1、コンラッド・ルカーチェス
皆さんこんにちは。
俺の名はコンラッド・ルカーチェス、十八歳。しがない村人Aです。
棲んでいるのは、とある小さな島。家族はたくさんの牛と羊と鶏…そして犬に馬。
今日も朝早くから家畜たちの世話をし、只今野菜畑を耕し終わって水まきの真っ最中です、てへ。
「………て、一体何の育成ゲームだ、スローライフだ!」
水まき用の如雨露を振り回しながら思わず叫ぶ。自分で流した脳内の爽やかなプロローグに、自分で突っ込むとか悲しすぎる。
本日も太陽さんさん、喉はからから。
そして、俺へとへと。
起床は毎朝四時。
家畜たちを放牧し寝床を掃除。
それから、丹精込めて作った野菜と小麦を収穫し、牛と鶏から恵みを頂き、新しく種を植えた箇所に水をまく。
ゲームならボタンを押すだけの単純作業だが、生憎リアルな現状では超肉体労働。
家畜たちだって、体調管理等は全部俺がしてやらなきゃいけない。
誰かを養うのは、ガキだろうが動物だろうが、責任と金と労力が必需品だ。
俺は『この世界』に来てから、本物の農家の皆さんを心の底から尊敬している。
「ワン!」
木陰で一息ついていると、遠くで愛犬が俺に向かって吠えた。
灰色と白い毛をしたボーダーコリーの雌。
特徴は、なんといっても黒い目の上の麻呂眉。これがまた可愛いのなんの。
名前はもちろん『マロ』。安直だという突っ込みはなしだ。わかりやすくていいだろう。
そんなマロがもう一度吠えた。まるで急かすように。
何となく懐中時計を確認すれば、取引先へ週に一回行っている出荷の時間が迫っていた。
どうやらそれを教えてくれたらしい。…なんて頭のいい愛犬なんだ。
見やれば誇らしげな顔。わたしが居なきゃダメダメね、なんて言われている気がする。
……俺は、別に親バカではないぞ。
重い腰を上げ、仕方なく木陰を出た。
今朝収穫した野菜を半分量と加工した小麦粉を一袋。牛乳を大きな専用のビンにふたつ。卵は小さなカゴにいつつ。
それらを馬車の荷台につめて一頭だけの馬を繋ぐ。鼻先を撫でて「頼むぞ」と言い御者台に上がって手綱を振れば、馬は軽快に走り出した。
空を確認してみたが、雨は降りそうにない。
もし降ってきても、うちの牛や羊たちは、すぐに屋内に避難するよう躾てある。避難しないようなら、出来る雌・マロが迅速に対応してくれるから大丈夫だ。
俺は周りの奴らーー動物に恵まれている。
…可哀想、なんて同情はいらないからな。
というより、この島に俺以外の村人はいない。殆ど無人島だ。
では、これから行く取引先とは誰か。
動物なんて、そんなつまらないオチではない。そっちの方が、まだ可愛いが。
この島の丁度中心に広がる森。うっそうと茂った木々の隙間、広い獣道を馬車で進んでいく。
天然の迷路は、少しでも道を外れたら遭難はもちろん、死を覚悟しなければならない。
慣れたー、とか油断したら、自然の厳しい洗礼を受けるのがお約束。
これは体験談だ。
さて、そんな森の中に住み着いている、物好きな奴。
そいつが、取引先の主人。動物以外で唯一の島の住人。
ーー家から馬車で二十分。森に入ってから、約三十分。
ようやく見えてきた建物に、息をついた。
いやはや、何でこんな場所に住んだのか。というか配達させるのか。
でさーーよく、RPGとかでラスボスとかがいる、それらしい城ってあるじゃん。
霧に覆われてて、雷がしょっちゅう城の周りで鳴ってる感じのさ。あれあれ。
さすがに雷はなってないけれど、いかにもな外観なんだよ、ここ。
尖った屋根に、無駄に雰囲気ある寂具合。苔と蔦に覆われたボロいレンガの外壁は、見た目に合わずどんな衝撃でも崩れない。
…魔法で覆われてれば、そりゃあそうだろう。
森の中でデカい面積を陣取って建つ、正しく『魔王城』。
