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TAG~チートだらけの異世界で~  作者: 橘ゆき
第一章・最悪な伝説の始まり
4/33

3、現実はレベルより経験値

 

 

 振り下ろした鍬は、瞬時に背負っていた大剣を抜き阻まれた。

 目の前の勇者ーーとりあえず呼び名はクソガキでいいやーーを、感情を殺した目で冷ややかに見つめる。


「おい、テメェ。誰に向かって楯突いてんだ、あぁ!?」


 鍬を弾いて吠えるクソガキ。

 薄い緑かかった金髪に若葉の吊り目。ゲームセンターにいそうな不良っぽい外見に沿い、喧嘩っ早いようだ。


 楯突く、とか何様なのだろうコイツ。


 上等だ。そっちがその気ならばちょっと授業を開こうか。如何に現実というものが厳しいか、身体に思い知らせてやる。

 死刑? いいや私刑だ。


 飛びかかってきたクソガキの振りかぶった大剣。剣刃を受けるのではなく、剣を持つ手首に目掛け、右手に鍬を持ち替え柄を突き出す。


「!」


 勢い良く柄が手首に当たった瞬間、痛みにクソガキの手から大剣が滑り落ちる。

 体勢を低くし、背後に素早く回り込んで大剣を奪い取ると、振り向き様に目を剥いているクソガキを、一切の躊躇なく斬り上げた。


「ぁぶッ…!?」

「遅い」


 紙一重で切っ先をかわす動きを予想し、上体の反れた足元を払う。

 元から後ろに傾いでいた体勢は面白いくらいに崩れた。受け身を取ろうとした片腕ごと真横から蹴りつけ、倒れた体に大剣を地面が抉れる程の勢いで突き立てる。


 ーーここまで、ほぼ数秒。


 大剣は強い魔力をはらんでおり、必要以上に衝撃波が巻き起こってクレータができた。


「がッ…!」

「マイロッ!!」


 息を詰まらせたクソガキの名前を、仲間だろう奴が叫んだ。


 おいおい。お前、レベル1同然の最弱村人だろうって?

