5、冒険心だけでは生きられない
「だぁああ!! 何なんだよ、あのクソむかつく村人! ただのNPCが、何であんなに強ぇわけ!?」
犬は喋るし、この世界の基準おかしいだろ!
叫ぶマイロは、興奮と怒りおさまらぬとばかりに背後の二人を振り返った。
「そう思わねぇかよ!?」
同意を求めたつもりだったが、片や必要時以外滅多に喋らない奴。片や、何やらあれからずっと考え込む眼鏡。一瞬冷静になった頭で悟る。
あー。こいつらとまともな話って、できないんじゃないかオレ。
実は全員が、それぞれについてそう思っていることは知る由もないが、マイロは一気に熱が冷めるのを自覚した。
コンラッドの家から、真っ直ぐ一本道を進み侵入した森。うっそうと茂った木々の隙間。草が踏まれ続け土が見えている場所を歩きながら、一同は(とういうかマイロが)実に騒がしく、緊張感の欠片もなくいた。
「…やっぱりおかしい」
「あ?」
不意に、眼鏡……もといレンがぼそりと呟いた。
目の下の隈と薄いシワのせいでおっさん臭いことこの上ないが、初対面の時に「まだ二十五だ」と言われ、笑えもしなかったのは記憶に新しい。真偽の程を確かめる気にもなれないのが事実だ。
さて。そんな最年長かつ、このチームの参謀長的立場の男が、立ち止まってまで続けた言葉は。
「あの家! あそこ…絶対おんにゃのこがいるぞぉおお!!」
二度程、森に変な叫びが木霊した。
「…」
「……」
つられて足を止めてしまった十代の少年二人は、揃って立ち尽くした。
同時に、改めて痛感する。
…こいつとは、例え一生だろうとわかり合えなくていい。ていうか今すぐ縁を切り捨てたい。
しかし、二十代のいい年した男の演説は止まらない。
「男一人で住んでいる割には整頓された室内に、控えめながら所々に絶妙に配置された花や小物類! 使用頻度のわかるしかし掃除の行き届いた台所! 牧場経営の農夫が、男が、独り身で、そんな女子力あるわけない! あったらおかしい!!」
マイロは思った。
お前、その観察眼と分析能力他のことに使えよ!!
召喚された六人は、全員が体力や魔力といった、基礎の部分が大幅に強化されている。加えて、それぞれ『身体の一部分をチート改造』されている。
一部分だけとかケチだと自分たちを選抜した女神に猛抗議したが、彼女は始終笑顔で。
「いやですわぁ。六人も一気にこちらへ転送した挙句、肉体改造まで施して差し上げましたのにぃ、どうして文句が出てきましょう? 何ならぁ、ステータスすべて元に戻して、いきなり魔王の眼前に放り投げて差し上げてもよろしいんですのよぉ」
そりゃあ、異世界トリップとかにチート能力はお約束だろうと期待はしていたが…。
前半に関してはおたくが勝手にしたことであって、オレらが頼んだことではないぞ!?
黒髪紅眼のグラマラスな、女神というか銀座の厚化粧なホステスといった印象の女は、そんな感じに全員を恫喝して黙らせた。あの時の感想は、満場一致している。
ーー何でこんな奴が女神やってんの。設定おかしいよ。詐欺だよ。
異世界転移、俺最強、チート無双カモン! …なんて、所詮は夢物語か。ふっ、知ってた。
現実として、明らかに二次元ファンタジーな世界に飛ばされている現状を踏まえても、「ああ結局こんなモンだよなぁ」と色々さめてしまった。
だから敢えて、マイロは口に出さない。出さないで胸中で叫んだ。
何だこの、どこまでも売れないRPG! 現代っ子なめてんの!?
