第六話
「どうして、御影さんはそんなところに座っているんでしょうか?」
休み時間が終わり次の授業中。
恐ろしくゾッとした低い声で、
真癒は、アツキにそう言った。いつものように笑顔を浮かべているものの、眼が嗤っていない。
「えーっと、何ででしょうか?」
冷や汗をかきながら答えて、アツキは横に視線を移した。
アツキの席の横。
そこには、我関せずというように、柴乃がアツキの机の横に自分の机をぴったりとつけて座っている。
あの後──
結局、休み時間が終わると直ぐに、アツキと柴乃は教室に戻って、ちゃんと授業を受けているのだった。
やがて、柴乃はアツキと真癒の視線が向けられているのに気づくと、かわいらしく小首を傾げる。
「何か問題があるのでしょうか?」
「あ、ありますよ! そ、そんな授業中に、一霧君の横に机をつけるなんて! ずる……先生に怒られちゃいますよ!」
「私は教科書を忘れてしまったのでしょうがなく。必要措置です」
……さっき、柴乃は教科書を机の中に隠していたような気がするのだが。
………………
……きっと、気のせいだろう。
「な、なら、私も教科書を忘れました!」
柴乃の声に、ハッとしたような表情をして。
真癒は慌てて机の中に教科書を入れると、授業中にも関わらず机をガタガタ動かしてアツキの横に机をぶつける。
「今、なら、って……」
「気のせいです!」
「机の中に教科書を入れてたような……」
「気のせいです!」
「いや、でも、目の前で……」
「世の中には知らない方が良いこともあるんですよ、一霧君」
真癒の冷めた声に、アツキはこくこくと頷からざるを得ない。
恐怖政治の一端を見たような気がした。
柴乃と真癒の視線が、アツキを挟んで交錯する。
どうしてだろうか。何故か、二人の間に火花が散ったように見えた。
真癒が得意げに挑戦的な笑みを浮かべる。まるで、お前の思惑通りにはさせないと言わんばかりの笑み。
それを見て──
柴乃は静かに真っ直ぐと手を挙げた。
二階堂がそれに気づき柴乃に訊ねる。
「どうした、御影?」
「二閃さんが教科書を隠して、一霧先輩の横にわざと机をつけています」
「先生に言うのは反則です!」
真癒が声をあげる。しかし、それが決定的な証拠となってしまい、机を離すように言った先生の声に、真癒は渋々とアツキから机を離した。
打って変わって、柴乃が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「フッ、その程度で先輩の横を取れると思ったら大間違いですよ」
「いや、お前はいったいなんなんだ」
しかし、二人にはアツキの声は届かなかったらしい。真癒と柴乃の間で、ますます何かがヒートアップしていく。
「私を怒らせちゃって良いんですか? 私が本気を出せば、一霧君なんてどうにもできちゃうんですからね……社会的に」
「残念な脳みそですね。まさか、私が本気を出していると思っているんですか。私も本気出せば、一霧先輩ぐらいどうにもできますよ……物理的に」
「二人とも俺にいったい何をするつもりなんだ!」
二人の会話に、思わず我慢できなくなったアツキは叫んだ。
が、その反応は間違っていたらしい。
でなければ、二階堂が鬼のような面相をするはずもないのだから。
「取り敢えず廊下に立っていろ、一霧」
反論さえ許さない強烈な物言いで、アツキは教室の外へと放り出された。
「酷い目に遭いましたね、先輩」
「いったい誰のせいだと思っているんだ、誰の」
授業が終わって昼休み。
青桜学園の食堂の隅で、アツキは丸テーブルを囲んで、真癒と柴乃と一緒に昼食を食べていた。周囲には、アツキ達を──実際には、真癒と柴乃を羨望の眼差しで見る人とアツキを探るような視線で見る人の二種類の人間で溢れている。
