11話 秘めた想い
零の体調が悪いこともあって、今日は早めに解散することになった。
頭の両側から締め付けられるような激しい痛みはもう落ち着いていたが、三人は零の体調を気遣い、そういう結論になった。
「今日はごめん、僕のせいで……」
「別に気にすんなよ。殺人鬼のこともあるしな。どっちにしろ、今日は遅くならないほうがいいだろ」
「白石くんの言う通りです。零くん、お祭りなら来年も再来年もありますから」
「うん、またみんなで一緒に来ればいいよ」
帰ることに不満を漏らす者など一人としていなかった。
みんなの優しさが嬉しい反面、楽しい時間をみんなから奪ってしまったことが辛かった。
初めは祭りに消極的だった零も来てよかったと今は心から思う。まだ帰りたくない、みんなと一緒にいたいという気持ちがあふれてくる。
来る前の面倒だとか嫌だとかいう気持ちはもうとっくに消えていた。楽しかった。
帆夏が言ったように、またこの四人で一緒にここに来たいと強く願った。
その気持ちを素直にみんなへ伝えることは、気恥ずかしくて零にはできないが。
「……ありがとう。みんな」
だから代わりに一言、感謝の言葉をみんなに伝えた。
「ではさっき言ったように私は零くんと一緒に帰りますね」
分かれ道まで来たところで佳奈がそう告げた。
「あ、待って! 佳奈」
帆夏は何かをためらっているような表情をした。でもそれはわずかな間だけ。
「匠、佳奈はアンタが送っていってあげて……ほら佳奈の家って結構ここから離れてるし……今の零ちゃんには辛いでしょ」
「そうだな、よしわかった。零も限界みたいだし佳奈ちゃんは俺が送っていこう。帆夏お前初めていい仕事したぞ」
匠は帆夏の肩にポンと手をおいた。
「うっさい。いいからはやく行け」
帆夏は匠の手をホコリのように振り払った。
「はいはい」
「言っとくけど二人きりだからって佳奈に変なことしないでよね」
「安心しろ。俺は紳士が服を着て歩いているようなものだぞ」
「逆に服を着てない紳士って何? っていうかアンタの場合、性欲が服を着て歩いているのほうが正しいんじゃない?」
「世の中には変態紳士という概念があってだな……」
「バカ言ってないではやく行って」
匠は帆夏に押されながら佳奈のもとへ向かった。だが途中で立ち止まって振り返り
「お前は大丈夫か?」
と真剣な表情で訊ねた。
「なに? アンタが心配でもしてくれるわけ?」
「ああ。もちろん。心配だ」
「べ、別に私は大丈夫よ。変な奴が来ても撃退できるし、それに零ちゃんも一緒だから……」
「いや、だからそれが心配なんだよ。零とおまえが二人きりってことがさ。お前が帰り道にムラムラっときて零を襲うじゃないかって――」
「するわけないでしょ。このバカ」
帆夏は匠に今日一番の鉄拳をおみまいした。
「じゃあ佳奈、そのバカよろしく」
「はい。帆夏ちゃん、零くんお気をつけて」
「うん、早瀬さんまたね」
「零、また学校でな」
別れを済ませると零と帆夏、匠と佳奈の二手に分かれて歩き始めた。
零は女の子と二人きりという状況にやや緊張していた。
四人でいる時は全然大丈夫なのだが、二人きりになると何を話したらいいのかわからなくなる。
いつも元気な帆夏も無言で静かに歩いている。
さっきまでの祭りのにぎやかな雰囲気と一転して沈黙。二人の足音だけが夏の夜に響き渡る。
帆夏は今何を考えているのだろう?
何か話しかけたほうがいいだろうか?
