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ゼロの仮面  作者: 赤羽景
第二章
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24話 ウォータースライダー

 一時間も待たされてやっと零たちのグループの順番が回ってきた。

 この時を待ちわびた零たち四人は専用の浮き輪に勢いよく乗り込んだ。

 零の正面には凜、森下の正面には佳奈が互いに向かい合うように座ることになった。

 森下は正面の二つの膨らみを前に終始、頬が緩みっぱなしだ。


「ちょっと森下くん、見すぎ、見すぎ!」


 凜から笑いながら注意されたが、森下は何のことかわからないという感じで頭をかきながらごまかす。

 今だけは零も森下を責めることはできない。もし佳奈の正面に座っていたら零もまた視線を吸い寄せられていただろう。どこにとは言えないが。

 足を曲げなければ座れないほどの近距離に、妖艶な肢体の同級生が水着で座っているのだから、盛んな男子高校生に見るなというのは無茶というものだ。

 佳奈と比べれば凜の水着姿は高校一年生らしく健全だ。可愛らしく素敵で魅力がないわけではないが、情欲をかき立てるほどではない。

 凛の水着姿なら視線が下を向くことはない、とは言い切れず少しは向いてしまうが問題ないレベルである。

 だから正面に座っているのが凜で良かったと心底思う。間違っても森下や匠のように変態のレッテルを貼られるわけにはいかないのだから。

 森下にジロジロ見られても佳奈は特に気にした様子はない。器が大きいのか。それとも森下のことなど眼中にないのかもしれない。


「零くん、大丈夫ですか? 顔色が少し悪いみたいですが……」


「おい御幸、まさかお前ビビッてんのか?」


「あれ~? 零ちゃんもしかして高いところ苦手?」


「べ、別にそんなことないよ」


 みんなが何を言っているのかまったく理解できない。

 奇術師にだって立ち向かえたのだから今更こんなことでビビるわけがない。

 ちょっと、思ったより、少し高いと思っただけなのだ。何の問題もない。

 零はそんなふうに自分の心をごまかし、恐怖に気付いていないフリをしていた。

 零はこの時大事なことを忘れていた。恐怖を克服するためには逃げたり目をそらしたりするのではなく、立ち向かうしかないということを。


「あああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 スタート直後、零の絶叫が鳴り響いた。

 連続カーブを抜けた先、突如としてやってくる急降下。そのまま心を落ち着かせる暇もなく最大傾斜68度の絶壁を一気に駆け上がる。

 そしてさっきとは比較できないほどの急降下。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 零の絶叫は最高到達点を記録した。ジェットコースターのようなスリルを味わえるという謳い文句に嘘偽りはなかった。

 重力から解き放たれるその感覚は、巨大な翼を広げ一気に飛び立つようなイメージを連想させた。

『プテラノスライダー』、翼竜の名前を冠するのにふさわしい凶悪なスライダーだった。


 スライダーを堪能した零たちは、昼食のために施設内にあるフードコートへ向かった。

 お昼時なので混んでいたが、ちょうど近くの家族が食べ終わったので、零たちはすぐに席を確保した。


「なんか叫び声ヤバかったけど大丈夫か?」


「え? ああ……ヘーキヘーキ」


「全然、平気そうじゃないが」


「零ちゃん、大丈夫? お水飲む?」


 匠と帆夏に本気で心配されるほど零の顔は疲弊しきっていた。

 水着姿にドギマギしていたことを忘れてしまうほどの体験だった。

 次があるなら今度はもう少し緩やかなスライダーにしてほしい。

 零とは対照的に横にいる森下と近藤はスライダーの感想で盛り上がっている。


「マジ最高だったぜ! めっちゃでけぇし、めっちゃ揺れてたし!!」


「うおおおマジか!? うらやましいいいい!!」


 たぶん、いや間違いなくスライダーの感想ではない。


「――――!」


「どうかしたか?」


「ううん、何でもない。ちょっとトイレ行ってくるね」


 とっさに零は嘘をついた。

 匠には少し怪しまれたが他のメンバーには零の動揺は気づかれなかった。

 ゆっくり歩いてフードコートを出る。

 そして匠たちから自分の姿が見えない位置まで移動する。

 そこからは目的地に向かって全力で走り出した。

 まずはロッカーに置いてきた、ある物を取りに行く。

 念のために持ってきていたが、本当に必要になるとは露程も思っていなかった。


(どうして今なんだ! クソッ!)