 ーーふ。俺、今覚醒モード入りやしたぁ。


「…ん?」


 不意に渦巻いた魔力と、突然溢れ出した殺気。

 薄くなってきた土埃の向こうから、それを裂いて二発の弾丸が飛び出す。


 弾は、俺の両頬を掠めて後方へ抜ける。一瞬そちらに逸れた意識。それで生じた隙。

 はっ、と視線を戻した時には、膨れ上がった魔力が風の塊となってすぐ傍に迫っていた。


 あ、これは避けられない。


 やっとそう思っただけで動けない俺の背後から、風の塊に向かって突如として無数の鎖が放たれる。


 風を相殺して霧散した鎖。そちらを振り返るより先に、灰の疾風が脇を過ぎ去った。


「! マッ……待て!!」


 駆け抜けたものが何かを直感した瞬間に、力一杯制止の言葉を叫ぶ。

 実に、一秒にもならない紙一重の判断。


 それは正しかった。

 何せ、灰色のコリーが、恐らく風を放っただろう魔道士の男を押し倒し、喉頸(のどくび)へ牙を喰い込ませんとしていたのだから。


 グルルと、愛犬は実に獰猛な目つきで俺を横目にする。


《何故、止めるのですか》


 前脚に力を込め、牙もどかそうとしないマロ。凄い迫力。おお怖。


 …その後ろには、銃を構えたままで微動だにしない三人目が。たぶん、仲間の距離が近すぎて撃てないのだろう。

 あの愛犬はそういう部分も計算して動くから。


 このままでは、今すぐにでも組み敷いた奴を噛み殺しそうなマロだが、一応制止の指示には従っている。

 俺はひとつ息をついて片目を眇めた。


「まだ殺すな。先にこっちが殺すと、暴れる『理由』を与えちまうだろうが」


 途端にマロに押さえられている男が怒鳴った。


「仕掛けたのはお前が先だろ! 何が殺すなだ、躊躇いなくマイロを刺したくせに!」


 黒縁の眼鏡をかけた、見た目インテリ系。飛びかかってきたクソガキよりは貧弱そうだ。

 この世界ではあまり見ない黒髪黒目に、懐かしいアジアっぽい顔立ち。ただ、目元の(くま)とシワのせいで年齢は上に見えた。若くても二十代後半か。

 疲れていそう、というかだるそうなのに、俺へ向ける眼光の鋭いこと。


 ーーそんなことよりも。


「誰が誰を刺したって?」

「は…?」


 据わった目で首を傾げながら応じ、とりあえず俺は、転がったままのクソガキの脇腹を靴先でつつく。


「ほら起きろ。テメェもいつまで意識トバしてやがる」


 ぴくり、と投げ出された指先が微かに動いた。次いで、思い出したように起き上がろうとして、その動きを大剣に阻まれる。


「てーーうぎゃああああ!?」

「うるせぇ」


 耳を塞ぎ、騒ぐクソガキを睨んだ。

 今の状況をざっくり説明すると。


 地面に横たわったクソガキの左脇と上腕部の間ーー丁度心臓のお隣に、大剣がギリギリの位置で服だけを貫いて地面に突き刺さってます。

 つまり、間一髪。


 うん、数秒間放心してから現状を理解したら、まあ叫ぶか。


 大変に頭にきていたし、本当に体に突き刺してやっても良かった。しかし、わざと切っ先は逸らしてやったんだ。有り難く思え。


「チートって言っても、やっぱりガキだよなぁ」


 この世界は超ファンタジックだ。魔法はあるし、何かにつけてモンスターとは戦闘を繰り広げる。

 魔力がある奴が悪ふざけで「ファイア!」と口に出せば、突き出した手から火炎放射が放たれるくらいだ。これが本当の火遊び。


 挙げ句の果てに、戦闘じゃあアクションスターみたくアクロバティックな動きが求められるし、身体能力の低い奴は死ぬのがお約束。

 地球での生活から考えたら、現実離れってレベルじゃない。


 しかし、だからと言って小説や漫画の話とは違う。

 早い話が、チート(イコール)俺最強じゃないってこと。


 例えば、「類い希なる剣の才能」を与えられた五歳児が、世界最強の剣士に挑んで勝利できるか?


 漫画ならできる。で、五歳児最強! わおチート! …て流れになる。王道だ。


 しかし現実は正反対。

 まず前提として、五歳児が重い剣を振れるわけがない。持てたとしても剣を向け合う経験がない上、自分に向けられる殺気や敵意に及び腰になり、たじろいで勝負にならない。


 その辺は、本や作り話では都合良くどこかへ退かされているのだ。鵜呑みにするなよ、現実はいつも残酷だ。


 何故平凡な俺がチートに一発入れられたかは、これで納得して頂きたい。


 レベルがオーバーしてても、経験値がゼロなら村人だって勝てる世界。それが現実。

 逆に、その法則に当てはまらないから、イルミナートは強いってこと。


 俺だって、伊達に三年間も魔王共と戦争していたわけではない。


 ただ、初めから出来たことなんてたかが知れている。剣術も体術も、その道を進むプロに教わった。あの時は魔力もあったから、魔法についてもすべて叩き込んだ。

 体力作りから素振りから、基本的な型や知識…などなど。前回の俺はそれをものにして、やっとこさ自分のチート能力を制御するまで漕ぎ着けたのだ。


 そしてその経験は体が違えど、この身に引き継がれている。


 努力と根性と意地と、しつこいくらいの粘り強さ。これ、絶対必要。まあ…結局この世界を生きるのも、現代社会を生きるのと変わらない。

 元の世界に飽きてたら、もうバッドエンドしかないだろう。


 異世界転移? 異世界転生?

