酸の女神編1
不定期連載となりますので注意してください!
大体筋ができております!
ゆっくり更新ですが、よろしくお願いします!!
金属を叩く音が聞こえた時、スノーラの頭の中に浮かんだのは「やっぱり」という落胆と焦りだった。スノーラは伐採のためのオノを拾い上げながら一直線に中央物見塔へと駆け出した。村の中央にレンガで造られた塔は、通りすぎていく家々や施設2倍以上も高く突き出しており、その頂上では男が1人進行方向のその先に釘付けになっていた。
「どうなってる! 防衛準備は!?」
声を張り上げると、男は耳に手を当てた。
「防衛準備はどこまでできてる!?」
もう1度声を上げると、男は首を横に振った。
「大丈夫だ! 今村長が交渉に行ってる!」
男が大声で答えるなり、スノーラは目を見開いてスウビョウ絶句したまま硬直した。
この状態で交渉に? 何を考えてるんだ。あいつらは幾つもの村を容赦なく壊滅させてきたんだぞ。それも、生き残りはたったの1人もなく、文字通り全滅させてきたのに、交渉なんてできる相手なんかじゃない。交渉して約束したところでそんなもの無かったことにされるのがオチだ。そんなこと分かりきってるのに、この村はまだ世界平和なんていう暢気なことを考えてるのか?
そこまで考えてスノーラは、はっと我に返って腹の底から声を出した。
「そんなんじゃダメだ! 今すぐ全員に武装するように合図しろ! このままじゃ皆殺しにされる!」
男は首を横に振りながら、見張り台から乗り出すようにした。
「お前はまだ新入りだから分からんかもしれないが、俺達の村はパンドラとは戦わない。そうやって今まで平和を保ってきたんだ。今回だって村長がーー」
鼓膜を突き破るような悲鳴に書き消され、反射的に門の方に目をやるが、スノーラの居場所からは見えない。どうなったのか聞こうと男を見るが、答えられる精神状態でないことは明らかであった。
スノーラは、屋根の修理中らしい家に立て掛けられたハシゴに手をかけた。随分前に造られたらしいハシゴはささくれが多いが、構わずに登り進める。オノを持ちながら、スノーラはなんとか屋根の側にたどり着いた。門の方を見ると、人だかりの先に、地面を這う人間の姿があった。
村長。何をしてるんだ。こんなやつらに話が通じると本気で思ってるのか? こいつらは話なんて聞いたりしない。好き勝手に壊して食い散らかす野蛮なやつらなんだぞ。
村長の頭を足で踏みつけ、腕をもぎ取って食らいつくのは勿論人ではない。黄土色の肌、チラつく鋭い牙、顔の半分を占める巨大な目。人の形をかろうじてとってはいるものの、あまりに異様な姿。動物でも、人でもない異形のもの。
「パンドラ!」
オノを力の限り握り締め、スノーラは歯を食い縛りながらパンドラを睨み付けた。
村長は悲鳴をあげて必死で足掻いていたが、やがて力を失い、動かなくなった。先頭にいたパンドラが村長の亡骸を後方へ投げると、後ろに控えていたおよそ20体のパンドラがハエのように群がった。
それを見ていたスノーラは、すぐさま近くにいた村人達に声をかけた。
「皆早く武器を取れ!」
早く準備をしないと間に合わなくなる。丸腰じゃとてもパンドラには勝てない。とにかく一刻も早く全員が武装しないと、全滅してしまう。
口元に手を寄せて力の限り繰り返すが、村人はあろうことか膝をつき始めた。一旦黙り、信じられずに周囲を見ると、村人全員が門に向けて膝をつくなり順々に頭を下げていった。
「あぁ、どうか命だけはお助けください」
「私達に戦う気などないのです」
「どうか、どうか命だけは」
「何を、してるんだ。村長が殺されて分かっただろ。こいつらに、話なんか」
あまりの衝撃に、スノーラは言葉を詰まらせた。
目の前で村長が殺されたのに、交渉の余地はないと今分かったのに、なんでこいつらはまだ話し合いで解決しようとしてるんだ? これじゃあ、全員村長の二の舞に……。
「早く武装しろ! 全員殺されるぞ!」
パンドラが村に歩み寄る。村長を食らい、口から血を滴らせながら、人を食う鬼達が頭を下げる村人に近づいていく。