 ロッカーを乱暴に開け、目的の物を手に取ると零はぶつけようのない怒りと苛立ちを心の中で爆発させた。


 フードコートで零だけが感じた異変。それは生命の波動だった。

 零の波動の感知はまだまだ未熟だ。

 だがそれでもすぐにわかるほどの異物感がこの施設内にいる。

 普通の人や動物とは明らかに違う波動だ。

 異物の波動は悪臭のように離れた位置からでも届いてくる。そのため位置の特定は難しくない。


 ロッカールームを出た零は、悪臭の発信源に向かって最短距離で駆け抜ける。

 犠牲者が出る前に片付けなければならない。

 すれ違いぶつかりそうになる人の目や罵声もいまは気にしていられない。


(美咲さんたちはいない。僕がやるしかない)


 この場にいる仮面能力者は零一人のみ。戦えるのは零だけだ。

 美咲や鳴海の助力を期待できない状況、それを想定していなかったわけではない。

 それでもこんなに早く、その日がやって来るとは思っていなかった。まだ来てほしくなかった。

 文句を言っていてもしょうがないのはわかっている。敵は待ってはくれないのだから。万全の状態とはいえなくてもやるしかない。

 もし匠たちがいなければ、逃げるという選択肢もあった。

 どれだけ犠牲が出たとしても関係ない。知らない人間のために命を懸けられるほど零は善人ではないのだから。


「死なない覚悟……死なせない覚悟……」


 零は暗示のように自身の覚悟を口にした。

 奇術師の時のような『死ぬ覚悟』はもうしない。自分を犠牲にする戦い方はもうしない。友達も傷つけさせない。


 奇術師と俊との戦い、過去二戦ではまだ同じステージにすら上がれていなかった。

 だけど今は違う。夏休みの特訓で手ごたえはあった。

 戦うための力は今、この手に持っている。

 ステージに立つ力は身につけた。だが現状でどこまで踊れるかはやってみないとわからない。


「試してやる! 今日が僕にとっての本当のデビュー戦だ!」


 自身を鼓舞するために意気込み叫んだ。

 悪臭のように嫌な波動をまき散らす者の正体は仮面凶蝕者。

 初めて遭遇した時には逃げるしかできなかった相手だ。

 あれからどれだけ強くなれたのか試すのには絶好の相手と言えるだろう。

 この戦いが今後の全てにつながっている。

 ここで躓いてしまうようなら、美咲を守り抜くことなど到底かなわない。

 自分一人の力で勝利を収め糧としたい。自分は戦えるという自信が欲しい。

 恐怖はほとんど感じない。あったとしても別の強い想いで塗りつぶす。

 心の力、精神の強さが仮面能力者としての強さに直結している。

 心が負けていたら勝負にはならない。だから常に強い意志を胸に秘める。

 

 波動が強くなってきた。敵はもうすぐ近くにいる。

 零は『立入禁止』と書かれたスタンドの前にやってきた。これから先のエリアは新たに設備を増やすためか、工事中のため一般客の立入を禁じているようだ。

 これは零にとって好都合だった。

 まだ影の世界の扉の開き方は鳴海に教わっていない。人目に触れるのはできるだけ避けたかった。

 それでもできるだけ早く勝負を決める必要があるだろう。

 長引けば一般人の目に触れる危険性がそれだけ上がる。それに人が集まれば戦いにくくなるのは間違いない。守りながら戦うというハンデは背負いたくないところだ。

 あまり遅くなれば匠たちが心配して探し始めることもあるかもしれない。

 零はまだ普通の高校生としての日常を手放したくはない。クラスメイト達にバレるわけにもいかないのだ。


 零は『立入禁止』のスタンドを超える。それと同時により一層気を引き締める。

 このスタンドが日常と非日常を分かつ境界線だ。

 零はどこにでもいる普通の高校生から仮面能力者としての自分に顔を変える。


(いや、違うな。仮面能力者としてじゃない)


 零は手に持っているそれを顔へと運ぶ。

 それは精神を形にした心魂の仮面ではない。浅葉孝仁から譲り受けた零の新たな力。

 零は足を止めた。

 神秘の仮面を身に着けた『仮面使役者』として、零は目の前の敵と対峙する――。

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