ーー…で、だ。
全員、悩みながらも身体の一部分を選択して、とりあえず何でもあり状態にした訳だが。
レンはその際に『両目』と『視力』、及び『それらに関するすべて』を選択している。
あくまでも女神は、一部分と言った。一ヶ所とも、またその部位の機能ひとつだけを改造とは、まったく言及していない。…という揚げ足を、瞬時にレンが指摘して丸め込んだためだ。
その結果、彼は目に関することなら何でもできるようになった。 詳しく言えば、千里眼に観察眼、他人の視界奪ったり透視したり前向いたまま後ろ見えたり……エトセトラが可能だそうで。正直、今かけている度の入った眼鏡なんていらないくらい、視力もあるらしい。…じゃあ、外せよ。
だが本人曰く。
「眼鏡を取ることで能力を発動させるとか王道だろ? …後、眼鏡は俺の一部さ」
あの時、全力で己にたてた「こんな変態にだけはならない」という決意、忘れるものか。
…そしてその能力の使い道は、もっぱら『女の子への最低行為』に使われている。能力の向上・制御のためと堂々代議名分を掲げ、街では道行く女性の服の中を透視していた。
もう一度、いや何度でも言おう。
こんな変態にだけはならない……なりたくない、いやもういっそ、どうメーター振り切ればなるというんだ。
因みに、余談を挟めば。
コンラッド宅の室内に飾られている花や小物は、新生活当初、「飾り気がない!」とまさかの女性目線で愛犬が駄目出しし、以降彼女によって定期的に調節されているものである。掃除等については、案外とコンラッドがマメだから散らからないだけだ。
ーーさて。何かまだ言っている気もするが、駄目な大人はこれ以上見てられない。
さっさと、生き残った魔王とやらをぶっとばすメインイベントをこなそう。
「おい、そこの健全な青少年。どう思うよ。やっぱり、あの家にいるのは年上属性っていうより、ロリ方向だと思うんだけど」
始終無表情と無言を貫いているコージローと、早足で変態から遠ざかる。
ここが森でよかった。人がいたらと思うとぞっとする。オレタチカンケイシャジャナイデス。
だが、ふとコージローが歩みを止めた。
「コージ?」
振り返ったマイロに、表情の乏しい仲間は片方の指を立てて答える。
ーー静かに。警戒しろ。
意味をくんだマイロが、ゆっくりと担いでいた大剣を抜く。いつの間にか、今まで弁舌をふるっていたレンも、周囲に目を光らせていた。
その内、コージローが瞑目する。
レンが『目』を選択したように。コージローは『聴覚』を選択した。
通常、人間の聴覚が捉えられる音の範囲は、個人差はあるものの、大体決まっている。
周波数なら二十ヘルツから二万ヘルツ。音の聞こえる距離は周波数と音源の位置にもよるが、コージローの場合は『集中次第で幾らでも探れる』。
例えるならば梟だろうか。地上の獲物の動く微かな音を空から捉えられる、優れた聴覚の狩人。
コージローは、蝙蝠みたく超音波こそ出せないが耳にはできる『超聴力』の能力者だ。
超視覚と超聴覚。
このふたつが間接的に揃った上で、マイロに『負けはない』。
「右、斜め三十度、距離二百メートル強……ぴったり十秒後に接触」
「了ー解。因みにナニ?」
コージローによる、計算込みの指示。精確なそれは、注釈がない限り誤差は生じない。
ここまでくると、マイロの耳にも木々が押し退けられる音が聞こえてくる。
「モンスターだな…」
既に『視認』したレンが、何故かつっかえるように付け加えた一言に、思わず「いや」と突っ込んだ。
「それはわかってるけど! どんなモンスターか、」
「もう見える」
レンが呟いた瞬間、彼の声を飲み込んで、マイロのすぐ眼前で土砂が巻き上がる。
土煙を破り姿を現したのは。
「お、おお…乙○主様ぁあああああ!?」
全員ーーコージローが声を上げたかは定かでないがーー叫んだ。
山のような白い巨体。某スタジオ何とか作品に出てくる猪に似ているが、備わっている牙は肉食獣のそれ…さながらサーベルタイガーみたく。また、四肢の先は蹄だが、骨格は例えるならば蛙や兎のようだ。
…あれ、もしかカ○ナシ交じってる?
驚きで別方向に吹っ飛んだ意識は、しかし一秒後、同じく驚愕で引き戻された。
「メェエエエエ!!」
「断じて認めねえええええッ!!」
マイロの大絶叫が負けじと響く。
「何でもアリかこの異世界!! どうすれば猪が羊の鳴き真似するわけ!? ごちゃ混ぜ過ぎて逆にモンスターって方に集中できんわ!!」
全力投球の突っ込みに、だが、あらぬ方面から指摘が入った。
「………羊」
「あぁ!?」
コージローの発言に苛立ち交じりに振り返れば、彼は無表情のまま。
「鳴き声の周波数、羊と一緒…」
そんなの普通わかりません。
そう声を出す前に、レンに小さく「マイロ」と呼ばれる。
彼が指差す先。そちらを見てみれば、横に飛び出した小さな耳の後ろ側。そこに巻貝のような、これまた小さな角、らしきものーー。
「………」
あれは…何か? 突っ込み待ちのネタか? これ以上の突っ込みをさせようという、所謂誘い受けか?