 そんなのしたからって、自分の根本の本質なんか、滅多に変わらない。ああやればこうすれば、とか思っただけで満足。何もせず終わる。

 俺だって、ただ生き残るために必要だったから頑張った。別に、是非生きていたかった訳ではない。ないが、むざむざと殺されるのも嫌だった。

 ‬そんな格好良くもない理由で鍛錬を続けたに過ぎない。

 不純な動機がなきゃ、人間は頑張れないのだ。


 だから、ーーそれを失った今の俺は…。


「ーーさて」


 動けないクソガキから目を逸らし、マロの押さえつけている男に視線を移す。


 ひとン家を壊しおった落とし前はつけて貰わねば。


 マロが鋭い眼光を俺へ投げた。

 ふと、背に冷たく硬い感触があてられる。


「ーー撃ってもいいけど、その前にお前が死ぬぜ?」


 音もなく背後に立った三人目の仲間。

 奥でマロに銃を向けているのは、最初から魔道士の男が発動させた幻覚だったのだろう。


 だが、その更に奥で強い魔力が爆ぜている。

 背後の人物が振り返った気配がした。殺気を醸し出す俺の愛馬を前に、こいつは何を思うのだろう。


 正直な話、本気で怒ったマロより、ぶちギレた花子を宥める方が大変だ。…あいつ、ぶっちゃけ過去に、たった一体で魔王の軍勢とやり合って勝ってる。


 わかりにくいかもしれないが、とにかくすごい、と認識して頂ければいい。

 そんなのが威嚇半分に殺気を揺らめかせていたら、慣れてないヤツはそりゃあ身を竦ませるさ。


 現に、銃口が背中から離れた。

 その隙に銃を蹴り落とし、三人目を地に転がす。


「!」


 ぎろりと睨まれたが、無視。


 というか、こいつは本当に地球人なのか?

 薄紫の髪に赤紫の目。イケメンの部類だろうが、何だか無気力そうな表情とだるだるな服装のせいで不思議な雰囲気だ。


 あの、もうイケメンいらないです。どこぞの魔王だけで足りてますから、女神よ。

 うちの犬に押し倒されている眼鏡男みたいな、普通の顔を増やして。

 その前に女っていないのか。現在、この島に存在するの野郎だけだぞ。


「嘘だろ、コージのステルス能力がきかない…!?」


 いやぁ、動物の野生の勘なめたらいけませんぜ。

 ていうか隠密担当なんだ、この少年くん。


 ーーおっと話が逸れた。


「マロ」


 足元にあった石を手に取り、軽い動作でマロにパスする。

 彼女は難なく石を牙の間で挟む。それから、ずいと眼鏡くんへ詰め寄り、そして、目の前でまるで氷でも砕くように石を粉砕した。


「!?」


 目を剥いて驚くのも無理はない。因みに、別に石は特別柔らかいわけではなく、普通の石だ。


「そいつの顎の力は、見た通りだ。人間の骨なんか、大根くらい簡単に粉々だろうなー」

「ッ…、」


 冷や汗を滲ませ出す男。

 この後の展開でも想像したのか、顔からやや血の気が引いている。


「それが嫌なら、テメェらがあばら屋にしやがった俺んち、綺麗に復元しろ」


 マロが一層低く唸った。

 誤解は避けたいのだが、俺はあの魔王じゃないから実行に移す気はないぞ。今は。


「何で、俺がそんな面倒くせぇこ……ひッ!?」


 文句を言いかけた男の喉へ、マロが牙を突き立てる。後少し力を込めれば、血が噴き出すだろう。

 いや、本当に敵に回したくないな、うちのワンコ。


「どうする? あ、今度は止めないぞー」


 駄目押しひとつ。

 やがて、男はがくりと全身から力を抜いた。


「……お前、何者だよ」

「村人A」


 だるそうな、胡乱気な視線が向けられる。

 俺はただ微笑んでやった。


「んで、ご返答は?」






 一瞬で元通りになった我が家は、どういうわけか新築みたくなっていた。

 傷んでいた床板や、腐っていた天井の隅なんかもなくなって、見違える程だった。


「…マジかよ」


 これは、今日から当分の間、隙間風や雨漏りに悩まなくていいのではないのか。

 しかも柱が心なしか、太く丈夫になっている。


「時間の巻き戻し……いや、生成魔法か? なんつーコントロールの精密さだよ」


 口の中だけで呟いていると、《ふん》と不機嫌丸出しな声が。


《こんなの、大したこと有りません》


 男の上からどいたコリーが、面白くなさそうにそっぽを向く。


《まったく……こんな不届き者共、八つ裂きにしてしまえばいいものを》

「マロー。お前さっきから怖ぇぞー」


 傍に歩み寄って来て、愛犬は俺の足を甘噛みする。


「グルルルッ」


 そのまま唸り出すから、相当ご立腹らしい。頭を撫でてやれば、耳を垂らす。


「んで?」


 何故か、流れで床に揃って座る三人を見やれば、清々しいくらい敵意たっぷりに睨まれた。


 いや、睨みたいのこっち。

 いきなり家を潰したくせに謝罪すらないのは、どういう了見だ。


「お前ら何なの」


 腰に手を当てて問う。勇者だとかほざいたら、とりあえず一発ずつ殴る。自分で名乗るものじゃない。


 とりあえず名前だけ先に吐かせたが、どうやら金髪のクソガキはマイロ。

 眼鏡くんはレン。

 ステルス少年はコージ…でなくコージローが正式名らしい。


 全員、日本人なのだろうか。

 会話が問題ないのは、女神が翻訳機能でも備え付けたからだとして、今の俺はこの世界の言語で話している。


 元日本人なので日本語はもちろん、諸々の都合上、英語・イタリア語・中国語は日常会話ができるくらいにはマスターしていた。だから、例えば彼らが意図的にどれかで話しても一応理解はできる。


