29話 勝敗の行方
轟音とともに奇術師は宙を舞った。
残る力の全てを出し切った信五と美咲はその場に膝をつく。
二人の顔から仮面は消え、戦う力はもう欠片ほども残っていない。
信五は乱れた呼吸を整えようとするがなかなかうまくいかない。荒い息遣いのまま美咲のほうをちらりと見た。
(先輩はもう限界を超えてる。これでもあいつが立ちあがるようなら……。頼む。立ち上がらないでくれ)
信五は祈るように倒れている奇術師の様子をうかがった。
「ははっ。マジッスか……」
だが祈りは届かず奇術師はゆっくりと立ち上がった。
力なく笑う信五のその表情には、もうどうしようもないという諦めの気持ちが映っていた。
奇術師の仮面はもともと右が歓喜、左は悲哀の表情を表していたが、現在は左半分の悲哀は信五の一撃によって砕け散っている。
だが残り半分、歓喜の表情を崩すことはできていなかった。
全ての力と想いを乗せた最後の一撃だったが完全破壊には至らず、奇術師は未だピンピンしている。
砕けた仮面から奇術師の素顔が垣間見えた。
歳はおそらく20代半ば、顔色は悪いが端正な顔立ちをしている。
そしてその顔には、仮面を半分破壊されたことによる怒りや焦りといった感情はなく残った仮面と同じように歓喜に満ち足りているようだ。
「できればその仮面を完全に破壊して素顔全部を拝んでやりたかったんスけどね。……しかしどんなひねくれた顔をしているかと思えば結構イケメンっぽい雰囲気スね。」
「……私の仮面がここまで破壊されるとは思ってもいませんでした。本当に素晴らしい夜でした。これで終わりなのが残念でならない」
「……どうやらここまでのようね」
美咲のその言葉で信五も諦めがついた。
どれだけ追いつめられても折れることのなかった美咲が折れてしまっている。本当にもう可能性は残っていないのだろう。
仮面とは心の具現化。仮面の力の源は心。
たとえ仮面能力者として力の差があろうと心が負けなければまだ可能性はある。
二人が唯一、奇術師に勝る可能性があった心の強さ。その心すらたったいま折られてしまった。
それは仮面能力者としての完全敗北を意味していた。
「ええ、ここまでです。本当に残念です。まさか私が退かなくてはならないとは」
「は?」
信五は自分の耳を疑った。奇術師が何を言っているのか理解できなかった。
「遅いよ、リキさん」
美咲が誰かに声を掛けた。
その声は今までのような張り詰めた声色と違い、安堵のこもった声だった。
信五は美咲に声を掛けられた人物のほうを見た。
二メートル近い長身に服の上からでもわかるほどの鍛え上げられた屈強な肉体、獅子の鬣のような金色の髪は風に揺られ乱れ立っていた。
「そう言うなよ。これでも結構急いできたんだからよ。それにちゃんと間に合っただろ?」
「ギリギリだったけどね。そっちのほうはもう終わったの?」
「ああ、まあハズレだったけどな」
金髪の男は美咲から視線を移すと鋭い眼光で奇術師を睨みつけた。
「......それでお前は当たりか?」
「当たり? さて何のことやら……」
奇術師は両の掌を挙げ、何を言ってるかわからないという感じだ。
「お前が仮面の殺人鬼かって訊いてんだよ」
「違いますね。私は殺人鬼ではなく奇術師ですよ、鳴海力さん」
「俺を知ってんのか?」
「仮面能力者であなたを知らない人間のほうが珍しいですよ。お会いできて光栄です。一度戦ってみたいと思っていました」
「そうかよ。ならさっさと来な。相手してやる」
「いえ、やめておきますよ。さすがにあなたを相手するなら万全の状態でなければ。それに今夜は充分楽しみましたから」
「なんだ、もう帰っちまうのか?」
「ええ、お楽しみは次の機会にとっておきましょう」
「なら次に来るときは、生命保険に入っとけよ」
「生憎ですが、私は物事においていついかなる時も保険をかけるということはしません。リスクがあるからこそ人生は面白い。あなたもそう思いませんか?」
「ちげえねぇ」
奇術師の返答は鳴海の口元をわずかに緩ませた。
「ああ、そうでした。最後に大事なことを訊くのを忘れていました。そこの少年とお嬢さん、名前をなんと言いましたか?」
「訊いてどうするの?」
「気に入った仮面能力者の名は憶えておきたい、ただそれだけだけですよ。周りの人間に危害を加えるつもりはありませんのでご心配なく」
「……倉科美咲よ。次は必ずあなたを倒すわ」
「期待していますよ」
奇術師は楽しそうに笑うと次に信五のほうを見た。
「少年、君の名――」
「鈴木イチロー」
信五は食い気味で答えた。
「メジャーリーガーには見えませんが? 少年、ここは真面目に答えるところですよ。もう一度訊きます。少年、君の名前は? 知りたいのは今の君ではなく、私に最初に向かってきた勇敢な少年の名前です」
