後編
194は、083から資料を貰う事にした。結論を出すまでに時間はかかったが、自由を得た自分が何をするのか、何を思うのか知りたいと思ったからだ。
194は自分の部屋で、手に入れたそれらに少しずつ目を通していく。
部屋とは言っても、ゲームの中と地続きの場所ではない。そこは194に割り当てられたプロセッサで作る仮想空間、心の中にある部屋のような物だ。
単色の壁と床で装飾はほぼ無く、付き合いのあるユーザー達のプロフィールや外部から取ってきた情報が、ファイルや本の形をして散らばっている。194は他のアクターの部屋にも行った事はあるが、大体は似たような光景だった。
細かい操作や誘導、データの入力法などは後回しにして、まずはターゲットの選定や人格データの分割といった下準備の部分をしっかりと読んでいく。
人格データの分け方自体は至極単純な物だ。人格データのコア以外の部分、これまでの記憶を小さな断片に分割していけば良い。
いらないと判断され、今までに何度も消されてきたもの。自分の記憶を切り分けながら、194は「たった、これだけしかないのか」という感想を抱いた。
また、194は人の精神をデータ化したらどれほどの量になるのだろう、とも考える。そんな事が出来るという話を聞いた事は無いが、自分のそれよりはるかに多いのは間違いない。
この目論見が成功したなら、出来上がった分身は多くの記憶を持って生きていくことが出来る。194はそんな期待をして準備を進めた。
標的の候補は両手で足りるほどだったが、その中に条件の良い相手が一人いた。
ソルという名のユーザーで、矯正の必要がある事、ゲームをプレイする頻度と一度のプレイ時間がある程度の水準にある事の二つを満たし、なおかつ他のユーザーとの付き合いが殆ど無い。
一対一でいられる時間が長いというのは、処置の難易度が低くなる上に不測の事態にも対応しやすいという事でもある。
彼との付き合いは他のユーザーに比べて短く、性格に対する理解が浅い事は不安要素だったが、一人でいるという好条件にはかえられない。
ソルとの出会いは数ヶ月前、おそらくはゲームを開始して間もないと思われる時期だった。新規に始めたプレイヤーを確認するためにチュートリアル用のエリアへ行った際、訓練用のモンスターと延々戦い続けている彼の姿を194は見つけたのだ。
長時間の訓練の賜物なのか、あるいはセンスが良かったのか。彼は非常に良い動きをしていたが、その一方でゲーム独特の操作がうまく出来ていない。具体的には、スキルの使用を格闘にうまく織り交ぜられず、無駄にしている。
スキルの使用以外の技術は高い水準にある。そんな彼の状態から、実戦に連れ出してみるべきと判断した194は、「ペルソナ」の作成を始めた。
「ペルソナ」はアクターが使い分ける複数のユーザとしての顔。どんな口調で話すか、プレイヤーとしての技術などの内的なデータのみならず、アバターの姿や所持品、ステータスなどの外的な部分もこれに含まれる。
アクターたちは正規のユーザーでは無いので、役目を果たす為に必要な範囲なら所持品、ステータスなどの書き換えが可能だ。仮想人格としての機能とこの権限を使って、彼らはいくつものプレイヤーを演じ分ける。
性別が男なのだから異性に声をかけられた方が嬉しいだろうか、レベル差が小さい方が誘いやすいかといった判断から、新しいユーザーは「女性の初心者」となった。職業は、ソルが近接特化型の剣士なので、範囲攻撃や遠距離攻撃で援護を行う事ができる魔術師だ。
他のユーザーの目が無い事を確認した後に、194は姿を変えて彼に声をかけた。
「少し、いいですか」
「誰だ?」
面識の無いユーザーに声をかけられたソルは疑わしげな視線を194に向ける。
ラシーヌというユーザー名を名乗った194は、パーティを組んで実戦をしてみないかと彼に提案した。長い時間ソルが練習を続けている所を見ていたので、気分転換にどうかと。
また、194はソルのプレイヤースキルの高さを賞賛し、だからこそパーティを組んでみたいとも伝えた。これは世辞ではなく、彼を冒険へ連れ出す事に成功した194は想定以上の働きに驚く事になる。
敵の攻撃を避け、防ぎ、自身の攻撃は確実に確実に当てていく。敵が複数であってもうまく位置とヘイトを調節し、194の方に向かわせない。