 しかし、実は転生してからというもの、耳もこちらよりになったせいで、日本語すら違和感があった。


 あれだ。

 読み書きはできるが、本場の方のを聞くと「やっぱり外国語だなぁー」って、思ってしまう感じ。


「何って、勇者様だよ」


 マイロがふてぶてしく答えた。


「えー……」


 つい呆れる。答えの内容もだが、その態度もどうなんだ。


「文句あんのか!?」

「逆に無いと思えるのがすごい」

「んだと!?」


 がばりと立ち上がるクソガキ・マイロ。お座りしていたマロが、再び喉の奥で唸り出す。

 うん。ガキ。


 だが、今度は仲間が先に制した。


「マイロ」


 眼鏡くんことレンが呼べば、渋々クソガキは口を閉じる。

 意外だが、この三人組のリーダーはレンらしい。そこは最年長、ということか。


「ーー俺たちは、魔王を倒しにきた」


 真っ直ぐこちらを見据えて言うレン。俺はついマロと視線を交わす。


 思うところは一緒だ。


「勝てんの?」


 仮にも村人に負けた奴らが?

 そう意味を込めて見れば、マイロがまた吠えた。


「うるせえ! 弱っちい村人のクセに、偉そうに言ってんじゃねぇよ! どうせ不意打ち以外じゃあ勝てねぇだろ!」


 マロの口元から牙が覗いた。目の前に手をやり、飛びかかりそうな彼女を止めた。


「……ああ、はいはい」


 あの魔王、不意打ちしかしてこないけど大丈夫かよ。


 まあ、事実、正面からこいつらとやり合ったら、まず俺が死ぬ。さっきのは、本当に不意打ちだったのと、マロと花子がいたから成し得たことだ。

 二度目はない。


 何より、こいつらは忠告を聞く気がなさそうだ。

 まぐれで勝った一村人が選ばれた勇者の自分たちに指図するな、くらいに思っている。


 何となくわかるのは、本当に初めの頃の俺と態度が似ているからだ。

 まあ、痛い目をみなければ改まることはない。


「魔王なら、あの森を真っ直ぐ行ったら会えるよ」


 ただし、迷わなければな。とは心の中だけで告げる。


「勇者様何だから、魔王倒すくらい朝飯前でしょ?」


 当たり前だろ、なんてマイロが食い気味に答えたのが勘に障る。

 こいつ、この世界をゲームの延長とでも考えてやがるのか?