しかし、皆少し距離を置いているようだった。二人が放つオーラ──『手を出したらわかっていますよね』──に気圧されているのかもしれないが、なにかそれとは別にアツキを警戒しているようなのだ。何もしていないのに。
アツキも一度みんなで昼食を食べるように提案したのだが──真癒と柴乃に握り潰されてしまっていた。
満面の笑顔を浮かべながらも、凍るような視線を放つ二人に勝てるはずもない。
「まあ、先輩が酷い目に遭ったのはどうでもいいので、それはともかく……」
「おい」
しかし、アツキのその声を、柴乃は華麗に無視し続ける。
「──昨日、先輩が使っていた剣はいったい何なんですか?」
「……ああ、これのことか?」
言って、アツキは右腕に付けられた白銀の腕輪をこんこんと突いた。
「何に、って言っても、この学園の最強の先輩が使っていた剣としか……」
「いえ、そういうことではなくてですね……その剣の能力って何なんですか?」
「えっ? 剣に能力にあるのか?」
アツキの疑問に答えたのは、柴乃ではなく、真癒だった。流石は、委員長なのかスラスラと説明する。
「普通は、剣に能力なんかありません。でも、一霧君が使っていた剣は『異常』なものなんです」
異常、という言葉に、柴乃の身体がピクリと微かに動いた。もしかしたら、異常の権化である《絶対体質》──《呪怨》を思い出したのかもしれない。実際に、柴乃の座る位置はやや真癒から離れて、アツキ側に極端に寄っている。
アツキはそれらをなるべく意識しないようにして、真癒に訊ねる。
「異常って、どういう意味だ」
「ええっと、ですね……一霧君が使っていた剣には神力が付加しているんです。しかも、それがもう異常な量で」
「そうですね。私もそれがとても気になりました」
真癒の声に、柴乃が同意する。
「先輩の剣には大量の神力が付加されているので、超強力な能力──それも《特質系》の能力が付いているはずなんです」
「超強力な能力……」
それは嬉しい知らせだ。アツキには神力は使うことが出来ないので、戦闘力の強化は願ってもない。あの恐ろしい化け物──《神域》から《門》を通って、この楽園世界にも表れる転獣とも戦うことが出来るし、何もよりも、守るための力が手に入る。
期待に胸に膨らませながら、アツキは柴乃に訊ねる。
「それでいったいどういう能力なんだ?」
「わかりません」
「えっ?」
「だから、わからないんですよ、先輩。その剣の能力には、おそらくこの学園の人間には誰もわかりません。前の所有者である桐槌先輩も、能力は使っていたようですが、あまりにも規格外すぎて、どれがいったい能力を使って行った事かわかりませんから」
「そんな……」
それじゃあ、宝の持ち腐れも良いところだ。
「他に誰か知っている奴とかいないのか?」
「……そうですね。他に知っている人間と言えば……」
柴乃の視線を受けて、真癒が答える。
「この青桜学園現最強、二年生の凍霊雪奈さんでしょうか?」
「凍霊……雪奈」
アツキが、真癒の言葉をオウム返しに呟くように口にした瞬間。
ざわっと。
食堂が騒めいた。思わず顔を向けるが、そこは人で溢れていた。何が起こっているのかわからないが、その人の集団の向こうに誰かいるようだ。
と。
声を掛けあうことなく、食堂に溜まっていた人の集団がモーゼの奇跡のように二つに割れていく。そして、その中心を、一人の女子生徒が歩いてこちらに向かってきた。
特徴的なのは、その髪だった。煌めくような銀髪。短髪だが、きちんと手入れされている。それに、整った顔立ち。どこかイラついているような印象を受けるその相貌は、視線を釘付けするには十分だった。
が。
がつん!
