2、勇者御一行様、飛来
愛馬のところに戻れば、鼻を鳴らして擦り寄ってきた。
遅いよぉ、怖かったよぉ。
そう訴えかけているような目に、ごめんごめんと苦笑する。
帰りは荷台も軽いし、早めに家につけるだろう。
御者台に乗って手綱を持てば、よっぽどこの場から離れたかったのか、合図する前に馬は走り出した。
城から出れば、少しだけ開いていた正門が独りでに閉まった。
たぶんイルミナートが施錠したのだろう。
いつも、俺が来るだろう時間を見計らって、魔王城のセキュリティは一時的に解除される。
信頼されているのか、舐められているのか。まあ、後者だな、間違いなく。
もときた道を間違わないよう引き返しながら、ぼんやり先程の遣り取りを思い出した。
ーー勇者と魔法少女が、ここに来そうなんだよ。割と近い内に…
「……消えた勇者の代わりに喚ばれた、六人の地球人ねぇ」
正直いい噂は聞かない。
この島が大きな大陸から遠くにあるのも手伝い、王都にいるらしい六人については、ほとんど情報は入ってこなかった。
ただ、風の噂ーーというかイルミナートの話ーーでは、六人が仲違いし、勢力が二分したらしい。
どちらも、イルミナートから世界を護る気はさらさらないそうだが。
どころか、死した魔王の遺産を使って復興作業をしている国で、手当たり次第に略奪をし始めているとかで。
それを聞いた時は、彼らを召喚した顔も知らぬ女神に、言葉にならない感情を抱いた。
…女神様とやら。あんたの人を見る目の無さに、脱帽どころか脱毛しそうです。
三年かけて俺が遺した功績を無に帰して下さって、まあーありがとうございます畜生め。
実は、俺を召喚した女神と、六人を召喚した女神は別人だ。
俺を喚び寄せた女神は、俺を転生させた際に力尽きてしまい、別の女神に代替わりした。
六人は、新しい女神が選抜した、(予定では)勇者になるはずだった人材。
いやはや、絶対関わりたくない。話によると、全員が全盛期の俺よりチートだそうだ。
え、ていうか俺よりチートってどんな?
あれか。相手の能力を無制限で無効化とか、強大な魔法をホイホイ撃てるとか、致命傷でも自殺以外では死なないとか、そういう漫画みたいなチートか。
ターミネーターもびっくりな超高性能待遇ですか。何それ、俺の時欲しかった。
因みに今のはみんなイルミナートの能力である。俺みたいな勇者サイドが現実的な設定なのに、どうして敵が最初から無双してるのか意味わからん。
いや、まあ、俺も無双したけど。三年という歳月をかけてめちゃくちゃ無双してやったけど。
ただ、何の条件も上限もない、あの巫山戯た魔王様にねじ伏せられたからな。あいつだけハイスペック過ぎてラスボスにも程があったんだ。
……しかしチート合戦か。これっぽっちも笑えない。
そんなもの同士がこの狭い島でぶつかり合ってみろ。沈没だよ。滅亡だよ。俺二度死ぬよ。
《ーーそれで、どうするの?》
ずっと考え込んでいると、不意にそう質問された。
と言っても、馬車で森を進む俺以外、生き物の影は見えず。
では誰が話し掛けて来たかというと、イルミナート……ではない。断じて。
何だそのホラー。怖いよ。あの魔王ならできそうだから余計怖い。そんなことされたら、俺は今すぐ島を出る。
《聞いてるー?》
返事がないことを不服としたらしく、同じ声が繰り返して問うてきた。
それは、まるで拗ねた子供みたいな口調。
