14話 仲直り
零と比べて時間はかかったものの俊の治療も完了した。
小さな傷は全て塞がり、最も重症だった右腕も完全に元通りになった。
俊は右の拳を閉じたり開いたりしながら異常がないかを確認していた。
沙也加の治癒は完璧で後遺症も一切残していない。
俊の治療の途中で意識を取り戻していた零は、沙也加の治療を目の当たりにし、その凄さを思い知ることとなった。
零もすでに二度、彼女の治癒能力で命を救われているが、いずれも本人は意識を失っていた。だから実際に見るのはこれが初めてだった。
俊の腕が復元されていく光景は、治癒能力という言葉で片付けてしまっていいものなのか。
自分はいま奇跡の一端を垣間見ているのではないか。
自分の命を何度も救ってくれたこの小さな少女は、実は女神だったりしないか、そんな馬鹿な考えが零の頭をよぎるほどに彼女の能力は特異なものだった。
零にとって仮面能力とは単に敵と戦うための力だった。沙也加の力を知った今となっては、その認識を改めなければならない。
沙也加の力は世界に必要とされる力だ。誰もが欲しがる力だ。
(もしも世界が彼女に気づいたら――)
少女の未来を頭に思い浮かべ、零はその恐ろしい光景をすぐに頭の隅に追いやった。それは考えても仕方のないことだからだ。
鳴海たちが気づいていないはずもなく零が考えるべきことではない。
零にとっては美咲が全てであり、それ以外は全て捨てるとあの時に誓った。
そうしなければ守れない。そこまでしても守れるかわからない。他のものを背負っている余裕など零にはない。
全て抱えて取りこぼすくらいなら、大切な一つを掴んでそれだけは絶対に手離さない、それが零の覚悟だ。
美咲を守ることができれば、あとはどうなろうと知ったことではない。
「よし、俊も完全復活したし、零の意識も戻った。話の続きを始めるぞ」
鳴海が軽く手を打ち鳴らして全員の注目を集めたあと俊に視線で合図を送った。
不満そうな顔をしている俊に沙也加が一言「……お兄ちゃん」と怖い顔で圧をかける。
妹の圧に耐えかね兄はイライラとした様子で話し始めた。
それからは俊が中心となって今回の事情を説明した。
新たに発覚した零の別人格、歩六と一輝の存在。
俊は仮面の殺人鬼ではなく、沙也加の兄であり味方だということ。襲撃したのは零を試すためだったということ。試すというのは零の力を見るという理由もあるが、一番は零が信用できる人間かどうか見定めるためだった。
記憶がないという怪しい人間を信用することは、俊にはできなかった。それが嘘で自分を偽り、何らかの目的で美咲たちに接触してきた敵の可能性もある。
美咲と鳴海から多重人格の仮面能力者だと聞いた時、俊の頭にまず浮かんだのは、零が仮面の殺人鬼ではないかという疑念だった。
なかなか尻尾を出さない仮面の殺人鬼。仮面の殺人鬼を見つけられないのには、何か理由があるはずだと前々から思っていた。
人格が変わると生命の波動も別人のように変化する。被害者の死因が大きく異なるのも、人格ごとにそれぞれ違う仮面能力を扱える多重人格の仮面能力者なら可能だ。
零本人に自覚はなくても、他の人格が殺人を犯している可能性もある。それらの理由から俊は零を疑っていた。
今回の戦いでその疑念が完全に晴れたわけではない。
説明を聞いていた零自身、自分が絶対に仮面の殺人鬼ではないという自信が持てなかった。
自分の中に残酷で卑劣な人格が眠っている可能性を否定できない。そんな人格がいるから、過去の自分は自ら命を断とうとしたのではないかと。
「零くんは仮面の殺人鬼じゃないわ」
だが美咲は真っ向からそれを否定した。
「なぜ、そう言い切れるんですか? 倉科さん」
「だって零くんは……ううん。零くんたちはみんないい子だから」
美咲の返答に鳴海は小さく笑い、沙也加は美咲に賛同するように何度も首を縦に振った。俊は口を開いて何かを言おうとしたが、そのまま飲み込んだ。
零は涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
自分でさえ自分のことが信じられない。それなのに美咲は自分のことを信じてくれている。
いつも自分が一番欲しい言葉をくれるのだ。
「よし。じゃあ俊くんも納得してくれたみたいだし、仲直りの握手しよっか」
美咲は手をポンと叩いた後、笑顔で二人の手を取って握手を促した。
「待ってくれ、倉科さん。オレは納得したわけじゃ……」
「美咲さん、殺人未遂のこいつと握手するのは僕もちょっと……」
「いいからしなさい。これから一緒に戦っていく仲間なんだから」
二人は美咲に逆らえず、嫌々手を伸ばした。
二人の手が触れる直前で零は手の平を上に向けた。
「おいチビ、ふざけんな。握手のやり方も知らねーのか? さっさと終わらせてーんだよ」
「これで合ってるよ。ほら早くお手しなよ。あっ、もしかしてお手もできないのかなぁ、このバカ犬は」
零は根に持つタイプで好き嫌いが激しい。
好きな人、気に入った人にはとことん甘く優しい人間になれる。しかし嫌いな人、気に入らない人には際限なく厳しく冷たい人間になる。それが零という人間だ。
「てめぇ、やっぱぶっ殺す!!」
「お、お兄ちゃん。いいじゃん、してあげなよ。お手ぐらい」
「するわけねーだろ」
「いいじゃねぇか、してやれよ。沙也加にはいつもしてるんだろ?」
鳴海はニヤニヤと笑いながら俊をからかった。
「してませんよ! 鳴海さんまで何を言ってるんですか!?」
「零くん、今のは零くんが悪いよ」
美咲は小さい子を相手するように零を叱りつけた。
「えー! でも美咲さん。僕こいつ嫌いです。仲良くできる自信もありません」
一度嫌いになった人間、そして未だに敵意の目を向けてくる人間と仲良くすることは、美咲の頼みでも難しい。大人の対応で許したフリをすることすら零には厳しかった。
「俊くんにも良いところはいっぱいあるよ」
美咲は欠点ではなく美点で人を判断する。短所ではなく長所、ダメなところは高校生としては大きすぎる器で受け止め、良いところを見ようとする。
零は真逆のタイプで人を判断するとき、どうしても欠点に目が向いてしまう。
だからいくら美咲が俊の良いところを力説しようとあまり意味がない。
百の小さな美点を集めても一つの大きな欠点があれば、零はその人間を嫌いになるのだから。
欠点を帳消しにするほどの美点を俊が持っているとは零には到底思えなかった。
それでも美咲を見習い、零は必死に俊のあるとは思えない美点を探した。
「うーん? 妹がすごくかわいいってことぐらいしか思い当たりませんけど」
無理やりひねり出した俊の良いところなどそれしかなかった。
「それは本人の良いところではないかな」
「零さん……そんな……かわいいだなんて……」
沙也加はまたまた顔を赤く染め上げた。もはや零がいる時は、顔が赤い時間のほうが長いかもしれない。
その後は結局、沙也加が俊の腕を、美咲が零の腕を引っ張り、強引に握手をさせることでとりあえずの仲直りということになった。