「……御幸零」
信五は少し迷ったが零の代わりに名前を教えた。たぶん今の零なら教えるだろうと思ったからだ。
「御幸……零ですか。では零君に伝えておいてください。私に勝ちたいのなら次は君の本当の仮面を見せてください。他の人格ではなく君自身の仮面をです。君が本当の仮面を発現させた時、私も全力でお相手することを約束しますよ」
そう言い残すと奇術師はステッキを振るった。奇術師は音もなくその場から消えていった。
「行ったか」
「リキさん、追わなくていいの?」
「あいつはその辺の雑魚とは格が違う。深追いは禁物だ」
「でもリキさんなら勝てるでしょ?」
「単純な力のぶつかり合いなら俺は誰にも負けねぇさ。だがああいう小細工するタイプは苦手だからな。それでも負けはしねぇだろうが、そう簡単にもいかないだろうな。あいつに仲間がいないとも限らねぇし、ケガ人を置いて行くわけにもいかねぇだろ?」
「ケガ人! そうだ、はやく御幸くんの手当てをしてもらわないと」
「ったく。手当てが必要なのはお前もだろうが。安心しろ。もうすぐ浅葉さんがさやかを連れてきてくれるから」
「そう、良かった。さやちゃんが」
「それよりそっちのガキについて浅葉さんたちが来る前に説明しろよ、美咲」
「えっと正直、私も何から説明したらいいか……」
美咲は信五のほうを見ながら自信なさげに答えた。
「あっ、じゃあ三香姉さんに代わりますね。俺が説明するより姉さんのほうがいいと思うんで」
美咲と信五から変わった三香はこれまでの経緯を鳴海に説明した。
「多重人格に奇術師の仮面能力者か。仮面の殺人鬼も見つからねぇのにまた厄介なことになったな。あの感じだとあの奇術師はまたお前たちを狙って来るぞ」
「ええ、そうね。何とかしないと……」
「三香って言ったな。お前たちはどうするんだ」
「さあ、どうしようかしらねぇ」
三香からはあまり危機感は感じられない。他人事といったような感じだ。
「はっきりしねぇな。まあいい。ちょっとお前らの元の人格と話してみてぇから変わってくれ」
「変わるのは構わないけどぉ、あたしたちのことは零には内緒にしてほしいわぁ」
「あん? 何でだよ」
「零はあたしたちのことを知らない。というより覚えてないのよぉ」
「覚えてない? どういうことだ?」
「記憶を消したの」
「記憶を消すって、一体だれがどうやって!?」
「待て美咲。重要なのはどうやって消したかよりもなぜ消したかだ」
記憶の消去など簡単にできるはずがない。方法は限られている。
誰かの仮面能力を頼ったか、あるいは仮面能力とは別に多重人格だからできる力があるのか、いずれにしろ考えられる方法などそのくらいのものだろう。
どんな方法かはわからないが、いま重要視すべき問題は記憶を消去した理由のほうだ。
「そうしなければ零は死んでしまうからよ」
「どういうことだ?」
「昔、零にとてもつらい事があったわ。零はその苦しみに耐えきれず新たな人格をつくってその人格に全ての苦しみを押し付けた。その後も零は嫌なことがあるたびに新たな人格を次々とつくりだしていったわ。無自覚にね。そうやっていくうちにとうとう別の人格でいる時間のほうが長くなった。ある日、零が目を覚ましたら数日が経っていたこともあるわ」
「それは……」
「つらい、でしょう? おまけに学校に行けば周囲が話すのは全て自分の知らない話ばかり。約束をやぶられた、物を壊された、暴力をふるわれたというようなねぇ。零は自分の頭がおかしくなってしまったと感じていたわ。でも零に身に覚えがないのも当然よねぇ。やったのは他の人格なんだから。クラスメイトたちも日によって別人のように変わる零を気味悪がって離れていったわ」
「それでそのあとはどうなったの?」
「零は自分の中にいる別の自分、あたしたちの存在に気が付いた。怖いわよねぇ。自分の中に知らない自分がいて、そいつらが自分の体を乗っ取っていつ何をするかわからないというのは……。相当な恐怖でしょう? だから零は自殺を決意したの。取り返しのつかないことが起きる前にねぇ」
「だからお前たちの記憶を消したのか?」
「ええ、そうよ。あたしたちのことだけじゃなく零にとって辛い記憶の全てを消したわ。でもそのおかげで過去に囚われずに生きていけるようになった。最近は周りの人達にも恵まれたおかげで新たな人格をつくらなくなったし幸せに生きてるわ。わかったかしら? だから零にはあたしたちのことを黙っていてほしいの」
「わかったわ。あなたたちのことは伝えない。リキさんもそれでいいよね?」
「ん?……ああ……そうだな……」
「助かるわぁ。次に目を覚ましたら、零に変わってると思うから後のことはよろしくね」
三香はそう言って目を閉じると電池が切れたようにその場に倒れた。
 




