30話 過去に囚われない生き方
「おい、大丈夫か?」
男の声が頭に響いて零は目を覚ました。少し遅れて零はその男に抱えられていることに気が付いた。体は重いが痛みは感じない。
(生きてる……。あれからどうなった? それにこの人は――)
「よかった。御幸くん、大丈夫?」
隣にいる美咲が心配そうに零の顔を覗き込んだ。
「先輩、良かった。無事だったんですね」
「うん、もう大丈夫よ。奇術師はこの人が追い払ったから」
「そうなんですか。ええっとあなたは?」
「……俺は鳴海力。リキと呼ぶやつもいるが正しくはチカラだ。ま、好きなほうで呼んでくれ」
(あ、そうだこの人、祭りの前にぶつかった人だ。それに祭りで美咲さんと一緒にいた人……)
「どうかしたか?」
「いえ。なんでもないです。ええと、僕は御幸零です。助けてくれてありがとうございます」
「立てそうか?」
「はい大丈夫です」
鳴海は零をゆっくりと下した。
「体は平気か?」
鳴海に言われて零は奇術師につけられた傷がきれいになくなっていることに気が付いた。
自分だけではなく美咲も完治している。死んでもおかしくないほどの傷を負っていたはずだ。
「さやかちゃんっていうすごい仮面能力者がいてね。『治癒の仮面』で私たちの傷もさっき治してくれたのよ。もう遅かったからさやかちゃんのお父さんと一緒にすぐに帰っちゃったけどね」
零の疑問を察してすぐに美咲が答えを教えてくれた。
「そうですか。お礼を言いそびれちゃいましたね」
「礼なら俺から伝えといてやる。それよりお前に聞きたいことがある」
「えっと何ですか?」
「美咲から大体の話は聞いた。お前は一度逃げた後、戻ってきて奇術師に向かっていったそうだな。それはなぜだ?」
「それは……」
美咲のために戻った。それが一番の理由だ。
だが本人の前でそれを言うのはなんだか恥ずかしくて言葉にできない。
「ここで逃げたらもう二度と自分は何にも立ち向かえないような気がしたんです。残りの人生ずっと逃げ続けるだけ……そんなのは嫌だったんです」
この回答も嘘ではない。これも奇術師に立ち向かえた零の本当の気持ちの一つに変わりない。
「そうか……」
鳴海は少し笑ったあと何か考えているのかそのまま黙ってしまった。
零は鳴海が何を想いその問いかけをしたのかわからなかった。
はじめは何の力もないのに無謀にも奇術師に向かっていった浅はかな自分の行いを咎められると思っていた。
だがどうやら鳴海の反応を見る限りそうではなさそうだ。
「あのそれがどうかしましたか?」
鳴海が何も言わないので零のほうから聞き返した。
「お前、零って言ったな?」
「はい」
「そうか。零、お前は多重人格の仮面能力者だ」
「は?」
鳴海の口から発せられた突然の言葉に理解が追い付かず、零はおもわず間の抜けたような声を上げてしまった。
「ちょっ! リキさん、なんで!!」
美咲は慌てた様子で鳴海に詰めよった。
多重人格の話は零にはしないと三香と約束したばかりだ。だが鳴海はそんな約束などお構いなしに話を続けた。
「なぁ、美咲。あいつ、三香ってやつは言ってたよな。記憶を消したことで過去に囚われずに生きていけるってよ」
「言ってたけど、それが何だっていうの?」
「過去に囚われない生き方、それ自体は俺も賛成だ。過去に囚われてるせいで今を100パーセント楽しめない人生なんてつまらねぇからな」
「だったら何で――」
「過去に囚われない生き方ってやつは過去を忘れて、見ないフリをして、なかったことにして生きていくことなのか?」
「それは……」
「違うだろ。過去から逃げるんじゃねぇ。過去と向き合ってそれを乗り越えた先にあるのが、本当の過去に囚われない生き方ってやつじゃねぇのか? 美咲、それはお前にもわかるはずだ」
「それは……そうかもしれないけど……」
「それに記憶を消したところで過去にあったことがなくなるわけじゃねぇんだ。こいつの過去を知ってるやつもいるだろうし、そもそも過去の記憶を思い出さない保証もどこにもねぇ。もし最悪のタイミングで思い出させば待っているのも最悪の結果だ。だったら覚悟を決めて自分から過去の記憶の扉を叩くしかねえだろ」
「でも、もし過去の記憶に耐えられなかったら……」
「こいつはあの奇術師相手に立ち向かった。仮面能力者でもビビッて逃げ出しちまうようなヤバいやつ相手に、こいつはその身一つで立ち向かったんだ。俺はこいつの心の強さを信じるよ。どっちみち仮面能力者として生きるなら、自分と向き合うのは避けて通れねぇ道だしな。それに奇術師がまたいつ襲って来るかもわからねぇ。それまでにまともに自分の仮面を発現できるようにならねぇと今度は間違いなく死んじまうぞ」
「ちょっと待って!? 御幸くんを戦いに巻き込むつもりなの!?」
「巻き込むも何も狙われてるのはこいつ自身。狙われた理由もこいつが自分で選んだ結果だ。こいつは自分の意志で踏み込んできたんだ。俺たちのいる世界、仮面能力者の世界にな」
「あの……さっきから何の話を……」
二人は自分のことで揉めているようだが話についていけず、零は口をはさんだ。
「おお。悪かったな。勝手に話を進めちまってよ。要するにアレだ。俺はお前のことを気に入った。だから俺がお前を鍛えてやる」
「リキさん、本気なの!?」
「おう。本気だ。俺はもう決めた。あとはお前がどうしたいかだ。零」
「僕は……」
自分がどうしたいのか、零はいつもそれがわからなかった。
いやわからなかったのではない。本当はわかっていたのに勇気が出なくて選べなかったのだ。
自分が本当に選びたい道を。だからそういうのはもうやめにしようと思った。
「仮面能力者のこととかいろいろまだよくわからないですけど、またあの奇術師が襲ってくるなら僕は強くなりたいです」
迷う必要はなかった。覚悟なら美咲を救うと誓ったときに既に決まっていたのだから。
「御幸くんまで!?」
「よし、よく言った。零。今すぐにいろいろ叩きこんでやりたいとこだが今日はもう遅い。美咲と一緒に早く家に帰れ。あと、お前が寝てる間にあったこととかの詳しい話は帰り道で美咲に訊いとけ。俺はこの辺りをもう少し調べてから帰るからよ」
「ちょっとリキさん! 説明全部、私に丸投げするつもりっ!?」
「俺は最初から見てたわけじゃねぇからな。細かい部分はお前のほうがよくわかってるだろ?」
「…………」
美咲は目を細くして不満そうに鳴海を見ている。
「そんな怖い顔すんなよ。いつものことだろ? それに最初にそいつを助けたのはお前だろ。だったら最後まで責任もって面倒見てやれ」
「いや、その捨て猫を拾ってきたのお前だろ? みたいな言い方されても……」
鳴海が消えるまで美咲は文句を言い続けたが、結局彼女が折れる形で話はまとまった。