18話 奇術師の力
美咲と奇術師。影の世界に移動した二人はお互いに向かい会ったままピクリとも動かない。
だが戦いはすでに始まっている。命をかけた殺し合いだ。
わずかな油断や一つの判断ミスがそのまま死に直結する。
先手を取れれば、戦況を有利に進められるが迂闊に仕掛ければ、致命傷になりかねない。
これまで幾度も死線を乗り越えてきた美咲は、立ち会っただけでわかることがあった。
それはこの奇術師が遥か格上の存在だということだ。
一時でも集中を欠けば、この勝負は一瞬で終わってしまうだろう。
美咲は目の前の奇術師からそんな底の知れない力を感じ取り、精神の集中を極限まで高めていた。
「始める前に一つ訊いておきたいのですが、よろしいですか?」
「何かしら?」
極限まで高めた集中。
今まさにそれを攻撃へと転換しようとする直前、不意に投げられた問いかけ。
美咲はわずかに苛立ちを覚えながら答えた。
狙ってやっているとしたらこの奇術師はなかなかにいやらしい。
「さっきの少年はあなたにとって大切な人間ですか? 恋人……という感じではなさそうですし……家族? それとも友人ですか?」
「私とあの子の間に深いつながりはないわ。出会ったのも今夜がはじめて」
「祭りの夜にこんなに遅くまで一緒にいたあの少年は、あなたにとって特に大切な存在ではないと?」
「凶蝕者を倒したら、たまたまあの子がその場に居合わせただけ。助けられたと勘違いしてついてきたけど私はあの子になんの情も感じていないわ」
奇術師の目的はわからないが、零が逃げても追うそぶりすらなかったことから美咲は奇術師の目的は自分だと判断した。
なぜ自分なのか。それはわからないが、例えばもし何かしらの恨みを買っているとすれば、自分だけでなく知人にも危害がおよぶ可能性がある。
美咲にとって零は、今夜助けたこと以外は高校の後輩というつながりしかない。だが万が一にも零がターゲットにならないよう、美咲は彼との関係性を積極的に否定した。
「素晴らしい。ではあなたは、赤の他人のために命を捨てられる人間ということですね」
「……それが何?」
美咲は奇術師の意図が読めず聞き返した。
「私が出会ってきた人間は本物の恐怖を知ると皆、自分の命を優先する。たとえ友人、恋人、家族であっても平気で見捨てる。それが私の知る人間という生き物です。先程の少年も残念ながら他の者と同じく恐怖に屈した。そして命の恩人であるあなたを簡単に見捨てた。だというのに、あなたは自分を見捨てた者のために命を懸けている。あなた自身も私から恐怖を感じているというのに、それに耐え、勝てないとわかっている相手を前に逃げださずにいる。あなた一人なら逃げることもできるというのに、ここに留まることで少年の逃げる時間を稼いでいる。氷のお嬢さん、あなたの行いは称賛に値する」
奇術師は興奮した様子で捲し立てた。
「一言、言わせてもらいたいのだけれど、あの子に逃げるよう指示したのは私よ。あの子は残ろうとしていた。それにあなたが出会った他の人たちだって平気で見捨てたわけではないと思うわ。その人たちがどうなったのかわからないけど、生きているならきっと今も後悔しているはずよ」
「優しいですね、お嬢さん。ですがどんな言葉でフォローしたとしても彼らが逃げたという事実は何も変わらない」
「そうね。だけどやっぱりその元凶となったあなたが一番悪いのだから、あなたがその人たちのことを悪く言うのは許せないわ」
「それは確かにそうなのですが……。ふむ、やめましょうか。この話」
褒めたつもりが逆に怒らせる結果になってしまい、奇術師の言葉は直前までの勢いを失っていた。
「ええ、話はもう充分。そろそろ始めましょ」
その言葉が引き金になった。先に仕掛けたのは美咲。
美咲はその場にしゃがんで地面に手の平をつける。
冷気を纏う掌が触れた箇所からみるみるうちに地面は凍結していく。それは白線を引くように真っ直ぐ奇術師の足元に伸びる。
美咲の狙いは奇術師の足だ。
奇術師がどんな戦い方をするのかはわからないが、足を凍らせることができれば機動力を大きく削ぐことができる。
さらにその場に拘束できるほど脚を凍らせられればそこで勝負はつく。