ここがもう一人の住人の家だ。
ーーいや、本当に棲んでいるの、魔王なんだけど。
魔王城に近くなると、馬が先に行きたくないと脚を止めた。
わかる、わかるぞ。だが毎回のことだ。我慢してくれ、頑張れ。
俺だって気持ちは同じだ。できれば行きたくない。ていうか関わりたくない。
不満そうに首を振る馬を、どうにかこうにか宥め、少しずつ距離を詰めていく。
正門の前、馬車が入るくらいの隙間から敷地内へ入り込むと、空気が一変した。
まるで墓場にいるような、居心地の悪い奇妙な感覚。ゲームなら間違いなく、緊張感と恐怖心を煽るようなBGMが流れているだろう。
御者台から降り、無駄な深呼吸する。途端に咳き込んだから、しなきゃよかった。
「…ブルルル」
不安げな馬を撫でて慰める。
この雰囲気に慣れきってしまえる奴、いるなら出て来い。ちょくちょく来ている俺でも、長居は余りしたくないぞ。
余計も、動物は人間より勘が鋭くて敏感だから、長時間いるのはストレスになる。
「行ってくるから、辛抱しててくれ」
馬が「嫌だよぅ」と目で訴えてくるが、すまない。現実問題として、今日の取引を逃すと金が尽きるんだ。
子牛が産まれたから、今月はちょっと厳しいんだ。
できるだけ早く納品完了の判子貰ってくるから、頑張れ俺の愛馬よ。
という訳で、近くにあるリアカーに持ってきた物を移す。
そのままリアカーを引いて、城の裏口に回り戸を叩いた。
「ちわー、納品にあがりやしたー」
戸を開けて大声を張り上げるが、返ってくるのは静寂。
「…。ちわーす」
しーん。
反応なし。
ここだけの話。俺は結構短気だ。自覚がある。
普段はそこまでではないが、うちの愛馬ちゃんが震えて待っている現状、大人しくはしてられない。
という訳で、大きく肺いっぱいに息を吸い込んでーー。
「魔王!! テメェさっさと顔出して判子押せや、ゴラァアアア!!」
叫んだ。
只今午前十時。もしこんな時間にも関わらず寝ていたら、ぶっ叩こう。
…いや、まあ現実的に考えて無理だが。
この世界の魔王という種族は、簡単に言えばチートだ。
不老長寿(不死ではない)、魔力制限なし、超再生能力あり、などなど。
基本何でもあり。弱点なし。
こんなのがそこらのダンジョンの奥でラスボスやっててみろ。絶対に売れないRPGの完成だ。
それに対して、俺をそれっぽく数値化すると次のようになる。
コンラッド/ヒューマン Lv:1
《職業》村人、農夫
《体力》100
《魔力》0
《財産》命、牛、羊、鶏、犬、馬、田畑、氷室
うむ、涙が出そうだ。
魔王城の入口で泣くとか、肝試しの出だしで泣き喚くくらい恥ずかしいから堪えたが、目頭に熱い何かが込み上げたぞ、こんちくしょう。
命は言わずもが大切なものだが、何故「氷室」があげられているかというと……の前に氷室っていうのは、簡単に説明すると氷を使った天然の冷凍庫だ。
これがまた便利で、野菜と肉の冷蔵・冷凍はできるし、氷を維持さえすれば、夏はちょっとした避暑地になる。
天井に氷柱もできているから、まるで家に鍾乳洞がある気分だ。
…話を戻そう。
この世界には、真水がない。川や湖と呼ばれるものはあっても、全て塩分を含んでいる。自然に流れている水は全部海水だ。
雨は地域にもよるが二週間に一回の頻度で降り、塩分を含まない水分は雨水以外だと、魔王共の城内にある魔法の泉くらいにしか存在しない。
で、そうなると飲み水とかは言わずもがな希少だし、真水でないと作れない氷なんか、一生に一度、庶民には口にできるかどうかである。
ごくごく少数の、超大金持ちなら、一度くらい味わえるだろうか。
そんな中、実は俺んちの地下には真水が流れており、ついでに自力で氷室を作ってしまった。
何故真水が流れているかって?
