10話 現にできている
「殺処分? そんな力もない癖に吠えるな」
二人の人格相手に完勝し圧倒的な力の差を見せつけたあとだというのに、新たに現れたこの人格は上からモノを語る。
「お前たちのハッタリにはもううんざりなんだよ」
狼男は抑えられない怒りを吐き捨てた。
「ハッタリか……あのクズならそうするだろうがな。オレはできもしないことは言わない。それに本当かどうかは、ニオイでわかるんだろ?」
狼男は怒りで冷静さを失っていたため気づかなかったが、確かに嘘をついているニオイではない。
思えば歩六と名乗った人格もそうだった。「一輝に殺される」とそう発した際に、嘘のニオイは感じられなかった。
だが嘘やハッタリでなく本気で言っているのなら、相手の力量もわからないただのバカということだ。
これなら自分では勝てないと己の弱さを認め、生き残ることに全力を注いだ最初の人格のほうがまだマシだ。
身の程を知らない者の戯言など不快でしかない。
バカは死なないとわからないというが、目の前の男はすでに二度死んだようなもの、死してなおこの男は自分が愚昧であると気づかないのだろう。
「でかい口を叩いたこと後悔させてやるよ」
狼男はそう言うなり、すさまじい速さで一輝との距離を詰める。
両手の爪による猛攻は一度でもまともに食らえば、その身は引き裂かれる。
これまではある程度、手加減していたが狼男はもう遠慮はしない。
力の差を理解できないのならわかるまで痛めつけ、目の前の男の鼻っ柱をへし折ってやるまでだ。
そのつもりだった。だが攻撃は当たるどころか、かすりもしない。
狼男はもはや加減を一切していない。にもかかわらず、一輝には攻撃が当たらない。
完全に見切られ、全て最小限の動きで回避される。
「なるほど、これが生命の波動……そして生命エネルギーか。鳴海力に感謝しないとな。確かにこれがわかるなら回避はたやすい」
「バカな!? 俺の攻撃を完全回避するレベルの感知ができるはずがねぇ!!」
おまけに今の口ぶりからして、この一輝という人格が波動の感知をしたのは今回が初めて。
戦闘中の波動の感知は超高難易度だ。さらに相手の動きを完全に読み切るレベルの感知ができる人間など仮面能力者の中でもほんの一握りしかいない。
「現にできているだろ」
一輝の言うようにそれが事実だった。信じ難いことに初めての感知にも関わらず、それが出来てしまっている。
しかし狼男にとって本当に問題なのは、波動の感知に関して天賦の才があることでも自分の攻撃が回避されていることでもない。
何より受け入れ難いのは、眼前の男がまだ仮面を発現すらしていないということだ。
「いくら感知が完璧だったとしても、仮面を出していないのに俺の攻撃が避けられるはずねぇ!」
身体能力では圧倒的に狼男が上だ。
いくら感知をして攻撃を予測できたとしても本来なら避けきれるはずがないのだ。
「答えならわかっているんだろ?」
そう言われて狼男は沈黙した。心当たりはある、というより一つしかない。
だが生命の波動を感知できるようになって間もない人間ができるはずがない。
仮面能力者たちの間では常識ともいえる考え、それがその可能性を必死に否定していた。
簡単には認められないことだった。狼男は解せないといった表情のまま閉ざした口を開いた。
「生命エネルギーのコントロール……。人は生命エネルギーのほとんどを持て余している。普段使い切れない分は生命の波動として体外に排出される。だがその普段使えていない分の生命エネルギーを力に変換することで、身体能力を大幅に向上、通常ではありえない力を発揮することができる」
「そうだ。鳴海力は仮面を発現させる特訓の前にまず生命の波動のコントロールを教えると言っていた。感知ではなくコントロールだとな。おそらくクズがある程度、感知に慣れてきたと判断したらコントロールも教える予定なんだろう」
「教わってもいないのに、なぜお前は生命エネルギーをコントロールできる!?」
「教えてくれたのは、お前だ」
「なに!?」
今日初めて出会ったばかりの人間、それも敵としてだ。波動のコントロールを教えることなどあるはずがない。
だとすれば答えをは一つ。だがそれはありえない。波動のコントロールができる者ならだれでもその可能性を否定するだろう。
「お前がクズ、そして歩六と戦闘をしていた時オレはお前を観察していた。移動の際にお前は脚に生命エネルギーを集めて力に変換、速度を強化。攻撃の際には、腕に生命エネルギーを集中させることでパワーを強化していた」
「見ただけで生命エネルギーをコントロールできるようになったのか!?」
教わってもいないのにできるということは見て覚えたということ、狼男にもその可能性は頭に浮かんでいた。
だがすぐにその考えを否定していた。
そのレベルにたどり着くためにどれほどの研鑽を積めばいいか。
血のにじむような努力を積み上げてきたからこそ、波動のコントロールの難度を知っているからこそ、狼男はその可能性を認められない。受け入れられるはずがない。
「そうだ。中々勉強になったよ。まぁ見る限りお前の生命エネルギーのコントロールは、無駄が多くて教わる相手としては不適格だったがな」
一輝は悪辣に笑った。
狼男は必死に別の可能性を探す。
一輝の言葉がただのハッタリだと、自分を騙すためにデタラメを言っているだけだと、目の前で起こっている現実から目を背ける。
そうすることでしか平静を保てそうにないからだ。
しかし否定したところで自分の目で見た光景は、一輝の言葉が真実だと、否定できない現実であると告げてくる。
「ありえない……できるはずがねぇ」
「だから現にできているだろ」
一輝はため息交じりでそう告げた。さも当然というように、そんなことは何でもないことだというように。
「できるはずがねぇんだあああ!」
冷静さを失った狼男は力任せに一輝に飛びかかった。
狼男が伸ばした隙だらけの腕を一輝は悠々と回避する。さらに懐に入り込むと、生命エネルギーを拳に集めて狼男の腹を殴りつける。
痛みで態勢を崩し、下がってきた狼男の顎に続けてアッパーカットを叩きこむ。
脳が揺さぶられ、動きが止まった狼男に一輝は容赦なく連撃を放つ。
たまらず狼男は一輝から距離を取った。
「さて、どうやらお前から学ぶことはもうないようだ」
一輝にとって狼男は知らない知識を得るための教科書、そして自分の力を試すための練習台に過ぎなかった。
必要な知識は全て吸収した。これ以上得るものがないならもう価値はない。
いらないものは捨てる、ただそれだけのこと。
狼男を生かしておく理由はたったいまなくなった。だから一輝が手加減する必要ももうない。
「こっちはクズのせいで血が足りない。悪いがそろそろ終わりにしよう」
一輝は左の掌で顔を覆った。
「最後の警告だ。死にたくないなら今すぐこの場から消えろ」
一輝にとって狼男の命など奪う価値もない。
死のうが生きようが知ったことではない。どうでもいい存在だ。
だから逃げるようなら見逃す、向かって来るようなら殺す、それだけのことだ。どちらでも構わなかった。
一輝が与えた最後のチャンスに狼男は答えなかった。
一輝は苛立ち歯を鳴らし瞑目すると「バカが……」と小さく呟いた。
次の瞬間、狼男は津波のように深く荒々しく圧倒的な一輝の波動に飲み込まれた。
「お前の存在を抹消する」
狼男に死の宣告をした一輝は仮面を発現させていた。
血のように赤く、消えることのない憎しみの炎を形にした一輝の仮面。
『憎悪の仮面』――それが御幸零から生まれた最初の別人格、一輝の仮面の名だった。




