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ゼロの仮面  作者: 赤羽景
第三章
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7話 猫の言葉は難しい

 衣服を隠し終わった沙也加は空き地を飛び出し、自宅へと向かった。

 見慣れた街の景色も、猫の目を通して見るといつもと少し違って見える。

 人との接触をできるだけ減らすために、普段なら使う大通りを避けて家に向かう。

 しかし、それが裏目に出てしまった。


(どうしよう……すごい睨まれてる)


 小道を歩いていると、正面から別の野良猫と出くわした。猫はその場で道を塞ぐように立ち止まる。沙也加の出方を窺っているようだ。

 沙也加が一歩前に踏み出すと、その猫は背中の灰色の毛を逆立てて、威嚇してきた。

 元々、沙也加より猫の身体は大きかったが、威嚇をしたことで今はさらに大きく見える。


(もしかして……縄張りに入ったから怒ってるの?)


 猫の縄張りは、都会では直径150メートル、田舎では直径500メートル程度あると考えられている。野良猫は飼い猫と違い、自分で食糧を確保しなければならない。縄張り争いの原因もそれがほとんどの理由である。

 沙也加には縄張りなんてないし、食糧を奪うつもりもさらさらないが、下手くそな猫語ではそれを伝えられそうにない。


(ネコってこんなに怖かったっけ?)


 猫には可愛いイメージしかなかったが、それは間違いだったと沙也加は思い知らされた。

 もし飼い猫なら飼い主には絶対見せちゃいけない表情をしている。

 今の沙也加にとっては猛獣が鎖もつけずに、放し飼いになっているようなものだった。

 野生の一面を垣間見てしまった気がする。


「ニャ、ニニャー。ニャーオ? 〔お前、見ねぇ顔だな。どこのもんだ?〕」


(え、え? なんて?)


 沙也加には何を言っているのかわからない。猫になっても猫の言葉は理解できなかった。

 一つわかったのは、本物の猫が言う『ニャー』と沙也加の『ニャー』が全然違うこと。

 アメリカ英語とカタカナ英語くらい違う。

 無視は良くないと思い、沙也加は精一杯気持ちを込めて言葉を伝えることにした。下手くそな発音でも、気持ちを込めればきっと伝わると信じて沙也加は『もう一度言ってください』と猫語で聞き返した。


「ニャー。〔かかってきな〕」


 沙也加の言葉はまったく違う言葉に変換されてしまった。それを聞いた灰色猫は沙也加に近付いてきた。


(あれ? なんかすごい怒ってる? 聞き返すのは失礼だったのかな?)


 灰色猫は沙也加の鼻先まで顔を近づけてきた。


「ニャーオ。ニャニャン。〔口には気をつけな。お嬢ちゃん〕」


(やっぱり怒ってるぽい? 謝ったほうがいい……よね?)


 沙也加は『ごめんなさい』と謝罪の気持ちを込め、頭を下げた。


「ニャニャンニャニャン。〔息が臭いです〕」


 下げた頭を突然、灰色猫にはたかれた。いきなり猫パンチをもらい沙也加は動揺した。


(痛ッ! え、なんで? ちゃんと謝ったのに……)


 沙也加は灰色猫との意思の疎通は、不可能と判断し強行突破することにした。


(でも、確か……やられっぱなしはよくないんだよね?)


 沙也加は以前、やられたらやり返すのが喧嘩の作法だと鳴海から教わったことがある。やり返さないのは、相手の想いを無下にする大変失礼な行為なので、全力でお返しするのが礼儀とのこと。

 沙也加は純粋にその言葉を受け止め、素直に実行する。

 去り際に前足で華麗に一撃お見舞いし、その場から立ち去る。

 灰色猫の横を抜けて全力で駆ける。沙也加の後を灰色猫も追いかけてきた。なかなか引き離せない。


(なんで追いかけてくるの!? おあいこで喧嘩は終わりじゃないの?)


 灰色猫は目の色を変えてしつこく追って来る。


「ニャニャ、ニャン! ニャニャーニャ! 〔惚れたぜ、今の一撃! 俺の女になれ!〕」


(だから何を言ってるのか、全然わかんないのっ!)


 そんな心の叫びを言葉にしても、きっとまた誤解されると思い、沙也加は吐き出したい気持ちを飲み込んだ。

 いつまでも諦めない灰色猫を巻くために、沙也加は何度も角を曲がる。もう自分がどこにいるかもよくわからない。

 沙也加はさらにスピードを上げる。猫の身体に慣れてきて体の使い方がわかってきた。

 次の角を曲がった先で一気に突き放す。沙也加は全速力でコーナリングする。


(――ッ!)


 角を曲がった先で、人の足が沙也加の目に入った。スピードを上げすぎた沙也加は避けきれずそのままぶつかってしまう。


「うおっ! マジか……ビックリした……」


 沙也加がぶつかった男は、いきなり猫が衝突してきたことに驚き慌てふためいた。


「匠……ネコを蹴るとかサイテー」


「いや蹴ってねーって! 急にぶつかってきたんだよ!」


「あーあ。かわいそうに……大丈夫?」


 沙也加は、ぶつかった男の隣にいた人物に抱き抱えられた。


(うそ……零さんだ)


 猫じゃなく人の姿だったら、うれしくて大泣きしてしまっただろうと沙也加は思う。

 さっきの女性と違い抱き方が優しくて全然苦しくない。安心して体を預けられた。

 伝えたいことが溢れて、いっぱい言葉にするが全て猫語に変換されてしまう。


「なんか、めっちゃしゃべるなこの猫」


「匠にちゃんと前を向いて歩けって怒っているんだよ。あと他の女の子ばっか見てないで、一番近くにいる女の子をちゃんと見ろって言ってる」


「前半はともかく後半は絶対言ってなくね?」


(零さん……お友達といる時はいつもの雰囲気と結構違うんだ。でも今の零さんもすごく良い。あとわたしの言葉全然伝わってない)


 言葉が伝わらないのは悲しいが、いつもと違う零が新鮮で沙也加はうれしくて、尻尾を自然と左右にくねらせてしまう。


「首輪してねぇけど野良猫か?」


「でもなんかあんまり野良猫っぽい感じしないね」


(野良じゃないです! 浅葉家の沙也加です! お願い、気付いて零さん!)


 どうにかして伝える方法はないかと思案するが、一向に良いアイディアが浮かんでこない。


「俺にもちょっと抱かせてくれよ」


「はいはい」


(あ! 待って! やだ! 離さないで零さん!!)


 沙也加は必死に零にしがみつき抵抗する。


「なんかめっちゃ嫌がってね? 地味にショックだわ」


 匠は落ち込み肩を落とした。犬や猫、小さい子なんかに嫌われると結構きついものがある。沙也加にもその気持ちはわかるので申し訳ないとは思うが、それでも今は零から一瞬たりとも離れたくなかった。


「さっき蹴られたし、今度は鯖折りされそうだから嫌だってさ」


「絶対言ってないよね! つーか俺が嫌ってよりお前のことが好きなんじゃねぇの?」


「そうなの?」

 

 零は沙也加と目を合わせて優しく微笑みながらそう聞いた。


「ニャー!! 〔大好きです!!〕」


 奇跡的に人の心と猫の言葉が一致した瞬間だったが、零たちはもちろん沙也加本人もその意味に気付いていない。

 その言葉の意味をただ一人、否、ただ一匹だけが理解した。物陰に隠れていた灰色猫は沙也加の気持ちを知ると、何も言わずにただクールに去って行った。

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