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ゼロの仮面  作者: 赤羽景
第三章
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11話 足跡

「それで今は何の特訓をしているんだい?」


 指導者としての役目を鳴海から引き継いだ孝仁は零に質問した。


「生命エネルギーのコントロールです」


 普段使われていない生命エネルギーをコントロールし、力に変換できれば攻撃、防御、速さ、回復などあらゆる面で強化される。零はそのコントールがまだまだ未熟であり、ここ数日は進歩がないどころかむしろどんどん下手になっていた。

 沙也加の一件で集中できていなかったことを差し引いても、あまりにもひどいと言わざるを得ない。

 アクアワールドでの戦いでは何かを掴めた気になっていたが、なかなかあの時の感覚を思い出すことができない。


「戦闘になるとどうしてもコントロールが間に合わなくなるんだよな」


 鳴海が問題点を補足説明した。鳴海の言うように戦いの中だと、どうしてもコントロールが追い付かなくなる場面が増えてくる。

 必要箇所に必要な量を瞬時に集中させるというのは思っているよりも相当に難しい。ゆっくりやればできるが、それでは目まぐるしく変わる状況の変化に全く対応できない。


「コントロールは一朝一夕でなんとかなるものじゃないからね……。御幸君はコントロール時に何か頭の中で考えたりしているのかな?」


「えーと、はい。水が流れるようにエネルギーを全身に運ぶイメージでやってます」


「やっぱり。たぶんそれがコントロールの遅れる原因だと思うよ」


「え?」


 イメージを持ったきっかけは、なかなか感覚を掴めないでいる零に『何でもいいからイメージを持ってやってみろ』と鳴海がアドバイスしてくれたからだ。その助言がなければ、ここまで成長していなかったと断言できる。

 だからイメージのおかげでコツを掴み、ここまで上達した零としてはその言葉は納得がいかなかった。


「何かをイメージすること、それ自体は悪い事じゃない。感覚を掴むために何かをイメージするのは効果的だと僕も思う。だがそのイメージはコツを掴むまでの段階でとどめておいた方がいい。実際の戦闘では頭で考えてからでは、絶対にコントロールが間に合わないからね」

 

 歩くときにいちいち頭で考えてから足を踏み出す者、物を持つときにどれぐらい力を入れようか一度考えてから持つという者もいないだろう。頭で考えているうちはどうしても反応が遅れてしまうのだ。


「どうすればいいんでしょうか?」


「何も考えずに力を集中できるよう練習するしかない。細かいコントロールは気にしなくていいから、パンチするときに腕に集中させる、キックするときに足に集中させる、それを何も考えずに反射的にできるようになるまで何度も繰り返す。とにかく経験を積んで慣れるしかないないだろうね。日々の積み重ねが何より重要だ」


 ここまでくると近道はなく地道にやるしかないのだろう。


「御幸君はここまで順調に成長してきた。だがそれが続くほど人生は甘くない。必ずどこかで伸び悩む時期が来る。今がその時、最初の試練の壁にぶつかったということだ」


「試練の壁……ですか?」


「そう、壁だ。努力を続けていると超えるべき試練の壁が何度もやってくる。……御幸君はハードル走を授業でやったことはあるかな?」


「え、はい」


「ハードル走のように進路の先にいくつも置かれたハードル、つまり試練を飛び超えることで人は少しづつ成長していく。御幸君はハードルが高くて飛び越えられず進めないという生徒を見たことがあるかい?」


「いえ、ありません」


 途中でハードルに足を引っ掛ける人はいても、飛び越えられず、そこで進めなくなる者はまずいないだろう。


「そう、最初は誰もが飛び越えられる試練なんだ。ただ飛び越えるのが速い遅いという差は当然ある。速い人は才能があるということだ」


(才能、か……)


 思うようにいかず、あがいている者にとってはその言葉は重くのしかかる。才能というたった一言の重みで心を折られた人間はごまんといるだろう。

 零が聞いた話によると、一輝は俊との戦いで簡単にコントロールを会得したらしい。それも誰かに教わったわけではなく、俊を見ただけでだ。おまけにたった一回の実戦で俊よりも高い次元まで一気に駆け上がったらしい。


