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ゼロの仮面  作者: 赤羽景
第一章
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25話 交代

「さて、おしゃべりはこの辺にしてそろそろ始めるッスよ」


 信五は準備運動をするように肩や足首を回し始めた。


「いつでも構いませんよ」


 得体のしれない二重人格の仮面能力者を前にしても、奇術師は落ち着いている。動揺や焦りといった感情は一切見られない。

 その瞳は、未知の探求に挑む研究者あるいは新しいおもちゃを与えてもらった子供のようにキラキラと輝いている。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 信五はドンと地面を蹴って突風のように奇術師へ向かって駆ける。

 遠慮はしない。荒れ狂う暴風のように奇術師の仮面を狙って連続で拳を放つ。

 だが奇術師は信五の動きを完全に見切って全て紙一重で回避した。


「……さすがにさっきのデカブツとはレベルが違うみたいッスね」


「降参しますか?」


「ハッ、冗談!」


 信五は続けて攻撃を繰り出すが、奇術師には最小限の動きですべてかわされてしまう。


「ダメですよ、そんな大振りでは」


 連続攻撃が当たらず攻撃が雑になったところを奇術師は見逃さない。

 今度は逆に信五のみぞおちに拳を叩きこんだ。

 石を投げ込まれた水面のように、痛みの波紋が信五の全身に広がっていく。


「クソッ」


 信五は一旦引くと舌打ちした。奇術師からもらったダメージはそれほど問題ないが、自分の攻撃が当たらないのは大問題だった。


「君は攻撃が真っ直ぐすぎますね。いくら速くてもそんなわかりやすい攻撃では当たりませんよ」


 奇術師の言うように、信五の攻撃はスピードがあるものの直線的で動きが読みやすいものだった。

 おまけに攻撃のほとんどが仮面に集中しているため、奇術師にとって避けるのは造作もない。

 さらに奇術師はあえて隙を作って、信五にそこを狙わせるよう誘導もしていた。


「次は私から行きますよ」


 奇術師が信五に詰め寄り攻撃を繰り出した。

 奇術師の攻撃は決してかわせないほどのものではなかった。

 だが狙ってくる場所全てに何かしら意図を感じさせるものがあり、信五にとって狙って欲しくない嫌な部分を正確に狙いすましていた。


「君は全ての拳に全力を込めているようですが、全力で撃つのは相手を仕留める一撃のみでいい。こんなふうにね」


「ぐっ!」


 信五は奇術師の連続攻撃を何とかかわしていたが、態勢がわずかに崩れたところを本命の一撃で射抜かれた。


「本命の一撃以外は全てそれを当てるための囮でいいのですよ」


 拳を叩きこまれ、痛みで動きが止まった信五を奇術師は容赦なく追撃した。

 信五は仮面だけは必死に守り攻撃から抜け出すチャンスをうかがった。

 奇術師が本命の一撃を繰り出して腕が大振りになったところで逃げる算段だ。

 辛抱強く耐えていると奇術師の腕の振りがわずかに大きくなった。

 その瞬間に信五は守りの態勢を崩し後退を試みる。


「本当に君は素直すぎますね」


 フェイント。本命の一撃に見せかけたそれは、信五にガードを解かせるための罠だった。

 フェイントに引っかかってガードを解かされた信五は、まともに奇術師の一撃を浴びてしまう。


「時に本命の一撃すら囮になりえます。よく覚えておいてくださいね」


「……もう少し早く言って欲しかったッスね。くそったれ」


 悪態をつきながら信五は態勢を立て直す。


「御幸くん! もうわかったでしょ! 戦闘経験が違いすぎる。少し速いくらいじゃ、あいつには絶対に勝てないわ」


「……確かに少し速いくらいじゃあ無理そうッスね。……でも俺があいつに勝てる要素っていったら速さくらいなんスよね。それに……」


 信五は美咲のほうを向いて、奇術師から見えないように自分の仮面の額の部分を指差した。


「これ、なーんだ?」


 仮面の額の中心で何かが黄色く光っている。それによく見ると縦長の何かのゲージのようなものがある。ゲージは五分割されていて光っているのは一番下の部分だ。それを見て美咲はハッとなった。