あとは身動きがとれない相手に、安全地帯から攻撃して仮面を破壊するだけ。それで終わりだ。
ただこれにはリスクもある。それは凍らせる範囲が広すぎるということ。
仮面能力者の力は無限に使えるものではない。能力を使えば必ず消耗する。
それは氷を生む力にも限界があるということ。
まして広範囲の地面を凍らせるとなれば消耗は決して軽くはない。
その上仮面凶蝕者との戦いで彼女は少なからず消耗している。無駄な攻撃は避けたいところではある。
それでもやるしかなかった。相手は格上の存在。出し惜しみしていては絶対に勝てないのも事実。相手が何かをする前に全力でつぶす、それが彼女の選択だった。
奇術師は足元に伸びる氷に目を向けると、その場で大きく跳ねて回避。
だが美咲も回避されることは想定の範囲内。奇術師の着地の瞬間を狙って攻撃の準備をしていた。しかし奇術師は落ちてこなかった。なんと奇術師は空中に着地していたのだ。
「【奇術・空中浮遊】」
足場でもあるかのように奇術師は空中に立っていた。
意表をつかれた美咲だったが構わず奇術師めがけて氷の矢を放つ。
奇術師は宙で軽快なステップを踏みながらそれを回避した。
「おっと」
氷の矢を回避した奇術師だったが、足を踏み外したかのように宙から降りてきた。
「いやーお恥ずかしい。実は【奇術・空中浮遊】は最近できるようになったばかりでして、あまり長くは宙にとどまっていられないのですよ。理想は空を自由自在に飛び回ることなのですがね。では気を取り直して次の奇術をお見せしましょう」
奇術師はステッキで地面を軽くついた。
すると奇術師の体が地面に沈んでいく。脚、胴体、そしてやがては全身が地面に完全に沈んだ。
奇術師が消失した地面には彼がかぶっていたシルクハットだけが残された。
美咲は周囲を警戒する。
「帽子、忘れてるわよ!」
「ご心配なく」
シルクハットのある辺りから返答があった。
美咲はシルクハットに目を向ける。
注意深く観察しているとシルクハットはひとりでに動き出した。だがそれだけでは終わらない。
気づくとシルクハットは2つに増えていた。2つのシルクハットはさらに増えて4つに。4つのシルクハットは8つになった。8つのシルクハットは横1列に並ぶと動きを止めた。
そしてシルクハットのある位置から、8人の奇術師たちが昇降機でもあるかのように地面から昇ってきた。
「【奇術・分身】」
8人の奇術師は同時に発声した。
「どうです? お嬢さん、私の奇術は?」
「良かった。てっきり帽子を忘れて帰ったのかと……。それともまた未完成な奇術を見せられたかと思ったわ。あと8人で同時に喋るのやめたほうがいいと思うの。うるさいから」
「お心遣い痛み入ります。辛口なお嬢さん」
慣れない軽口を叩いてごまかしているが美咲は内心では焦っていた。相手の行動の予測がまったくできないからだ。
美咲の仮面能力は【氷】。奇術師の仮面能力は【奇術】。
前者は氷でできることを想像すればある程度、相手の行動を絞ることができる。
氷で武器を作る。直接凍らせる、氷で壁を作って防御するなど氷で戦う方法の想像は難しくなく予測しやすい。
だが後者はどうか。相手の能力が奇術とわかっても何をしてくるか想像しにくい。
頭に奇術という単語をつければ何でも出来てしまいそうな気さえする。
相手の行動の予測ができなければ対策は練れないし対処も遅れる。これでは常に後手に回ってしまう。
何かアクションを起こす前につぶすのが一番だが、遠距離からの攻撃は先ほどのように簡単に回避されてしまう。遠距離がだめなら近距離しかない。
だが何をしてくるかわからない敵に迂闊に近づくのも危険だ。距離をとっているからこそ対応できることも近づけば対処が間に合わないかもしれない。
最悪、一定の範囲に入ったり触れられたりした時点で詰む能力を持っている可能性もある。
「どうしました? 来ないなら次は私たちから行かせていただきます」
美咲がどうすべきか手をこまねいていると、しびれを切らした奇術師たちが先に動いた。奇術師は8人とも同じ動きでステッキを振るう。ステッキは瞬く間に剣に姿を変えた。
8人の奇術師は剣を構えると一斉に美咲に襲い掛かった。