 だとしたら馬鹿だ。大馬鹿だよクソガキ。


 ーー俺は最強だから絶対死なない、とか思っているのか。


「おい」


 不意にレンが声をかけてきた。顔だけ向ければ、やけに鋭い目で見られる。


「お前、魔王に面識あるのか?」

「あるよ。何てったって、この島で唯一の取引先だ」


 不穏な流れを察し、急いで先手を打つ。


「でも案内はしない」


 無言で、何でだよと訴えてくる視線。俺は近くの椅子を引き寄せて座り、足を組む。


「勇者に加担したと知れたら、今後の取引に差し障るし、消されかねん」

「俺たちが負けるとでも?」

「…自信あるんだ」


 間髪入れず言われ、心底呆れ果てた。甘い考えはみんな一緒か。


「ーーまあ、魔王が死んでも、特に生活に障りはないがね」


 この島で遣り繰りするなら、そもそも金はいらない。充分に自給自足できるから。

 ただ、もし島を出て本土に移住することになったら必要になる。そういう時のため備えているだけだ。


「ああ…でも、話し相手がいなくなるのは寂しいかな」


 厳密には愛犬と愛馬がいるが、こいつらの声は俺にしか聞こえないのだからこの場では割愛。説明が面倒だ。


「まあ、どっちでもいいんだ。勇者の荒事に、一般人を連れ出さないでくれ」


 俺は平凡に平穏に、二度目の人生をゆったりと過ごしたい。

 巻き込まれてたまるか。


「こんなに強いモンスターを飼ってる奴が一般人?」

「モンスターを飼ってる牧場なんか、いっぱいあるよ」

「戦闘経験があるようだが」


 続く尋問に、肩を竦めてやる。


「ああ、あれは……魔王との遊びの中で…身についた」


 何言ってんの、と沈黙の中で返された気がする。厳密には以前の冒険での経験が活かされているのだが、こちらも事実だ。

 奴の遊び半分な行動で、何度死にかけてきたか。


 笑えないんだよ、あの野郎の戯れは。お前らも会ってこい、身にしみてわかるから。


 しばらくレンは俺を見つめていた。本当にそれだけか、と疑っている目で。

 俺はたまに瞬きながら、それを正面から受け止めた。ただ、見返した。


 やがて先に忍耐力が尽きたのはレンで、彼は溜め息混じりに床から立ち上がった。


「行くぞ二人共。ここにいても無駄だ。腰抜けしかいないんじゃあ、収穫なんかない」


 おーおー。魔王の居場所を教えたのはノーカンかい。ていうか、最後の絶対に喧嘩売ってるだろ。ウチの愛犬に。


《おのれ! 黙っていればいい気になりおって、この愚者が!》


 ああほら、出来る雌の堪忍袋がプッチンプリンよ。あれ……ネタが古いかな? とにかくご立腹。


「マロちゃんストップ。マジでストップ」

《止めないで下さい!!》

「止める止める、超止める」


 バウバウ吠えて暴れる(からだ)を抱き上げて、首の周りを両手で無茶苦茶に揉み回す。

 迷惑勇者様共が自らお引き取り頂けるというのに、強引に引き止め、あまつさえ第二ラウンド突入とか嫌だ。


 新築(てか軽くリフォーム)された我が家を壊す羽目になったら、今度こそ俺は泣く。

 その後に待っている展開なんかを考えたら、軽く気絶した(のち)に病むレベル。


 ーー俺、二度と『あそこ(・・・)』には寝泊まりしたくない。


「じゃーな腰抜け!」


 と、真っ先に出て行こうとしたクソガキは、ひとン家の玄関に唾を吐いて悪態をつく。

 親の顔が見たい。ていうか何か罰当たらんかな、このクソガキ勇者め。


 と思った次の瞬間。

 開けた扉のすぐ外側にいた我が駿馬に、真横から顔面を後ろ蹴りされて数メートル吹っ飛んでいった。


 思わず、親指をたててマロと一緒に「よくやった!」と叫んでしまった。


 花子は残りの二人を完全に待ち伏せする寸法らしく。

 玄関から少し中を覗いて、呆気に取られている二人を急かすように(いなな)いた。


 さあ蹴られに来いやぁこん畜生が。蹄の痕をつけてやるよ。


 なんて言わんばかり。てか言ってた。


「花子も大人しくしなさい」


 はいどうどう、と手を振ってやれば《ぼくは暴れ馬か!》と怒鳴られた。

 いや、正確には『暴れる寸前の馬』。


 花子は首を振るわせ、舌打ちをするように鼻を鳴らした。

 肉食獣もびっくりな程の目つきで睨むから、可愛さ半減だ。

 何なのウチの子ら。みんなして怖いんだけど。


「どんな躾の仕方してんだよ」

「お前らの親の育て方と変わらねぇかなー」


 レンの嫌みに混ぜ返す。

 まあ、親の指導が活かされるかは子供の心掛け次第だからな。


 つか、気のせいかなー。俺、コージローとかって奴の声、一言も聞いてない。

 ただただ、じっと見てくるだけ。何、コミュ障なの? 人見知りなの? お前らはどうやって名前知ったんだよ。


