20話 最善の選択
「どうして戻ってきたの!? 私なら大丈夫だって! そう言ったでしょ!」
美咲は腹部の傷を押さえながら声を荒げた。
零は前に進み、かばうように美咲と奇術師との間に割って入る。
「あの言葉が僕のためについた嘘だってことくらいわかりますよ。本当は全然大丈夫なんかじゃないってわかっていました。でも僕は自分が逃げるために先輩はきっと大丈夫だって、自分に言い聞かせて信じたフリをしたんです。僕はあなたの優しさに甘えてしまったんです」
「……とにかくここから離れなさい。ここにいたら本当に死ぬのよ」
「死ならさっき経験しました。あいつと目が合ってから……あなたを見捨てて逃げたときから僕はきっと死んでいたんです」
いや本当はもっとずっと前、あの時、いじめを見て見ぬ振りをして逃げたときからずっと御幸零の心は死んでいたのかもしれない。恐怖に心を支配され体の感覚が遠くなっていくあの感じ、あの感覚はもう二度と味わいたくなかった。
「最低の気分でした。でも今は違う。僕は確かに生きてここにいる」
「すばらしい!!」
奇術師は盛大に拍手した。
「驚きました。まさか本物の恐怖を体感し、心折れたものがそれを乗り越え、再び恐怖の元凶に立ち向かってくるとは。少年、君のような人は初めてです」
奇術師は惜しみない称賛を送った。
「ですからあえて訊かせていただきます。少年、君はここに何しに来たのですか? 恐怖に打ち勝ったのは見事ですが、逃げるという判断、それ自体は何も間違ってなかったと思いますよ。実際、仮面能力者同士の戦いにおいて無能力者の存在など何の役にも立たない、それどころか足手まといです。いないほうがいいくらいなんですよ。君はそこのお嬢さんが命をかけた作った時間を無駄にしてしまったんですよ。それがわからないほど君が愚かな人間には見えなかったのですがね」
「僕も最初はそう思ったさ。自分がいても何もできない、何も変えられない、だから逃げるのが正しいって……それが賢い選択だって、最善なんだって思った」
「それがわかっているのならなぜ今、君はここにいるのですか?」
「気づいたんだ。僕はただ逃げるための理由が欲しかっただけなんだって。逃げる自分を正当化したくて、恐怖に屈したことを認めたくなくて……だからいつも逃げる理由を必死に探してた。逃げることが一番正しいって思い込もうとしていた。僕はいつだって自分のことが一番大事で、最初から誰かを救おうだなんて本当は考えてもいなかったんだ」
「…………」
「一度、命を救ってもらった。出会ったばかりなのに。助ける理由なんてないはずなのに。逃げることだってできたはずなのに、今も僕のために命を賭して戦ってくれている人がいる。そんな人を見捨てて逃げて平気な顔をして笑う……そんなものが正しい選択なわけがなかったんだ!」
零は拳にぐっと力を込めて力強く宣言する。偽りでない本物の感情を言葉に込めて。
「奇術師、僕がお前を倒して美咲さんを救ってみせる!! それが最善の選択だ!!」
何の力も持たない零が仮面能力者を倒す、その宣言は、はっきりいってしまえば身の程を知らない子供の戯言。滑稽なものだった。
だが奇術師は決して笑わなかった。零のその表情に、その言葉に、自分が求めていた偽りのない本物を感じとったからだ。
「ほう……面白い。君に少し興味がわいてきました。気づいていますか、少年?」
「何をだ?」
「さっきとは見違えるほどに、君が『良い顔』をするようになったことをですよ」
奇術師の言う『良い顔』がどんな意味か零にはわからない。
自分が今どんな顔でここに立っているのか、零自身にもわからないからだ。
ほんの少し前までは誰にも見せられないほど、情けない顔をしていたことだけはわかる。
自分の顔はわからないけど今はとにかく気分がいい。