「それって――」


 信五は右手の人差し指を口の前で立てて美咲に合図した。


「話は終わりましたか?」


「待ってくれるなんてずいぶんと優しいッスね」


「待つのは苦手ではありませんからね。それに正直、君が……いえ君たちが次に何を見せてくれるのか期待している自分がいる」


「そッスか。じゃあご期待にお応えして全力で行かせてもらうッス」


 信五は一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐きだす。そして口にする。

 反撃の狼煙を上げるための言葉を――。


「アクセル!!」


 信五の叫びに呼応するように仮面の額部分、ゲージの二つ目が点灯した。

 ゲージの点灯と同時に信五は高速で奇術師に突っ込んだ。真っ直ぐ正面から。

 奇術師の懐に入りただパンチを連続で打つだけ、やることは何も変わっていない。

 さっきと同じように奇術師は信五の拳を見切って回避する。一発目、二発目、三発目と。

 だが四発目は違った。拳がわずかに奇術師にかすったのだ。

 異変を感じた奇術師は隙を見てすぐに距離をとった。

 信五の直線的な読みやすい攻撃は変わっていない。変わったのは速さだけだった。


「2速でもだめッスね。じゃあどんどん上げていくッスよ。アクセル!!」


 再び信五の仮面のゲージが点灯。信五は馬鹿の一つ覚えのように突っ込む。

 そして奇術師の顔をねらって鋭いパンチを放つ。だが今度は奇術師もかわさなかった。

 かわさずにガードしていた。迫りくる信五のパンチを思わず腕で防いだ、そんな感じだった。

 信五は続けて攻撃を繰り返す。

 もう全ての攻撃を回避することは奇術師にもできなかった。避けきれないものは腕で防いで対処する。


「すごい、あの奇術師を押してる。でも……」


 一見、奇術師は防戦一方に見えるが信五の攻撃はまだ一発も有効打になっていなかった。

 奇術師は防御しながら反撃のチャンスをうかがっていた。

 彼はなかなか防御が崩せずにいる信五から焦りの色を感じ取るとわざと隙を作った。

 防御を崩せたと勘違いした信五は左足に全体重を乗せた重い一撃を放つ。

 奇術師は少し体勢を変えるだけであっさりとそれを避けてしまう。さらに横を通り過ぎる信五の服の袖を掴んでグイッと引っ張った。

 片足に全体重を乗せていた信五は、それだけで簡単にバランスを崩されてしまう。

 崩れた先では奇術師の拳が待ち構えていた。信五はカウンターをもらい盛大に吹っ飛んだ。


「痛ってー。3速でもまだ足りないか」


「スピードがどんどん上がっている。それが君の仮面能力ですか?」


「そッス。俺の仮面は『逃避の仮面』、仮面能力は【加速】ッス。1速から5速までスピードが上がるんスよ」


「『逃避の仮面』ですか……。逃避ということは、その能力は本来逃げるために使うものなのでは?」


「まあ、そうッスかね。そもそも俺の人格は昔、零がいろんな嫌なことから逃げ出したくて生まれたんスよ。だからこの仮面能力も本来は逃げるためのものッス」


「逃げるために君が生まれたなら、なぜ君は逃げずに戦っているのですか?」


「別に大した理由じゃあないッス。零は逃げずに立ち向かうことを選択した。今までずっと逃げてきた……目をそらし続けてきたあの零がね。だったら俺もこの力を逃げるためじゃなく、立ち向かうために使いたいって、そう思っただけッス」


 零も信五も逃げることはもうやめた。だから何度でも立ち上がって目の前の恐怖に立ち向かうのだ。


「アクセル!!」


 『逃避の仮面』の加速ゲージに四つ目の光が灯る。


「4速以上は体の負担が大きいから使いたくなかったッスけど、仕方ないッスね」


「ほう、それは楽しみです」


「笑ってられるのも今のうちッスよ」


 そう言い残して信五は姿を消した。美咲だけでなく奇術師の視界からも。


「どこ見てんスか」


 信五が姿を現した時にはすでに奇術師の後ろを取っていた。


「なにっ!?」


 奇術師が気づいて振り向き切る前に、信五は一撃を入れてまた姿を消す。

 そしてまた奇術師の死角に現れて一撃を入れた。

 あまりの速さに奇術師もガードすらままならない。

 テレポートのように姿を消し死角から現れる信五に対応できないでいた。


「面白い! 目で追いきれないのならば!」


 奇術師は目を閉じた。そして信五の生命の波動の感知に全神経を集中させた。


「捉えた! そこだ!」


 奇術師はステッキを剣に変え、波動から探知した場所に突き刺した。

 剣に刺し貫かれる信五。しかし手ごたえなし。斬ったのは信五の残像だった。


「アクセル」


 奇術師の背後から声が聞こえた。奇術師の波動の探知は成功していた。

 だが信五は剣が刺さる瞬間に速度を4速から最高速度の5速へと引き上げギリギリで回避していた。

 『逃避の仮面』の『加速ゲージ』全てに光が灯り、黄色の光から赤い光へと変わっていた。背後から感じる圧倒的な波動。奇術師が振り返った時にはもう遅かった。

 拳は奇術師の眼前にあった。

 最高速度から放たれた信五の拳が、奇術師の仮面に突き刺さる。

 轟音と共に奇術師は宙をまった。


 信五は息を切らしながらその場に膝をついた。

 『加速ゲージ』はすでに光を失っていた。

 5速は消耗が激しいのに加え、零の時から体へのダメージが積み重なっている。

 これ以上は能力を維持していられなかった。

 信五は倒れている奇術師を見てチッと舌を鳴らした。

 仮面には亀裂が走っているが破壊はできていなかった。


「硬いッスね。やっぱ」


 奇術師はぬるりと立ち上がった。


「今のは……いい一撃でしたね。まさか君に仮面を傷つけられることになるとは思ってもみませんでした」


 奇術師の悠然とした態度からはダメージをまったく感じられない。


「攻撃が当たる瞬間、後ろに飛んで衝撃を逃がしていたのね」


「さすが、お嬢さんよく気づきましたね。まあ仮に直撃だったとしても私の仮面を完全に破壊することはできなかったでしょうがね。仮面の強度はその持ち主の心の力に依存する。簡単には私の仮面は破壊できませんよ」


「…………」


「どうしました? 元気がありませんね? 仮面の光も消えてしまっている……。もう限界ですか?」


 信五は無言で奇術師を見据えると、仮面に手を当て自ら消した。


「……それは降参と受け取って構いませんね」


「いや、まだ降参はしないッスよ。でも【加速】はしばらく使えそうにないんで選手交代ッス」


「交代?」


「はい、交代ッス。じゃあ、あとは頼みます。姉さん」


「わかったわ。御幸くん、あとは任せなさい」


 美咲はボロボロの体に鞭を打って立ち上がろうとした。


「あっ、違います、違います。すいません。倉科先輩に言ったわけじゃないッス」


「えっ、違うの? じゃあ誰に――」


 誰のことか、その答えはすぐにわかることになった。

 信五が一度目を閉じ次に開けたとき、そこに立っていたのは別人だった。

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