可愛いなあ、と思わずにやけてしまう。だが、機嫌を損ねるのは避けねばならない。
「ああ、聞いてる聞こえてる。…どうするって、何を?」
訊き返せば、声の主である俺の愛馬は鼻を鳴らした。
《決まってるじゃん。魔王が言ってただろ。噂の異邦人共が来るってさ》
蹄の軽快な音と、荷台の車輪の音が、独特な二重奏を響かせる。
俺はそれを聞きながら、即答は避けて言葉を選んだ。
「別にー。俺には関係ないよ」
《うっわ、元勇者のクセに、威厳も何もない言葉。ヘタレー》
おい、容赦なさすぎないか、この愛馬。
「だからだよ。俺は『元』勇者であって、もう魔王と戦うような人材じゃあない」
今はただの村人で、チート能力なんか無いに等しい一般人だ。
勇者の面影? そんなもの、残ってはいない。
この体に引き継いだのは、記憶と経験ーーそしてこの愛馬と愛犬のマロだけだ。
《正論だけどさー、そのセリフはノゾムらしくないよー》
「花子、今の俺はコンラッドだって」
花子とマロは、俺がこの世界に来てから出逢った、まあ所謂パートナーモンスターだ。…ちょっと違うが、わかりやすくいうと、そう。
こいつらと、転生してからもまさかこうして一緒にいられるとは思っていなかった。ずっと共に戦ってきた相棒たちなので、再会した時の気持ちは、感動なんて言葉じゃあ足りない。
しかも、全然姿が違う別人だったのに、一発で二匹共俺の元の名を呟いたんだ。
絆って、こういうことを差すんだと思う。
《ノゾムはノゾムじゃんか。ていうかさぁ、ハナコって変だよやっぱり》
森も半分まできた。
俺は手綱を握りながら、「え」と栗毛のたてがみを見下ろす。
「何で? 可愛いだろ、花子」
するとまた鼻を鳴らされた。
《ぼく男! ……マロも言ってたよ。ノゾムはセンスがないって》
「マロも!? 何でだよ! じゃあ、『おじゃる』の方が良かったってこと!?」
《……おじゃるって何》
いや、あの麻呂眉見てると平安貴族しか浮かばないんだ。
平安の奴ら、みんな「おじゃおじゃ」言ってる気がするし。
ほら某教育番組の奴もそうじゃん。
と、言っても、もちろんこの世界の住人には通じない。そもそもここには、テレビもパソコンもガラケーもない。電化製品何それ美味しいの、な世界だ。
それを知った時、「俺ゲーマーじゃなくて良かった」なんて場違いなことも思った。始めの頃の話だ。
「とにかく! 俺は平凡な農民ライフを謳歌すると決めたんだよ!」
魔王と関わってて平凡か? なんて突っ込んだら負けだ。
花子はしばらく黙った。
パカラパカラ。ガラガラ。
沈黙は数分続いたが、俺からは何も言わない。
それから、唐突と花子が溜め息に似た鳴き声を上げた。
《本当にそう思ってる?》
俺は手綱を握り締めた。地球のもそうだが、馬や犬は古くから人間に連れ添ってきた生物で、だから人の感情に敏感だそうだ。
そいつの無意識だって、正確に感じ取る。
「…おう。思ってる」
ぼそりと返せば、花子は《じゃあ…》と瞬いた。
《だとしたら、帰ってすぐ、ぼくとマロが、きみを袋叩きにするけど》
「勘弁してくれ」
こいつ、純粋に見えて何て恐ろしいことを言いやがる。
ただでさえ魔王のお膝元で安眠できてないのに、身内にまで命を狙われては、ささやかな平穏すらなくなるではないか。
つか、こいつらの私刑に、俺の身体は耐えられない。
《冗談だよ、今は》
「今は」って釘さした!? この愛馬、弱くなった主人を堂々脅しやがったよ!?