そんな考えを巡らせているっと帆夏のほうから声がかかった。
「頭はもう痛くない?」
「うん、本当にもう大丈夫」
「お祭り、楽しかった?」
「うん、楽しかった」
「また来年もみんなで行けるといいね。お祭り」
「……うん」
零にとって今日がかけがえのない思い出になるのは間違いなかった。それほど楽しいお祭りだった。楽しいお祭りだったのに……。
隣を歩く帆夏はどこか元気がない。理由はなんとなく零にもわかっていた。
触れるべきか気づかないフリをするべきか少しだけ迷った。
「あの、さ……よかったの?」
「え、何のこと?」
帆夏は零の質問の意図に気付いている。気付いているのに、とぼけていると零にはそう感じられた。
それはもしかしたら気づかないフリをするから、その話には触れないでという帆夏からの忠告だったのかもしれない。
「その……早瀬さんと匠のこと」
踏み込んだ。踏み込んでしまった。普段の零なら面倒ごとに巻き込まれるのを嫌って、絶対にとらなかった選択肢を選んでしまった。
人間関係の問題はデリケートだ。それが恋愛関係ならなおさらだ。
まして帆夏と匠は幼馴染みだ。長い時間をかけて積もらせてきた二人の間の秘めた想い。
それはきっと深くて、重くて、面倒で、零には計りしれないものだろう。
話を聞いたところで恋愛経験ゼロの零が何か役に立てるとは到底思えなかった。
下手に関わって自分のせいで関係が悪化するのも嫌だった。
それにもかかわらず零はその問題に自ら踏み込んだ。なぜか?
それはきっとこの夏祭りを通して、二人がただのクラスメイトではなくなったからだろう。
二人のことが好きだから。二人の力になりたいから。ただそれだけの理由だった。
「え? どうして? あっ、もしかして零ちゃん何か勘違いしてない? 違うからね。私とあいつはそういうんじゃないから!」
「本当に?」
「うん。ホントだよ」
「絶対?」
「う、うんゼッタイ!」
零が帆夏の顔をのぞき込むと彼女は零の視線から耐えきれずに目をそらした。
「もー! ずるいよ。零ちゃん!」
「え、なにが?」
「だって零ちゃんのキレイな目で見つめられると、なんかごまかせなくなるんだもん」
「じゃ、じゃあやっぱり藤原さんは匠のこと……」
「内緒だよ。アイツには死んでもバレたくないから」
帆夏は無理に笑顔を作ってそう答えた。
「いつから?」
「……気づいたのはもうずっと前。たぶん小学校の四年生ぐらいのとき。友達の子がアイツのことカッコいいって言いだしたときかな。でも本当は気づいてなかっただけで、たぶんもっと前から……。あいつと初めて会った時から、たぶん私はあいつのことが好きだったんだと思う」
「それならなんで匠と早瀬さんを無理やりくっつけるようなことしたの?」
「……零ちゃん、私とあいつってどういう関係に見える?」
「どういうって……。それは……」
零は言葉を詰まらせた。
(二人の関係はどう言い表すのが正解なのだろう? 付き合っていないのだから当然、恋人ではない。現段階ではただの幼馴染、友達だろうか? いや二人の関係はもっと近いから親友……? これも違う気がする。二人の関係は親友とかよりももっとこう……)
「よく言われるのはね。姉弟みたい、かな」
零が回答を言う前に帆夏は静かにそう答えた。
「私とあいつとの関係ってさ、もう恋人とかそういうの飛び越えちゃって家族とかそんな感じなんだよね。小さいころからずっと一緒だったから。あいつとの距離はもうこれ以上ないくらい縮まってて……。近すぎるから逆に今更、恋人って関係には発展しようがないの」
「じゃあ二人を一緒に帰らせたのは……」
「うん。あきらめるためだよ。あいつに彼女が出来ればあきらめられるでしょ? そうすれば私は次の恋愛に進めるから」