 花子が引き下がった隙に二人が玄関を出る。息をつきながら俺も後に続いて、膨れっ面の花子の鼻先を撫でた。


「おいコラ、このクッソ馬!! やんのかテメェ!!」


 そこに、復活したクソガキが中指を立て、ぎゃあぎゃあ喚きながら戻ってきた。

 鼻息を荒くして蹄を鳴らす我が愛馬は、綺麗にもう一発後ろ蹴りを決める。…今、骨の砕けるような音がした気がするが、俺は何も聞いていない、うん。


「ヒヒン!」

「あぎゃあ!?」


 ずざーっ。

 芝の上を滑った自称勇者の粋がったクソガキ。

 …チートどうした。


 人間、どんなに優れていたとしても、冷静さを失うと途端に無様な結果に流れ着く。

 それをお手本みたく体現する彼は、ある種の天才だと思ってしまった。


「…本っ当に、どんな親に育てられたんだか」


 ぼそりと呟く。

 不意にコージローが、そのぼうっとした目でこちらを振り向いた。


「……………育てられてない」


 抑揚に欠けた声は、空耳かと思う程細いのに、妙にはっきり印象を残す。


「え…?」


 つい聞き返したが、コージローはもう背中を向けていて、口を開くことはなかった。


「おい、馬と戯れてねぇで行くぞ」

「戯れてねぇよ!!」


 レンに急かされ、マイロは舌打ちしながら二人を追いかけ出す。


 今度こそ遠ざかっていくみっつの背中は、なんとも頼りなくだらしなく、魔王退治どころかピクニックも似合わないものだった。


「……」

《気にするだけ無駄ですよ、ノゾム》


 隣にきたマロが、まるで俺に釘を刺すように言い放つ。

 だから、鼻で笑った。


「…そんなんじゃ、ねぇよ」


 即答するんだった。失敗。

 一度瞑目して、そっと踵を返す。


《どちらへ?》


 愛犬の問いに、片手を振って脱力気味に答える。


「氷室見てくるー。大丈夫だろうけど、いちおー」


 家の奥へ足を進めていく俺は、二匹の目にどううつったのだろう。

 無言の見送りは、ちょっと気まずかった。






 裏口から中庭に出てすぐにある、古井戸の穴。

 垂らしっぱなしの縄梯子を慎重に降りていくと、湿った空間に辿り着く。


 とっくの昔、井戸としては干上がったそこ。

 上を見上げれば、ぽっかりと青い空がデカい月みたいに見えた。水の滴る音がやけに反響して、少しの水溜まりが靴底を薄く濡らす。


  幅が九十センチくらいの筒状の空間。そのある片隅に、身長約百七十の俺が、腰をくの字に曲げてやっと通れる横穴が開いている。

 たぶん。かつて水路と繋がっていただろうそこを十メートルも進めば、開けた洞窟に出られる。

 途端に急激に冷え込むここは、真夏でだって厚着が必要だ。


 上着忘れたな、と白い息を吐きながら考える。厚い氷の張る岩壁と足下には、まるで鍾乳石みたいに尖った結晶がびっしりと生えていて、軽い針山となっている。


 ぴちゃん、ぴちゃん。


 反響する雫の音。

 どこからか僅かばかり差し込む陽の光が、この空間を青く見せる。


 洞窟の行き止まり。

 魔王城から漏れた水と雨水が滲み出して溜まった、天然の貯水タンクがここにある。

 湖、なんて広さじゃないが、とりあえず温泉で例えるならば、大人二人が並んで足を伸ばせそうな程度の大きさ。

 ただ深さはそれなりで、もしかしたらダイビングを楽しめるだろう。


「……俺の、代わり? だろう勇者が、来たよ」


 透明な青い水の底を見つめながら呟く。

 寒いなぁ、とぼんやり頭のどこかで思った。


「なんか、イルミに喧嘩売りに行くって。…あれ、駄目だよ。完っ璧に女神の人選ミス。死ぬね! もう、瞬殺!」


 自分の声が、くわんくわんと洞窟に響く。耳にも響く。

 ああ、五月蝿い。


「……………」


 ひとつ。水滴が落ちて、波紋が何重にも打ち寄せた。


 目を細めると、波紋のずっと向こう側に、小さな水底が見えてくる。

 やがて水面が凪ぐと、底に沈んでいるものが、嫌でも目についた。


「なあ。俺は……どうすればいい、どうするべきだ…?」


 誰も応えない。答えのない、ある意味で自問自答。


 水底に横たわり、胸の上で手を組み合わせた『彼女』は、髪の毛一本すら揺らがない。

 ただ、青い光で死人特有の肌色を彩っている。

 何にも触れるつもりのない片手を、中途半端に伸ばして止めて、軽く指を握り込んだ。


「教えてくれよーー…サララ」


 力無く彼女の名前を、彼女だったものに向かって唱える。

 もちろん、反応はなく。

 俺は、ただ奥歯を噛み締めて黙り込んだ。それしか、もうできなかったから。


 またひとつ雫が落ちた音に、少しだけ沈黙の重みは軽減されたーー。

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