「逃げろ! 早くそこから逃げろ!」
「スノーラ、お前も早く頭を下げろ! 我々の誠意を見せれば分かり合えない相手などない! お前の態度だって見ておられるんだぞ!」
スノーラの警告を厳しく叱責したのは先程の見張りの男だ。
「ふざけんな! そんなわけないだろ! そんなことしてる間に武装しろ! 戦わないと殺されるぞ!」
「こうやって戦う意志がないとお伝えすれば誰だってーー」
村人の悲鳴が上がった。一瞬にして空気は凍りつく。叫ぶような命乞いだけが響き渡る。
その数秒後、まるで合図でもしたかのように村人全員が一斉に悲鳴をあげて逃げ出した。スノーラが登っていたハシゴも押し倒され、スノーラは地面を転がりながらも、なんとか家の陰に身を隠して踏みつけられるのを回避した。すぐ側は悲鳴をあげながら必死で逃げる人々の群れができている。
この流れに入ってしまうのは危険だ。1度この流れに飲まれればもう自分じゃどうにもならない。こうなってしまった以上、今は身を隠してタイミングを見計らうのがベストだ。
スノーラは入り口から家の中へと入った。昼食の準備をしていたようで、台所には火のかけられた鍋があり、食卓机には皿とスプーンが並んでいた。スノーラは身を低くして周囲に人影がないかを確認しながら慎重に、かつ素早く階段を上った。壁に背中をつけ、窓から最低限だけ顔を覗かせた。
村は完全なパニックに陥り、我先にと逃げ惑う人々で溢れている。それを追うパンドラは嘲笑うかのように簡単に村人を捕まえては貪り食いだした。状況は一方的な虐殺と言っても良い。
村人の数はおよそ300。対してパンドラはおよそ20。全員で武器をもってかかれば勝てない相手じゃない。武器は使わないから、とか言って講堂の倉庫にしまっていたはず。村人をそこに集めて武装して、一気に反撃に出ればまだ勝機はある。
スノーラは村人とパンドラが一定家の周囲を離れたのを見て、そっと顔を引っ込めた。頭の中で講堂までの道順を軽くイメージし、素早く階段へ向かう。途中まで来て、視界に人影を捉えて身を翻すように物陰に隠れた。背中にピッタリと壁をつけ、静かに座る。息を殺しながらパンドラの行動を観察する。タンスを開けたり、机の下を見たりしていることから、次の獲物を探していることは一目瞭然だった。
スノーラはパンドラが台所の方へ行ったのを確認すると、忍び足で階段を降り始めた。台所からは戸棚を開閉する音がしており、物を引っ張り出しては投げ捨てている。スノーラはその様子を見ながらオノを握り締め、一歩、また一歩と階段を降りていく。パンドラは台所で何かを探すのに夢中でスノーラに気づかず、スノーラは階段を降りきるとすぐにタンスの陰に身を隠した。
パンドラに注意を払いつつ、側にあったゴミ箱を手に取ると、玄関に向けて思いきり投げつけた。その音に反応し、パンドラは台所から飛び出すように玄関へと向かい、落ちているゴミ箱に手をつける。その瞬間、スノーラは陰から飛び出して思いきりオノをパンドラの頭に向けて降り下ろした。バキッと折れる音がスノーラの耳に入るが、目の前を舞ったのはオノの先端だった。
ゆっくりと、無傷のパンドラが立ち上がる。スノーラは近くに置いてあった花瓶をひったくり、もう1度パンドラの頭にぶつけるが、パンドラは首を鳴らすだけだった。
「くそ!」
スノーラはすぐに台所の勝手口目指して駆け出すが、扉を目前にして腕を捕まれた。腕を引かれたと理解したときには投げ飛ばされて、完全に立ち位置が逆転している。玄関へと駆け出すより早く、パンドラはスノーラの肩に食らいついた。骨が砕かれる音と共に激痛が押し寄せてスノーラは絶叫していた。
視界の隅にチラつく片手鍋から湯気が立ち上っているのを見て、スノーラは決死の思いで掴むと、全ての力をもってパンドラにぶつけた。煮えたぎっていた湯がパンドラの目にかかり、パンドラは目を押さえて絶叫する。牙から逃れたスノーラだが、湯はスノーラの胸や腹にもかかっていた。悲鳴を押し殺し、スノーラはなんとかパンドラの足元を通過した。