俺、そんな子に育てた覚えはないぞ花子。育ててないけど。
《本当にそんな奴だなって思ったら、ぼくら、とっくの昔にきみを殺してるし》
「……でしょうなー」
その前に一緒に暮らしていない。見捨てられている。無情ではない、そういう類なだけ。
「お前もマロも、新しい主人を見つけていいのにな」
すると、今度は小馬鹿にするような口調で返される。
《ぼくらに相応しい人間なんか、そうそう現れて溜まるもんかよ》
「…いや、それでいくと俺はどうなる」
こいつらの正体はお察し頂くとしても、今まで共にいられているのは、ぶっちゃけ奇跡も奇跡だ。
漫画とかなら有り得る、
「あ、俺勇者です。しかも数千年に一度の逸材だから、伝説の剣・エクスカリバーを抜けましたー。じゃ、ちょっこら魔王ぶった斬りにいってきます、ハート」
を現実化した感じ。
いや、あながち間違ってないが、もう少し偶然で、悪運の強さと熱意で無理矢理引っこ抜いた感じか。
みんなでデカいカブを引っ張った、みたいな。
「…俺も、若かったからなぁ」
人間、若さと勢いで愚かさはカバーできる。多少。
森を抜けて、ガタガタした山道は平らになってきた。
余談だが、でこぼこの道を通っているお陰で、尻の肉は厚くなって痛みは減り、反対に腰にくびれができた。
女性なら喜びそうだが、生憎男がくびれても、ひょろく見えるだけで得にはならない。
…あの魔王に並んだ時の、己の惨めさと言ったら。
「いや、本当にあいつ男として羨ましい……理想的な体してんだよ…」
《……どしたの》
思い出して、片手で目元を押さえる。若干引き気味に花子が問いかけてきたが、覇気なく「なんでもない」としか答えが出てこなかった。
男性の誰か。一回、イルミナートの裸見てこい。そして、俺とこの言葉にならない激情を共有しよう。
次の日の朝までだって酒を飲み明かせるぞ、絶対。
ーーその前に死ぬ未来が予想できるが。
何故に奴の裸を知ってるかって? 見たくもないのに、嫌でも肉体が視界に入る状況があったからだ。二回くらい。
因みに二回目は堪えきれず吐いた。
先に言っておくが、俺はノーマルだ。断じて。『俺』は!!
「……」
酔った訳でもないのに気持ち悪くなってきた。たぶん、今の顔色は真っ青だ。
ああ、癒やしが欲しい。マロの長いふわふわな体毛を抱き締めながら、肉球を揉みたい。
ふわもけ万歳。
「ん?」
《あれ?》
家の屋根が見えてきた頃、不意に変な気配を感じて空を見上げた。
それは花子も同じだったらしく、話しながらでも止めなかった脚を止め、顔を空に向け耳を動かす。
遥か頭上で、飛行機雲が真っ直ぐのびている。
いや、違う。この世界にそんなものは存在していない。
「…魔法?」
流れ星みたいに、もの凄い速さで何かが飛行しているようだ。
だが、俺の目には詳細が見えない。
《魔法だけど……人が居る》
「え」
花子の言葉に少しだけ視線を逸らす。その隙に、飛行物体は僅かに弧を描き出していた。
「……て、は!? ちょっ、ちょっと待て!!」
あの軌道はーー。
御者台から転がり落ちるように飛び降り、勢い良く荷台と馬を繋ぐ革紐を乱暴に解く。
直接ついた手綱だけを掴み、鞍のない背に直接跨がった。
「走れハナ!!」
《おう!!》
俺が背に乗った瞬間に地を蹴り上げた愛馬は、身軽になった分本来の脚の速さを発揮する。
裸馬は技術がいるのだが、そこは年季と経験だ。何年こいつの背中に世話になってきたのか。
馬に振り落とされるか、よっぽど俺がバランスを崩さない限り落馬はない。
「おいおい、頼むから逸れろ…クソ!」
空を見上げながら悪態をつくが、そんなものでどうにかできたら勇者はいらない。
人差し指と親指で輪をつくり唇に挟む。そのまま息を吹けば、高い音が響く。
マロがあの飛行物体に気付いてくれていればいいが、一応緊急時の合図を送った。
飛行物体はもう随分落ちてきていて、その形は俺でもわかるくらいだった。
「球体……風の結界で防護しながらの超高速移動か! どこの高等魔道士だよ!」