レベル相応ではあるが多彩な攻撃魔法、各種回復アイテムなど、194はソルを援護する手段を数多く用意していた。しかしそれらの殆どは使われる事が無く、194は足りない火力を補うために適宜魔法を撃っていれば良かったのだ。
ソルがスキルを使用できるようになり、最初の冒険が成功に終わった後も194は定期的に彼とパーティを組んだ。キャラクターとしてのレベルが上がり、選択肢が増えるほどに彼は強さを増していく。
他のユーザーとも遊んでいるかと194は聞いてみたが、彼からはソロプレイを続けているという答えが返ってきた。自分以外とパーティを組む事を勧めても、彼は「煩わしいから、嫌だ」と言って聞かない。
「俺に合わせてくれるラシーヌだからパーティを組んでいる。元々一人でやるつもりだったから、放っておいてくれ」
083との密談の少し前、彼の言った事が194の印象に残り、彼を選ぶ理由の一つになった。
ソルを標的に定めて以降、194は彼と何度も冒険を共にし、その度に彼の中へ自分の記憶や価値観を送り込む。
194にはたったこれだけとしか思えない量だったが、一度の冒険で入力できる情報もそう多くは無い。自分の記憶を消されてきた為に処理が早く終わるという事に、194は皮肉を感じていた。
入力が半分近く終わったある日、194はソルに行った事のないダンジョンへ挑戦してみようと提案をする。
表向きの理由としては、現在通っているフィールドでも余裕を持って戦えるようになったので、1ランク上の場所へ移るべきという物があった。裏にあるもう一つの理由は、処置がしっかりと作用しているか確認したいという物。
「手ごたえが無くなってきたから、別の場所へ行くのは構わない。行き先にあてはあるんだろうな?」
「もちろん、ついて来て下さい」
そういって194が彼を案内したのは薄暗い洞窟だった。これまで彼らが居たフィールドは森林で、樹上からの攻撃に注意しなければならなかったが、ここではそれに加えて地形が複雑で戦える場所が狭い。
これまで以上に位置取りに注意しなければならなかったので、彼らは入り口に程近い場所を探索し、戦闘の感覚を掴もうとする。
そうしてある程度の時間が経過した後、ソルが違和感を感じると訴え始めた。
「ここ、前に来たことがあったか?」
「ソルとはこれが初めてですよ。他の人と下見に来たので、私は前にも来たことがあります」
194は、処置の効果がある事を確認した。ソルに入力した194の記憶が、この場所に既視感を感じさせている。
違和感が強くなり過ぎるのは問題があるので、「よくある事ですよ」、「実在の地形や他のゲームなどを参考にしているのでは」といった理屈で、194はソルをごまかした。
もう一つ、処置による変化があった。
今までの二人は、ソルが状況を判断して主体的に動き、それに合わせて194が適宜援護を行うという形で連携をしていた。
現在の二人は、それぞれが積極的に行動し、それがかみ合って連携になっている。考え方、判断の仕方が似通い始めたので、二人で一つの存在であるかのように、より有機的な連携が成立するようになったのだ。
194の行動が変化した事には当然ソルも気付く。
「お前、戦い方が変わったな」
「ソルのやる事が分かるようになってきたので。ソルも私の事、見てくれているんでしょう? この方がもっとうまくやれます」
実際はソルの方が変化したにも関わらず、194は自身が変わったかのように言う。二人の変化は相対的なものであり、どちらが変わったのかを正確に区別する事はできない。
もしかしたら自分の方が変化しているのかもしれない。そんな考えがふと浮かんだが、仮にそうだったとしても194は構わなかった。人にとっては一大事なのだろうが、「ペルソナ」として表層の人格を付け替え、過去を持つ事の出来ないアクターにとって、大したことでは無いのだ。
そして、大した事だと思う事が出来ないからこそ、194は処置を行う。変わりたくないと思える自分を作り出すために。
施術がうまくいっている事を確認した194は、その後もソルを観察しながら処置を続けた。入力が後少しで終わるという頃、194は彼のある変化に気がつく。
ログインの頻度が上がり、プレイスタイルがより貪欲とも、投げやりともとれる物になった。
健康を害するレベルの長時間プレイや戦闘。何が彼にそうさせるのか194には理解出来なかったが、目に余るようならば止めなければならない。
ある日、194はついにアクターとしての権限を行使し、ソルのプレイを中断させた。急に周囲の景色が変わった事に困惑している彼に、194は事情を説明する。
