17話 どうでもいい
鳴海は気を失った零を抱えると、そのままベンチに移動させた。
「わざわざ出てきやすいようにしてやったんだ。誰でもいいから出てこい」
気絶している零に鳴海は呼びかける。
正確に言えば、鳴海が話しかけているのは零ではなく、零の別人格だ。
これまで別人格が現れたのは、決まって零が意識を失っている時だった。
だから鳴海は別人格と対話するために零の意識を落としたのだ。
多少強引だったが他に方法がないので仕方がない。
鳴海の言葉に応じ、別人格の一人がすぐに目を覚ました。生命の波動の変化から人格が交代したことはすぐにわかる。その波動に鳴海は覚えがあった。
「お前の波動……最初にでてきたやつだな。名前は確か――」
「信五ッス。奇術師の時はどうも。美咲さんも久しぶりッス」
信五は美咲に向かって軽く手を振った。
「信五くん、聞きたいことがあるの。零くんの記憶は――」
「あー。その話はダメッス。いくら美咲さんの頼みでもね。余計なことを言ったら俺が消されかねない」
信五は「だめだめ」と手を振って、美咲の要求を拒絶した。
「消されるってのは?」
回答を拒否されたことにも動じず、鳴海は淡々と質問を続ける。
元々あっさり記憶について話してもらえるとは彼は思っていなかった。
あらゆる角度から質問し、可能な限り情報を得る。それしかない。
「会ったんスよね? 一輝に」
「……ああ。あのヤバイ奴だろ?」
「そう、そのヤバイ奴ッス」
他の人格から見てもやはり一輝はヤバイ存在らしい。
「一輝のほうがお前より立場は上って感じか?」
「一輝は特別なんスよ。あいつは零が最初に作った人格だから。ちなみに名前にある数字は生まれた順ッス」
これまでに零と代わった人格は一輝、三香、信五、歩六の四人。
名前の数字は生まれた順。それなら歩六の六という数字から、最低でも別人格は六人いるということになる。
そして信五は五番目に生まれた人格。信五にとって一輝は兄のような存在だ。
「最初にして最強の人格。そして最も零を憎んでいる人格ッス」
「憎んでいる理由は?」
「内緒ッス」
「お前は零のこと、どう思ってんだ?」
「――――」
それまでは即答していた信五もこの質問には口をつぐんだ。
貼り付けたような笑顔は消え、親しみやすい明るい仮面は崩れ去った。
「そっちが本当の顔か?」
作られた笑顔も軽い感じの喋り方も、信五にとってテキトーにかわして逃げるための手段の一つ。
本心を隠してうまくやるにはこれが一番いいからだ。
相手に合わせて表向きは協力的なフリをする。自分の意思は語らない。
本心を知られるということは、相手に弱みを握られるのと同じことである。
だから決して本当の顔は見せない。偽りの仮面を被って本当の感情を悟らせない。
偽りの仮面――それはあの男が最も嫌悪するものだ。
奇術師に最後の一撃を入れたのは信五だ。零ではない。
だが奇術師は信五の名前ではなく零の名前をその心に刻んだ。
信五の名前に興味を示さなかったのは、零が主人格だからということではない。
奇術師には信五という人格が全て見透かされていたからだろう。
偽りの仮面で隠した薄っぺらい本心、空っぽな心の中を。
信五にとってはこの世の全てがどうでもいい。他人のことなどどうでもいい。自分の存在だってどうでもいい。
生まれてから何一つ心を奮い立たせるものはなかった――あの時までは。
あの時、奇術師に立ち向かう零と何度も立ち上がる美咲を見て、少しだけ空っぽな自分の心を何かが満たした気がした。
零に力を貸したのはそれが理由だ。それが何か確かめるためだった。結局それが何かは今でもわからない。
ただ少し興味は湧いた。
この先、零が何を選び何を捨てるのか、美咲という人間の強さ、そして自分が何を求めているのか。
いつか消える日が来てもそれが何かを確かめてから終わりたい。
奇術師と同様に鳴海力にはごまかしは通用しない。だから信五は少しだけ本音を語ることにした。
「……昔は嫌いでしたよ」
ようやく絞り出した言葉は消えそうなほど小さかった。