簡単なことだ。
魔王城の魔法の泉の管理がずさん過ぎて、水が結構な量地下に漏れ出し、丁度俺んちの真下まで流れてきている、それだけ。
しかも「魔法の」水なので、凍らせても溶けない・栄養価が高い・色々追加効果プライスレス、なんて素晴らしくお得。ただし、少しばかり、維持するのに特殊な加工が必要だ。
因みに、魔王は水漏れに気づいていない。気づかれたら、俺の生活はお終いだが。
正直、野菜や小麦より、真水や氷を売れば間違いなく大成功する。一攫千金だ。
だが如何せん希少価値が高い真水と氷。それが手元にあるなんてバレたら、面倒なことに巻き込まれるのは目に見えている。
ということでトップシークレットだ。家宝、と位置付けたっていい。
魔王にも絶対にばれてはいけない。
で、その魔王は。
「…来ねぇし」
叫んでみたものの、返ってくるのはひたすら静寂。物音すらしない。
早く引き取って貰わないと、商品が傷んでしまうのに。特に牛乳と卵。
腹を壊したって殴り込まれても、責任なんかとれないぞ魔王よ。
「いねぇのかよ、イルミの奴」
これは、まさかの出直しか。
応答がない以上は仕方ないので、また午後に来よう。
溜め息をつきながら、そう決めて踵を返した時。
「ーーああ、卵も持ってきてくれたのか」
きれかけていたから丁度良かった、なんて言葉と一緒に、耳元に息がかかる。
悪寒が走ったのはその後で、すぐ背後に誰かが立っていると気づいたのは、更にその数秒後だった。
普通なら、俺が床に三回、細切れで転がされるのに充分過ぎる間ーー。
なのに背後のそいつは、俺の肩に手を置き、もう片手で緩く首に触れるだけに終わった。
赤く塗られた伸びっ放しの長い爪が、喉仏を上から下に撫でる。
冷や汗が遅れて背中を伝う。
しかし、それは恐怖からというより…。
「ヤローのクセに引っ付くんじゃあねぇッ!! 暑苦しいわ!!」
振り向き様、思いっきり手刀を胴体めがけて打つ。
確かな手応えと共に、背後のそいつは「うぐッ」と呻いて離れた。
レベル1の村人、捨て身の攻撃である。相手、全然ノーダメージだけどな! 理不尽!
ゲームなら、仕掛けたこちらが自滅して御臨終様だ。
しかし、ここは現実。レベルやスペックに天地の差があろうとも、ただの肉弾戦で命まではなくならない。
「………ぅお、ッ……堅ぇ…んだよ、お前の腹ぁ…」
ただし、他人を殴った痛みは返ってくるが…。
ていうか、相手がボディビルダー顔負けの腹筋を持っているせいで、俺の渾身のチョップは通じない。
何が「うぐッ」だ。リアクションの上手さだけは認めてやるが、わざとらしいんだよ畜生。
「ッ、いるなら返事くらいしろ! 馬鹿魔王!!」
痛む手を押さえながら言えば、そいつは相変わらずムカつく顔で笑った。
「ゴメンゴメン。ちょーっと地下に行っててね」
……こいつが魔王。魔王、イルミナート・テルミニ。
この城の主だ。
長い手足と胴体の、モデルみたいな体型をした超絶美形。以前、興味本位で身長を訊いたら、百九十八だとかふざけた数字を述べやがった。
長い金髪をシルクのリボンで緩くひとつにまとめ、深紅の切れ長な双眸は宝石みたく煌めいている。
白い、というか青白い肌なのに病的には見えず、寧ろ活発そうなのは表情がそうだからか。
中世の貴族のような服装は白を基調としていて、襟の金の刺繍やら、袖口から覗く控え目な赤いフリルやらが金持ち感を醸し出す。服の生地が厚いのに、なんとなく割れているとわかる胸筋と腹筋の鍛えられ具合が、俺の男としての自尊心を真正面から砕くようだ。
頭に被った服と同じ生地のテンガロンハットには、薔薇とリボンなどで豪華な装飾が施されている。…大変に重そうである。
何とも派手で、ひたすら妖艶な雰囲気で立つ、無駄に美形なこの男。
もう一度言おう、こいつが魔王だ。勇者だかが呼ばれる原因になった一人。
とりあえずチートな能力ばかりの魔王様、そのひとだ。
ーーうん。
「…テメェ、見た目ぐらいゲルニカみたく滅茶苦茶だったら……どんなに良かったか」
「はて、ゲルニカとはなんだい?」
首を傾げる魔王に、心の中だけでストレートアッパーを決めた。