「でもやっぱり想いは伝えるべきだよ」
「零ちゃん、私はね、今のあいつとの関係も嫌じゃないの。私とあいつの関係はあいつに彼女ができてもきっと変わらない。でもね、私が本当の気持ちを打ち明けちゃったらきっと今までの関係ではいられなくなる。恋人にもなれないし、今の関係も捨てることになるくらいなら私は自分の気持ちを伝えない。そう決めたの」
その決断をするまでにいったい彼女はどれほど悩んできたのだろう。
今まで何度も自分の気持ちを伝えようとして、でもできなくて。自分の気持ちを必死に押し殺してきたのだろう。
『想いは伝えるべき』と零はそう言った。そんな考えなしの誰にでも言えるような発言をした自分自身を零は嫌悪した。
そんなことは彼女だって何度も悩んで、すでに通り過ぎた道だ。言われなくてもわかっていることだろうに。
「……でも匠はきっと藤原さんのこと大切に想ってるよ。それが恋愛感情かどうかは僕にもわからないけど。とにかく匠が藤原さんのことを特別な存在に感じているのは間違いなくて……。普段ひどいこと、藤原さんに言っちゃうのもきっと照れ隠しかなにかで――」
だから今度は零自身にしか言えないことを言った。
誰にでもいえる当たり障りのない言葉ではなく、短い時間だが二人を近くで見てきた自分だから言える言葉を。
嘘でも慰めでもない零の正直な気持ちを伝えた。それが自分の想いを話してくれた帆夏へのせめてもの礼儀だと思ったからだ。
「……うん。そうだね。そうだといいな……。あいつってさ、ほんとにいつも私にひどいこと言ったりバカな事ばっかりしたりしてムカつく……。けど本当にバカなことは絶対しないんだよね。私が本気で困ってて助けを求めれば、ふざけたりとか茶化したりとかは絶対しない。すごい真剣になって助けてくれるんだよね。そういうところが……はは、だめだ。零ちゃんが優しいから私、恥ずかしいこといっぱい言っちゃうや」
そう言うと隣を歩いていた帆夏は顔を隠すように早歩きで零の前に出た後、一拍置いてから振り返った。
「ここまででいいよ」
「え、でもまだ……」
「もう家もすぐそこだし、大丈夫だよ。送ってくれてありがとう。零ちゃん。それにこれ以上話してたら、たぶん私泣いちゃって、零ちゃんドン引きさせちゃいそうだから」
「僕、引いたりなんて絶対しないよ」
「うん、そうだね。零ちゃんなら引かないか。でも困らせちゃうのは確かだからやっぱりここまででいいよ」
「あの……今日は勝手に藤原さんの問題にずかずか踏み込んで無責任なことばかり言ってごめん」
「私が勝手に自爆しただけだから謝る必要ないよ……あっ、ちょっと待って。じゃあお詫びに私のお願いきいてくれる?」
「え、うん。いいけど。僕にできることなら」
何をお願いされるのか零には想像もつかない。役に立てればいいが自分のできることは少ない。
「下の名前で呼んで!!」
「え、それだけ?」
「うん、それだけ」
「帆夏……ちゃん」
「やったー!! クラスの女子で下の名前で呼ばれてるのは私だけだよね? みんなに自慢しちゃおっと」
帆夏は少しだけ元気になったようだった。無理をしているだけかもしれないが。
「帰り、本当にここまででいいの?」
「うん、大丈夫ありがとう。零ちゃん。じゃあまた学校で」
「うん、気を付けて」
別れを告げた帆夏は後ろを向く。
「……零ちゃん私ね、あいつに彼女ができればあきらめられるって言ったけどあれ嘘かも。私、あいつが今まで誰かに告白して振られたとき心のどこかでホッとしてた。……矛盾してるよね。私やっぱりあいつのことあきらめられないんだと思う。……じゃ、じゃあね。おやすみ」
「……うん、おやすみ」
急いで走り去る帆夏の後ろ姿が見えなくなるまで見守ったあと、零も後ろを向いて歩き出した。