こんな状況なのに、ここで自分の人生が終わるかもしれないのに、今まで生きてきて一番いい気分だった。
「時に少年、君は勇敢と無謀の違いはわかりますか? ほら漫画や映画なんかでよく言うじゃないですか。勇敢と無謀は違う、お前のそれは勇気じゃない、なんてお決まりのセリフを」
「この選択が無謀だなんてことは僕が一番よくわかっているよ」
「あーいえいえ、違いますよ。君が無謀だと言いたいわけではないのです。むしろ私は君の選択を高く評価したい。なかなかできることではありませんからね」
「じゃあ何が言いたいんだ?」
「例えばの話、河で溺れた子供を助けようとした男がいたとしましょう。男は泳ぐことができないにも関わらず、子供を助けるために河に飛び込んだ。しかし現実は残酷、結果は失敗。子供だけでなく自分も命を落としてしまった。君はこれを勇敢だと思いますか? それとも無謀だと思いますか?」
「……無謀だ」
「それはなぜですか?」
「一時の感情に流されて、できもしないことをするなんて馬鹿のすることだ。男が冷静なら泳げなくても子供を救う方法はあったかもしれない。少なくとも男は死ぬことはなかった」
河に飛び込んだ男は今の零と同じだ。零も自分が男と同じで馬鹿なことをしているとわかっている。
(でも、それでも――)
「だけど男は正しいことをしたと思う。自分の中にある一番大事な感情に従ったんだ。理屈じゃない。人は機械じゃなくて感情があるんだから。人は感情があるせいでいっぱい間違えるけど、感情があるからこそ本当に正しい選択ができるんだって、そう信じたい」
零は信じたかった。感情に従った馬鹿な自分を、戦うことを選択した自分の判断が正しいということを。
「だから男は馬鹿で無謀だけど正しい選択をしたと思う」
「……私が言いたいこととは少しずれてしまいましたが、なかなか良い回答でしたよ、少年」
「お前はどう思うんだ?」
「私ですか? 私は勇敢だったと思いますよ」
「意外だな」
「馬鹿な人間は嫌いじゃありませんからね」
「…………」
「さて、意見が分かれてしまいましたね。君は男を無謀だと言い、私は勇敢だと判断した。私が言いたかったのはまさにこの部分です。結局、勇敢か無謀かそんなものは見る人間によって変わるものだということです」
零は口を挟まず奇術師の言葉の続きを促す。
「泳げないにも関わらず助けようとしたその精神を評価し、勇敢だったと讃える者もいれば、失敗した彼を無謀だったと嘲笑する者もいるでしょう。始めは無謀だと罵った人も、もしも河へ飛び込んだ男が、自分の親友だと知ったら意見を変えるのではないですか?」
奇術師の言うことを否定はできなかった。
零は男が無謀だと言ったが、男が赤の他人ではなく匠だったとしたら。
もしも匠だったら、彼が無謀だったとは間違っても言わなかっただろう。
むしろ勇敢な男だったと彼を讃えたはずだ。
「勇敢か無謀かは見る人間の立場によって変わる……」
「はい。その通りです。では男が成功していた場合はどうでしょう? 子供を救い自分も生還していたら、おそらく誰もが勇敢だったと彼を認め、無謀だったと罵るものはいないでしょう」
男を無謀だと罵る人間がいるのは、男が泳げないからではない。失敗したからだ。
成功さえしていればそんなことを言う人間は誰もいなかっただろう。
「つまり結果がすべてということです。少年、今の君は勇敢であるとも無謀であるともいえます。君が本当に勇敢かどうかは今後の行動、そして結果次第というわけです。なのでまぁせいぜい頑張ってください」
「言われなくてもっ!」
「待って! ダメ、御幸くん!」
零は美咲の制止の声を振り切り、奇術師に向かって走り出した。震える小さな手にありったけの勇気を握りしめて。