「────ゥッ!」
アツキは突然、足にはしった痛みに苦悶の声を漏らした。
足元を除くと、柴乃と真癒が同時にアツキの足を踏み込んだらしかった。
「何するんだよ!」
「なんか気に入りません」
「私たちがいるのに他の人に目を奪われるなんて、一霧君酷いです!」
そんなことをアツキ達が小声で言い合っている内に。
その女子生徒がアツキ達の丸テーブルの前に立った。
周囲の視線が先程よりも一気に増えて、注目が集まる。
「……何か用か?」
取り敢えず、声を掛けたアツキの言葉に。
周囲からひそひそと声が漏れ出た。──「あの子、凍霊様になんて言い方」「あの子って、噂の一霧君でしょう。勇気あるわー」「ああ、凍霊様、いつみてもお綺麗な方ね」
周りの声から察するに、この銀髪の少女が凍霊雪奈らしい。しかし、周囲の女子生徒はこの少女のことを崇めているようにさえ見えるのに、真癒と柴乃は椅子に座ったまま、一切動じない。
……やっぱり、この二人は別格なんだろうか。色々な意味で。
そんなことを考えていると、雪奈がアツキの方を見て不機嫌そうに声を漏らした。
「あんたが、一霧アツキ?」
「ああ、そうだけど」
「あの、オールランク一で超弱い?」
「……ああ、そうだけど」
「女子を見ると誰でも襲わずにはいられない、あの一霧アツキ?」
「俺について、いったいどういう噂が流れているんだよ!」
思わず叫んだその言葉に。
何故か、真癒と柴乃がフイッと顔を気まずそうに逸らした。明らかに、おかしい。
「おーい、二閃さん、御影さん」
「…………」
「…………」
「……もしかして、今日変な視線で見られたり、ちょっと他の女子から距離を取られているのは、あなたたちのせいじゃありませんよね」
「そ、そ、そんなことがあるわけがないじゃありませんか、先輩」
「そ、そうですよ、一霧君。へ、変な勘繰りは止めてください」
「滅茶苦茶、お前ら怪しいんだけど!」
再度放たれたアツキの叫びに、雪奈は煩そうに顔をしかめた。どうやらお気に召さなかったらしい。
「あんたがどう噂されようと、正直どうでも良いんだけど……」
「よくない! 俺の社会的地位が懸っているんだ!」
しかし、雪奈はアツキの声を無視すると続ける。どうしてだろうか。この世界では、アツキの言葉はよく無視されるらしい。
「──あんたが桐槌先輩の剣を使って、転獣を倒したって本当?」
雪奈の視線が、アツキが嵌めている白銀の腕輪に落ちる。
「まあ、実際に倒したのは御影だけどな。俺がこの剣を使ったっていうのは、本当──」
アツキが言葉を紡ぎ終わらない内に、
雪奈の瞳に剣呑な光が宿った。瞬間、手が閃いて、アツキの喉仏に迫る──
キンッ、と。
金属が打ち合うような音が食堂中に響いた。
「あなたがそんなせっかちだと思いませんでした」
おそるおそる視線を喉仏あたり落とすと、そこには雪奈が握った氷で精巧につくられた刀の腹を、柴乃の細剣が僅かに押している光景が視界に映った。あまりにも速い、二人のやり取りに、背中に悪寒がはしってゾッとする。
どうやら、雪奈が閃いた刀から、柴乃が守ってくれたらしい。
雪奈はそれを見て、フンッと鼻を鳴らすと氷の刀を霧散させる。
「……守ってもらわないと生きていけないような奴が、それを使う資格はないわ」
「あなたがそれを言う資格もありませんけどね」
雪奈の言葉に、柴乃が毒を返す。
守ってくれたことはありがたい。だけど、これ以上無駄に、雪奈を刺激することは止めて欲しい……
しかし、そんなアツキの願いはもう遅かったらしい。
雪奈は瞳に剣呑な光を浮かべたまま、アツキを睨む。
「……決闘よ」
「えっ──?」
「だから、私と決闘しなさい。あんたがそれを使うのに相応しいか、私が確かめてあげる。場所は、闘技場。時間は、三日後の昼休みよ」
「もし、俺がこの剣に相応しくなかったら、どうするつもりだ?」
「当然、決まってんでしょ──あんたから、その剣を取り上げるわ。桐槌先輩の名を汚させないために」
言って、アツキの返事も聞かないまま、雪奈は踵を返して人混みの中に消える。
その光景を見送って──
アツキは呆然と声を漏らした。
「なあ、これってどうなるんだ?」
「凍霊雪奈と三日後に決闘をすることになりました」
「それに、凍霊さんは、その……有名な方なので、これを断ると後が怖いと思います……主に、私たち以外の生徒からの野次が」
柴乃と真癒の言葉に、アツキは小さく溜息をついた。
現学園最強と決闘。
思った以上に面倒くさいことになりそうだった。