「努力を続ければ徐々に超えるべきハードルは高くなる。今度はハードル程度の高さの壁ではなく、走り高跳びくらいの高さの壁だ。そうなると飛び越せない者も出てくる。才能のある人間はここでも簡単に飛び越えていくだろうが、才能のない者は努力して飛び越えるしかない」


(今の僕はそれを超えるためにあがいている段階だ)


「普通の人間は努力なしでは超えられない壁だ。諦めの早い人間はここでもう飛ぶことをやめてしまうだろう。だがここはまだ努力さえすれば、誰でも飛び越えることができる壁なんだ」


 才能が全くなくても、努力すればどんな分野でもある一定のレベルまでは到達することはできる。そこから先に進めるかは才能次第。


「問題は次だ。今度は壁なんて生易しいものじゃなく、断崖絶壁が立ちはだかっている。才能のある者ですら飛び越えられないから、ここではロッククライミングのように登るしかない。才能のない者では登りきることはできない。そんな壁が立ちはだかった時、君はどうする?」


「僕は――」


 零は言葉に詰まってしまう。どうしても超えられない壁が立ちはだかった時、人はどうするのが正解なのだろうか。

 一輝と比べれば零は才能のない人間なのは間違いない。いずれその壁に必ずぶち当たることは確定している。


「……ひとつ確かなことがある。君が倒そうとしている奇術師は間違いなくその壁を登った先にいる人間だ。もし君に才能がないとわかった時、君はどうする?」


 そう、間違いなくあの男も才能のある側の人間なのだ。才能がないと割り切って諦めてしまえば奇術師には追い付けない。


「君には二つ選択肢がある。一つは別の道を探す方法だ」


「別の道……」


「仮面能力者として進む道は諦め、別の道を歩くんだ」


「待って! 浅葉さん、零くんは――」


 二人の話に割って入ろうとする美咲を鳴海が手で制止した。


「仮面能力者としての道が全てではない。来た道を引き返して別の道を進むのも一つの正解だ」


 零の現状を見て、孝仁は遠回しに諦めろと言ってくれているのかもしれない。もしかしたら鳴海も美咲もみんな心の中では零が奇術師には勝てないと思っていて、だから孝仁は年長者として憎まれ役を買って出てくれたのだろうか。そんなネガティブな考えが零の心を支配した。


「だがその際には覚えておいて欲しいことがある。もし違う道を選んだとしても、別の試練が必ず待っているということだ」


 どんな道を選ぼうと試練のない道は存在しない。人生とはそれを乗り越え続けていくものであり、立ち止まるということは死ぬということだ。


「今度は壁ではなく……そうだな、川が君の進行を妨げているとしよう。橋もかかっていないから君は泳いで渡るしかない。もしかしたら君はそこで泳ぎの才能があったことに気付けるかもしれないね。壁を登る才能はなかったが、泳ぐ才能が君にはあった。そういうことだってきっとある」


 最初の道で挫折した人間が、次に選んだ道で本人も知らなかった才能を開花させることはある。ダメだとわかった時は潔く諦めて別の道を選んだほうが人は幸せになれるのかもしれない。


「違う道を選ぶということは逃げるということではない。新たな自分の可能性を探すということだ。だがもしも君がそれでも壁に立ち向かうというのなら、覚悟を決めなければならない」


 人はそんなに簡単に割り切れる者ばかりではない。自分の決めた一本の道、それ以外の道などあり得ないという者もいる。


「高い壁だ。一度足を踏み外して落ちてしまえば、君はもう二度と立ち上がれない傷を負うことになるかもしれない。才能の壁に挑戦するとはそういうことだ。それでも君は壁を登るのかい?」


 才能と本気で戦うと決めた人間はもう後戻りはできなくなる。ダメだった時は別の道に進めばいいという甘い選択は残されていない。失敗すればそこで人生が終わってもおかしくないリスクを背負うのだ。


「たとえ才能がなくても、誰かにお前は無理だって……不可能だって言われても僕は意地でも登り切りますよ。絶対登り切って、崖の上から楽しそうにニヤニヤしているアイツをぶん殴ってやります」