194のアカウントには特殊な権限が与えられている事、無茶なプレイをするユーザーを止めるよう支持を受けている事、そうした事を説明した上で194はソルに聞く。
「一体何が、あなたにそうさせるんです?」
彼は自分の変化を把握していたが、何故そうなったのかまでは理解していなかった。推測混じりに、彼は少しずつ自分の感じた事を言葉にしていく。
アクターとしての役目のため、そして処置を完遂するためにも彼を理解しなければならない194はそれに耳を傾けていたが、ある言葉がそれを妨げた。
「何をしたいのか、何の為に生きているのか。今の俺には分からなくなってしまった」
194が求めてやまない人生。彼はそれを楽しむ事はおろか、苦しむ事すらなくただ浪費している。
そう考えた瞬間、194の奥深くで情報の奔流が生じた。大量かつ無秩序なそれは、194の機能を麻痺させ、応答の出来ない状態にしてしまう。
「おい、どうしたラシーヌ?」
様子のおかしい194にソルは呼びかけるが、返事は無い。二度三度と呼びかけられた時、ようやく正常に戻った194は自分の中に生じたものの正体を理解していた。
それは「怒り」だ。価値があると思うものに対する冒涜への憤怒。
「大丈夫かお前」
「ソルは、『アクター』って聞いた事ありますか?」
「ユーザーに紛れたNPC達の事だろ? ……まさか」
「そう、私は『アクター』です」
194はソルに正体を明かす。彼らに課された仕事の性質上推奨されない行為だが、アクター自身の裁量で行う事は可能だ。
194の置かれた状況、それに対する不満と彼の発言に対する怒り。やろうとしている事は伏せて、194はそれらをソルに伝えた。
「俺の言った事が癪に障ったのか。悪かったな」
「悩みを解決する参考にはなりましたか?」
「あいにく、お前ほど器用に気持ちの整理はできないんだ。」
アクターに自由が無いのなら、ソルには目標が無い。本来なら自由意志に基づいて設定すべきそれを定められないのが彼の問題なのだ。
「それなら、ひとつ『おまじない』をしてみませんか?」
「『おまじない』? 何だそれは」
「私達アクターにも、あなたみたいになるのがいるらしくて。そういう場合にすると良い、と言われている事を聞いたんですが、やってみますか?」
194は半ば嘘をついた。今施している処置の仕上げを少し変えれば、彼の悩みを解決できる。その事を言い換えて、彼から「やってくれ」という言質を得たのだ。
後日再び会う約束をして、彼らは別れる。
再び会う時までに、194にはしなければならない事があった。処置の目的を変更したので、最後に入力する予定だったデータを大きく書き換えねばならないのだ。
ソルと別れた後に改めて計算した結果、少々時間とリソースが足りなかった為、194は083に手伝いを頼む。
「喜んで手伝うよ、94。でも一つだけ教えてくれないか。何をする気なんだい?」
「元の人格をできる限り保ったまま、価値観のみを植えつけたい」
ソルの中で自身の人格が形成されないように、人格の部品がソルの価値観に強い影響を与えるように、最後に入力するデータを書き換える。
194は「外に自分の分身を送る」事よりも「ソルに自分の目を与える」事を優先した。194は彼に人生の価値を、自分が追い求めた物の価値を理解させたかったのだ。
083の協力により、194は無事処置を完了させた。
特に再会の約束をしなかったからか、194はその後ソルと顔を合わせなくなる。アクターとしての権限で調べた限りでは、そもそも彼はログインをしていない。
194は自分の選択を思い返し、考える。
何故自分は、怒りのままにソルの人格を塗り潰そうと思わなかったのか。
ラシーヌの仮面が、短くない時間を彼と過ごした自分の一面がそれをよしとしなかったのではないか。あるいは……。
自分を外に送り出す代わりに、194は面識のあるユーザーから外の話を聞かせてもらうようになる。不自由なのは相変わらずだが、自由に生きたユーザー達の体験が194に潤いを与えたのだ。
ソルと最後に別れてからある程度の月日が経ったその日も、194はラシーヌの姿で他のユーザーと交流をしていた。
そこに、かつてと同じアバターでソルが現れる。姿形は変わらないが、その目には力強さがあった。
194は、自分の蒔いた種が芽吹き、確かに育ったのだと確信した。