ピカソよ、この美形な魔王をムンクにしてくれ。是非に。
俺なんて、どこにでもいる平均的な顔で、目立つのは赤い色の髪くらいなのに。身長だってやっと百七十なのに。
チートのくせに、何故美形か。
想像してみろ、野郎共。
その、無駄に美形な長身の男が音もなく背後に立ち、首に凶器に等しい長さの爪をあててくるという状況を。
ーーただの恐怖だろう。
ついでに激しく萎えるだろう。
これが、ボン・キュ・ボンなお姉様だったら、殺されても本望だ。
背中に柔らかい二つの塊を感じながら昇天できるとか、ただの至福だろうが。ありがとうございます、と笑顔で逝ける。
ーー何が悲しくて、石みたいな男の厚い胸板を感じたいか。
密着してあれほど気色悪いものって、あるか。俺はない。
男同士で抱き合って錬成されるのは、虚しさと激しい嫌悪感だけだ。
少なくとも、俺はそっち系じゃないからそう思う。
「コンちゃんったら全然遊びに来てくれないから、寂しかったよー」
イルミナートは、笑いながらそう言う。
いや、魔王城に気軽に遊びにくる村人って何。
「どうでもいいから受け取り印と金寄越せ」
「…相変わらずドライだねぇー」
領収書を突き出せば、慣れた手付きで判子を押される。判子を押す魔王とか、見たことないぞ。
「ほら。食材が傷むから、さっさと持ってけよ。腹壊しても俺のせいじゃねぇからな」
すると彼は「やれやれ」と肩を竦め、指をひとつ鳴らした。
と、リアカーがひとりでに動き出し、奥の部屋へ消えていく。
食品庫に運ばれたのだろう。
そちらを見やっていると、小さな金属音がした。魔王を振り向けば、小さな皮袋が目の前に差し出される。
今日の納品分だ。
「て…おい少ねぇぞ」
「いやあ、今月はボクも金が必要でね」
ずい、と背伸びしてイルミナートに詰め寄る。
「ウチは今月、子牛が産まれましたぁ」
「わあ、おめでとう」
「めでたいと思うなら金払え」
「それは別ー」
両手でバツを表す巫山戯た魔王に、無言で拳を振りかぶる。
だが、今度は軽々しく受け止められ、手首を掴まれた瞬間、俺はぐるりと宙を舞った。
「ぐッ!?」
背中から床に叩きつけられた俺を見下ろし、イルミナートは相変わらず胡散臭く笑った。
「ごめんねーコンラッド。でも、本当に困った事態になりそうでねぇ」
長い爪を擦り合わせながら、魔王は目を細める。
「ーー勇者と魔法少女共が、ここに来そうなんだよ。割と近い内に」
そろそろ本格的に彼らと戦争かなぁ?
そう言った時のイルミナートの顔は、本物の魔王らしかった。
俺は、床の冷たさにではなく、イルミナートの冷たい目に体が震えた。
ーーだが。
「俺には関係ねぇから、金払え!!」
「おっと?」
勢い良く起き上がり、その長い足に払いをかけようとする。
だが、ひょいと余裕でかわされ、何故か拍手まで送られた。
「いやー、コンちゃんってさ。ただの村人なのに、冗談でもよくボクに喧嘩腰で挑めるよねー」
ああ、反論はない。自分でもそう思う。
チートな魔王であるイルミナートがその気になれば、平凡な俺なんか一瞬で死ぬのだ。
「商魂逞しき村人を舐めんなよ! こっちは生活かかってんだ! 取引相手が魔王でも、びた一文まけねぇぞ!!」
ウチには、可愛い愛犬と愛馬、その他大勢の牛・羊・鶏がいるのだ。負けられん。
誰か、農民の鑑とか褒め称えて。権力に屈さない俺、素敵だろ。
指差して宣言すれば、魔王はひとしきり笑い転げた。
そろそろマジでぶん殴ろうか。
「そんなに大口叩くと、取引を打ち切るよー? コンちゃーん」
にやにやとこちらを見てくる魔王。
あ、今何か俺の大事なものが、ぷっつんと切れた。
「そんなこと言ってると、絶交するぞ。ていうかする」
先程のイルミナートの目に負けぬ冷たさで言い放てば、途端に彼は、がしりと俺の肩を両手で掴んだ。
「駄目。ボクぼっちになるじゃん」
「そんなの知るかよ」
だから、村人が友達の魔王って何だよ。いや、友達じゃないけど。俺は思ってないけど。
友達ゼロとか、さすがだよ。これで彼女がいなければ、少しは好感度が上がるんだがな。こいつ、実は結婚してやがるから。
