31話 欲しかった言葉
鳴海と別れた後、零と美咲は家路についていた。
ギリギリの命のやり取りから解放された二人の体には、どっと疲労が押し寄せていた。
零は自分が意識を失っている間に起こった出来事を美咲から聞き、それを必死に飲み込み自分の中で消化していく。
美咲が全て話し終わる頃には胃もたれしそうだった。
それほどに濃い内容が自分の知らないうちに起こっていたのだ。
美咲の説明が終わってからは、お互いに一言も発することはなかった。
話したいことはいくらでもある。多すぎるくらいだ。多すぎるから逆に何を話したらいいかわからない。
考えるべきことも多すぎて頭の中の整理がまったく追い付いていなかった。
誰もいない静かな夜道にはただ二人の足音だけが小さく鳴り響いていた。
零は美咲と並んで歩きながら今日あったことを思い返す。本当にいろいろあった。
祭りで匠たちと遊び、帰り道で帆夏の秘めた想いを知り、化け物に襲われた。仮面をつけた女性に救われたと思ったら、今度は仮面をつけた変な男に命を狙われ、気が付いたらデカイ男に『お前は多重人格だ』と告げられ、その男の弟子になることになった。
そして今は学校一の美少女と二人きりで歩いている。
今朝、目覚めた時にはこんな一日になるとは夢にも思わなかった。
何の前兆もなくたった一日で零の見ていた世界は一変してしまった。
たった数時間前までの自分に懐かしさすら感じてしまう。
(これから僕は一体どうなってしまうんだろう?)
仮面能力者として生きる道、それは自分で選んだ道だから後悔はない。
だが不安がないわけではない。
美咲を守り奇術師を倒す、それがどれだけ困難なことかは、力の差がはっきりとわかってしまった今だからこそよくわかる。
奇跡にはもう期待できない。自分が強くならなければ今度はきっとすべてを失ってしまう。
(強く……なれるだろうか……)
奇術師に立ち向かって自分の中で何かを変えられたかとも思ったが、弱気なのは相変わらず。
自信の持てない自分に嫌気が差して零はため息をついた。
「今日はいろいろあって疲れたね」
零が悩んでいると美咲から声が掛かった。
「あっ、はい。そうですね」
「ねぇ御幸くん、奇術師との戦いで私を助けに来てくれた時なんだけど――」
「ごめんなさい」
美咲が話し終わる前に零は謝罪した。
「どうして謝るの?」
「いや、その……せっかく先輩が時間を稼いでくれていたのに戻ってきちゃったし、役に立たないどころか足手まといでしたし」
「そんなことないよ。御幸くん、私ね、あの時は戻ってきたこと怒ったけど本当は少しうれしかった」
「うれしかった?」
「うん。少しだけ私も怖かったから。だから君が来てくれてうれしかった。それに君を見てたら私もなんだか勇気が湧いてきたの」
「勇気……ですか」
「うん。君を見てたらね。こう、なんていうか心が熱くなったの。奇術師に立ち向かう君の背中が私に力をくれた」
「僕の背中が……」
「うん。君の背中は小さいけどあの時はなんだかすごく大きく感じたの」
あの時、零はただ無我夢中だっただけで自分の姿がそんな風に美咲に見えていたとは思いもよらなかった。
何もできなかった自分は無様で情けなくて、きっと美咲の目にはかっこ悪い自分が映っていたとばかり思っていた。
「あの時、奇術師に向かっていった君の背中はとってもかっこよかったよ」
『かわいい』とはよく言われた。でも『かっこいい』とは一度も言われたことがなかった。
もうきっと誰からも言われることがないと思っていた言葉。
そう言ってもらえるような人間にはなれないとあきらめていた言葉。
ずっと欲しかった言葉。
決して見返りを求めていたわけではない。
でもその一言をこんなに素敵な人から言ってもらえただけであの時、勇気を出して本当に良かったと思う。
「あ、それでね。さっき言いかけたことなんだけどね」
「はい、何ですか?」
「私を助けに来てくれた時、一回だけ下の名前で呼んでたでしょ」
「えっ」
「ほら、お前を倒して美咲さんを救うって言ってたでしょ?」
「あ、あの時は余裕なくて」
「下の名前で呼んでくれていいよ」
「え、でも……」
「私がいいって言ってるからいいの。先輩の言葉には従いなさい」
「えっと、じゃあ美咲、さん」
「うん、これからもよろしくね。零くん!」
そう言って美咲は右手をすっと前に出した。
「えっと……」
美咲から握手を求められ零は少し戸惑った。
(人と握手する機会ってあんまりないよなぁ)
そんなことを思いながら零はぎこちなく美咲の手に向かって右手を伸ばし、握手に応じる。
だが美咲の手に触れる直前で零は手を止めた。表向きはこの握手は仮面能力者の仲間としての歓迎の握手だ。
だが同時に美咲の目は告げていた。『引き返すなら今だぞ』と。
これは美咲からの警告だ。
この手を握ればもう平穏な日常へは戻れないだろう。
零は覚悟を決めて美咲の手を強く握った。
「ようこそ、仮面能力者の世界へ」
美咲は零の覚悟を認めると零の手を強く握り返した。