはあっさり解決するものだ。なんでこんなに悩んでいたのか馬鹿馬鹿しくなるほどに。
心のモヤモヤを消し去ることに成功した二人の顔からは、自然と笑みがこぼれた。
「でも沙也加ちゃんに、猫になる能力があるなんて知らなかったから驚いたよ」
「え……? あ! 違うんです。あれはわたしの仮面能力じゃなくて凶蝕者にやられて、それで猫になっちゃって……」
「凶蝕者?」
ここで零はようやく勘違いに気が付いた。よく考えてみれば猫になった沙也加は、仮面をつけていなかったので彼女の能力であるはずがない。
「あの日、実は零さんと会う前に凶蝕者に襲、われ、て――」
そこで沙也加は言葉を切り、途端に表情も険しくなった。話しながら何か思い当たることがあったようだ。
「沙也加ちゃん?」
心配そうに零が声を掛ける。
「わたし……あのとき、凶蝕者と戦って左脚を切断されたんです」
「え、脚を!?」
「その時は何が起こったのかわからなくて……だって、凶蝕者はまだ3級で仮面能力を使えないはずで、わたしに気付いてもいなくて……そのあと2級になったけど、あの凶蝕者の仮面能力は猫にするもので……」
沙也加の話はまとまりがなくて、零にはいまいちよくわからない。
「ごめん、沙也加ちゃん。一体なにを――」
「零さんはさっき、黒騎士からは生命の波動をまったく感じなかったって言ってましたよね?」
「うん、目の前にいたのに全然。コントロールが上手いのか、そういう仮面能力なのか……」
「わたしはあの時、凶蝕者がもう一体いるのかもって一瞬考えたんです。けど近くには別の波動は何も感じませんでした。でも、わたしが気付かなかっただけで本当は近くにいたとしたら……」
沙也加の言いたいことが零にもわかってきた。
「つまり、沙也加ちゃんの脚を切断したのが黒騎士ってこと?」
「わからないですけど、もしかしたらそうなのかなって、いま零さんと話してて思ったんです」
できるかどうかで言えば不可能ではないと零は思う。黒騎士なら少し離れた位置からでも斬撃を飛ばせるので、その存在を沙也加に認識させることなく脚を切り落とすこともできる。姿を確認できず、波動も感知できなければ、そこには誰もいないと沙也加が考えてもおかしくない。
しかし仮に沙也加を襲ったのが黒騎士だったとして目的がわからない。俊の言うように仮面狩りが目的だとしたら沙也加は生きているはずがない。
目的が沙也加の命ではなく、何らかの理由で凶蝕者を守るためだったとしたら、脚を一回切っただけでそれ以降は攻撃しないというのもおかしい。沙也加は治癒の仮面を持っているのですぐに怪我は治せる。結果だけ見れば、沙也加が凶蝕者を倒したという事実が残っただけ。脚を切っても切らなくて特に何も変化はない。黒騎士が沙也加に攻撃した意味がまるでないのだ。
沙也加を殺す、沙也加が凶蝕者を倒すのを阻止する、どちらが目的だったとしてもやっていることが中途半端だ。他に目的があるのかもしれないが、この中途半端な行動にどんな意図があるのかまったくわからない。
「それともう一つ黒騎士がいたかもしれないっていう理由があって……」
「え、なに?」
零が頭を悩ませているところに、沙也加から追加の情報が入った。
「黒騎士が覚醒の仮面を持っているなら、わたしが戦った凶蝕者も黒騎士によって変えられた人だと思うんです。もしそうなら近くに黒騎士がいてもおかしくないですよね?」
「沙也加ちゃんが倒した凶蝕者が、覚醒の仮面で生み出されたっていう証拠はあるの?」
「ごめんなさい、証拠と言えるほどのものはないです……。覚醒の仮面は関係なく自然に生まれただけかもしれません」
「でもそう思った理由がなにかあるんだよね?」
沙也加はゆっくりと頷いた。絶対と言えるほどの自信は持っていないようだ。
「零さんは、仮面能力者になったばかりなのでわからないと思うんですが、最近は凶蝕者の数がすごく多いんです」
零が仮面能力者になってからまだ二か月も経っていない。よって凶蝕者の数が普段と比べて多いか少ないかなんて判断はできなかった。強いて言えば、こんなに頻繁に凶蝕者が現れていて、今までよく存在を隠し通せていたなと思った程度だ。
「そんなに多いの?」
「異常と言っていいほど多いです。短期間にこれだけ大勢が凶蝕者になるのは、普通じゃないです。だからきっと黒騎士が覚醒の仮面を使って増やしているんだと思います」
「凶蝕者が増えているのは黒騎士が原因か……」
「仮面の噂の中にも凶蝕者を思わせるものがあって……たぶん人の目に触れる機会も増えていると思います」
仮面凶蝕者を見たとして、それを誰かにしゃべったところで頭のおかしいヤツと思われるだけ。写真や映像が残っていても作り物と思われて誰も信じてはくれないだろう。
だが目撃情報が増えればそれも変わるかもしれない。一人や二人なら世迷言だが至る所で目撃情報が相次げば信じる人も増える。仮面の力のことが明るみに出れば、世界はきっとよくない方向に向かうだろう。
沙也加の話が正しければ、黒騎士は一刻も早く止めなくてはならない。
「凶蝕者が増え始めた時期って、いつからなのかわかる?」
沙也加は少し考えてからこう告げた。
「たぶん……仮面の殺人鬼が現れた頃からです」