家具に体をぶつけながらなおも暴れ回るパンドラの爪は、あと一歩で脱出するというスノーラの背中を深く切り裂く。たまらず床に倒れこみながら後方を見ると、パンドラは未だ叫びながら狂ったように暴れている。スノーラは必死で悲鳴を殺してなんとか勝手口から脱出した。
スノーラはそのまま門の外を目指して進んだ。村の側にある森の中へ、ただ一心不乱に歩を進める。背中、腹、肩など、全身が火傷やら出血やらで一歩毎に激痛が走るが、後方からの追手を警戒しながらとにかく進む。村人の悲鳴が絶え間なく上がっているが、助けに行く余裕などありはしない。あえぐように息をしながら、全身の痛みに耐えながら一歩、また一歩、少しずつ狭く弱くなっていく歩みを必死で進める。痛みと悔しさと衝撃とがスノーラの中でまるで荒れ狂う海のようにせめぎあっていた。
「くそ! くそ。くそ……。こんな、こんなはずじゃ……。俺が、俺がこんな……」
パンドラに復讐を誓っていた。必ずあいつら全てを壊し尽くすと決めていた。それなのに、こんなところで……。
鬱蒼と茂る森の中に入ると、悲鳴はいつしか聞こえなくなっていた。そのことに気がつくと全身から力が抜け、うつ伏せに倒れこんだ。体はピクリともせず、痛みが強すぎて何が痛いのかさえスノーラにはわからなくなっていた。出血のせいで視界はかすみ、瞼は重く落ちてくる。
金属音が1つ鳴り、スノーラは消え入りそうな意識を必死で繋いだ。目の前に現れたのは金属の足。見上げていくと、それは宮殿の廊下に立っていそうな鎧の騎士であった。全身を鎧で包み、顔すら分からないその騎士は、持っていた剣を地面に突き刺すと、片膝をついた。
「言い遺すことはないか?」
頭についた何本かの羽が風に揺れるのをぼんやりと見つめ、スノーラは数秒してようやくその意味を理解した。
俺は、ここで死ぬのか?
視界は既に暗い闇に飲み込まれつつある。それでも必死に闇に抗いながら、騎士を見る。
何故だ……。俺は、パンドラを壊し尽くすはずだった。それなのに、どうしてパンドラなんかに!? 俺の全てを奪ったパンドラに、どうして何もできないまま殺されなきゃならない! くそ! くそ! ふざけるな! こんなところで! こんなところで!
「生きたいか?」
頭上から降ってきた予想外の言葉に、スノーラは思考を中断して騎士を見上げた。目はどこにあるのか、あったとしてどこを見ているのかは外見からは分からないが、スノーラの視線の先で騎士は真っ直ぐに体をスノーラに向けて誠心誠意向き合っていた。
「私の力があれば、お前を生かしてやることはできる。だが……」
騎士はどこか苦しげに言葉を切り、数秒してから続けた。
「お前は人をやめなければならない」
人を、やめる?
「それは、今知っている自分ではないということだ。戻す方法などありはしないだろう。どんなものに成るかはやってみなければ分からない。人の姿のままか、異形の姿に変貌するか、不死になるか、それとも死そのものとなるか。何になろうが受け入れる、その覚悟がお前にはあるか?」
人をやめるということは、自分もまた憎きパンドラになるということだろうか。何に成るかはやってみなければ分からない。この騎士が言った通り、俺は人の姿ですらないかもしれない。
スノーラは、自分の手を見た。武器を持ち、戦いに備えて鍛えたときにできた豆や、料理に失敗してできた切傷。転んだときに土で汚れたその手を。思いのままに走り続けてくれた足を、動いてくれた体を。それでも、例えこの体がどうなろうが、俺にはやり遂げなければならないことがある。パンドラになろうが、この想いは変わらない。パンドラを滅ぼす。そして、人が人として生きられる世界を、誇りを持てる世界を取り戻してやる。
「それでもいい!」
スノーラは叫んだ。
「人をやめようが構わない! 俺に生きる力をくれ!」
騎士はゆっくりと頷くと、立ち上がって剣を引き抜いた。
「良いだろう。お前に生きる力を与えよう」
直後、スノーラはまばゆい光に包まれた。