 才能の有無で諦められるような人間なら奇術師に初めから立ち向かっていない。零の道はとっくに決まっていたのだ。今更他人に何を言われようと道を変えることなどあり得ない。必ず才能の壁を登り切り、天才たちの見ている景色を堂々と拝んでやるつもりだ。


 孝仁は零の答えを聞くと少し驚いた顔をした後、またいつもの柔和な微笑みを刻んだ。


「いやーすまない。試すような真似をして悪かった」


 孝仁はそう言うと軽く頭下げた。


「仮面能力者に最も重要なのは、生命エネルギーのコントロールができるかどうかではなく心が強いかどうかだ。実をいうとその辺は少し疑っていた。君は気の弱い人間だと思っていたからね。ただ今はっきりしたよ。君は一見すると気弱だがちゃんと強い心を持った人間だった。鳴海君たちが君を気に入ったことにもようやく合点がいった」


「浅葉さん、コイツはみんなが思っているよりもずっと頑固で、わがままで、意志が固いヤツだぜ」


 鳴海が嬉しそう零の頭をかき回しながらそう言った。零の回答が余程嬉しかったのか、さっきまでと違い機嫌がいい。


「そのようだね。覚悟の確認なんて余計なお世話だったみたいだ。ついでにもう一つだけ余計なことを言わせてもらってもいいかな?」


「何ですか?」


「君はこれからも仮面能力者としての道を歩んでいく。その道は間違いなく君の意思で選ばれたものだ。道を誰かに選ばされるということはあってはならない。必ず自分一人で決めなければならないんだ。そして道を歩けば必ず足跡が残る。人生の足跡だ」


「人生の足跡ですか?」


「そう足跡だ。人生が終わる時、人はその足跡を振り返る。君が歩んできた証であるその軌跡を見て、最後は満足して人生を終えてほしい。足跡を見てあの時あっちの道を歩けばよかったとか、あそこで立ち止まらなければ……といったような後悔は君にはしてほしくない。自分はこんなにも遠くまで歩んできたのだと、自分の人生に誇りを持てるように生きてほしい」


 人生の終わりがいつやって来るかは誰にもわからない。長生きして大往生を遂げるかもしれないし、病気や事故で死ぬかもしれない。仮面能力者ならば戦いの中で命を落とすこともあるだろう。

 最後に自分はどんな顔をして終わりを迎えるのだろうか。できればみんなに囲まれて笑っていたらいいなと零は思う。


「長くなってすまないね。特訓を再開しよう」


 孝仁は手を軽く叩いて特訓の再開を促した。だが特訓に戻るその前に零は鳴海に聞いておきたいことがあった。


「あの……チカラさん」


「ん、どうした?」


「もし乗り越えられない壁があったらチカラさんならどうしますか?」


 鳴海は天才寄りの人間だからもしかしたら聞く人を間違えているかもしれない。それでも鳴海に聞きたいのは、彼が零にとって憧れであり目標の存在であるからだ。


「決まってるだろ。登れねぇなら壊せばいいんだよ」


 悔しさで零は奥歯を噛んだ。やはりこの人にはまだまだ敵わないということがその回答だけでもわかったからだ。


「……やっぱり天才ですね」


「は? 何でそうなるんだよ?」


「いや、だって普通はみんなどうやって登るか考えるところを、壊して進むって発想が出てくるところが天才っぽいなって」


「……俺が言いてぇのは、どんな高い壁が立ちはだかろうと、折れない心を持つ俺スゲーだろってことだったんだがな……まぁ別に方法はなんだっていいんだ。ロープを使ったっていいし気球を作ったっていい。自分の決めた道なら泥臭くても全力で活路を探すしかねぇんだよ。お前もこの道であがくって決めたんならそうするしかねぇぞ」


「……そうですね」


「お前がどうやって壁を突破していくのか、ちゃんと俺に見せてくれよ」


「はい! 必ず!」


 意識が少し変わるだけでも人は大きく変化する。この日から零はまた飛躍的に成長していった。

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