何かが突き抜け、急激に疲労感が押し寄せたマイロだったが、忘れてはいけない。
今。自分たちは正真正銘、『化け物』の眼前にいると。ーーよって。
「メェエエエエエエエエ!!」
蹄で土を数回叩き、猪(正確には羊もどきが正しそうだが)は真っ直ぐ突進してきた。その姿は、まさに猪突猛進。
もう、これが知りうるどの動物に該当しているか、なんてどうでもいい。
ひとまず。
「逃げるぞぉおおお!!」
全員で勢い良く駆け出す。
山のような体躯の化け物が迫ってきたら、そりゃあ条件反射で逃げるだろう。
そもそもこの三人。地球にいた頃だって、ただの一度も本物の野生の猪なんて見たことがなかった。更に言うならば、ゲームでモンスター討伐ものは好んでいた方だ。
だが、だがしかし。
「やっぱ現実的に無理ゲーじゃねぇ!?」
走りながらレンが代表して叫ぶ。
なぜこういう時、アニメなどで後ろの怪物等に追いつかれないのかと。ああ二次元だからな、と。本気で考えていたが、違うとはっきり実感した。
命懸けだからだ。文字通り、死に物狂いで全力疾走しているから、ものすごくギリギリのところで追撃を逃れているのだ。
火事場の馬鹿力。なるほど、的を射た言葉だ。今ならば、谷底へバンジージャンプもでき……いや無理。
ーーと、いうか。
「あれ。何でオレら逃げてんの…?」
一瞬、マイロが妙な冷静さを取り戻した。
よくよく考えたら、これぞ異世界の醍醐味ではないか? 冒険者が森というフィールドに繰り出し、モンスターと対峙し、そして狩る。
超王道ど真ん中な、ハイファンタジーかっこノンフィクションかっことじる、じゃないか?
「…」
そうだ。
そうだとも。まして自分たちは『チート能力持ちの異世界人』だ。
さればやることはただ一つ。振り返って猪との距離を確認し、持っている大剣を構えるのみ。
いざーー!
「メェエエエエエ!」
「いや近ぇよッ!!」
振り返ったことを後悔する程どうにもできない密着度に、マイロは確認した自分自身を恨む。
「何心折れる無駄作業してんのお前!?」
既に息切れし始めたレンに怒鳴りつけられ、むきになって反論する。
「反撃できるか確認したんだよ!!」
「明らかにすぐ後ろにいるから敢えてしなかったことをか!?」
「それはお前の主観だろぉ!?」
叫び合いながら、足だけは止めない。もうマイロも背後を気にする余裕はなくなっていた。
「ッ!」
不意に、前を『見続けて』いたレンがぎくりと表情を固まらせる。彼が何か言う前に、マイロの背を一足早く冷や汗がつたう。
「…おいレン?」
ーーまさか。
「マイロ、コージロー」
ふ、と。何かの悟りを開いたような、場違いな微笑みで。参謀は親指を立てた。
「断崖絶壁だ」
千里眼で、この先に待ち受ける結末を見てしまったレンの、ともすれば地に伏せそうなまでに脱力して涙目の宣告に、少年二人が時間の停止すら感じたのは…仕方がないことと言えよう。
「ーー何、このクソゲェエエエ!!」
何度目かわからない絶叫は、虚しく森に木霊して消えた。
レンは自身の体力の限界を感じながら、ぐっと歯噛みした。
このまま行けば、確実に全員落ちる。二次元ならその前にどうとでもなるし、最悪谷底へ落ちようが掠り傷で済まされる。そういう世界として創られているから。
ここは異世界だ。女神の説明を真に受けるならば地球ーー否、自分たちが『存在していた次元』ですらない。惑星や宇宙のどこかなんて、『狭い』感覚でない『どこか』だ。
それを踏まえた上で、『これは現実』である。
ゲームならば、意識だけが乗り移った『キャラクター』なら、こんなにも動機が襲ってくることはない。疲れはしない。
ーーこの体は本物だ。
神経があり、痛覚がある。傷を負えば血が出る。血が出過ぎれば出血多量に至る。さすればその先もーー
死亡することも、あるということだ。
そんな事実を前に、捨て身で崖に飛び込む? 猪に撥ね飛ばされる?
全力で御免被る。
「おい参謀! どうすんだよ!」
マイロが焦ったように訊いてくる。…どうするって。
背後を一瞥し、内心で悪態をつく。猪との距離が近過ぎる。
索はある。だが、もう少し互いの距離が離れていれば、だ。そうすれば、マイロの能力でどうにかできた。そもそも、彼が最初に怖気づかず対峙してれば問題なかった。が、そんな『当たり前』のことを責められる訳がない。
「いッ」
遠目に木の切れ目が見える。言わずもなが、『終わり』だ。
「くそ…!」
レンは、散漫になる己の思考に我慢できず毒づいた。一か八か、賭けるか? なんの保証もないのに?