吐き捨てながら、嫌な予感は膨らんでいく。
日本では、「口は災いの元」という諺がある。後、言葉に出したことは現実になるとかっていうーー所謂言霊も。
何が近々だ。十中八九、あの飛行物体は噂の六人、二分したそのどちらかじゃないのか。
というわけで、マジで恨むぞイルミナート・テルミニ。
そんなことよりも、あれの着地点が問題だ。
「花子! 例えばアレの下に潜り込めたとして、相殺できるか!?」
全力疾走する愛馬は、即答で《無理だね!》と返した。
《降下速度が速すぎて、ただ真正面から受けるより威力が大き過ぎる!!》
「駄目か!? 絶対!?」
《無茶言わないでよ!》
叫び合いながら、どうにか自宅の前に辿り着く。
だが。
《あ、駄目だノゾム!》
「…え」
焦ったような花子の声。
直後、真横からの疾風が、俺をその場から突き飛ばした。
目を見開いた俺が倒れる間際に見たのは、空から真っ直ぐ落ちてきた物体によって、粉々に崩壊する我が家だった。
草の上に背中から滑り込んだ俺の傍らに、俺を突き飛ばした灰色のコリーが華麗に着地する。
《御無事ですか、ノゾム!》
起き上がった俺の顔を覗き込む愛犬。しかし、俺はそれどころではない。
目の前には、局地的震災にあったような自宅の残骸が、もうもうと土埃を上げていた。
「……ッ、ッ」
俺の、家。
この島に来てから見つけた、海に面した丘の上にぽつりとあったボロ家。ほとんど原形を留めていなかったそれを基盤にリフォーム。コツコツと土地の開拓をし、森林伐採から木材の加工、建築作業はもちろん雑草を芝生にする手入れまで、オールDIY。
色々あって、完成まで実に半年という驚きのスピードで仕上げた。
素人ながらも頑張った結果、魔王すら感嘆するできばえになった、まだ築三年の我が家。
それを、それ…を。
《ッ!!》
隣のマロが、ぎょっとして毛を逆立て硬直した。
心配して近づいてきた花子など、尻尾まで棘みたく尖らせて固まっている。
ゆらりと静かに立ち上がり、崩壊した我が家へ歩み寄っていく。
途中、柵に立て掛けていた大振りな鍬を掴んで肩に担いだ。
玄関だった場所に立った時、内側から風が吹き抜け、木っ端や埃が飛ぶ。
「げほげほッ!! おい、ここどこだよ、レン!!」
「知るか……だりィ」
「うわぁ汚部屋じゃん。超散らかってる」
「つか、ここ空き家だろ…」
好き勝手言ってくれるふたつの声。少なくとも二人はいるらしいが、それはどうでもいい。
あー、何だろう。今ならばどこぞの魔王にも負ける気がしない。
ーー誰んちが、とっ散らかった汚部屋の空き家だと?
背後で、マロと花子が震えている気がする。が、今は黙殺させてもらおう。
「ーーお?」
不意に、土煙の向こうで、意識がこちらに向いたのがわかった。
そして次の瞬間。
すぐ目の前に、黄緑かかった金髪が揺らめいた。
音も気配も何もなく、そこに唐突と現れたように。
いつもなら絶対たじろいだ。
『そうする』のが、もう癖になっていたから。
だが、今は違う。
一瞥だけやれば、その髪の持ち主は、顔を上げて挑発的に笑った。
「第一村人はっけーん」
ぐい、と襟を掴まれ、乱暴に引き寄せられる。至近距離で見たそいつは、どうやらまだ十代半ばっぽい。
「お前…死にたくなきゃ、オレの言うこと聴け」
「は?」
さて、みんな。
ここで先輩からのアドバイスだ。
一日にやたら何度もぶちギレて血圧を上げるのはオススメしないゾ。
その内、堪忍袋じゃなくて脳とか心臓とか、大事なトコロの血管もぷっつんと切れちまうからな。そうなったら大変だ。
特に、医学の発展してない異世界でとか、マジな死亡フラグだぜ! 覚えといてくれよな!
で。
いつまでも襟元を掴んでいる手。それに、徐に空いた片手を添え、俺はにっこり笑った。
この野郎の遺言は以上らしい。
という訳で、俺は無言で鍬を持ち上げ、真上から振り下ろした。
本日二度目の衝撃と共に、庭にクレータがもうひとつできたのは、その数秒後。
「うっ、ぎゃああああ!!」
ーー断末魔が正午の島に響き渡った。