それもあって、俺はイルミナートが嫌いだ。
…羨ましいだけだろとか、突っ込まないでくれ。図星だから泣くぞ。
ーーていうか近い。顔が近い。
やめろ、美形に迫られても喜べない。寧ろ吐きそうだ。
「さようなら」
極力目を逸らしながら呻く。
目に毒、なんてこいつの顔に使うべき言葉だ。
イルミナートはやがて溜め息をつき、「わかったよ」と呟く。
そして、懐からもうひとつ、金の入った皮袋を取り出した。
おい、持ってるんじゃないかよ。
「…まいどあり」
とりあえず、これで今月は大丈夫そうだ。
用は済んだので、長居は無用とさっさと帰ろうとする。
「コンラッド」
だが、不意に魔王に呼び止められ、俺は半分うんざりとしながらそちらを見た。
こちらを見つめるイルミナートは、真顔だった。
「さっきの話は本当だよ。近々この島は戦火に包まれる。…その時、キミは生き残れるかい?」
いや死ぬわ、そりゃあ。
こちとら一介の農民村人だぞ。
何をわかりきったことを訊いてくるんだ、この魔王。馬鹿か。
「……何が言いたいわけ」
いや、大体意図はわかる。恐らくはーー。
「今なら、ボクがキミを庇護してあげられるよ。どうだい?」
実に悪役っぽく微笑んで、片手を差し伸べてくる魔王。
ーーはい、予感的中。
この甘い言葉に騙されてはいけない。友人だとか言ってたが、信用しては破滅する。
この手を取ったら最後、庇護という名の監禁が待っている。
何故わかるかって…。
『前例』を知っているからだ。身をもって。
イルミナートは、先程みたいな感じで緩いイメージになりそうだが、魔王の一人だということを忘れてはいけない。
所詮、常識的な価値観に当てはまらないから、魔王なのだ。
イルミナートは男女問わず、気に入った人間で暫く『遊ぶ』癖がある。
どんな遊びかは、ちょっと伏せさせて頂こう。思い出したら、発狂しそうだ。
なので。
「や、だ、ね」
舌を出して断固拒否を示す。
この時のイルミナートの顔といったら、……正直その場にくず折れそうなくらい迫力があった。
だが、俺はこいつの本気を知っている。だから、何とか堪えて、ふてぶてしい態度を続けられた。
「俺は家畜たちとゆったり過ごしていたいんだよ。戦争とか、勝手にやってくれ」
それで死んでも、悔いはないよ。
しばらくして、イルミナートは小さく「やれやれ」と呟いた。そして薄く笑う。
「友人に何かあってからでは遅いからと、提案したのだがね。まあ、キミらしいけれど」
「大きな親切、余計なお世話でーす」
じゃあな、と手を振って歩き出す。
今度こそ外に出て、戸を閉めた。扉の向こうにいた魔王は、笑顔で片手を振っていた。
「……魔王、イルミナート」
ぽつり。口の中だけで囁く。
この島で唯一の話し相手。案外と、話や趣味が合うとわかったのは、俺が島に住み始めてから一ヶ月後だった。
初めは恐怖しか感じられず、その内に、今のような反抗的な態度をとれるくらいになって。
それでも、完全に気を許すことはできなかった。
ーーだって俺は、一度あの魔王に殺されている。
ただ殺されたのではない。
時間をかけてなぶり、その割に、最後はすんなり首を飛ばして殺された。
そうして、前回俺は死んだ。
と言っても、向こうは俺のことなんて覚えていないだろうが。
…さて、改めまして自己紹介。
俺の名はコンラッド・ルカーチェス。本名・花村 臨。元日本人。
二十三年前、地球からこの異世界に召喚され、六人の魔王と戦った初代勇者。
最後の魔王・イルミナートに敗北し、死後に、女神の加護でこの世界の住人として転生したーー今はただの村人A。しがない、農夫。
かつてのような力も殆どなく、魔王に挑むなど言語道断。
しかも、二度と地球に戻れなくなった俺は、この世界で穏やかな余生を過ごすと決心した。
自分を殺した魔王と接点を持つとは思っていなかったが、それでもまあ、今の生活は気に入っている。
だから、できるだけ何も起こらないで欲しい。
ーーまさか。そう祈った後すぐ、この生活をひっくり返されるとは、思わなかったが…。