と、それまでずっと無言だったコージローが、レンに片手を振った。
「!」
「……俺、いく」
全力疾走中だというのに無気力に垂れた赤紫の双眸は、レンに据えられることなく。だが、確かな自信をはらんで光る。
「賭ける…?」
三人は、知り合ってから三ヶ月しか経っていない。一緒にある程度各地を回ったり、行動を共にしてきた。
だが、互いが互いについて深く訊くことも、語ることもなかった。つまり、こんな土壇場に、打ち合わせなく何か意図を組むことなど不可能である。
しかし。
「頼んだ!」
即決だった。一秒経つよりは速く、レンはそう口に出していた。
コージローは極小さく「ん」と頷くと、腰のホルスターから愛用の拳銃を掴み取り。
走りながら、片手だけを背後に向けて。
一切の間を置かず、寸分の狂いもなく猪の右目を撃ち抜いた。
「え」
「メェエエッ!!」
呆気に取られた声は、マイロとレン、どちらのものだったろう。
怯んだ猪の前脚ーーの関節部分に、更に正確に二発の弾丸がめり込む。バランスを崩し倒れた猪に、というよりも仲間である少年の思わぬ射撃技術に、足が止まった。
「!」
はっ、とレンがマイロの腕を掴む。
「マイロ!! 今だ、思いっ切り遠くに跳べ!!」
瞬間、言わんとしていることを理解した彼が、両足に力を込めて、そして。
悶絶した猪の前から、三人の姿が…忽然と失せた。
「どぅわ!」
「だ!」
先程の場所から、直線で五百メートル離れた場所。
そこで三人は草の上に転がった。
「ッ…てて………死ぬかと、思った…」
頭を押さえながら起き上がったマイロは、放り投げる形で下ろした仲間を見返す。
「生きてるか?」
「…死んでる」
横たわったまま、ぜいぜいと息を切らしたレンがぼそりと呟く。
その隣では、何故か一人ちゃんと着地したコージローが、片手でピースサインを見せる。
「え、いやいや。何で平気なの? お前もオレらと同じくらい走ってたろ?」
レンほどでないが、立ち上がる気力はないマイロの指摘に、彼は少し首を傾げ。
「…鍛えてる……」
言葉少なく、そう返答した。この時二人は口に出さず思った。
あれ、こいつ肉体強化系の設定じゃないよな?
しかも。いくら鍛えているとはいえ、まったく疲労がないわけではない。なのに、あの状況で動く相手に的確な射撃を行えるとは。
空気を察してか、コージローにしては珍しく、尚も言葉を繋ぐ。
「…元の世界で………サバゲー…してた…」
「あー、……………あ? サバゲーって、あの、銃撃ち合うやつ?」
こくんと頷かれ、マイロはそれきり言葉が出なくなった。
サバゲー……サバイバルゲーム。エアソフトガンとBB弾を使った、疑似戦争ゲームだ。最近は、趣味やスポーツとして楽しまれることも多く、テレビ番組で取り上げられていたりもする。
マイロはやったことはないが、以前友人から聞いた話では。きちんと決まりを守り、適切な装備をしていれば、転んだりしない限り、よっぽど酷い怪我をすることはないゲームだが、想像以上にハードらしい。
「なる…、それで……あの……し、射げ…」
「おっさん、とりあえず息整えろよ」
草に埋もれながら死にそうな程に息を荒ませているレンを、見ていられずに労る。
眼鏡が曲がらないようにか、無造作にそれを外し、彼は「いや…」と力なく二人に視線を向けた。
「…一難去って、また一難…だが……」
目を細めて、彼は重々しく口を開いた。
「ーーここ、どこだ」
沈黙が、降った。
「え?」
「…」
目に見えて表情を変えたのはマイロだけだったが、コージローは三回、しぱしぱと瞬き。
「……遭難」
悪夢の言葉を吐き出した。
絶句するマイロを前に、「はいそうなんです」なんて巫山戯る気力も余裕も、今のレンにはなかったーー。
* * *
一方。その頃。
村人A、コンラッドはというと。
「おいこのクソ魔王。弁解はあるんだろうな?」
「あはは……は」
どうしてだか何故だか。
魔王と仲良く、『絶体絶命』に陥っていた。